田中隼磨

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
田中 隼磨 Football pictogram.svg
名前
愛称 ハユマ、ハユ
カタカナ タナカ ハユマ
ラテン文字 TANAKA Hayuma
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1982-07-31) 1982年7月31日(34歳)
出身地 長野県松本市
身長 174cm
体重 64kg
選手情報
在籍チーム 日本の旗 松本山雅FC
ポジション MF / DF (RWB、RSH、RSB)
背番号 3
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2001-2008 横浜F・マリノス 168 (10)
2002-2003 東京ヴェルディ1969 (Loan) 26 (2)
2009-2013 名古屋グランパス 161 (3)
2014- 松本山雅FC 101 (1)
代表歴2
2006 日本の旗 日本 1 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。2016年11月21日現在。
2. 2006年8月9日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

田中 隼磨(たなか はゆま、1982年7月31日 - )は、長野県松本市出身のプロサッカー選手。松本山雅FC所属。ポジションはMFDF。主に右サイドで起用される。元日本代表。

来歴[編集]

桑田真澄のファンで野球をしていた父親は隼磨を野球選手にしたいと考え、小学校1、2年は足腰を鍛えるためにサッカーを、3年生からは野球をさせていた。しかし、小学校6年の時に肩を痛めたことでサッカーに転じる。中学時代は当時長野県の少年サッカー界に君臨したFC松本ヴェガでプレーした。

卒業後は単身横浜フリューゲルスのユースに加入、フリューゲルスの消滅後は横浜F・マリノスユースへ移籍した。当時は金子勇樹とのコンビで中盤の底を務め、豊富な運動量でクラブユース選手権優勝に大きく貢献。高円宮杯、Jユースカップでも3位、更にユースチームが天皇杯予選の決勝まで進出するなどの活躍に貢献し、トップチームにも2種登録選手として出場した。坂田大輔はフリューゲルスユース時代からの同期。

横浜商大高卒業後、トップ昇格した2001年はトップチームの補強の失敗から新人ながらも多くの試合に出場するも結果は出せず、第2ステージ以降の緊急補強で出番を失う。翌2002年も出番が少ないことから6月にレンタル移籍東京ヴェルディ1969に移籍した。しかしここでロリ・サンドリ監督が彼のポジションをボランチから右サイドにコンバート、これがはまったことから一気に東京Vでレギュラーを獲得した。

2004年に横浜に戻ったときには、当時右サイドのレギュラーだった佐藤由紀彦の怪我をきっかけにポジションを奪い、横浜FMの不動の右サイドとして中心選手になる。しかし、2006年序盤は吉田孝行の加入によりベンチスタートに甘んじる時期もあったが即座にレギュラーを取り戻し、同年トリニダード・トバゴ戦で日本代表初選出するなどした。2007年1月、フランスリーグ1のASサンテティエンヌの練習に参加した。

2009年1月、ユースから10年間所属していた横浜FMから3年契約の完全移籍で名古屋グランパスに移籍した。

名古屋移籍後は右サイドバックのレギュラーを確保している。2010年は累積警告による出場停止1試合を除く33試合に先発出場した。2013年は全試合に出場したものの、同年限りでの退団が発表された。
2014年1月6日、地元のチームである松本山雅FCへ加入[1]。自身初のJ2参戦となる。背番号は先輩の松田直樹が他界後、空き番となっていた3番となる[2]。松本のJ1昇格に貢献し、J2で一番活躍した選手に贈られるJ2 Most Exciting Playerを受賞した。

特徴・評価[編集]

アテネオリンピック代表候補時代、持久力の指標となるVMAテスト(有酸素運動時における最大スピード測定)で25本という記録をマークしている。これは当時日本代表選手でトップのスタミナを持っていた加地亮の記録(23本)を超える、サッカー日本代表の全世代を通じての最高記録[3]。田中も自身の持久力について「僕の持ち味」と語っている。

私生活・その他[編集]

  • 2001年にモデルのMALIA(新保真里有)と結婚。MALIAとの間に男児が誕生するも2004年に離婚。男児はMALIAが育てることになった。2006年11月に再婚し、2007年10月18日に男児が誕生し「怪獣くん」という名でしばしばブログに登場している。2010年にも男児、2013年には女児が誕生し現在の妻との間に2男1女がある。
  • 2006年にイビチャ・オシム率いる日本代表に招集され、初のA代表入りを果たした。
  • 公式サイトのブログは誤字・脱字や突然の改行、「!」「…」「☆」の多用、息子「怪獣」の弟のはずがなぜか「怪獣Jr」、不思議な文体などがファンの話題となった。田中が試合の後に「今日は"2-2のスコアレスドロー"に終わった」という誤った表現(注:得点が入らなかった時しかこの用法は用いられない)をし、この誤記は長期間に渡って横浜FMサポーター内でネタにされた。また、元チームメイトの中澤佑二ブログの影響か関西弁調の文章もみられる(ちなみに中澤は埼玉出身。いずれも関西に地縁はない)。
  • パスタ通で知られている。
  • 2011年8月4日に他界した松田直樹とは横浜F・マリノスでチームメイトであり、松田を慕い、「(松田の)背中をみてきた」と述べている[4] 。マリノス時代は松田と熱くなりピッチ上で喧嘩をし、試合後に仲直りをよくしたと話している[5]
    • 2013年に名古屋を退団することを発表。松田と同じくチームでレギュラーを確保しながら契約非更新を告げられた[6] 。J1チームからオファーはあったが、2014年から松田が最後に在籍していたチームで自身の地元であるJ2の松本山雅へ移籍。山雅側から松田が付けていた背番号3番を提示され、松田の実家に行き松田の姉から「もし山雅に行くのならぜひ3番をつけてください。直樹も絶対に喜ぶに違いありませんから」と言われ背番号を受け継ぐ覚悟を決意した[6]
    • 2014年11月1日にJ1への自動昇格を決めた直後、ユニフォームを脱ぎ名古屋時代から毎試合着用している「ありがとう松田直樹3」[7] と書かれたアンダーシャツでピッチ上で号泣した。また、5月に松田と同じ右膝半月板を損傷しながらも試合に出続けていたことを発表した[8]
    • 2015年5月23日にTBSで放送されている『バース・デイ』で「松田直樹の思いを受け継ぐ者…松本山雅FCの戦い」として密着特集された[9](松田も2011年2月に同番組に出演している)。番組の中で、試合前のロッカールームで松田の写真を見て会話している事を話している。

所属クラブ[編集]

ユース経歴
プロ経歴

個人成績[編集]

国内大会個人成績
年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
日本 リーグ戦 リーグ杯 天皇杯 期間通算
2000 横浜FM 32 J1 0 0 0 0 3 0 3 0
2001 20 16 0 5 0 0 0 21 0
2002 0 0 2 0 - 2 0
東京V 31 16 2 - 0 0 16 2
2003 7 10 0 3 0 2 0 15 0
2004 横浜FM 17 23 1 5 0 2 0 30 1
2005 7 31 1 4 0 1 0 36 1
2006 34 5 9 2 1 0 44 7
2007 32 2 9 0 2 0 43 2
2008 32 1 8 1 4 1 44 3
2009 名古屋 32 29 0 2 0 6 0 37 0
2010 33 0 5 0 3 0 41 0
2011 34 1 2 0 5 0 41 0
2012 31 1 1 0 3 0 35 1
2013 34 1 5 0 0 0 39 1
2014 松本 3 J2 39 0 - 1 0 40 0
2015 J1 34 0 2 0 4 0 40 0
2016 J2 28 1 - 0 0 28 1
2017 -
通算 日本 J1 389 15 62 3 36 1 487 18
日本 J2 67 1 - 1 0 68 1
総通算 456 16 62 3 37 1 555 19
  • 2000年はユース所属

その他の公式戦

国際大会個人成績
年度 クラブ 背番号 出場 得点
AFC ACL
2004 横浜FM 17 2 0
2005 7 6 0
2009 名古屋 32 9 0
2011 6 0
2012 6 0
通算 AFC 29 0

その他の国際公式戦

代表歴[編集]

試合数[編集]

  • 国際Aマッチ 1試合 0得点(2006年)


日本代表 国際Aマッチ
出場 得点
2006 1 0
通算 1 0

個人タイトル[編集]

脚注[編集]

外部リンク[編集]