曺宰溱

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曺 宰溱
名前
愛称 ジェジン、JJ
カタカナ チョ・ジェジン
ラテン文字 CHO Jae jin
ハングル 조재진
基本情報
国籍 大韓民国の旗 大韓民国
生年月日 (1981-07-09) 1981年7月9日(42歳)
出身地 京畿道坡州市
身長 185cm
体重 80kg
選手情報
ポジション FW
利き足 右足
代表歴
2003-2008 大韓民国の旗 韓国 40 (10)
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

曺 宰溱(チョ・ジェジン、조재진1981年7月9日 - )は、大韓民国坡州市出身の元サッカー選手ポジションフォワード

来歴[編集]

2000年、高校卒業後にKリーグ水原三星ブルーウィングスに入団。年代別代表には招集されたものの、Kリーグでの試合出場は少なかった。徴兵軽減措置が認められずに2002年からは韓国軍に入隊して光州尚武フェニックスに所属したが、ここでKリーグ出場の機会を増やした。

2年間の兵役を終え、2004年に水原三星に復帰。前年まで韓国代表FWの安貞桓が所属していたJ1清水エスパルスからのオファーを受け、2004年7月に完全移籍。直後のアテネオリンピックではマリ戦で2得点を決めた。清水では2ndステージの12試合で7ゴールを挙げる。

2005年は1シーズンを通して清水でのプレーとなり、アテネ五輪で共に韓国代表でプレーした崔兌旭も加わって周辺環境は良化したが、相手選手の厳しいマークもあり、9得点に終わる。しかし主力選手の世代交代によるJ2降格の危機が続く清水にとっては貴重なFWで、チームは最終節でJ1残留にこぎ着けた。

2006年には若手選手の成長でチーム力を取り戻した清水の中にあって、ジェジン自身も好調を保ち、ドイツW杯韓国代表に選出された。W杯本大会ではグループリーグの3試合全てに先発出場し、第2戦のフランス戦ではゴール前の競り合いから朴智星の同点ゴールを導いたが、自らのゴールはなく、韓国代表はグループリーグ敗退となった。W杯終了後も清水に残留し、韓国代表にも招集された。Jリーグでは2年連続での2ケタ得点を記録した。

2008年2月、欧州移籍を断念し、全北現代モータースと契約してKリーグへ復帰した。

2009年、全北現代からガンバ大阪へ2年契約で完全移籍した。開幕戦から15試合は出場機会も多く、7得点を決めた。しかし故障でスタメンを外れた時期とチームのスランプからの脱出がほぼ同時期だったこともあり、シーズン中盤以降はサブに回る機会が多くなった。

2010年ルーカスの負傷、その他ブラジル人選手の調整不足やペドロ・ジュニオールの造反行為もあり、開幕から主力を張るが、度重なる負傷に加え平井将生宇佐美貴史といった若手FWの台頭、更には7月にジュビロ磐田から同じ韓国人の李根鎬の加入もありシーズン終了後、ガンバ大阪を退団。

2011年3月18日、股関節の負傷(先天性股関節異形成)によって現役引退を発表した。

人物[編集]

  • 長身を活かし、クサビを受ける動きやポストプレーに長け、豪快なミドルシュートやコースを狙ったコントロールシュートも持ち合わせる。元々ミッドフィールダーだったという事もあり、足元の技術も高く、両足を器用に使える。サイドに流れることもあるが、一番の武器はヘディングである。
  • 韓国国内ではルックスもあいまって非常に人気が高い。CMも多数出演していた。
  • 東方神起のユンホと親友同士で、メールや携帯電話で連絡を取り合う仲である。
  • 2007年9月1日のJ1第24節、ジュビロ磐田戦では、後半ロスタイムに藤本淳吾のフリーキックに頭から飛び込むシュートを打って先制点を決めた。この時、興奮のあまり自分のユニフォームを脱ぎ、サポーターのいるスタンドに投げ込むというパフォーマンスをした[1](本人曰く「すぐに試合終了すると思ったので」)が、試合はまだ続いたため、ユニフォームのない上半身裸の彼はピッチに戻れず、警告が与えられた。試合は程なく終了し、彼のゴールで清水が1-0と磐田との静岡ダービーに勝利した。この試合では伊東輝悦の子供が生まれたことを祝う「ゆりかごダンス」をする予定だったが、それを忘れてしまうほどの興奮だったという。
  • 清水在籍時、マスコミからは寡黙と評され、試合での活躍と比較するとインタビュー取材を受ける回数が少なかった。その点は退団時に記者団に対して釈明した。
  • 大阪の人は韓国人と似ていると思っているようである[2]
  • ガンバ大阪では李根鎬と仲が良く、食事などは共に行動していた。

所属クラブ[編集]

ユース経歴

  • 1997年 - 1999年 大韓民国の旗 大新高等学校

プロ経歴

個人成績[編集]

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
韓国 リーグ戦 リーグ杯FA杯 期間通算
2000 水原三星 Kリーグ 5 0 0 0 0 0 5 0
2001 3 0 0 0 0 0 3 0
2002 光州尚武 0 0 0 0 0 0 0 0
2003 31 3 0 0 2 1 33 4
2004 水原三星 8 1 0 0 0 0 8 1
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2004 清水 18 J1 12 7 1 1 1 0 14 8
2005 29 9 7 3 3 2 39 14
2006 32 16 3 0 2 1 37 17
2007 28 13 3 1 1 0 32 14
韓国 リーグ戦 リーグ杯FA杯 期間通算
2008 全北現代 19 Kリーグ 26 8 5 2 2 1 33 11
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2009 G大阪 18 J1 25 10 1 0 3 0 29 10
2010 10 0 1 0 1 2 12 2
通算 韓国 Kリーグ 73 12 5 2 4 2 82 16
日本 J1 136 55 16 5 11 5 163 65
総通算 209 67 21 7 15 7 245 81

その他の公式戦

国際大会個人成績 FIFA
年度 クラブ 背番号 出場 得点 出場 得点
AFCACLクラブW杯
2009 G大阪 18 6 1 -
2010 4 0 -
通算 AFC 10 1 0 0

タイトル[編集]

クラブ[編集]

水原三星ブルーウィングス

ガンバ大阪

代表歴[編集]

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ チョのゴールでエスパルス前進”. ジェレミー・ウォーカーの A View From a Brit (2007年9月6日). 2012年8月15日閲覧。
  2. ^ http://www.kfa.or.kr/Japan_kfa/news/news/view.asp?g_gubun=2&g_conid=200943010825

外部リンク[編集]