マルティン・パレルモ

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マルティン・パレルモ Football pictogram.svg
Martin palermo fkm08.jpg
名前
愛称 El Loco (奇人),
Titán (タイタン),
El optimista del gol
(ゴールの楽天家)
ラテン文字 Martín PALERMO
基本情報
国籍 アルゼンチンの旗 アルゼンチン
イタリアの旗 イタリア
生年月日 (1973-11-07) 1973年11月7日(44歳)
出身地 アルゼンチンの旗 ラプラタ
身長 187cm
体重 85kg
選手情報
ポジション FW
利き足 左足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1992-1997 アルゼンチンの旗 エストゥディアンテス 93 (34)
1997-2000 アルゼンチンの旗 ボカ・ジュニアーズ 102 (81)
2001-2003 スペインの旗 ビジャレアル 70 (18)
2003-2004 スペインの旗 ベティス 11 (1)
2004 スペインの旗 アラベス 14 (3)
2004-2011 アルゼンチンの旗 ボカ・ジュニアーズ 216 (112)
通算 592 (249)
代表歴
1999-2010 アルゼンチンの旗 アルゼンチン 15 (9)
監督歴
2013-2014 アルゼンチンの旗 ゴドイ・クルス
2014-2015 アルゼンチンの旗 アルセナル
2016- チリの旗 ウニオン・エスパニョーラ
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

マルティン・パレルモMartín Palermo, 1973年11月7日 - )は、アルゼンチンブエノスアイレス州ラプラタ出身の元同国代表サッカー選手。現サッカー指導者。現役時代のポジションはフォワード

パレルモ(Palermo)はイタリア南部に多く見られる姓であり、パレルモもイタリア移民の子孫である。

イタリア人の子孫は国籍を取得できるイタリアの法律によりパレルモもイタリア国籍を有している。

経歴[編集]

クラブ[編集]

地元のエストゥディアンテス・デ・ラ・プラタでキャリアをスタートさせた。1997年にボカ・ジュニアーズへ移籍すると実力をいかんなく発揮し1998年前期リーグでは20得点をあげて得点王となった。さらに南米年間最優秀選手賞に選ばれるなどボカファンのアイドルとなった。キャリアのハイライトは2000年に行われたトヨタカップレアル・マドリード戦。開始3分で先制点、前半6分には追加点を奪う活躍でヨーロッパ王者を下し、同大会のMVPに選ばれた。2001年にスペインのビジャレアルCFに移籍した。2001-02シーズンのコパ・デル・レイレバンテUD戦で、スタンド最前列の壁が崩壊した事故に巻き込まれ、残りのシーズンを棒に振る大怪我を負った。2008年8月、右膝十字靭帯を負傷する大怪我を負った。2011年6月、現役を引退。2012年2月には長年在籍したボカ・ジュニアーズのホームスタジアムであるラ・ボンボネーラで引退試合が行われた[1]。ボカでの通算得点は236で、これは同クラブ歴代1位の記録である[2]

代表[編集]

アルゼンチン代表ではコパ・アメリカ1999のメンバーとして初招集。同大会で3得点を記録したが、コロンビア戦にてPKを3本蹴って3本失敗という近代サッカー史に残る珍事の主役となった。(パラグアイ代表GKホセ・ルイス・チラベルトはPK3本を決めハットトリックを達成した試合の後で「パレルモ、ボールはこうやって蹴るものなんだよ」と発言している)これが直接的な原因では無いものの以降は代表とは縁が無かったが、2009年4月17日ディエゴ・マラドーナ監督によって、5月20日に行われる親善試合に招集されることが発表された。同年9月30日の親善試合・ガーナ戦では復帰後初得点を含む2得点を決める活躍をみせた。続く10月10日のW杯予選ペルー戦では後半ロスタイムに値千金の決勝ゴールを挙げた。2010 FIFAワールドカップ代表メンバーにも選ばれ、グループリーグ第3戦のギリシャ戦でワールドカップ初得点を挙げた。

人物[編集]

タイトル[編集]

クラブ[編集]

ボカ・ジュニアーズ

個人[編集]

脚注[編集]

外部リンク[編集]