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マティアス・アルメイダ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
マティアス・アルメイダ
2016年のアルメイダ
名前
本名 マティアス・ヘスス・アルメイダ
Matías Jesús Almeyda
愛称 El Pelado
ラテン文字 Matías ALMEYDA
基本情報
国籍 アルゼンチンの旗 アルゼンチン
イタリアの旗 イタリア
生年月日 (1973-12-21) 1973年12月21日(50歳)
出身地 アスルスペイン語版
身長 173cm
体重 70kg
選手情報
ポジション MF (DH)
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1991-1996 アルゼンチンの旗 リーベル・プレート 67 (3)
1996-1997 スペインの旗 セビージャ 28 (0)
1997-2000 イタリアの旗 ラツィオ 63 (2)
2000-2002 イタリアの旗 パルマ 34 (0)
2002-2004 イタリアの旗 インテル・ミラノ 47 (1)
2004-2005 イタリアの旗 ブレシア 5 (0)
2005 アルゼンチンの旗 キルメス 0 (0)
2007 ノルウェーの旗 リン 2 (0)
2009 アルゼンチンの旗 フェニックス 4 (0)
2009-2011 アルゼンチンの旗 リーベル・プレート 64 (0)
通算 314 (6)
代表歴
1996-2003 アルゼンチンの旗 アルゼンチン 35 (1)
監督歴
2011-2012 アルゼンチンの旗 リーベル・プレート
2013-2015 アルゼンチンの旗 バンフィエルド
2015-2018 メキシコの旗 グアダラハラ
2018-2022 アメリカ合衆国の旗 サンノゼ・アースクエイクス
2022- ギリシャの旗 AEKアテネ
獲得メダル
男子 サッカー
オリンピック
1996 アトランタ サッカー
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

マティアス・ヘスス・アルメイダ(Matías Jesús Almeyda、1973年12月21日 - )は、アルゼンチンブエノスアイレス州出身の元同国代表の元サッカー選手。現サッカー指導者。ポジションは、MFで主にボランチとしてプレーした。現在はギリシャ・スーパーリーグAEKアテネFCの監督を務めている。

CAリーベル・プレートでサッカーを始め、4つの異なる国でプレーし、キャリアの多くをイタリアのクラブで過ごした。また、アルゼンチン代表としてアトランタオリンピックに出場して銀メダルを獲得したほか、FIFAワールドカップにも2度招集されている。

豊富な運動量から、「7つの肺を持つ男」「二つの心臓と四つの肺をもつ男」の異名を取った。また、長髪にもかかわらず"El Pelado" (ハゲ) の愛称で呼ばれた[1]

経歴

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ブエノスアイレス州アスルスペイン語版で生まれたアルメイダは、地元及び全国的に強豪のCAリーベル・プレートでプロキャリアを始めた。当初はレオナルド・アストラーダの控えを務め、その後はレギュラーとして1996年のリーグ優勝に貢献した。1996-97シーズンスペインリーガ・エスパニョーラセビージャFCに当時のアルゼンチン人選手として最高の移籍金900万ドルで加入した。セビージャではレギュラーとしてプレーしていたが、クラブは1シーズンで降格した。

その後、SSラツィオパルマACインテルナツィオナーレ・ミラノと7年の間にイタリアセリエAのクラブを渡り歩いた。ラツィオでの3シーズンでは、パルマのGKジャンルイジ・ブッフォンを相手に35ヤードものゴールを決める等ファンから人気を集め、1999-2000シーズンのリーグとコッパ・イタリアの2冠に貢献した。また、UEFAカップウィナーズカップ最後の年では、RCDマヨルカとの決勝戦に先発出場しタイトルを獲得した[2]

2002年夏、ヴラティスラフ・グレシュコとの交換でインテルナツィオナーレ・ミラノに移籍し、パルマ時代のように再び同胞とコンビを組んだ。それから2年後、アルメイダはイタリアで最後のクラブとなったブレシア・カルチョに自由移籍で加入[3]したが、翌年に下から2番目の順位でセリエBに降格したため、母国に戻りコパ・リベルタドーレスを戦うキルメスACに移籍。チームが大会から敗退した後に現役引退を発表した。

サッカーから離れていた1年半の間にアルメイダは、アルゼンチンを代表としてディエゴ・マラドーナと共に世界中の"Showball"ツアーに参加し、スペインで開催された屋内サッカーのワールドカップにも出場した。その後、同胞のホセ・オスカル・フローレスと共にノルウェーエリテセリエンの強豪FKリンに入団した[4]。2007年5月13日にデビューしたが、主にリーグ戦は控えで、ノルウェー・カップではレギュラーという状態が続き、同年に放出された直後に再び引退をした。

2009年1月16日、36歳となったアルメイダは故郷に戻り、4部プリメーラCスペイン語版CAフェニックススペイン語版と契約を結んだ[5]。短期の在籍の間で2度退場した[6]

2009年8月19日、キャリアを開始したリーベルに再び入団し、当時の同僚マルセロ・ガジャルドアリエル・オルテガと再会した[1]。2011年6月、クラブ史上初の2部に降格し、翌月37歳のアルメイダは監督に任命されたため引退した[7]

代表

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1996年4月、ボリビア戦でデビューし、アルゼンチン代表として35試合に出場した。また、デビューからほどなくしてアトランタオリンピックのメンバーに選ばれ銀メダル獲得に貢献した。

1998 FIFAワールドカップでは全5試合にスタメン出場、 2002 FIFAワールドカップは1試合のみ出場。

タイトル

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選手時代

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CAリーベル・プレート
SSラツィオ
パルマ・カルチョ1913
  • コッパ・イタリア:1回(2001-02)

指導者時代

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CAリーベル・プレート
CAバンフィエルド
  • プリメーラB・ナシオナル:1回(2013-14)
CDグアダラハラ
個人

脚注

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  1. ^ a b "Tenía muchas ganas"
  2. ^ "2002 World Cup profile"
  3. ^ "Brescia boosted by Almeyda"
  4. ^ "Almeyda y el 'Turu' Flores regresan al fútbol en la Liga noruega"
  5. ^ "Almeyda: de refuerzo de River a la Primera C"
  6. ^ "Fine form and favoured targets"
  7. ^ "http://www.marca.com/2011/06/28/futbol/futbol_internacional/america/1309240379.html"

外部リンク

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