ディエゴ・シメオネ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
この名前は、スペイン語圏の人名慣習に従っています。第一姓(父方の)はシメオネ第二姓(母方の)はゴンサレスです。
ディエゴ・シメオネ Football pictogram.svg
Diego Simeone.jpg
(2019年)
名前
本名 ディエゴ・パブロ・シメオネ・ゴンサレス
Diego Pablo Simeone González
愛称 El Cholo (チョロ)
ラテン文字 Diego SIMEONE
基本情報
国籍 アルゼンチンの旗 アルゼンチン
スペインの旗 スペイン
生年月日 (1970-04-28) 1970年4月28日(50歳)
出身地 ブエノスアイレス
身長 177cm
体重 70kg
選手情報
ポジション MF
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1987-1990 アルゼンチンの旗 V・サルスフィエルド 76 (14)
1990-1992 イタリアの旗 ピサ 55 (6)
1992-1994 スペインの旗 セビージャ 64 (12)
1994-1997 スペインの旗 アトレティコ・マドリード 98 (21)
1997-1999 イタリアの旗 インテル 57 (11)
1999-2003 イタリアの旗 ラツィオ 90 (15)
2003-2005 スペインの旗 アトレティコ・マドリード 36 (2)
2005-2006 アルゼンチンの旗 ラシン・クラブ 37 (3)
通算 513 (84)
代表歴
1989 アルゼンチンの旗 アルゼンチン U-20 4 (1)
1988-2002 アルゼンチンの旗 アルゼンチン 106 (11)
1996 アルゼンチンの旗 アルゼンチン 五輪 6 (1)
監督歴
2006 アルゼンチンの旗 ラシン・クラブ
2006-2007 アルゼンチンの旗 エストゥディアンテス
2007-2008 アルゼンチンの旗 リーベル・プレート
2009-2010 アルゼンチンの旗 サン・ロレンソ
2011 イタリアの旗 カターニア
2011 アルゼンチンの旗 ラシン・クラブ
2011- スペインの旗 アトレティコ・マドリード
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ディエゴ・パブロ・シメオネ・ゴンサレスDiego Pablo Simeone González、スペイン語発音:[ˈdjeɣo ˈpaβlo simeˈone]、イタリア語発音 : [ˈdjeːɡo simeˈoːne]1970年4月28日 - )は、アルゼンチン出身のサッカー監督で、ミッドフィールダーとしてプレーした元サッカー選手。2011年12月から、アトレティコ・マドリードの監督を務めている。

アルゼンチン代表として史上初めて出場100試合を達成し、現在も歴代4位の出場試合数を誇る。現役時代のポジションは守備的ミッドフィールダー。豊富な運動量でピッチの至る所に顔を出すプレースタイルから、14歳の時に監督からチョロEl Cholo、インディオの意)というあだ名を付けられた。このあだ名はかつてボカ・ジュニアーズでプレーしたカルメロ・シメオネ英語版(血縁関係はない)のあだ名であった[1]

アトレティコ・マドリードでの監督としては、クラブ史上最高の成功を収め、コパ・デル・レイ優勝、ラ・リーガ優勝、スーペル・コパ優勝、2度のヨーロッパ・リーグ優勝、2度のスーパー・カップ、2度のチャンピオンズ・リーグ決勝進出を成し遂げた。

父系にイタリア、母系にスペインにルーツを持つ。

選手経歴[編集]

クラブ[編集]

ベレス・サルスフィエルドでのシメオネ(1987年)

1987年にベレス・サルスフィエルドからデビューし、その後はイタリアとスペインで長くプレーした。

1990年に初めてヨーロッパに渡り、ミルチェア・ルチェスクが監督を務めるイタリアのピサ・カルチョに移籍。スペイン・リーガ・エスパニョーラセビージャを経て、1994年にアトレティコ・マドリードに移籍すると、1995-96シーズンにはリーグ戦とコパ・デル・レイの2冠を達成した。

1997年に再びセリエAに戻り、インテルではロナウドらとともにプレーした。1998年のUEFAカップでは、決勝でラツィオを3-0で破って優勝した。

1999年、スヴェン・ゴラン・エリクソン監督が率いるツラィオに移籍し、ベテランのネストル・センシーニマティアス・アルメイダエルナン・クレスポ、優れたパス技術を持つフアン・セバスティアン・ベロンなど多くのアルゼンチン人選手たちとともにプレーした。彼らのチームはシメオネの加入とともにスクデット争いに加わり、シメオネはユヴェントスとの白熱した首位争い参加に貢献した。最終節を前にして勝ち点2差を付けられていたが、ユヴェントスは雨中のペルージャ・カルチョ戦に敗れ、ラツィオはホームのスタディオ・オリンピコレッジーナ・カルチョ相手に会心の勝利を挙げたため、自身初となるセリエAのタイトルを手に入れた。1999-2000シーズンはコッパ・イタリアでも決勝でインテルを破って優勝し、スペイン時代に続く2冠を達成した。その後、2002-03シーズンまでラツィオでプレーした。2001-02シーズン最終節のインテル戦では古巣相手にゴールを決め、インテルのリーグ制覇の夢を打ち砕いた。

2003年にアトレティコ・マドリードに復帰し、2シーズンプレーした後に母国のラシン・クラブに移籍した。ファンであるラシン・クラブで引退するという願いが叶い、長い選手生活を終え、2006年に引退した。

代表[編集]

1996年にはアトランタオリンピックに出場して銀メダルを獲得した。

アルゼンチン代表でのシメオネ(1991年)

1988年にアルゼンチン代表デビューしてから2002年までに106試合に出場し、アルゼンチン代表の当時の最多出場記録を更新した[2]。1991年と1993年にはコパ・アメリカで優勝し、1994 ワールドカップ1998 ワールドカップ2002 ワールドカップと3度のワールドカップ出場を果たしている。ミッドフィールダーながら11得点を挙げており、1992年のキング・ファハド・カップでは決勝で得点している。1998 ワールドカップ決勝トーナメント1回戦のイングランド戦では、シメオネを蹴ったデヴィッド・ベッカムが報復行為とみなされて退場処分を受けた。シメオネは後に、ベッカムを退場に追い込むために痛がる振りをしたことを認めている[3]。このワンプレーによりアルゼンチンはイングランドに辛勝し、ベスト8に進出した。準々決勝のオランダ戦ではタックルを受けて実際に負傷した。最後の国際大会となった2002 ワールドカップはグループリーグ敗退に終わった。この大会でベッカムと和解しており、ベッカムがPKを決めてイングランドがアルゼンチンにリベンジを果たしている。

指導者経歴[編集]

ラシン・クラブ[編集]

2006年2月17日の試合で現役を終えると同時にラシン・クラブの監督に就任。シーズン終了後にクラブの会長が交代したことに伴い、レイナルド・メルロに後任の座を譲る。

エストゥディアンテス・デ・ラ・プラタ[編集]

2006年5月18日、エストゥディアンテス・デ・ラ・プラタ監督に就任した。

12月13日のボカ・ジュニアーズとのシーズン最終戦(優勝決定戦となった)に2-1で勝利し、アペルトゥーラ2006ではクラブを23年ぶりのリーグ優勝に導いた。

同年10月にOle紙が行った投票でアルゼンチンリーグの最優秀監督に選ばれ[4]、元アルゼンチン代表のロベルト・ペルフーモスペイン語版に「生まれながらの監督」と称された[5]

アペルトゥーラ2007では低調なスタートとなり、9試合無敗でシーズンを終えたものの、優勝争いに加わることができず、シーズン終了後に退任した。

リーベル・プレート[編集]

2007年12月15日、ダニエル・パサレラの後任としてリーベル・プレートの監督に就任した。

コパ・リベルタドーレスでは決勝トーナメント1回戦でサン・ロレンソ・デ・アルマグロとの同国対決に敗れて早期敗退したが、クラウスーラ2008ではエスタディオ・モヌメンタルで行われた最終節でクラブ・オリンポスペイン語版を2-1で下して優勝した[6]。同年のコパ・スダメリカーナではウルグアイのデフェンソール・スポルティングなどを下して準々決勝に進出したが、準々決勝でメキシコのグアダラハラに敗れてベスト8に終わった。国内リーグでも11試合連続未勝利となって最下位に低迷し、2008年11月7日に監督の座を辞任した[7][8]

サン・ロレンソ・デ・アルマグロ[編集]

2009年4月15日、コパ・リベルタドーレス1回戦で敗退して解任されたミゲル・アンヘル・ルッソの後任としてサン・ロレンソ・デ・アルマグロ監督に就任した[9]

2010年4月3日、成績不振と積み重なる批判の責任を取ってサン・ロレンソ監督を辞任した[10]

カルチョ・カターニア[編集]

2011年1月、解任されたマルコ・ジャンパオロの後任としてセリエAカルチョ・カターニアの監督に就任した[11][12]

セリエA残留という目標を果たし、2010-11シーズン終了後の2011年6月1日にカルチョ・カターニアの職を離れた[13]

ラシン・クラブ[編集]

2011年6月21日、ルッソの後任としてラシン・クラブの監督に復帰した[14]

アトレティコ・マドリード[編集]

2011年12月23日、グレゴリオ・マンサーノを監督から解任した古巣アトレティコ・マドリードから後任としてのオファーを受け、二つ返事で承諾し監督に就任、1年半の契約を結んだ[15]

ヨーロッパリーグでは、指揮をした全9試合に勝利をし、優勝に導いた。

2012-13シーズン[編集]

チェルシーとのUEFAスーパーカップを優勝し、クラブに相次いで国際タイトルをもたらすことに成功。2013年3月には契約を2017年まで4年間延長したことが発表された[16]

コパ・デル・レイでは決勝でレアル・マドリードを下し17年ぶり10回目の国王杯優勝をもたらした。

2013-14シーズン[編集]

スーペルコパ・デ・エスパーニャでバルセロナに敗れた。

ラ・リーガ優勝を祝うアトレティコの選手たち(2014年)

リーグ戦では、チームは開幕8連勝を記録し、クラブ史上最高のリーグスタートを切った。第7節、レアル・マドリードに勝利。サンティアゴ・ベルナベウでのリーグ戦ダービー勝利は、1999年以来であり、ダービー連勝は、63年ぶりだった。バルセロナとの優勝争いは最終節までもつれ込み、引き分け以上で優勝が決まる最終節、バルセロナの本拠地カンプ・ノウで48分、コーナーキックからディエゴ・ゴディンがヘディングで同点弾を決め、1-1の引き分けに終わり、18年ぶりのリーグ優勝を達成した。アトレティコの選手、監督両方でリーグ優勝を経験したのは、ルイス・アラゴネスに次いで2人目だった。

チャンピオンズリーグでは、グループステージで首位に立ち、ラウンドオブ16でミランを破り、準々決勝進出を果たした。アトレティコがチャンピオンズリーグの準々決勝に進出したのは、シメオネが在籍していた1996-97年以来のことだった。準決勝でチェルシーを破り、クラブ史上2度目、1974年以来のチャンピオンズリーグ決勝進出を果たした。決勝前のチャンピオンズリーグで9勝利と3分けで唯一の無敗チームで、12試合で6失点しかしなかった。史上初のダービーマッチとなったレアル・マドリードとの決勝戦がポルトガルのリスボンで行われ、延長戦の末1-4で敗れ準優勝に終わった。

2014-15シーズン[編集]

スーペルコパ・デ・エスパーニャでは、レアル・マドリードを破り優勝した。

リーグ戦では、第22節レアル・マドリード戦で4-0と大勝するも、リーグ戦を3位で終えた。

チャンピオンズリーグでは、準々決勝でレアル・マドリードに敗れ、敗退した。

2015-16シーズン[編集]

リーグ戦では、バルセロナ、レアル・マドリードと最終節まで優勝争いをしていたが、勝ち点88で3位に終わった。38試合で18失点しかせず、5代リーグで最高の守備成績を残した。

チャンピオンズリーグでは、準決勝でバイエルン・ミュンヘンを破り、2年ぶりに決勝に進出。決勝で再びレアル・マドリードと対戦し、PK戦の末敗れた。

2016-17シーズン[編集]

リーグ戦では、再び3位に終わった。

チャンピオンズリーグでは準決勝で再びレアル・マドリードに敗れ、敗退した。

2017-18シーズン[編集]

2017年9月5日、アトレティコとの契約を2020年6月まで2年延長した[17]

リーグ戦では、バルセロナに次ぐ2位に終わった。

チャンピオンズリーグでは、グループステージで3位となり敗退。ヨーロッパリーグに出場し、決勝でマルセイユを破りチームを優勝に導いたが、準決勝アーセナル戦ファーストレグで退場処分となり、セカンドレグと決勝ではベンチ入り出来なかった[18]

2018-19シーズン[編集]

リーグ戦では、再びバルセロナに次ぐ2位に終わった。

チャンピオンズリーグでは、ラウンド16でユヴェントスにセカンドレグで逆転され敗退した。

2019年2月14日、アトレティコと契約を2020年まで延長した。

2019-20シーズン[編集]

試合形式の変わったスーペルコパ・デ・エスパーニャでは、バルセロナを破り決勝に進出するも、レアル・マドリードに敗れ準優勝となった。

リーグ戦では、一時はチャンピオンズリーグ出場圏内獲得が危ぶまれたが、最終的にはレアル・マドリード、バルセロナに次ぐ3位に終わった。第32節のアラベス戦で2-1で勝利し、リーガでの勝利が195試合目となり、ルイス・アラゴネスを抜いてクラブ史上最多のとなった。第35節のセルタ戦で、リーガでの指揮数が、323試合目となり、ジョン・トシャックを抜いてリーガで3番目となった。

チャンピオンズリーグでは、ラウンド16で前回王者のリヴァプールを破り、準々決勝に進出した。

人物[編集]

個人成績[編集]

クラブでの出場記録[編集]

出典[22]

クラブ シーズン リーグ カップ スーパーカップ 国際カップ 通算
ディビジョン 出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
ベレス・サルスフィエルド 1987–88 プリメーラ・ディビシオン 28 4
1988–89 16 2
1989–90 32 8
通算 76 14
ピサ 1990–91 セリエA 31 4 1 0 32 4
1991–92 セリエB 24 2 1 0 25 2
通算 55 6 2 0 0 0 0 0 57 6
セビージャ 1992–93 ラ・リーガ 33 4 0 0 33 4
1993–94 31 8 0 0 31 8
通算 64 12 0 0 64 12
アトレティコ・マドリード 1994–95 ラ・リーガ 29 6 8 2 37 8
1995–96 37 12 8 0 45 12
1996–97 32 3 3 0 2 0 7 4 44 7
通算 98 21 19 2 2 0 7 4 126 27
インテル・ミラノ 1997–98 セリエA 30 6 2 0 9 1 41 7
1998–99 27 5 7 0 9 2 43 7
通算 57 11 9 0 0 0 18 3 84 14
ラツィオ 1999–00 セリエA 28 5 7 2 12 0 47 7
2000–01 30 2 2 0 1 0 8 1 41 3
2001–02 8 1 0 0 5 0 13 1
2002–03 24 7 3 0 7 0 34 7
通算 90 15 12 2 1 0 32 1 135 18
アトレティコ・マドリード 2003–04 ラ・リーガ 28 2 4 0 32 2
2004–05 8 0 1 0 6 1 15 1
通算 36 2 5 0 0 0 6 1 47 3
ラシン 2004–05 プリメーラ・ディビシオン 17 2
2005–06 20 1
通算 37 3
キャリア通算 513 84

代表での年別出場試合数[編集]

出典[23]


アルゼンチン代表国際Aマッチ
出場得点
1988 2 1
1989 3 0
1990 1 0
1991 9 2
1992 3 1
1993 13 1
1994 10 0
1995 8 2
1996 6 2
1997 9 1
1998 12 0
1999 11 1
2000 11 0
2001 6 0
2002 2 0
通算 106 11

タイトル[編集]

選手[編集]

アトレティコ・マドリード
インテル
ラツィオ
アルゼンチン代表
個人
  • Trofeo EFE : 1995-96

指導者[編集]

エストゥディアンテス・デ・ラ・プラタ
リーベル・プレート
アトレティコ・マドリード
個人
  • ヨーロッパシーズン最優秀監督 : 2011-12
  • ラ・リーガ月間最優秀監督 : 2013年10月 , 2015年11月 , 2017年3月
  • ラ・リーガ年間最優秀監督 : 2012–13 , 2013–14 , 2015–16
  • ミゲル・ムニョス賞 : 2013-14 , 2015-16
  • Facebook/Marca Football Award : 2016[24]
  • IFFHS 世界最優秀監督 : 2016
  • グローブ・サッカー・アワード 年間最優秀監督賞 : 2017[25]

著書[編集]

  • 『シメオネ超効果 リーダーの言葉で今あるチームは強くなる』(ソル・メディア、2014年、ISBN 978-4905349228

脚注[編集]

  1. ^ Diario Deportivo Olé – El más odiado, el más bancado Ole、2002年6月5日
  2. ^ RSSSF Argentine international players RSSSF
  3. ^ Carlin, John (2002年5月19日). “England v Argentina – A history”. Observer Sport Monthly, 19 May 2002 (London). http://football.guardian.co.uk/worldcup2002/countries/story/0,,716632,00.html 2006年11月15日閲覧。 
  4. ^ Simeone, el gran estratega del fútbol argentino Clarin、2006年10月31日
  5. ^ El técnico se hace, sí, pero sobre todo nace Archived 2008年1月8日, at Archive.is Ole
  6. ^ River Plate crowned champion of Argentine Clausura International Herald Tribune 、2008年6月9日
  7. ^ Diego Simeone renunció a la dirección técnica de River ESPN Deportes、2008年11月7日 (スペイン語)
  8. ^ Las causas de una salida inevitable[リンク切れ] Fox Deportes
  9. ^ Ex-River boss Simeone to manage San Lorenzo ESPN soccernet、2009年4月16日
  10. ^ Simeone quits San Lorenzo post after dismal run ESPN soccernet、2010年4月4日
  11. ^ “ESCLUSIVA TMW - Criscitiello: "Colpo Lo Monaco: Simeone a Catania"” (Italian). Tutto Mercato Web. (2011年1月19日). http://www.tuttomercatoweb.com/?action=read&id=248797 2011年1月19日閲覧。 
  12. ^ “Diego Pablo Simeone è il nuovo allenatore del Catania” (Italian). Calcio Catania. (2011年1月19日). オリジナルの2011年7月27日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20110727105119/http://www.calciocatania.it/comunicati/comunicati.php?id=21846 2011年1月19日閲覧。 
  13. ^ “Catania, rescinde Simeone” (Italian). Tutto Mercato Web. (2011年6月1日). http://www.tuttomercatoweb.com/?action=read&id=271540 2011年6月1日閲覧。 
  14. ^ “Diego Simeone fue presentado como nuevo técnico de Racing Club” (Spanish). ラシン・クラブ公式サイト. (2011年6月21日). オリジナルの2011年6月25日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20110625133750/http://www.racingclub.com.ar/detalle/noticias/2789 2011年6月21日閲覧。 
  15. ^ “シメオネ氏がアトレティコの新監督に”. UEFA.com. (2012年1月14日). http://jp.uefa.com/uefaeuropaleague/news/newsid=1738041.html 2011年12月24日閲覧。 
  16. ^ アトレティコ、シメオネ監督と契約更新 uefa.com 2013年3月5日
  17. ^ “Diego Simeone: Atletico Madrid manager signs two-year contract extension” (英語). BBC Sport. (2017年9月5日). https://www.bbc.com/sport/football/41161373 2020年8月6日閲覧。 
  18. ^ “Simeone banned from Europa final touchline”. ESPN.com. http://www.espn.com/soccer/atletico-madrid/story/3483214/diego-simeone-handed-europa-league-final-touchline-ban 2020年3月14日閲覧。 
  19. ^ 金子義仁『ワールドサッカーすごいヤツ全集』フットワーク出版、1999年、p.71-77。ISBN 4-87689-330-6
  20. ^ シメオネ息子がU-20アルゼンチン代表入り Goal.com 2012年8月14日
  21. ^ シメオネの「天才ぶり」について語るアンチェロッティ氏 Goal.com 2015年11月25日
  22. ^ :: National Football Teams ::.. Player – Diego Simeone
  23. ^ Diego Pablo Simeone - Century of International AppearancesRSSSF
  24. ^ Rohde, Adapted by: Tom (2016年5月12日). “Real Madrid the big winners in MARCA Football Awards” (英語). MARCA English. 2020年4月11日閲覧。
  25. ^ Consulting, Bendoni. “Diego Pablo Simeone (Master Coach Special Award)” (英語). Globe Soccer Awards. 2020年4月11日閲覧。

外部リンク[編集]