二川孝広

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二川 孝広 Football pictogram.svg
名前
愛称 フタさん、ファンタジフタ
カタカナ フタガワ タカヒロ
ラテン文字 FUTAGAWA Takahiro
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1980-06-27) 1980年6月27日(36歳)
出身地 大阪府高槻市
鹿児島県生まれ)
身長 168cm
体重 63kg
選手情報
在籍チーム 日本の旗 東京ヴェルディ1969
ポジション MF (SH, OH)
背番号 32
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1999- ガンバ大阪 430 (47)
2016- 東京ヴェルディ (loan) 20 (1)
代表歴2
2006 日本の旗 日本 1 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。2016年12月3日現在。
2. 2006年10月4日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

二川 孝広(ふたがわ たかひろ、1980年6月27日 - )は、大阪府高槻市出身のプロサッカー選手Jリーグ東京ヴェルディ所属。ポジションミッドフィールダー。元日本代表

来歴[編集]

小中学生時代は地元高槻市の強豪クラブである高槻FCに所属した。小学時代は大阪でもベスト4が最高成績だったが、中学時代は3年時にクラブユース選手権関西大会でJリーグクラブの下部組織を抑え優勝し、自身もMVPを受賞した。

1996年にガンバ大阪ユースに入団。主にボランチで活躍。3年時はキャプテンとしてチームを牽引し、クラブユース選手権にて優勝、高円宮杯にて準優勝という成績を収めた。

1999年にトップチームに昇格。同期昇格の大黒将志とはユース時代からの名コンビで知られ、大黒が札幌にレンタル移籍した1年間を除いて、2005年まで同じチームでプレーしていた。 

昇格2年目の2000年頃から出場機会を増やし、2002年にガンバ大阪の監督に就任した西野朗からも中盤の様々なポジションで起用され、繊細なボール感覚と抜群のパスセンスを発揮し、遠藤保仁らと共にガンバの攻撃サッカーの中軸を担い[1]、2003年からは背番号を10番を背負うようになる。リーグ初制覇した2005年は、主に3-5-2の中盤の左アウトサイドとして出場していた。2006年以降は主に4-4-2の二列目の左MFとして出場している。

2006年8月アジアカップ予選の西アジア遠征で日本代表に初招集される。同年10月4日キリンチャレンジカップ2006・ガーナ戦で背番号10を着けてA代表初出場を果たした。2007年のリーグ戦は全試合に出場した。

2008年、Jリーグ選抜に選出され[2]、韓国・Kリーグ選抜とのオールスターゲームJOMO CUPに出場。AFCチャンピオンズリーグ2008では、グループリーグで3得点を決め、決勝第2戦のアデレード・ユナイテッド戦でも、ルーカスの2得点目をアシストし、クラブのアジア制覇に貢献。同年度の日刊スポーツ提供「黄金の脚賞」を受賞した[3]。同年12月に開催されたFIFAクラブワールドカップ2008では怪我をおして出場するが、初戦のアデレード戦で怪我していた部分を再び痛め、本人も楽しみにしていたヨーロッパ王者マンチェスター・ユナイテッドとの準決勝は欠場。3位決定戦のCFパチューカ戦では途中出場するも、試合終了間際にレッドカードを提示され退場処分を受けた。

2009年は前年に負った怪我により復帰が遅れるも復帰以降は好調を維持し、天皇杯決勝の名古屋戦では、試合を決定づける3得点目を決め、チームの天皇杯連覇に貢献した。2010年の前半戦は攻撃陣に負傷者が続出する中、獅子奮迅の活躍を見せたものの、夏に体調を崩してからは絶不調に陥り、後半戦はこの年台頭した宇佐美貴史の活躍もあり控えに回ることもあった[1]。それでも2011年には見事復活を遂げ、4年ぶりにリーグ戦30試合以上に出場した。2012年もシーズン通して安定した活躍を見せるもチームは初のJ2降格となった。

自身初のJ2でのプレーとなった2013年、多くの若手選手が台頭したが、シーズン通してレギュラーの座を譲らずガンバのJ2優勝と1年でのJ1復帰に貢献した。

2014年は主にスーパーサブとして出場し、ガンバの昇格1年目での三冠達成に貢献した。2015年の出場はほとんどがカップ戦でリーグ戦は過去最小のわずか2試合の出場に留まった。

2016年、セカンドチーム・ガンバ大阪U-23のJ3リーグ開幕戦にオーバーエイジ枠として出場し、同一チームでのJリーグ3カテゴリー出場となった。4月3日の第3節・カターレ富山戦ではJ3初ゴールも挙げた。しかし、トップチームでの前半戦の出場はACLの1試合のみで、J1リーグ戦では出場機会はおろかベンチ入りすら1試合もなかった。前半戦終了後、元ガンバ監督の竹本一彦がGMを務める東京ヴェルディからオファーを受け、ガンバ側からは慰留されたが、出場機会を求め17年過ごしたガンバからの移籍を決断。6月28日、ヴェルディへの期限付き移籍が発表された[4]

人物[編集]

  • 無口で寡黙な性格で知られている[5]。インタビューも苦手で2009年にガンバの公式応援番組『GAMBA TV〜青と黒〜』で、MCのたむらけんじと対談したが、たむらの質問に淡々と答えるトークがほとんどであった[6]。また、2009年の年内最終放送の特別企画では、「収録に出てきてくれた」という理由で『GAMBA TV』の2009年MVPを受賞した。
  • 好きなサッカー選手はという問いには「見てて面白いから」という理由で、元ブラジル代表ロナウジーニョを挙げている[7]
  • 2013年1月8日、一般女性と入籍したことを発表した[8]。2014年に第一子が誕生。
  • 2016年7月に経営者として箕面市に鍼灸院を開院[9]

所属クラブ[編集]

ユース経歴
プロ経歴

個人成績[編集]

国内大会個人成績
年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
日本 リーグ戦 リーグ杯 天皇杯 期間通算
1999 G大阪 32 J1 5 0 2 0 2 0 9 0
2000 16 21 0 2 0 3 1 26 1
2001 26 2 4 1 3 1 33 4
2002 8 28 2 7 0 2 0 37 2
2003 10 29 5 5 0 2 0 36 5
2004 30 4 7 0 3 0 40 4
2005 29 0 8 0 2 0 39 0
2006 33 6 2 0 5 1 40 7
2007 34 7 11 3 4 1 49 11
2008 29 1 4 2 1 0 34 3
2009 21 4 2 0 6 1 29 5
2010 27 3 2 0 3 0 32 3
2011 32 5 2 0 1 0 35 5
2012 29 3 0 0 4 0 33 3
2013 J2 36 4 - 2 0 38 4
2014 J1 19 1 6 0 2 1 27 2
2015 2 0 4 1 0 0 6 1
2016 0 0 - - 0 0
東京V 32 J2 20 1 - 2 0 22 1
2017     -      
通算 日本 J1 394 43 68 7 43 5 505 56
日本 J2 56 5 - 4 0 60 5
総通算 450 48 68 7 47 6 565 61

その他の公式戦

国内大会個人成績
年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ戦 期間通算
出場 得点 出場 得点
日本 リーグ戦 期間通算
2016 G大23 10 J3 10 1 10 1
通算 日本 J3 10 1 10 1
総通算 10 1 10 1
  • 2006年
  • 2007年
    • スーパーカップ 1試合1得点
  • 2010年
    • スーパーカップ 1試合0得点
国際大会個人成績 FIFA
年度 クラブ 背番号 出場 得点 出場 得点
AFC ACL クラブW杯
2006 G大阪 10 5 1 -
2008 12 3 2 0
2009 1 0 -
2010 7 1 -
2011 7 1 -
2012 5 0 -
2015 4 0 -
2016 1 0 -
通算 AFC 42 6 2 0

その他の国際公式戦

公式戦
Jリーグ

タイトル[編集]

クラブ[編集]

ガンバ大阪ユース
ガンバ大阪

個人[編集]

  • Jリーグ優秀選手賞:3回(2004年、2006年、2007年)

代表歴[編集]

日本代表

試合数[編集]

  • 国際Aマッチ 1試合 0得点(2006年)


日本代表 国際Aマッチ
出場 得点
2006 1 0
通算 1 0

関連項目[編集]

脚注[編集]

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外部リンク[編集]