兵藤慎剛

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
兵藤 慎剛 Football pictogram.svg
名前
愛称 ヒョードー
カタカナ ヒョウドウ シンゴウ
ラテン文字 HYODO Shingo
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1985-07-29) 1985年7月29日(31歳)
出身地 長崎県
身長 172cm
体重 68kg
選手情報
在籍チーム 日本の旗 横浜F・マリノス
ポジション MF
背番号 7
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2008- 横浜F・マリノス 250 (30)
1. 国内リーグ戦に限る。2016年1月24日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

兵藤 慎剛(ひょうどう しんごう、1985年7月29日 - )は、長崎県出身で横浜F・マリノス所属のサッカー選手。ポジションはミッドフィールダー

来歴[編集]

私立海星中学に入学し、中学1年ながらレギュラーに定着。小学校時代から特筆すべきサッカーの技術を発揮していた。13才ながらリフティングは体力がなくなるまでできたという。長崎県の名門国見高校では2年時にレギュラーに定着し、全日本ユース選手権制覇、3年時にはインターハイ高校選手権を制覇し、高校サッカー部の三大タイトルを全て獲得した。高校時代の同期に平山相太中村北斗らがいる。また、3年時の8月には平山らとともに、一年代上のU-20日本代表候補トレーニングキャンプに招集された経歴も持つ。

卒業後は早稲田大学スポーツ科学部)に進学し、当時東京都リーグ[1] だったア式蹴球部に入部した。

U-20日本代表として、2005年のワールドユース選手権に出場。日本代表の背番号10を背負い、キャプテンも任されるなど大熊清監督に重用されたが、周囲のプロ選手とのプレイスピードが合わず、孤立する場面が多かった。

ユニバーシアード日本代表として、2005年イズミル大会に出場。日本代表の金メダル獲得に貢献した。

最終学年である2007年度には第56回全日本大学サッカー選手権大会(インカレ)で優勝、自身もMVPを受賞し大学サッカーでの有終の美を飾った。

2008年度はプロとして横浜F・マリノスでの新たな選手生活が始まった。 これまでの輝かしい実績を引っ提げ、大物ルーキーとして期待されたが、シーズン序盤は出番が回ってくることは少なかった。しかし、同年シーズン中にF・マリノスに木村浩吉監督が就任してからは兵藤は持ち味を発揮し、プロ初得点も含めてレギュラー定着のみならず、主軸にまで上り詰めた。本職は左サイドハーフオフェンシブハーフだったが、センターハーフでの起用も多かった。

2009年度からは副キャプテンにも任命され、チームからの信頼も更に増した。 2010年度は栗原勇蔵とともにキャプテンを務めた。

2014年1月6日、2013年10月7日に一般女性と入籍したことを発表した。

エピソード[編集]

  • 国見高校では「歴代最高のキャプテン」と呼ばれ、F・マリノスでは2年目にしてキャプテンマークを巻いた。
  • チーム内ではヘアスタイルに因み「カッパ」と呼ばれる。
  • 国見、早大、F・マリノスの後輩である渡邉千真とは2011年まで計8年一緒にプレーした。

所属クラブ[編集]

個人成績[編集]

国内大会個人成績
年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
日本 リーグ戦 リーグ杯 天皇杯 期間通算
2002 国見高 9 - - - 3 0 3 0
2003 10 - - - 2 1 2 1
2008 横浜FM 17 J1 28 2 7 0 4 1 39 3
2009 30 1 10 1 2 0 42 2
2010 7 32 6 6 1 3 0 41 7
2011 34 6 5 1 4 1 43 8
2012 34 4 5 1 5 1 44 6
2013 33 7 10 1 5 2 48 10
2014 31 3 2 0 1 1 34 4
2015 28 1 5 0 2 0 35 1
通算 日本 J1 250 30 49 5 26 6 325 41
日本 - - 5 1 5 1
総通算 250 30 49 5 31 7 330 42

その他の公式戦

国際大会個人成績
年度 クラブ 背番号 出場 得点
AFC ACL
2014 横浜FM 7 5 1
通算 AFC 5 1


代表歴[編集]

出場大会など[編集]

獲得タイトル[編集]

脚注[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ トップリーグである関東学生リーグ1部からは2つもカテゴリが下である。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]