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戸田光洋

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
戸田 光洋
名前
カタカナ トダ ミツヒロ
ラテン文字 TODA Mitsuhiro
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1977-09-10) 1977年9月10日(47歳)
出身地 宮崎県都城市[1]
身長 179cm[2]
体重 74kg[2]
選手情報
ポジション FW[2]
利き足 右足
ユース
1993-1995 日本の旗 都城泉ヶ丘高校
1996-1999 日本の旗 筑波大学
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2000-2006 日本の旗 FC東京 140 (20)
2007-2008 日本の旗 清水エスパルス 12 (0)
通算 152 (20)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

戸田 光洋(とだ みつひろ、1977年9月10日- )は、宮崎県都城市出身のサッカー指導者、元プロサッカー選手

現役時代のポジション登録はフォワード(FW)だったが[2]ミッドフィールダー(MF、サイドハーフ)や、ディフェンダー(DF、サイドバック)も務めた。

元サッカー選手の戸田賢良は実弟。

来歴

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体育教師で[3] 高校サッカー指導者でもあった[4] 父の影響でサッカーを始める[5][6]都城泉ヶ丘高校在学中には、進学校で無名の同校サッカー部を県内有数の強豪へと押し上げ[7] 宮崎県選抜として2年連続で国体に出場[1]。父のように将来指導者になることを考えて[3][8]1996年筑波大学へ進学。4年時(1999年)には関東大学リーグで優勝、得点王[9]、ベストイレブン、MVPの4冠に輝いた[1]。同年、ユニバーシアード出場[10]

2000年、Jリーグ・FC東京に入団。ここで大熊清監督から守備意識を叩き込まれたことがその後のサッカー人生につながった[8]2001年FWを2トップから1トップへと変更したことに伴い、MF(左サイドハーフ)に配されるようになる[5]。当初はFWへのこだわりを捨てられずにいたが[6]2002年に就任した原博実監督によって、ポジションの固定観念を捨ててサイドからゴールを狙うスタイルを身に付け[6]、同年J1・1st第8節サンフレッチェ広島戦でハットトリックを記録した[11]。右サイドのMF石川直宏がサイド突破を仕掛けていくのに対し、戸田は左から中、時には右へとピッチを横切る破天荒なダイアゴナルラン[注 1]で相手をかき回し[8][12]チーム1のスタミナ[13][14] と運動量で原が志向するサッカーのシンボル(石川談[15])として活躍。2003年にはチーム唯一の公式戦全40試合出場を記録した。献身的な守備とチャンスメイクが光る一方[6][12][16]、決定力には欠け[17]、原からは「戸田は(1シーズンで)30点くらい取っていてもおかしくない(くらいに多くの決定機を作っていた)よね」と評されていた[8][16]

2007年清水エスパルスへ完全移籍[18][19]長谷川健太監督からはスピードとスタミナを活かすためにDF(右サイドバック)として構想され[20][注 2]期待を寄せられていたが[22]、このポジションで出場した同年2月の練習試合ロッソ熊本戦で上村健一のスライディングタックルによって[8]腓骨を骨折[22][23]。全治3ヶ月の診断を受け[24]、治療とリハビリによる離脱を強いられた。同年8月のJ1第22節アルビレックス新潟戦で移籍後初出場。第23節横浜FC戦と2戦連続でFWチョジェジンの得点をアシストした[25]。復帰後もコンディション不良は続いており、ボルト除去手術による再離脱[26] も予定されていたためこの年限りで引退するつもりでいたが、戸田と同じタイミングで清水に加入した西澤明訓から慰留を受け[21] 残留。2008年10月4日、古巣FC東京戦で移籍以来初のFWとしての出場機会を得て[21]、移籍後初得点。この試合は戸田の公式戦出場150試合目のメモリアルマッチでもあり、この試合終了後に現役引退を決意[21]。契約更新の提示を固辞し[21]2009年2月に引退が発表された[1]

2009年から立正大学サッカー部コーチに就任。2010年に日本サッカー協会公認B級コーチライセンスを取得[27]。2011年よりJFA公認A級コーチジェネラル養成講習会を受講し[28]、翌2012年にライセンス取得[29]。2014年にはS級ライセンスを取得した[30]

2015年、ファジアーノ岡山のコーチに就任[31]

エピソード

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  • 戸田のスタミナは高い心肺能力に支えられており、FC東京でトレーナーを務めていた木場克己によれば、戸田の心拍数は35[32]。原からは「戸田が自ら駄目(もう走れない)って言った時は、もう駄目なんだよ[12]」と体力の限界まで走れる精神力も認められていた。
  • 大の飛行機嫌いで[33]、アウェーゲームへの遠征ではスタッフから新幹線移動を勧められていた[34]
  • 生放送のラジオ番組にゲストとして招かれたが、大幅に遅刻。しかし自身の大遅刻をネタにラジオパーソナリティにツッコミ返し、爆笑をさらうなど、少々のことでは動じない精神的タフさとユーモアのセンスも持ち合わせている。

所属クラブ

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個人成績

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国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
1996 筑波大 - - - 2 1 2 1
1998 - - 3 5 3 5
1999 10 - - 1 1 1 1
2000 FC東京 29 J1 14 0 0 0 1 0 15 0
2001 12 2 3 0 1 0 16 2
2002 13 23 4 7 1 0 0 30 5
2003 30 8 8 3 2 0 40 11
2004 22 2 6 1 1 0 29 3
2005 26 3 6 1 0 0 32 4
2006 13 1 3 0 1 0 17 1
2007 清水 11 4 0 0 0 0 0 4 0
2008 8 1 2 0 0 0 10 1
通算 日本 J1 152 21 35 6 6 0 193 27
日本 - - 6 7 6 7
総通算 152 21 35 6 12 7 199 34

代表歴

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指導歴

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出版

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  • 『試合で大活躍できる! サッカーミッドフィルダー上達のコツ50 コツがわかる本 (監修)』メイツ出版、2010年7月。ISBN 9784780408461 

脚注

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注釈
  1. ^ 戸田曰く、「普通の監督なら否定する」ようなプレー[3]。原には長所として認められ、度量の大きさを感じたという。
  2. ^ 戸田は長谷川からはFWとして評価されていると思っていた。移籍を決心した後でDF起用を聞かされたが、一度決めた以上は変えられない[21] と新たなポジションに取り組んだ[20]
出典
  1. ^ a b c d 戸田光洋選手 現役引退のお知らせ 清水エスパルス (2009年2月3日)
  2. ^ a b c d e f g h 登録選手一覧表 Jリーグ 2008.12.12
  3. ^ a b c 立正大サッカー部コーチ 戸田光洋さん【第2回】人間味あふれる指導者にあこがれを抱いた”. 2009年11月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年1月26日閲覧。 東京中日スポーツ (2009年11月18日)
  4. ^ 『FC東京ファンブック2001』毎日新聞社、2001年、84-87頁。 
  5. ^ a b 『FC東京ファンブック2002』毎日新聞社、2002年、47頁。 
  6. ^ a b c d 『FC東京ファンブック2003』毎日新聞社、2003年、40頁。 
  7. ^ 『FC東京ファンブック2001』毎日新聞社、2001年、52頁。 
  8. ^ a b c d e F.C.TOKYO MAGAZINE BR TOKYO 2014年6月号』ユーメイド、2014年、47-53頁。 
  9. ^ 1999年 第73回関東大学サッカーリーグ戦 順位表・得点、アシストランキング College Soccer Central
  10. ^ 1999年 第20回ユニバーシアード・マヨルカ(スペイン)大会 ユニバーシアード代表メンバー College Soccer Central
  11. ^ 公式記録 2002Jリーグ ディビジョン1 1stステージ 第8節第2日 Jリーグ
  12. ^ a b c 馬場康平『まっすぐに平常心』出版芸術社、2010年、81頁。 
  13. ^ 午後は戸田の独壇場”. 2005年11月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年1月7日閲覧。 東京中日スポーツ (2005年1月31日)
  14. ^ “地獄の60秒連続走”にキツ〜イ!!”. 2006年4月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年5月17日閲覧。 東京中日スポーツ (2006年1月31日)
  15. ^ 【スペシャルインタビュー Vol.21】FC東京:石川直宏選手 J's GOAL (2005年9月22日)
  16. ^ a b c d 『FC東京ファンブック2006』毎日新聞社、2006年、30頁。ISBN 4620792721 
  17. ^ 戸田、宮沢が移籍 生え抜き2人がチームを去る”. 2007年1月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年1月7日閲覧。 東京中日スポーツ (2007年1月12日)
  18. ^ 戸田光洋選手清水エスパルスへ完全移籍決定のお知らせ”. 2007年1月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年1月7日閲覧。 FC東京 (2007年1月11日)
  19. ^ 戸田光洋選手(FC東京) 完全移籍にて加入内定のお知らせ”. 2007年1月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年1月7日閲覧。 清水エスパルス (2007年1月11日)
  20. ^ a b 【キャンプ2日目】輝け!セントウ集団 清水エスパルス (2007年2月5日)
  21. ^ a b c d e 立正大サッカー部コーチ 戸田光洋さん【第1回】引退覚悟でFC東京から移籍した”. 2009年11月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年11月28日閲覧。 東京中日スポーツ (2009年11月18日)
  22. ^ a b 怒りの清水 熊本に休業補償を要求”. 2007年2月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年1月7日閲覧。 スポーツニッポン (2007年2月8日)
  23. ^ 長谷川監督激怒、危険プレーで戸田骨折”. 2007年2月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年1月7日閲覧。 日刊スポーツ (2007年2月7日)
  24. ^ 戸田光洋選手のケガについて 清水エスパルス (2007年2月6日)
  25. ^ 【J1:第23節】清水 vs 横浜FC:試合終了後の各選手コメント J's GOAL (2007年8月29日)
  26. ^ J1清水、兵働&戸田の復活劇だ 日刊スポーツ (2008年5月3日)
  27. ^ 2009(平成21)年度 公認B級コーチ養成講習会 判定結果 (PDF) 日本サッカー協会 2010.04.07
  28. ^ 2011(平成23)年度 公認A級コーチジェネラル養成講習会 受講者【91名】 (PDF) 日本サッカー協会 2011.05.12
  29. ^ 2011(平成23)年度 公認A級コーチジェネラル養成講習会 合格者【88名】 (PDF) 日本サッカー協会 2012.04.12
  30. ^ a b 2014年度 第5回理事会 報告事項 (PDF) 日本サッカー協会 (2014年4月10日)
  31. ^ 戸田光洋コーチ就任のお知らせ ファジアーノ岡山 (2015年1月8日)
  32. ^ KOBAの仲間 2 コバメディカルジャパンブログ (2009年8月6日)
  33. ^ 365日FC東京 13 FW 戸田 光洋 (とだ みつひろ)”. 2004年6月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年5月17日閲覧。 東京中日スポーツ
  34. ^ 『FC東京ファンブック2004』毎日新聞社、2004年、102頁。 

関連項目

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外部リンク

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