イヴィツァ・ヴァスティッチ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
イヴィツァ・ヴァスティッチ Football pictogram.svg
Ivica Vastic, SV Mattersburg 2015-2016 (01).jpg
2015年のヴァスティッチ
名前
愛称 Ivo
ラテン文字 Ivica Vastić
基本情報
国籍  オーストリア
クロアチアの旗 クロアチア
生年月日 (1969-09-29) 1969年9月29日(48歳)
出身地 ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の旗 ユーゴスラビア スプリト
身長 183cm
体重 81kg
選手情報
ポジション FW
利き足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1990-1991 ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の旗 RNKスプリト 22 (5)
1991-1992 オーストリアの旗 ファースト・ヴィエンナ 23 (8)
1992-1993 オーストリアの旗 VSEザンクト・ペルテン 34 (18)
1993 オーストリアの旗 FCアドミラ・ヴァッカー・メードリング 18 (7)
1994 ドイツの旗 MSVデュースブルク 10 (0)
1995-2002 オーストリアの旗 SKシュトゥルム・グラーツ 250 (124)
2002-2003 日本の旗 名古屋グランパスエイト 27 (13)
2003-2005 オーストリアの旗 FKアウストリア・ウィーン 67 (14)
2005-2009 オーストリアの旗 LASKリンツ 123 (59)
代表歴
1996-2009 オーストリアの旗 オーストリア 50 (14)
監督歴
2009-2010 オーストリアの旗 FCヴァイドホーフェン・イップス
2010-2011 オーストリアの旗 FKアウストリア・ウィーン・セカンド
2011-2012 オーストリアの旗 FKアウストリア・ウィーン
2012-2013 オーストリアの旗 SVガフレンツ
2013- オーストリアの旗 SVマッテルスブルク
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

イヴィツァ・ヴァスティッチIvica Vastić1969年9月29日 - )は、クロアチアスプリト出身のオーストリア代表の元サッカー選手、サッカー指導者。愛称はイヴォ(Ivo)。

経歴[編集]

クロアチアで生まれ育つが、1991年から始まった内戦の混乱によりクロアチアを離れてオーストリアに帰化し、代表に選出され活躍を見せた。オーストリア・ブンデスリーガSKシュトルム・グラーツに在籍時はイヴィツァ・オシムが指揮を執るチームの下で活躍。ほぼ同時期に同じクラブに所属していたマリオ・ハース(後にジェフユナイテッド市原・千葉でプレー)と共にゴールを量産、クラブの黄金時代を築いた。

2002年からは名古屋グランパスエイトに在籍。ストイコビッチ引退後、初の欧州選手とあってか、「ピクシーの後継者」とも言われていた[要出典]。在籍した1年半の間で、公式戦31試合13得点と期待通りの活躍はできなかったものの、劇的なゴールを決めるなど、サポーターから愛されていた選手でもあった[要出典]

2003年、チームの退団を表明したあとの試合では活躍し、最後のホームゲーム(この試合で警告を受け、次節出場停止だったためこのゲームが実質上ラストゲームとなった)となった5月18日のベガルタ仙台戦では、終了間際のFKの場面でウェズレイが短く出したパスを受けて逆転ゴールを決め、勝利に貢献[1](このゴールは、Jリーグの8500ゴール目の記念ゴールであった)。この試合の後には、ヒーローインタビューを兼ねての即席でセレモニーも行い、最後に選手たちの胴上げで有終の美を飾った。

2008年6月12日EURO2008においてそれまでの記録を4歳上回る大会最年長記録ゴールを決め[2]、オーストリアに同大会における史上初の勝ち点をもたらした。

2009年5月18日、08-09シーズンをもって現役引退することが発表された。

引退後はアマチュアレベルのチームを指導した後、オーストリア3部に属するFKアウストリア・ウィーンのセカンドチーム監督に就任。2011年12月にはトップチームの監督に就任したものの、シーズン後に契約は延長されず、同クラブを退団した。オーストリア4部のクラブの監督を務めた後、オーストリア2部に降格したSVマッテルスブルクの監督に就任。2年目にリーグ優勝を決め、オーストリア・ブンデスリーガへの再昇格を、翌年にはリーグ残留を果たした。

エピソード[編集]

接触プレーではすぐに倒れることがあったため、あるとき敵チームのサポーターがこれを皮肉り「ヴァスティッチにバイアグラを男性器より長く立っていられるために」という横断幕を張ったことがある[要出典]

個人成績[編集]

国内大会個人成績
年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
ユーゴスラビア リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
1990-91 RNKスプリト 22 5
オーストリア リーグ戦 リーグ杯 オーストリア杯 期間通算
1991-92 ヴィエンナ 23 8
1992-93 ザンクト・ペルテン エルステリーガ 34 18
1993-94 FCアドミラ・ヴァッカー・メードリング 18 7
ドイツ リーグ戦 リーグ杯 DFBポカール 期間通算
1993-94 デュースブルク ブンデスリーガ 10 0
オーストリア リーグ戦 リーグ杯 オーストリア杯 期間通算
1994-95 SKシュトゥルム・グラーツ ブンデスリーガ 35 7
1995-96 31 20
1996-97 33 13
1997-98 30 14
1998-99 30 14
1999-00 35 31
2000-01 24 8
2001-02 32 17
日本 リーグ戦 リーグ杯 天皇杯 期間通算
2002 名古屋 9 J1 18 10 - 3 0 21 10
2003 9 3 2 0 - 11 3
オーストリア リーグ戦 リーグ杯 オーストリア杯 期間通算
2003-04 アウストリア・ウィーン ブンデスリーガ 35 4
2004-05 32 10
2005-06 LASKリンツ エアステリーガ 31 19
2006-07 31 23
2007-08 9 ブンデスリーガ 32 13
2008-09 7
通算 ユーゴスラビア 22 5
オーストリア ブンデスリーガ 349 151
オーストリア エルステリーガ 114 67
ドイツ ブンデスリーガ 10 0
日本 J1 27 13 2 0 3 0 32 13
総通算

代表歴[編集]

獲得したタイトル[編集]

脚注[編集]

  1. ^ サッカーの奇跡”. ジェレミー・ウォーカーのA View From A Brit (2003年5月25日). 2012年6月7日閲覧。
  2. ^ 元名古屋ヴァスティッチが千金PK弾”. スポーツニッポン (2008年6月14日). 2013年9月21日閲覧。