高橋大輔 (サッカー選手)

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高橋 大輔
名前
カタカナ タカハシ ダイスケ
ラテン文字 TAKAHASHI Daisuke
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1983-09-18) 1983年9月18日(40歳)
出身地 福岡県八女市
身長 178cm
体重 77kg
選手情報
ポジション FWMFDF
利き足 右足
ユース
2001-2005 福岡大学
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2006-2009 大分トリニータ 105 (21)
2010-2012 セレッソ大阪 59 (3)
1. 国内リーグ戦に限る。2012年12月20日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

高橋 大輔(たかはし だいすけ、1983年9月18日 - )は、福岡県八女市出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。現役時代の登録ポジションはミッドフィールダー

実弟の高橋祐太郎も元プロサッカー選手[1]

来歴[編集]

2006年福岡大学から大分トリニータに加入。フォワードとして入団したが、監督のペリクレス・シャムスカに右ウィングバックとして抜擢される。4月22日のJ1第9節・大宮アルディージャ戦でプロデビューを果たし、7月22日のJ1第14節・アルビレックス新潟戦では初得点を記録。2006年天皇杯でのザスパ草津戦にてハットトリックを達成した。

2007年シーズンは前年と同じ右WBというポジションながらチーム得点王、自己最高となるリーグ10得点(そのうち4得点はヴィッセル神戸戦で記録)を挙げるが、10月27日のJ1第30節鹿島アントラーズ戦で負傷、左ひざ内側側副じん帯を損傷し、全治2カ月と診断されシーズンを終えた。

2010年より、大分のJ2降格と財政難の影響で上本大海清武弘嗣と共にセレッソ大阪に完全移籍。同僚の家長昭博も大分との期限付き移籍満了後C大阪に期限付き移籍し、大分から4人もの選手がC大阪に移籍することとなった。C大阪では開幕直後は右ウィングバックのレギュラーとして、フォーメーションが4-5-1になって以降は右サイドバックとしてレギュラーポジションを獲得した。

2011年5月24日のACL決勝トーナメントラウンド16では0-0で迎えた試合終了間際にゴールを決め、ACL史上初となったガンバ大阪とのダービー対決を制す決勝弾を挙げた。

2012年を以てC大阪を契約満了により退団。[2]

その後、膝を手術し現役復帰を目指していたが、2013年7月24日に現役引退が発表された[3]

2014年よりC大阪のトップチームのコーチに就任、その後2015年はU-18チームのコーチ、2016年はJ3に参戦しているC大阪U-23チームのコーチに就任した。2017年限りでC大阪を退団。

2018年2月、母校・福岡大学サッカー部のコーチに就任。福岡大の教員も兼務している[4][5]

2022年、再びC大阪のトップチームのコーチに就任。8月に小菊昭雄監督が新型コロナウイルス感染症の陽性反応により離脱した際には監督に代わって指揮を執った[6]

エピソード[編集]

  • フィギュアスケートの髙橋大輔同姓同名であり、高橋が2010年バンクーバー五輪で銅メダルを獲得した際には、日刊スポーツで「4回転を失敗したのは残念ですけど、メダルをとれてよかったですね」とコメントしている[7]。また、当時、本人が病院で「高橋大輔さ~ん」と名前を呼ばれ、一斉に振り向かれ、別人であることにがっかりされたというエピソードも明かしている[8]
  • 2022年シーズンに監督代行を3試合務め(J1リーグ1試合、ルヴァンカップ2試合)、戦績は1勝2分。ルヴァンカップではチームの準決勝進出に貢献した。試合当日の監督の新型コロナウイルス感染症陽性判定に伴うものであったが[6]、こうした事態を従前から想定して対応しており[9]、高橋自身は「自分のスタンスとしては、今まで通り、コーチとしての立場でやると。いつも通りにやると、整理して臨みました」と初指揮後に語った[10]ヴィッセル神戸とのリーグ戦は3-0で勝利し、リーグカップでは川崎フロンターレとの第2戦で2点を先取される厳しい状況だったが、後半90分、96分の得点で突破し準決勝進出を決めた[11]。「正直、0-2で推移していく中で、少し下を向く選手もいました。難しい状況になってきたなと感じましたが、もう一回、そこで奮い立たせて。カッコいい形ではなかったですが、気持ちで押し込んでくれた2点だと思います」「単純に、諦めなかったこと。それが全てです。そういった心持ちを、普段からしています。今年、シーズンが始まった中で、小菊監督が常に選手に植え付けていました。スタメンで出る選手だけではなく、バックアップメンバー、全ての選手たちにアプローチし続けたことが、こういった結果につながったと思います」と話した[12]

所属クラブ[編集]

個人成績[編集]

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2005 福岡大 9 - - - 2 1 2 1
2006 大分 20 J1 23 5 4 0 2 4 29 9
2007 29 10 5 2 0 0 34 12
2008 21 1 5 0 0 0 26 1
2009 32 5 3 0 2 0 37 5
2010 C大阪 29 3 5 0 2 1 36 4
2011 17 0 0 0 0 0 17 0
2012 13 0 3 0 1 0 17 0
通算 日本 J1 164 24 25 2 7 5 196 31
日本 - - 2 1 2 1
総通算 164 24 25 2 9 6 198 32
国際大会個人成績
年度 クラブ 背番号 出場 得点
AFCACL
2011 C大阪 20 7 1
通算 AFC 7 1

その他の国際公式戦

タイトル[編集]

クラブ[編集]

大分トリニータ

代表[編集]

ユニバーシアード日本代表

代表歴[編集]

指導歴[編集]

  • 2014年 - 2017年 セレッソ大阪
    • 2014年 トップチームコーチ
    • 2015年 U-18コーチ
    • 2016年 - 2017年 U-23コーチ
  • 2018年 福岡大学サッカー部 コーチ
  • 2022年 - セレッソ大阪
    • 2022年 - トップチームコーチ

脚注[編集]

  1. ^ ヴィッセル神戸公式 2010年1月12日 福岡大学よりFW高橋祐太郎選手、加入決定のお知らせ
  2. ^ セレッソ大阪公式 2012年12月20日 高橋大輔選手契約満了のお知らせ
  3. ^ 高橋大輔選手の現役引退について』(プレスリリース)セレッソ大阪、2013年7月24日https://www.cerezo.co.jp/news/2013-07-24-3/2013年7月25日閲覧 
  4. ^ 高橋 大輔コーチ”. 福岡大学. 2020年3月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年3月6日閲覧。
  5. ^ 高橋 大輔”. 福岡大学. 2020年3月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年3月6日閲覧。
  6. ^ a b 小菊昭雄監督 新型コロナウイルス感染症 陽性判定のお知らせ”. セレッソ大阪オフィシャルウェブサイト | Cerezo OSAKA. 2022年8月6日閲覧。
  7. ^ C大阪の高橋大輔が“本家”の偉業に感動
  8. ^ 【C大阪】代行指揮予定の高橋大輔コーチ「強い気持ちで臨む」川崎F戦へ精神面の強さ求める”. 2022年8月9日閲覧。
  9. ^ 【C大阪】3連勝で3位浮上、鈴木徳真がJ1初ゴール 療養中の小菊監督へ白星贈る - J1 : 日刊スポーツ”. nikkansports.com. 2022年8月12日閲覧。
  10. ^ 2022.08.03 川崎フロンターレ”. セレッソ大阪オフィシャルウェブサイト | Cerezo OSAKA. 2022年8月12日閲覧。
  11. ^ JリーグYBCルヴァンカップ 準々決勝 第2戦”. 2022年8月10日閲覧。
  12. ^ 2022Jリーグ YBC ルヴァンカップ 準々決勝 第2戦”. 2022年8月11日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]