家長昭博

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家長 昭博 Football pictogram.svg
名前
愛称 アキ、アキくん
カタカナ イエナガ アキヒロ
ラテン文字 IENAGA Akihiro
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1986-06-13) 1986年6月13日(32歳)
出身地 京都府長岡京市
身長 173cm
体重 70kg
選手情報
在籍チーム 日本の旗 川崎フロンターレ
ポジション MF / FW
背番号 41
利き足 左足
ユース
1993-1998 長岡京サッカースポーツ少年団[1]
1999-2003 ガンバ大阪ユース
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2004-2010 ガンバ大阪 87 (5)
2008-2009 大分トリニータ (loan) 30 (1)
2010 セレッソ大阪 (loan) 31 (4)
2011-2013 RCDマヨルカ 25 (2)
2012 蔚山現代FC (loan) 12 (1)
2012-2013 →ガンバ大阪 (loan) 29 (6)
2014-2016 大宮アルディージャ 92 (28)
2017- 川崎フロンターレ 53 (8)
代表歴2
2005  日本 U-20 4 (0)
2006-2007  日本 U-23 10 (1)
2007-2011 日本の旗 日本 3 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。2018年12月1日現在。
2. 2011年8月10日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

家長 昭博(いえなが あきひろ、1986年6月13日 - )は、京都府長岡京市出身のプロサッカー選手Jリーグ川崎フロンターレ所属。ポジションはミッドフィールダーフォワード。元日本代表2018年のJリーグ最優秀選手賞受賞者[2]

来歴[編集]

プロ入り前[編集]

地元長岡京市の長岡京サッカースポーツ少年団からガンバ大阪ジュニアユースに入団。ガンバ大阪ユースチームではエースとして活躍し、高校2年時にトップ昇格、高校3年時には完全にユースを卒業し、2004年7月にガンバ大阪とプロ契約を結ぶ。同年6月26日のアルビレックス新潟戦でJリーグ史上初となる2種登録選手によるデビュー戦初得点を挙げた。

ガンバ大阪[編集]

当時イビチャ・オシムが指揮を執ったA代表に選出されたが、好不調の波が激しく[3]G大阪では遠藤保仁二川孝広らの牙城を崩せずなかなか定位置を掴めずにいた。2008年に出場機会を求めて大分トリニータ期限付き移籍したが、2月の実戦形式の練習中に、右膝前十字靭帯損傷により全治6ヶ月の重傷を負った。大分でのリーグ戦初出場は9月27日・第27節横浜FM戦となった。同年12月、入団テストを兼ねてイングランド・フットボールリーグ・チャンピオンシップ(2部リーグ)のプリマス・アーガイルFCの練習に約2週間参加。クラブ首脳陣から高い評価を受け獲得を検討されたが、翌2009年1月に労働許可証取得の申請が却下され、プリマスへの移籍は消滅[4] した為、大分への期限付き移籍期間を1年間延長した。

怪我が癒えた2009年シーズンも序盤はサブメンバーであったが、相次ぐ主力の怪我によりスタメンでの試合出場機会が多くなった。ランコ・ポポヴィッチの監督就任以降は、それまでのレギュラーであった鈴木慎吾に代わり左WBとして、その後高橋大輔が左WBとなると、ボランチとしてレギュラー起用された。

2010年1月8日セレッソ大阪へ期限付き移籍し[5][6]、自身最多となるリーグ31試合4得点10アシスト[注釈 1] で、C大阪のACL出場権獲得に貢献した。

マヨルカ(スペイン)[編集]

2010年12月16日、G大阪からリーガエスパニョーラRCDマヨルカへの完全移籍が発表された[7][8]。2015年までの複数年契約で、マヨルカとの契約解除に必要な違約金として、1800万ユーロ(約20億円)に設定された。

入団からおよそ1カ月ほど、ヨーロッパ外国籍の選手保有制限により登録されなかったが、冬の移籍期間中に放出したブラジル人DFラチーニョに代わり、2011年2月1日に登録名「AKI」で登録された。5日、第22節CAオサスナ戦でトップ下で出場しリーガエスパニョーラデビューを飾り、3月13日のレバンテUD戦でトップ下として移籍後初先発を果たす。4月9日のセビージャFC戦でリーガ初得点を決めた。4月24日のヘタフェ戦では移籍後2得点目となるヘディングシュートを決めた。6月のキリンカップでは、G大阪時代の2007年以来、約4年ぶりの代表復帰を果たした。しかし、2011-12シーズンはホアキン・カパロス監督の構想外となり、前半戦のリーグ戦出場はわずか4試合にとどまった。

蔚山現代(韓国)[編集]

2012年2月、出場機会を求めKリーグ蔚山現代FCへ1年間の期限付き移籍。登録名は引き続き「아키」(アキ)となった。蔚山ではリーグ戦12試合に出場し、1ゴールを記録した。

ガンバ大阪復帰[編集]

2012年7月30日、古巣のG大阪へ期限付き移籍[9]。加入当初は、途中出場がほとんどであったが、シーズン終盤はスタメン起用され途中加入ながらG大阪在籍シーズンでは最多の得点を記録した。しかしチームは成績不振で史上初のJ2降格となってしまった。

2013年、複数のJ1クラブからオファーが届いたがG大阪と契約を延長した[10][11]。2013年6月、期限付き移籍満了により退団した。

マヨルカ復帰[編集]

2013年7月に約1年半ぶりにマヨルカに復帰し、2013-14シーズンはリーグ戦7試合に出場した。

大宮アルディージャ[編集]

2014年1月、大宮アルディージャへ完全移籍[12]J1序盤戦はゴールを量産し、第3節川崎戦であげた加入後初のゴールは、J1通算17,500ゴールとなった。シーズン中盤以降はゲームキャプテンを任されるなど移籍1年目にして存在感を見せたが、それと反比例するようにチームは降格圏に低迷。終盤も低調なチームの中で気を吐いたが状況は変わらず。チームはJ2リーグへ降格することとなった。シーズン終了後、ヴィッセル神戸や古巣のG大阪などが獲得に動いたが大宮と契約を延長した。

2015年は2年ぶりにJ2の舞台で戦うこととなったが、攻守の要としてチーム2位の11得点を挙げた。第29節のアウェイ愛媛戦においてスポンサー看板を蹴ったことで2試合の出場停止を受けたこともあったが、同年の6月と7月にはJリーグ月間MVPを史上初めて2カ月連続で獲得している。勝利で自力優勝が決まるホーム最終戦の第41節大分戦では、スコア2-2の状況から家長自身のPKにより逆転し、クラブ初となるJ2優勝および1年でのJ1復帰に貢献した。

2016年もチームに残留。シーズン中盤は故障に悩むも、引き続きチームの攻守の要となり11得点を記録、J1で2桁得点を記録したチーム初の日本人選手となり年間5位へチームを押し上げる原動力となった[13]

川崎フロンターレ[編集]

大宮で絶対的な居場所を築いた家長であったが[13]、30歳を迎えて「再び挑戦したい」という思いから[13]2017年、川崎フロンターレに完全移籍で加入[14]。シーズン開始前の怪我で出遅れたものの、徐々にチームにフィット[15]。7月12日、天皇杯3回戦のザスパクサツ群馬戦でヘディングによる移籍後初得点を決めた。8月13日、第22節の鹿島アントラーズ戦でリーグ戦初得点を決めた。最終節、第34節・大宮アルディージャ戦では、小林悠の3得点のうち2得点をアシストし、勝利に貢献、最終節での逆転J1優勝、川崎のJ1初優勝に貢献した。オフには古巣のG大阪から獲得オファーを受け心が揺らいだが、最終的には川崎への残留を決断した[16]

2018年はシーズンを通じて力を発揮し[17]出場時間は攻撃陣最多の2745分間(32試合)を記録[18]。6得点7アシスト[19]と派手さこそ無い成績ではあったが[20]、6得点の内半数は最終盤の第30節 - 第32節の3戦連続弾でマークするなど勝負強さを発揮。チームメイトの中村憲剛からは「苦しい時、突破口を切り開くのはアキの左足。こんなに頼もしい選手は多くない[18]」と語られるなど川崎のリーグ2連覇に大きく貢献し[21]最優秀選手賞(MVP)及びベストイレブンを受賞した[2]

人物[編集]

ガンバ大阪ユースの出身で、ユースチーム在籍中にトップ昇格を果たしている。ユース在籍中の昇格は稲本潤一新井場徹に次いでクラブ史上3人目。

本田圭佑東口順昭とはG大阪ジュニアユース時代の同期。本田とは小学校時代に対戦し、一緒にプレーしたいと思ったことがG大阪ジュニアユース入りを選んだ理由と話している。2人は共に攻撃的なポジションの選手であり、生年月日と利き足が同じである。1年後輩に当たる安田理大のブログによれば、G大阪ジュニアユース時代の家長と本田はよく喧嘩をしていたとのこと[22]。2018年のJリーグアウォーズでは、最優秀選手賞の受賞セレモニーの際に、サプライズで本田からのビデオメッセージが公開された[23]

家族構成は、雑誌の専属モデルでもある妻 ・長男・次男。猫のジェンバ・ジェンバ[24]

所属クラブ[編集]

ユース経歴
プロ経歴

個人成績[編集]

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2004 G大阪 28 J1 8 1 3 0 2 0 13 1
2005 14 24 0 5 1 3 0 32 1
2006 28 2 2 0 4 2 34 4
2007 8 27 2 7 1 3 0 37 3
2008 大分 14 4 0 0 0 1 0 5 0
2009 26 1 6 2 1 0 33 3
2010 C大阪 31 4 6 0 3 0 40 4
スペイン リーグ戦 国王杯オープン杯 期間通算
2010-11 マヨルカ 14 プリメーラ 14 2 - - 14 2
2011-12 4 0 1 0 - 5 0
韓国 リーグ戦 リーグ杯FA杯 期間通算
2012 蔚山現代 28 Kリーグ 12 1 - 2 0 14 1
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2012 G大阪 41 J1 12 5 1 0 6 1 19 6
2013 J2 17 1 - - 17 1
スペイン リーグ戦 国王杯オープン杯 期間通算
2013-14 マヨルカ 22 セグンダ 7 0 1 0 - 8 0
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2014 大宮 41 J1 33 6 5 0 3 0 41 6
2015 J2 33 11 - 3 0 36 11
2016 J1 26 11 2 1 3 1 31 13
2017 川崎 21 2 5 2 3 1 29 5
2018 32 6 1 0 3 1 36 7
2019
通算 日本 J1 272 29 43 7 26 5 313 39
日本 J2 50 12 - 3 0 53 12
スペイン プリメーラ 18 2 1 0 - 19 2
スペイン セグンダ 7 0 1 0 - 8 0
韓国 Kリーグ 12 1 - 2 0 14 1
総通算 333 44 43 6 31 5 407 54

その他の公式戦

  • 2006年
  • 2018年
    • XEROX SUPER CUP 1試合0得点
国際大会個人成績
年度 クラブ 背番号 出場 得点
AFCACL
2006 G大阪 14 6 1
2012 蔚山現代 28 5 0
2017 川崎 41 6 0
2018 4 0
通算 AFC 21 1
その他の国際公式戦
出場歴

代表歴[編集]

出場大会[編集]

試合数[編集]

  • 国際Aマッチ 3試合 0得点(2007年 - 2011年)


日本代表国際Aマッチ
出場得点
2007 1 0
2011 2 0
通算 3 0

タイトル[編集]

クラブ[編集]

ガンバ大阪ユース
ガンバ大阪
大分トリニータ
  • Jリーグカップ:1回(2008年
大宮アルディージャ
川崎フロンターレ

個人[編集]

出演[編集]

CM[編集]

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ Jリーグ公式記録ではアシストを集計していない。

出典[編集]

  1. ^ “長岡京サッカースポーツ少年団 団のあゆみ”. Nagaokakyo SS. (2011年6月27日). オリジナル2011年8月21日時点によるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20110821011146/http://www.nagaokakyo-ss.com/histry.html 2011年6月27日閲覧。 
  2. ^ a b “最優秀選手賞は家長 昭博選手(川崎F)が初受賞~同一クラブからの最優秀選手賞3年連続選出は初~【Jリーグアウォーズ】”. 日本プロサッカーリーグ. (2018年12月18日). https://www.jleague.jp/news/article/13631/ 2018年12月18日閲覧。 
  3. ^ 「天才」家長昭博が川崎Fを選んだ理由。30歳での決断。「模索中」のサッカー人生(3ページ目)”. フットボールチャンネル. カンゼン (2017年1月27日). 2018年12月18日閲覧。
  4. ^ “プリマス、家長獲得見送り=英労働許可証下りず-イングランド・サッカー”. Yahoo!ニュース. 時事通信 (Yahoo Japan). (2009年1月17日). オリジナル2009年1月17日時点によるアーカイブ。. http://s02.megalodon.jp/2009-0117-2153-54/headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090117-00000046-jij-spo 2009年1月17日閲覧。 
  5. ^ MF家長昭博選手 2010年シーズン セレッソ大阪へ期限付き移籍(2010年1月11日時点のアーカイブ) ガンバ大阪オフィシャルサイト、2010年1月8日
  6. ^ ガンバ大阪 家長昭博選手 移籍加入のお知らせ セレッソ大阪 CEREZO OSAKA OFFICIAL SITE、2010年1月8日
  7. ^ 家長昭博選手 スペイン1部リーグ「RCDマジョルカ」への移籍発表記者会見(2013年12月11日時点のアーカイブ) ガンバ大阪オフィシャルサイト、2010年12月21日
  8. ^ El RCD Mallorca formaliza el contrato de Akihiro Ienaga Web Oficial RCD Mallorca(スペイン語)
  9. ^ MF家長昭博選手 蔚山現代(韓国)より期限付き移籍加入のお知らせ(2012年8月2日時点のアーカイブ) ガンバ大阪オフィシャルサイト、2012年7月30日
  10. ^ 家長 G大阪と6月末までの契約延長で合意 スポニチ、2013年1月10日
  11. ^ MF 家長 昭博選手 期限付き移籍延長のお知らせ(2013年1月29日時点のアーカイブ) ガンバ大阪オフィシャルサイト、2013年1月21日
  12. ^ RCDマジョルカ 家長 昭博選手 大宮アルディージャ加入のお知らせ 大宮アルディージャオフィシャルサイト、2014年1月15日
  13. ^ a b c 「天才」家長昭博が川崎Fを選んだ理由。30歳での決断。「模索中」のサッカー人生(2ページ目)”. フットボールチャンネル. カンゼン (2017年1月27日). 2018年12月18日閲覧。
  14. ^ “家長昭博選手加入のお知らせ” (プレスリリース), 川崎フロンターレ, (2017年1月5日), https://www.frontale.co.jp/info/2017/0105_6.html 2018年12月18日閲覧。 
  15. ^ 【川崎F vs 神戸】 ウォーミングアップコラム:家長昭博が徐々にフィット。攻撃面で違いをもたらす活躍に期待”. J's GOAL (2017年6月30日). 2018年12月18日閲覧。
  16. ^ 成熟の川崎F連覇!13差逆転完結 家長が常勝への“新司令塔””. スポーツニッポン (2018年11月11日). 2018年12月18日閲覧。
  17. ^ ブレない川崎が連覇。黄金時代到来のために必要な次の一手は?(2ページ目)”. Sportiva. 集英社 (2018年11月11日). 2018年12月18日閲覧。
  18. ^ a b ブレない川崎が連覇。黄金時代到来のために必要な次の一手は?(2ページ目)”. 中日新聞社 (2018年12月19日). 2018年12月19日閲覧。
  19. ^ “家長(川崎F)「偉大なるチームメイトのみんなに支えられてこの賞を取れました。本当にありがとうございます」【最優秀選手賞:Jリーグアウォーズ】”. 日本プロサッカーリーグ. (2018年12月18日). https://www.jleague.jp/news/article/13624/ 2018年12月18日閲覧。 
  20. ^ 家長がMVP!川崎から史上初3年連続 正確な左足で連覇に貢献/Jリーグアウォーズ”. 産業経済新聞社 (2018年12月19日). 2018年12月19日閲覧。
  21. ^ MVP初受賞の家長昭博「皆に支えられて取れた賞」”. ゲキサカ. 講談社 (2018年12月18日). 2018年12月18日閲覧。
  22. ^ 本田圭佑という男。 安田理大公式ブログ - 2008/06/19付記事
  23. ^ JリーグMVP家長昭博に思わぬサプライズ…“運命の人”本田圭佑「たまには連絡下さい」”. ゲキサカ. 講談社 (2018年12月18日). 2018年12月18日閲覧。
  24. ^ カラ。 家長昭博公式ブログ - 2010/11/30付記事

関連項目[編集]

外部リンク[編集]