ランコ・ポポヴィッチ

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ランコ・ポポヴィッチ Football pictogram.svg
名前
愛称 ポポ[1]
ラテン文字 Ranko POPOVIĆ
キリル文字 Ранко Поповић
基本情報
国籍  オーストリア
セルビアの旗 セルビア
生年月日 (1967-06-26) 1967年6月26日(50歳)
出身地 ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の旗 ユーゴスラビア ペチ
身長 183cm
体重 81kg
選手情報
ポジション DF (CB)
ユース
1987-1988 ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の旗 ブドゥチュロスト・ペチ[注 1]
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1988-1992 ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の旗 パルチザン・ベオグラード 2 (0)
1989-1990 ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の旗 レオタル・トレビニェ 13 (0)
1992-1994 ユーゴスラビアの旗 スパルタク・スボティツァ
1994-1995 ギリシャの旗 エトニコス・ピレウス 10 (0)
1995-1997 スペインの旗 アルメリアFC[注 2] 16 (0)
1997-2001 オーストリアの旗 シュトゥルム・グラーツ 74 (10)
2001-2002 オーストリアの旗 アルンフェルス
監督歴
2002-2004 オーストリアの旗 アルンフェルス
2004-2006 オーストリアの旗 パクヘリフ
2007-2009 セルビアの旗 ズラティボール・ヴォーダ[注 3]
2009 日本の旗 大分トリニータ
2011 日本の旗 FC町田ゼルビア
2012-2013 日本の旗 FC東京
2014 日本の旗 セレッソ大阪
2014-2015 スペインの旗 レアル・サラゴサ
2016-2017 タイ王国の旗 ブリーラム・ユナイテッド
2017- インドの旗 プネー・シティ
1. 国内リーグ戦に限る。2007年10月15日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ランコ・ポポヴィッチセルビア語: Ранко Поповић[注 4]1967年6月26日 - )は、セルビア出身(資料によってはボスニア・ヘルツェゴビナ)、現オーストリア国籍の元サッカー選手(ポジションはディフェンダー(CB))、現サッカー指導者。

来歴[編集]

選手時代[編集]

ユーゴスラビアコソボ・メトヒヤ自治州ペチ出身。

1980年に生家の土地を接収され、1981年に父を亡くすという環境の中[1]、肉体労働で家計を助けながら学校へ通い[2]サッカーを続けた。ブドゥチュノスト・ペチ[注 1]でユース年代を過ごし、ユーゴスラビア・プルヴァ・リーガ(1部リーグ)のパルチザン・ベオグラード[注 5]でリーグ戦デビューを果たす[3]

その後はユーゴスラビアのFKレオタル・トレビニェFKスパルタク・スボティツァに在籍したが、紛争の影響から海外にプレーの場を求め[4]ギリシャ・アルファ・エスニキ(1部)のエトニコス・ピレウス英語版スペイン・セグンダ・ディビシオン(2部リーグ)のアルメリアCF[注 2]とチームを転々とした。

1997年からオーストリア・ブンデスリーガ(1部リーグ)のSKシュトゥルム・グラーツ[注 5]に移籍。フランコ・フォーダダルコ・ミラニッチ (Darko Milaničと3バックを組み[5]フォアリベロとして攻撃の起点を担った[6]。1997/98、1998/99シーズンにリーグ連覇、3大会連続でUEFAチャンピオンズリーグに出場[3]。グラーツでは「30歳から一番力が伸び、34歳でベストゲームを戦えた」と充実した時を過ごすも、坐骨神経痛を抱えながらのプレーを強いられていた[7]

指導者時代[編集]

2001年からライプニッツ郡にあるオーストリア・ランデスリーガ(4部リーグ)のTuS FC アルンフェルスドイツ語版プレーイングマネージャー、2002年から監督に専念し、同シーズンには優勝[3]

2004年からパクヘリフで指導経験を積む[注 6]。2006年6月、ミハイロ・ペトロヴィッチJリーグサンフレッチェ広島監督就任に伴いコーチとして訪日[9]

翌2007年10月に退団し[10]FKスパルタク・ズラティボール・ヴォーダ[注 3]監督に就任。同シーズンにはヴォイヴォディナ地域リーグ(セルビア3部)優勝、プルヴァ・リーガ(同2部)への昇格を果たした。翌2009年にはスーペルリーガ(同1部)昇格を達成。

2009年7月、大分トリニータを解任されたペリクレス・シャムスカ監督の後任として同クラブの指揮を執ることが発表された[11][12]。就任当初は戦術が浸透せず4連敗し、シャムスカ時代の成績もあってJ1で最初に降格決定してしまうが、後半戦に入って持ち直し、終盤10試合を負けなしで終えた[13][9]

J1残留こそ果たせなかったものの、劇的にチームを立て直した功績から[9]留任が内定していたが、同年末、大分に10億円以上の債務超過をはじめとする深刻な経営難が発覚。全ての資金運営にJリーグの監視が入る状況下で、通訳なども含めたポポヴィッチへの高い人件費が問題視された。ポポヴィッチ自身は自ら減俸を申し出てまで続投を望んだが、同年12月11日に契約非更新が発表された[14][15]

2011年シーズンから当時JFL所属のFC町田ゼルビア監督に就任した[16][9]。目標であるJ2昇格圏内入りを果たし、同年限りで退任[17]

2012年シーズンからFC東京監督に就任[18]。クラブ初となるAFCチャンピオンズリーグでの戦いに臨み、ベスト16に入った。攻撃的サッカーを徹底して貫く姿勢はクラブ首脳陣から高く評価され[19]2013年には同クラブでのJ1における過去最多得点を挙げたが、勝ち点の取りこぼしから[20]優勝争いに加われず、同年限りで退任[21]

2014年、セレッソ大阪の監督に就任[22]。代表選手を揃え大きな注目を集める中、従来採用されてきたカウンターからポゼッションへと攻撃の転換を図ったが[23]次第に勝利から遠ざかり、AFCチャンピオンズリーグではベスト16、リーグ戦では第14節終了時点で13位と低迷。クラブ首脳から「ポゼッション率が上がったのに面白くない」と批判を受け[23]、期待する選手の個人名を出しメディアの前で厳しく叱責するというC大阪以前から用いてきた手法[24]についても問題視されたために[注 7]6月のリーグ中断期間に入って解任された[25]

同年11月、レアル・サラゴサの監督に就任[28][29]。財政難のため保有選手数を制限され[30]カンテラ所属の選手を登用せざるを得ない状況下ながらボルハ・ゴンサレスの得点量産もあって上位進出に成功。昇格プレーオフに持ち込むも、アウェーゴール差で決勝戦に敗れ1部復帰を逃した[31]。翌2015-16シーズンも留任しFC東京及びC大阪で指導した長谷川アーリアジャスールを呼び寄せる。第12節終了時には2位にまで順位を上げたが、2015年12月の同18節に昇格圏を外れ、即座に契約解除となった[32](事実上の解任[33])。

2016年8月、ブリーラム・ユナイテッドFC監督に就任[34]

2017年9月25日、FCプネー・シティの監督に就任した[35]

エピソード[編集]

  • 日本語通訳を務めた塚田貴志によれば、ポポヴィッチは母国語、ドイツ語、スペイン語はネイティブで、英語も堪能、日本語もだいぶ判っているレベルにあるという[36]

個人成績[編集]

国内大会個人成績
年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
ユーゴスラビア リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
1988-89 (en パルチザン プルヴァ 0
1989-90 (en レオタル ドルガ (en 13 0
1990-91 (en パルチザン プルヴァ 0
1991-92 (en 0
1992-93 (en スボティツァ
1993-94 (en
ギリシャ リーグ戦 リーグ杯 エラーダス杯 期間通算
1994-95 (en ピレウス アルファ
スペイン リーグ戦 国王杯 オープン杯 期間通算
1995-96 (en アルメリア セグンダ 0
1996-97 (en 0
オーストリア リーグ戦 リーグ杯 オーストリア杯 期間通算
1997-98 (en グラーツ 24 ブンデス 32 3 2 0
1998-99 (en 25 3 2 0
1999-00 (en 6 2
2000-01 (en 11 1
2001-02 アルンフェルス ランデス (en 1 0
通算 ユーゴスラビア プルヴァ
ユーゴスラビア ドルガ 13 0
ギリシャ アルファ
スペイン セグンダ 0
オーストリア ブンデス 74 9
オーストリア ランデス 1 0
総通算
国際大会個人成績
年度 クラブ 背番号 出場 得点 出場 得点 出場 得点
UEFA UEFAカップ UEFA CL UEFA CWC
1988-89 パルチザン - -
1990-91 - -
1991-92 - -
1997-98 グラーツ 24 - - 3 0
1998-99 - 7 0 -
1999-00/CL 2 0 -
2000-01 - 6 0 -
通算 UEFA 15 0 3 0

指導歴[編集]

監督成績[編集]

年度 クラブ 所属 リーグ戦 カップ戦
オーストリア 順位 勝点 試合 リーグ杯 オーストリア杯
2002 アルンフェルス ランデス
2002-03
2003-04
2004-05 パクヘリフ
2005-06
セルビア 順位 勝点 試合 リーグ杯 セルビア杯 (en
2007-08 (en ズラティボールV ヴォイヴォディナ (en 優勝 79 30 25 4 1
2008-09 (en プルヴァ 4位 60 34 17 9 8
日本 順位 勝点 試合 ナビスコ杯 天皇杯
2009 大分 J1 17位 23 16 6 5 5 - 3回戦
2011 町田 JFL 3位 61 33 18 7 8 - 2回戦
2012 FC東京 J1 10位 48 34 14 6 14 ベスト4 2回戦
2013 8位 54 34 16 6 12 グループリーグ ベスト4
2014 C大阪 13位 16 13 4 4 5 - -
スペイン 順位 勝点 試合 コパ・デル・レイ
2014-15 (en サラゴサ セグンダ 6位 41 28 10 11 7 - -
2015-16 (en 8位 27 18 7 6 5 3回戦 -
タイ 順位 勝点 試合 リーグ杯 FA杯
2016 ブリーラム TPL -
通算 オーストリア ランデス - - - -
セルビア プルヴァ - - 34 17 9 8 - -
セルビア ヴォイヴォディナ - - 30 25 4 1 - -
日本 J1 - - 97 40 21 36 - -
日本 JFL - - 33 18 7 8 - -
スペイン セグンダ - - 46 17 17 12 - -
タイ TPL - - ' ' ' ' - -
総通算 - - 240 117 58 65 - -
  • 2009:途中就任 (順位は最終順位)
  • 2014、2015-16:途中解任 (順位は解任時順位)

脚注[編集]

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注釈
  1. ^ a b 現名称は「KFベサ (KF Besa」。
  2. ^ a b 現名称は「UDアルメリア」。アルメリアでのチームメートにはイヴィッツァ・バルバリッチがいた。
  3. ^ a b c 現名称は「FKスパルタク・スボティツァ」。
  4. ^ セルビア語ラテン翻字: Ranko Popović
  5. ^ a b イビチャ・オシム監督の下でプレー。
  6. ^ 一部資料では2003年から古巣シュトゥルム・グラーツのコーチに就任しペトロヴィッチ監督の片腕として働いたと記されている[3][8]
  7. ^ ポポヴィッチが「厳しいことも多々言ってはきましたが、選手たちも理解してくれていたと思います」と振り返ったように[25]叱咤とも受け取れる言動ではあったが[26]、チームの一体感を損ねるものと判断された[27]
出典
  1. ^ a b フットボールサミット第11回』 カンゼン2013年、23-31頁。
  2. ^ フットボールサミット第6回』 カンゼン2012年、181頁。
  3. ^ a b c d サンフレッチェ広島アシストマガジン「assist」2006年秋号
  4. ^ „POPO, POPO, POPO, POPOVIC“ SturmNetz (2016年8月2日)
  5. ^ „Irgendwann kommt der Moment für Sturm und mich, da bin ich sicher“(ドイツ語)SKシュトゥルム・グラーツ (2013年6月6日)
  6. ^ 進境著しいFC東京・高橋秀人。フォアリベロに挑戦する日は来るのか… jsports 2012.09.09
  7. ^ フットボールサミット第7回』 カンゼン2012年、178-179頁。
  8. ^ ランコ・ポポヴィッチ氏 コーチ就任のお知らせ サンフレッチェ広島 (2006年6月9日)
  9. ^ a b c d JFL町田ゼルビア、元J1大分のポポヴィッチ監督就任へ-J昇格に意欲 (cache) 町田経済新聞 (2010年12月16日)
  10. ^ ランコ・ポポヴィッチ コーチ退団のお知らせ サンフレッチェ広島 (2007年10月2日)
  11. ^ 後任ポポビッチ氏 シャムスカ監督 ついに解任 迷走大分フロント決断 18日浦和戦は松山・強化担当指揮 西日本スポーツ (2009年7月15日)
  12. ^ ポポヴィッチ氏 大分トリニータ監督就任決定のお知らせ”. 2009年7月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年11月22日閲覧。 大分トリニータ (2009年7月16日)
  13. ^ 復活へ 見せた結束 大分合同新聞 (2009年12月6日)
  14. ^ ポポヴィッチ監督の来季契約について”. 2009年12月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年11月22日閲覧。 大分トリニータ (2009年12月11日)
  15. ^ 【トリニータ】「場当たり的経営」明記 大分合同新聞 2009年12月12日付
  16. ^ ランコ・ポポヴィッチ氏 監督就任のお知らせ”. 2010年12月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年11月22日閲覧。 FC町田ゼルビア (2010年12月15日)
  17. ^ ランコ・ポポヴィッチ監督 契約満了のお知らせ FC町田ゼルビア (2011年12月7日)
  18. ^ ランコ ポポヴィッチ氏 監督就任のお知らせ”. 2012年7月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年1月2日閲覧。 FC東京 (2012年1月2日)
  19. ^ 【東京】ポポビッチ監督は今季限りで退任 日刊スポーツ (2013年10月23日)
  20. ^ 【F東京】ポポヴィッチ監督退任も「いい形で仕事終わらせる」 (cache) スポーツ報知 (2013年10月24日)
  21. ^ ランコ ポポヴィッチ氏との契約について FC東京 (2013年10月23日)
  22. ^ ランコ・ポポヴィッチ新監督就任のお知らせ セレッソ大阪 (2013年12月30日)
  23. ^ a b 週刊サッカーダイジェスト No.1289』 日本スポーツ企画出版社2014年、82-83頁。
  24. ^ フットボールサミット 第11回』 カンゼン2013年、48-49頁。
  25. ^ a b “【14/06/09】ランコ・ポポヴィッチ監督およびヴラディッツァ・グルイッチ ヘッドコーチの契約について” (プレスリリース), セレッソ大阪, (2014年6月9日), http://www.cerezo.co.jp/news_detail.asp?c_idx=10013329 2014年6月9日閲覧。 
  26. ^ C大阪ポポビッチ監督、柿谷に苦言呈す デイリースポーツ (2014年5月14日)
  27. ^ C大阪 ポポヴィッチ監督解任 不振と選手批判に不信感 スポーツニッポン (2014年6月9日)
  28. ^ El Real Zaragoza llega a un acuerdo con el entrenador serbio Ranko Popovic para dirigir al equipo(スペイン語)レアル・サラゴサ (2014年11月24日)
  29. ^ 元C大阪のポポヴィッチ監督、リーガ2部サラゴサの新指揮官に サッカーキング (2014年11月25日)
  30. ^ フットボール批評issue03』 カンゼン2015年、60-63頁。
  31. ^ ラス・パルマス、14年ぶりのリーガ1部復帰 バレロンが40歳でスペイン最高峰の舞台へ goal.com (2015年6月22日)
  32. ^ El Real Zaragoza decide prescindir de los servicios de Ranko Popovic(スペイン語)レアル・サラゴサ (2015年12月20日)
  33. ^ サラゴサを率いていた元FC東京&C大阪監督のポポヴィッチが契約解除 サッカーマガジン (2015年12月20日)
  34. ^ บุรีรัมย์ ตั้ง โปโป้ คุมทัพปราสาทสายฟ้า ブリーラム・ユナイテッドFC (2016年8月25日)(タイ語)
  35. ^ Ranko Popović signs with Pune City”. Template:Cite webの呼び出しエラー:引数 accessdate は必須です。
  36. ^ 加部究 『サッカー通訳戦記』 カンゼン2016年、215-216頁。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]