セルヒオ・アグエロ

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この名前は、スペイン語圏の人名慣習に従っています。第一姓(父方の)はアグエロ第二姓(母方の)はデル・カスティージョです。
セルヒオ・アグエロ Football pictogram.svg
Kun Agüero vs West Ham.png
マンチェスター・シティでのアグエロ (2016年)
名前
本名 セルヒオ・レオネル・アグエロ・デル・カスティージョ
Sergio Leonel Agüero del Castillo
愛称 クン (KUN)
ラテン文字 Sergio AGÜERO
基本情報
国籍 アルゼンチンの旗 アルゼンチン
スペインの旗 スペイン
生年月日 (1988-06-02) 1988年6月2日(28歳)
出身地 キルメス
身長 173cm
体重 77kg
選手情報
在籍チーム イングランドの旗 マンチェスター・シティFC
ポジション FW (CF)
背番号 10
利き足 右足
ユース
1997-2003 アルゼンチンの旗 インデペンディエンテ
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2003-2006 アルゼンチンの旗 インデペンディエンテ 54 (23)
2006-2011 スペインの旗 アトレティコ・マドリード 175 (74)
2011- イングランドの旗 マンチェスター・シティ 162 (112)
代表歴2
2004  アルゼンチン U-17 5 (3)
2005-2007  アルゼンチン U-20 7 (6)
2008  アルゼンチン U-23 5 (2)
2006- アルゼンチンの旗 アルゼンチン 80 (34)
1. 国内リーグ戦に限る。2016年12月3日現在。
2. 2016年11月11日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

セルヒオ・レオネル・アグエロ・デル・カスティージョSergio Leonel Agüero del Castillo, スペイン語発音: [ˈserxjo aˈɣweɾo], 1988年6月2日 - )は、アルゼンチンブエノスアイレス州キルメス出身のプロサッカー選手プレミアリーグマンチェスター・シティFC所属。アルゼンチン代表ポジションフォワード

クラブ経歴[編集]

インデペンディエンテ[編集]

アルゼンチンのCAインデペンディエンテでサッカー選手としてのキャリアをスタート。2003年7月23日ディエゴ・マラドーナの持つプリメーラ・ディビシオン最年少出場記録を更新する、15歳と35日でのトップチームデビューを飾る。2002-03後期リーグ、2003-04前期リーグでの出場はこの1試合のみであったが、2003-04後期リーグより徐々に出番を増やしていき(5試合0ゴール)、2004-05前期リーグでは7試合に出場、リーグ初ゴールを含む2ゴールを記録した。続く2004-05後期リーグで5試合で3ゴールを記録。

2005-06シーズンはチームの主力として前期・後期共に18試合出場9ゴールとブレイク。ワールドユースでの活躍も相まって世界で最も将来有望なサッカー選手の一人として認知され、「ニュー・メッシ」(このシーズン、メッシはFCバルセロナで大ブレイクを果たした)とも「マラドーナの後継者」(マラドーナ自身もその才能を認め「アグエロをA代表に招集すべき」と発言したこともある)とも呼ばれるようになった。彼の元には、早くから移籍金1200万ユーロで獲得に乗り出したビジャレアルCFの他、メッシの所属するFCバルセロナやバイエルン・ミュンヘンなど多くの欧州の強豪クラブからのオファーが届いたが、最終的にアトレティコ・マドリードへ同クラブ史上最高額(約2000万ユーロ)での移籍が決定した。

アトレティコ・マドリード[編集]

鳴り物入りで入団したアトレティコでは、2006-07シーズンのリーグ初戦となるラシン・サンタンデール戦でミスタとの交代で途中出場しリーガ・エスパニョーラデビューを果たす。やがてこのスペイン代表をベンチに追いやり、クラブの旗印であるフェルナンド・トーレスと2トップを組む機会が増えると、リーグ第3戦アスレティック・ビルバオ戦でリーガ初得点を記録した。2006年9月3日にはアルゼンチンのフル代表デビューも果たしており、順調なスタートを切るものの、トーレスとの強力2トップを活かすことが出来ぬまま7位でシーズンは終了。それでもリーグ全38試合に出場し、周りのサポートに恵まれない状況でも初挑戦となるヨーロッパのトップリーグで6ゴールを記録。そのポテンシャルの高さをうかがわせた。

アトレティコ・マドリードでプレーするアグエロ (左)

2007-08シーズン、チームのエースでありキャプテンであったトーレスがリヴァプールFCに移籍し、チームの新たな顔としての期待が高まる中、かつてインデペンディエンテに所属し、トーレスの後釜としてビジャレアルCFから移籍したディエゴ・フォルランとの2トップでシーズン序盤からゴールを量産。最終的にはリーグ3位となる20ゴールを決め、チームの欧州CL出場件獲得に貢献した。2007年のFIFA世界最有望選手賞を受賞。2008年にはテレビ局による第1回アントニオ・プエルタ賞を受賞した。

2008-09シーズンはチャンピオンズリーグに初出場し、グループリーグ初戦のPSV戦では初ゴールを含む2ゴールを記録。しかしその後は1ゴールに終わり、チームも無敗ながらベスト16で敗退。リーガではアグエロ自身のゴールは17に減ったが、パートナーのフォルランがリーガ最多となる32ゴールを挙げるなどこのシーズンも2トップが爆発し、2年連続の4位・CL出場権獲得に大きく貢献した。

2009-10シーズンはリーガでの得点は12にさらに減少。しかしチャンピオンズリーグヨーロッパリーグと欧州規模の大会で16試合に出場するなど、自身最多のシーズン54試合に出場。ヨーロッパリーグ決勝のフラムFC戦ではフォルランの2得点をアシストし、アトレティコの14年ぶりのタイトル獲得に貢献した[1]

2010-11シーズンはシーズン初戦のUEFAスーパーカップインテル戦で1得点1アシストの活躍で勝利に貢献しスタート[1]。2010年12月に、念願だったスペイン国籍の取得に成功した。チームの不調とともに自身の得点も伸び悩んだものの、リーグ終了までの全8試合で得点を記録[1]。リーグ最終戦のRCDマヨルカ戦ではアトレティコでは初のハットトリックを達成し、翌シーズンのヨーロッパリーグ出場権獲得に貢献[1]。またこの3得点でシーズン通算20得点とし、得点ランキング3位に入った。

マンチェスター・シティ[編集]

マンチェスター・シティでプレーするアグエロ (一番左)
エディン・ジェコ (左から二番目) と共に強力な2トップを形成した

2010-11シーズン終了から3日後に、退団希望を自身のサイトで発表[1][2]ユヴェントスFCチェルシーFCレアル・マドリードなどが興味を抱いたが[3]2011年7月28日にイングランドプレミアリーグのマンチェスター・シティFCに移籍[4]。移籍金は推定4500万ユーロで、5年契約を結んだ[4]。 プレミアリーグデビュー戦となるスウォンジー・シティAFC戦で途中出場ながら2得点1アシストの鮮烈なデビューを飾った。 2012年5月13日、プレミアリーグ最終節・クイーンズ・パーク・レンジャーズFC戦において1-2と1人少ないQPRにリードされていたマンチェスターシティは勝たないと優勝を逃すという状況にも関わらず後半ロスタイムを迎えてしまった。しかし92分にジェコのヘディングシュートで同点、さらに94分にアグエロが逆転ゴールを決め、マンチェスター・シティを44シーズンぶりとなるプレミアリーグ優勝へと導いた。また、このゴールについてアグエロは「間違いなく僕のキャリアの中でも一番重要なゴールとなったね。最後の数秒でタイトルを決めるゴールを挙げた。2度と起こるかわからないよ。QPRは残留のため戦っていた。自陣深く引いていたから、彼らのカウンターアタックが僕らを悩ますことは分かっていた」、「試合終了と同時にファンがピッチになだれ込んできた。彼らは僕をつかみ、キスした。ファンからの愛を感じることができた。僕を幸せにしてくれたね。シティに来たときから、みんな僕によくしてくれた。優勝を決めるゴールと歴史を作ったことで彼らに恩返しができたよ。もっとタイトルを獲得するために毎日ベストを尽くすよ。全てはファンが喜ぶようなサッカーをするためだね」とファンの惜しみない愛情に感謝するとともに、苦戦の末、喜びのゴールを決めたことを語っている[5]。結局このシーズンは得点ランク3位となる23ゴールを決めた。

2014年1月には1か月の怪我から復帰した後のFAカップで途中交代1分のファーストタッチで得点を挙げた。

2014-15シーズンは26ゴールを挙げプレミアリーグ得点王となった。

2015-16シーズンから背番号を16から『10』に変更することを、クラブ公式サイト上で発表した[6]。10月3日、プレミアリーグ第8節のニューカッスル戦で1トップに入り、20分で5得点をあげる活躍を見せた。1試合5得点はプレミアリーグ史上5人目[7]の快挙であった。

代表経歴[編集]

代表でメッシとプレーするアグエロ (左)

FIFAワールドユース選手権2005ではアルゼンチン代表に一つ年上のリオネル・メッシと共に選出され、ナイジェリアとの決勝戦では試合途中から出場、勝ち越しとなったPKを獲得する等チームの優勝に貢献した。2006年9月3日のブラジルとの親善試合では、18歳3ヶ月でフル代表デビューを果たした。

2007年のFIFA U-20ワールドカップではチームのエースとして大会に臨み、グループリーグの北朝鮮戦でのFKからのゴールやトーナメント第1試合のポーランド戦での芸術的なゴール、決勝のチェコ戦での同点弾などの印象的な活躍で6得点・4アシストを挙げてチームを優勝に導き、大会得点王とMVPに輝いた。コパ・アメリカにもフル代表として選出されたが、ここではメッシやカルロス・テベスら厚いFWの選手層に阻まれ出番は限られた。11月17日に行われたワールドカップ南米予選ボリビア戦でフル代表初ゴールを記録。

2008年8月には北京オリンピックに出場し、準決勝のブラジル戦で2ゴールを決めるなど、アルゼンチンの金メダル獲得に貢献した。

FIFAワールドカップ・南アフリカ大会ではグループリーグ第2戦の韓国戦で初出場し、ゴンサロ・イグアインのハットトリックとなる3得点目をアシスト。その後2試合に出場したものの、アルゼンチンは準々決勝でドイツに敗れた。

開催国として臨んだコパ・アメリカ2011では、開幕戦のボリビア戦で途中出場し、チームを引き分けに導く同点ゴールを記録。グループリーグ第3戦のコスタリカ戦では2得点を挙げ、この大会のアルゼンチン唯一の勝利に貢献[1]。チームは準々決勝のウルグアイ戦でPK戦の末に敗退し、ベスト8に終わった。

2015年6月6日のボリビア戦で代表では初めてとなるハットトリックを達成した。

人物・エピソード[編集]

個人成績[編集]

クラブでの成績[編集]

クラブ シーズン リーグ 背番号 リーグ戦 カップ戦 リーグ杯 欧州カップ戦 その他 合計
試合 得点 試合 得点 試合 得点 試合 得点 試合 得点 試合 得点
インデペンディエンテ 2002-03 プリメーラ - 1 0 - - - - 1 0
2003-04 5 0 2 0 - - - 7 0
2004-05 12 5 - - - - 12 5
2005-06 36 18 - - - - 36 18
合計 54 23 2 0 - - - 56 23
アトレティコ・マドリード 2006-07 プリメーラ 10 38 6 4 1 - - - 42 7
2007-08 37 19 4 2 - 9 6 - 50 27
2008-09 37 17 1 0 - 9 4 - 47 21
2009-10 31 12 7 1 - 16 6 - 54 19
2010-11 32 20 4 3 - 4 3 1[11] 1 41 27
合計 175 74 20 7 - 38 19 1 1 234 101
マンチェスター・シティ 2011-12 プレミア 16 34 23 1 1 3 1 10 5 - 48 30
2012-13 30 12 4 3 0 0 5 2 1[12] 0 40 17
2013-14 23 17 3 4 2 1 6 6 - 34 28
2014-15 33 26 1 0 1 0 7 6 0[13] 0 42 32
2015-16 10 30 24 4 2 1 0 9 2 0[14] 0 44 28
合計 150 102 13 10 7 2 37 21 1 0 208 135
合計 379 199 35 17 7 2 75 40 2 1 498 259

代表[編集]

代表国 出場 得点
2006 アルゼンチンの旗 アルゼンチン 2 0
2007 3 1
2008 9 4
2009 6 2
2010 5 2
2011 8 5
2012 7 2
2013 8 5
2014 10 1
2015 10 10
2016
2017 1 0
通算 69 32

代表での得点[編集]

タイトル[編集]

クラブ[編集]

アトレティコ・マドリード
マンチェスター・シティ

代表[編集]

アルゼンチン代表

個人[編集]

出典[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]