ヘルマン・ブルゴス

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ヘルマン・ブルゴス Football pictogram.svg
Germán Burgos - 01.jpg
名前
本名 ヘルマン・アドリアン・ラモン・ブルゴス
Germán Adrián Ramón Burgos
愛称 モノ (猿)
ラテン文字 Germán BURGOS
基本情報
国籍 アルゼンチンの旗 アルゼンチン
生年月日 (1969-04-16) 1969年4月16日(48歳)
出身地 マル・デル・プラタ
身長 188cm
体重 90kg
選手情報
ポジション GK
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1989-1994 アルゼンチンの旗 フェロカリル・オエステ 104 (0)
1994-1999 アルゼンチンの旗 リーベル・プレート 94 (0)
1999-2001 スペインの旗 マヨルカ 12 (0)
2001-2004 スペインの旗 アトレティコ・マドリード 63 (0)
通算 273 (0)
代表歴
1995-2002 アルゼンチンの旗 アルゼンチン 35 (0)
監督歴
2010 スペインの旗 カラバンチェル
2011 イタリアの旗 カターニア (アシスタント)
2011 アルゼンチンの旗 ラシン・クラブ (アシスタント)
2011- スペインの旗 アトレティコ・M (アシスタント)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ヘルマン・ブルゴス(German Adriman Ramón Burgos, 1969年4月16日 - )は、アルゼンチンマル・デル・プラタ出身の元同国代表サッカー選手、現サッカー指導者。現役時代のポジションはゴールキーパーモノ(猿)という愛称で呼ばれる。

経歴[編集]

ルイス・アラゴネス監督とは信頼関係で結ばれており、RCDマヨルカアトレティコ・マドリードとアラゴネス子飼の選手であった。

1995年5月31日のペルー戦でアルゼンチン代表デビューした。以後は常にカルロス・ロアと守護神争いを繰り広げる。安定感の無さから、1998年のフランスワールドカップでは最終的に、大会の正ゴールキーパーの座をロアに奪われ。2002年の日韓ワールドカップでは正ゴールキーパーから落選してしまう。2002-03シーズン途中には腎臓に癌が見つかり、摘出手術をする。しかし、それ以降プレーは低迷し、2003-04シーズン終了後、「サッカーに対する情熱を失った。バンド活動に専念する」とブルゴスらしいコメントを残して引退表明をした。2005年よりバンド活動のほか、アトレティコのカンテラの指導も兼ねている。 アトレティコにディエゴ・シメオネ監督が就任した2011年からはアシスタントコーチとして監督の補佐をしており、主にセットプレーの指導において功績を挙げている。

エピソード[編集]

  • 長髪に赤いキャップを被り、長いジャージにソックスを重ねて履く。観客が彼のニックネームを馬鹿にするつもりで投げたバナナを食べたこともある。試合中に脱臼しても、鼻血を出しても、気合でプレーする。
  • ハビエル・サビオラの愛称コネホ(うさぎ)はブルゴスが名付けた。
  • サッカー選手ながら、母国アルゼンチンでは、炎のロックンローラーとして知られ、ロックバンドでリーダーとボーカルを務める。
  • 愛煙家だったが、癌の摘出手術以降は禁煙を広める活動をしている。
  • 争いごとを嫌う平和主義者でもある。

所属クラブ[編集]