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鄭成龍

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
鄭 成龍
名前
愛称 ソンリョン、ソンちゃん
カタカナ チョン・ソンリョン
ラテン文字 JUNG Sung-Ryong
ハングル 정성룡
基本情報
国籍 大韓民国の旗 大韓民国
生年月日 (1985-01-04) 1985年1月4日(39歳)
出身地 京畿道城南市[1]
身長 191cm
体重 91kg
選手情報
在籍チーム 日本の旗 川崎フロンターレ
ポジション GK
背番号 1
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2003-2007 大韓民国の旗 浦項スティーラース 29 (0)
2008-2010 大韓民国の旗 城南一和天馬 86 (0)
2011-2015 大韓民国の旗 水原三星ブルーウィングス 150 (0)
2016- 日本の旗 川崎フロンターレ 240 (0)
代表歴2
2005 大韓民国の旗 韓国 U-20 5 (0)
2007-2008 大韓民国の旗 韓国 U-23 25 (1)
2008-2016 大韓民国の旗 韓国 67 (0)
獲得メダル
サッカー
オリンピック
2012 ロンドン 男子
1. 国内リーグ戦に限る。2024年12月16日現在。
2. 2016年9月1日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

鄭 成龍(チョン・ソンリョン;: 정성룡1985年1月4日 - )は、大韓民国京畿道城南市出身[1]プロサッカー選手Jリーグ川崎フロンターレ所属。ポジションはゴールキーパー(GK)。元韓国代表

来歴

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京畿道城南市で生まれる[1]。小学5年生のときにサッカーを始め[2][1]、中学2年生でゴールキーパーに転向する[2][1]。高校は済州島にある西帰浦高校に進学[1]

クラブ

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2003年にKリーグ浦項スティーラースに入団。最初の3年間はチームに韓国代表の金秉址がいたため公式戦出場はなかったが、金秉址が移籍した2006年からは出場機会を得て、申和容とポジションを争うようになった[2][1]。浦項がリーグ優勝した2007年シーズン、鄭成龍は代表での活動や負傷もあり出場数は多くなかったが、プレーオフでは5試合すべてにフル出場した[2]。2008年に城南一和天馬(現:城南FC)に移籍。兵役でチームを離れた金龍大の後釜として加入し[3][4] 正GKとして安定したプレーを続けた。移籍3年目の2010年にはAFCチャンピオンズリーグに優勝した[1]

2011年に水原三星ブルーウィングスへ完全移籍。ここでも正GKの座を守り5年間プレーしACLにも3度出場した。

2016年よりJリーグ川崎フロンターレに完全移籍[5]。同クラブにとっては初の韓国代表選手となる。加入1年目からレギュラーとして出場した。

2017年、守護神としてポジションを確立すると、シーズンを通して安定したパフォーマンスを発揮しクラブ初のリーグ優勝に貢献。

2018年もレギュラーとして出場し2年連続のリーグ優勝に貢献、自身もJリーグベストイレブンに初選出された[6]

2019年4月14日のサガン鳥栖戦でリーグ通算100試合出場を達成した[7]。夏頃からパフォーマンスの低下により、新井章太にポジションを奪われ控えに回った。その後、第33節の横浜F・マリノス戦で久々のスタメン出場を果たすも、チームは1-4で敗れた。

2020年は新井の移籍に伴い、ポジションを再確保すると、ハイパフォーマンスを披露。来日後初となる、リーグ戦全試合フル出場を果たし、自身2度目となるJリーグベストイレブンに選出された。

2023年、上福元直人が加入し、9節からの10試合は上福元が先発で起用されたが[8]、その後はレギュラーに返り咲いた。同年の天皇杯決勝の柏レイソルとの対戦では、細谷真大との1対1の場面を好セーブで防ぐと、PK戦において、10人目のキッカーとしてPKを成功させ、柏の松本健太のPKをセーブし、優勝に貢献した[9]

代表

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2006年に初招集されたものの、当時は正GKの李雲在だけでなく、金龍大金永光といった実績のあるメンバーがいたためベンチにすら入れない機会が続いた。

しかし2007年末に李がトラブルを起こし、2年間の代表出場停止処分となったため、2008年1月30日チリ戦で代表デビューを飾る。その後も2010年FIFAワールドカップのアジア地区予選7試合に出場し3失点に抑えた。同年の北京オリンピック代表にも選ばれ全3試合に出場したが、1勝1敗1分けの3位で決勝トーナメント進出はならなかった。

李の復帰後はベンチに入る機会が多かったことから、本大会でもベンチに入ることが確実視された。しかし、李の不調や鄭成龍が瞬発力と空中戦に強さがあることから、本大会では正GKに抜擢され、全4試合に出場。決勝トーナメント進出を果たした。李は大会後に代表を引退し、その後は鄭成龍が正GKとして定着している。

2012年のロンドンオリンピックにもオーバーエイジ枠として選ばれ、グループリーグでは全試合に出場、1失点に抑え1勝2分けの2位で決勝トーナメントに進出、準々決勝では地元・イギリス相手に1-1の場面で勝ち越しを許すピンチの場面でアーロン・ラムジーのPKをセーブ、その後自身は後半途中に負傷し、李範永と交代、その後PK戦にもつれ込んだが、李が5人目のダニエル・スタリッジのシュートを横っ飛びでセーブし、韓国は初の準決勝に進出した。準決勝のブラジル戦では負傷の関係もあってベンチだったものの、3位決定戦での日本戦では再びスタメンに復帰、無失点に抑え、アジア勢では1968年メキシコシティーオリンピックでの日本と並ぶ、韓国史上初となる銅メダルを獲得した。

この活躍により、オリンピック韓国代表の監督を務め、2014 FIFAワールドカップ出場決定後に崔康熙の後任として、代表監督に就任した洪明甫の信頼を掴み、2013年頃からリーグ戦での不調や安定感を欠く場面が見られたが、2014 FIFAワールドカップ本大会でも正GKの座を勝ち取った。 しかし、初戦のロシア戦では1点リードを守り切れず、勝ち点3を逃すと、第2戦のアルジェリア戦では自身の判断ミスもあり、4失点で敗戦、最終戦のベルギー戦ではKリーグで最高の防御率0点台を記録した金承奎にスタメンの座を譲った。韓国はベルギーにも敗れ、1分け2敗の勝ち点1の最下位に終わり、2大会ぶりの1次リーグ敗退、未勝利での敗退は1998 FIFAワールドカップ以来16年ぶりの出来事であった。

W杯終了後は代表から遠ざかっていたが、2016年9月に行われるロシアW杯最終予選中国代表シリア代表戦のメンバーに選出された。中国との試合に先発出場を果たしたが、シリアとの試合では控えとなり、その試合以降は代表に選出されていない。

エピソード

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  • 2008年7月27日、北京オリンピック代表でのコートジボワールとの親善試合で、自陣からのロングキックがそのまま相手ゴールに入った。
  • 私生活においては、2008年に結婚。妻は2006年度のミス・コリア。南アフリカワールドカップ中の6月18日に長男が産まれた。そのこともあって大会中、チームがゴールを決めると、「ゆりかご」のダンスをした。
  • 2017年には川崎フロンターレの副キャプテンを務めた。
  • 2018年度JリーグAWARDS表彰式の壇上で、「憧れの選手は川口能活」と答え、会場を沸かせた。

個人成績

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国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
韓国 リーグ戦 リーグ杯FA杯 期間通算
2003 浦項 Kリーグ/
Kクラシック
0 0 - 0 0 0 0
2004 0 0 0 0 0 0 0 0
2005 0 0 0 0 0 0 0 0
2006 15 0 11 0 1 0 27 0
2007 31 14 0 2 0 3 0 19 0
2008 城南一和 30 27 0 7 0 2 0 36 0
2009 1 29 0 7 0 1 0 37 0
2010 30 0 0 0 3 0 33 0
2011 水原三星 30 0 1 0 5 0 36 0
2012 33 0 - 2 0 35 0
2013 38 0 - 2 0 40 0
2014 38 0 - 1 0 39 0
2015 22 0 - 1 0 23 0
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2016 川崎 1 J1 29 0 2 0 4 0 35 0
2017 33 0 4 0 0 0 37 0
2018 31 0 0 0 2 0 33 0
2019 27 0 0 0 1 0 28 0
2020 34 0 4 0 2 0 40 0
2021 33 0 2 0 5 0 40 0
2022 31 0 2 0 1 0 34 0
2023 22 0 1 0 5 0 28 0
通算 韓国 Kクラシック 265 0 28 0 21 0 314 0
日本 J1 240 0 15 0 20 0 275 0
総通算 505 0 43 0 41 0 589 0
その他公式戦
国際大会個人成績 FIFA
年度 クラブ 背番号 出場 得点 出場 得点
AFCACLクラブW杯
2010 城南一和 1 11 0 3 0
2011 水原三星 10 0 -
2013 5 0 -
2015 3 0 -
2017 川崎 9 0 -
2018 4 0 -
2019 6 0 -
2021 6 0 -
2022 6 0 -
2023-24 5 0 -
通算 AFC 65 0 3 0

タイトル

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クラブ

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浦項スティーラース
城南一和天馬
川崎フロンターレ

個人

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代表歴

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脚注

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  1. ^ a b c d e f g h F-スポット - ピックアッププレイヤー”. 川崎フロンターレ (2016年7月). 2017年6月27日閲覧。
  2. ^ a b c d [한국축구유망주 49] 정성룡' 한국 최고 골키퍼를 향해”. 大韓サッカー協会 (2008年2月15日). 2017年6月27日閲覧。
  3. ^ 황삼진 (2011年3月2日). “이운재를 밀어낸 정성룡의 놀라운 성장세”. KsportTV. 2017年6月27日閲覧。
  4. ^ [2008 K-리그 프리뷰①] 포항-성남-광주-부산-울산-대구-수원”. 大韓サッカー協会 (2008年3月7日). 2017年6月27日閲覧。
  5. ^ チョン ソンリョン選手加入のお知らせ選手加入のお知らせ - 川崎フロンターレオフィシャルサイト(2015年12月24日閲覧)
  6. ^ 「2018 Jリーグアウォーズ」各賞受賞のお知らせ - 川崎フロンターレオフィシャルサイト(2018年12月18日閲覧)
  7. ^ 川崎Fの守護神チョン・ソンリョンの凄み。妥協なき「準備」、異国で100試合出場達成の要因 フットボールチャンネル 2019年4月22日
  8. ^ 三笘薫、田中碧、板倉滉、旗手怜央...川崎フロンターレのGKチョン・ソンリョンが近くで見てきたサッカー日本代表選手を語る”. スポルティーヴァ (3 December 2023). 9 December 2023閲覧。
  9. ^ 【川崎F】守護神GKチョン・ソンリョン好セーブに鮮やかPK SNSも興奮”. 日刊スポーツ (9 December 2023). 9 December 2023閲覧。

関連項目

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外部リンク

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