セルヒオ・ベルティ

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この名前は、スペイン語圏の人名慣習に従っています。第一姓(父方の)はベルティ第二姓(母方の)はピサーニです。
セルヒオ・ベルティ Football pictogram.svg
名前
本名 セルヒオ・アンヘル・ベルティ・ピサーニ
Sergio Ángel Berti Pizzani
愛称 La Bruja(魔法使い)
ラテン文字 Sergio Berti
基本情報
国籍 アルゼンチンの旗 アルゼンチン
生年月日 (1969-09-17) 1969年9月17日(48歳)
出身地 ビラ・コンスティトゥシオン英語版
身長 183cm
選手情報
ポジション MF
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1988–1990 アルゼンチンの旗 ボカ・ジュニアーズ 6 (1)
1990–1992 アルゼンチンの旗 リーベル・プレート 51 (14)
1992–1993 イタリアの旗 パルマ 4 (0)
1993–1995 アルゼンチンの旗 リーベル・プレート 55 (18)
1995–1996 スペインの旗 レアル・サラゴサ 21 (0)
1996–1999 アルゼンチンの旗 リーベル・プレート 63 (9)
1999–2000 メキシコの旗 クラブ・アメリカ 21 (3)
2000 アラブ首長国連邦の旗 アル・アイン  ? (?)
2001 アルゼンチンの旗 ウラカン 10 (4)
2002 エクアドルの旗 バルセロナ 5 (0)
2002 スコットランドの旗 リヴィングストン 0 (0)
通算 241 (49)
代表歴
1994–1998 アルゼンチンの旗 アルゼンチン 23 (2)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

セルヒオ・ベルティ西: Sergio Berti1969年9月17日 - )は、アルゼンチン、サンタフェ州出身の元サッカー選手アルゼンチン代表選手である。あだ名はLa Bruja(スペイン語で魔法使いの意味)選手としてCAリーベル・プレートパルマFCレアル・サラゴサCAウラカンクラブ・アメリカなどでプレーした。

選手時代はフォワードミッドフィールダー、左利きで、主に左サイドハーフのポジションを務め、柔軟なボールタッチでサイドからドリブルやクロスでのチャンスメイクをしていた[1]CAリーベル・プレートでは10番を付けてプレーすることも度々あった。

クラブ略歴[編集]

1988年ボカでトップチームデビュー、その後ボカのライバルであるCAリーベル・プレートへ移籍。以降移籍と復帰を繰り返し、リーベル・プレートでキャリアの大半を過ごした。

1992年イタリアACパルマに移籍したが、外国人枠の問題もあり、セリエAでは数試合しかプレーしなかった[2]。準決勝や決勝ではプレーしていないが、カップウィナーズカップでは優勝を経験した。1992年12月30日には世界選抜の一員として、ACミランと対戦し、ゴールを決めた[3]。そのシーズン限りでパルマを離れ、CAリーベル・プレートに復帰した。

1995年にはスペインレアル・サラゴサに移籍したが、1996年AFCアヤックスとのスーパカップ第1戦でも79分からグスタボ・ロペスとの交代で途中出場するなど、同じ様なポジションを務めるグスタボ・ロペスとプレータイムを分け合うこととなり、途中交代や途中出場などが多かった[4][5]

1996年リーベル・プレートに復帰し、フランチェスコリサラスなどと共に、南米スーパーカップ優勝、リーグ優勝などに貢献した。日本で開催された1996年トヨタカップ1997年JAL CUPでもプレーした。1997年ボカ・ジュニアーズとのスーペルクラシコのゲームでは、前期、後期リーグのゲームで共にゴールを決めている[6]

2000年かつてボカ・ジュニアーズでプレーし、リーベルに移籍してプレーし長年の間活躍していたこともあり、クラブアメリカ時代、リベルタドーレスカップ準決勝ボカのホームでの試合では、ベルティに対してボカサポーターから彼や、彼の家族を脅すようなチャントが叫ばれ、危険を回避するために、試合直前に出場を取りやめた[7]

2002年末にスコットランドリーグのリヴィングストンに移籍した、彼の名前の応援団が発足するなど、期待されての加入であったが、プレシーズンのゲーム後にチームメートと問題起こして、クラブを退団した[8][9]

代表経歴[編集]

アルゼンチン代表としては、1995年1997年南米選手権1998年フランスワールドカップに出場した。

1991年3月13日メキシコ代表との親善試合で代表デビュー[10]。1991年以降しばらく代表から遠ざかるが、かつてリーベルで監督を務めベルティを指導したダニエル・パサレラ監督就任後はお気に入りの一人として代表に定着[11]フランスワールドカップの南米予選でも6試合でプレーした[10]

1997年南米選手権では、グループリーグAでのチリとの対戦にて先制点を決め、チームに勝利をもたらした。

1998年4月22日、アルゼンチンのフルメンバーが揃った親善試合のアイルランド戦に先発するなど、レギュラーに近いクラスの選手であったが、フランスワールドカップでは怪我上がりのため、グループリーグクロアチア戦、延長戦となった、決勝トーナメントのイングランド戦に共に途中出場したのみであった。そのイングランドとのPK戦では1人目のキッカーとしてPKを成功させ、アルゼンチンのベスト8入りに貢献したが、その試合が代表での最後のプレーとなった[10]

脚注[編集]

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出典[編集]

  1. ^ トヨタカップ大会 1996 パンフレット リバープレート P.27
  2. ^ Sergio Berti Parma
  3. ^ A Christmas Football Carol: the AC Milan v Christmas Stars saga -Gorski Park 2012年12月24日
  4. ^ Berti Zaragoza
  5. ^ Berti biografia
  6. ^ El Grafico Nº4042 25/03/1997 1-8P
  7. ^ Sergio Berti
  8. ^ Sports OUR紙 2003年1月23日
  9. ^ Sergio Berti
  10. ^ a b c Berti-HOFSAH  2018年2月4日が閲覧日
  11. ^ Berti