ギジェルモ・バロスケロット

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
この名前は、スペイン語圏の人名慣習に従っています。第一姓(父方の)はバロス第二姓(母方の)はスケロットです。
ギジェルモ・バロス・スケロット Football pictogram.svg
Guillermo Barros Schelotto.jpg
名前
愛称 ギジェ、エル・メジソ (双子)
ラテン文字 Guillermo BARROS SCHELOTTO
基本情報
国籍 アルゼンチンの旗 アルゼンチン
生年月日 (1973-05-04) 1973年5月4日(44歳)
出身地 ラプラタ
身長 171cm
体重 73kg
選手情報
ポジション FW
利き足 右足
ユース
1985-1991 アルゼンチンの旗 ヒムナシア・ラ・プラタ
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1991-1997 アルゼンチンの旗 ヒムナシア・ラ・プラタ 184 (49)
1997-2007 アルゼンチンの旗 ボカ・ジュニアーズ 300 (86)
2007-2010 アメリカ合衆国の旗 コロンバス・クルー 118 (38)
2011 アルゼンチンの旗 ヒムナシア・ラ・プラタ 20 (3)
通算 526 (145)
代表歴
1995-1999 アルゼンチンの旗 アルゼンチン 10 (0)
監督歴
2012-2015 アルゼンチンの旗 ラヌース
2016- アルゼンチンの旗 ボカ・ジュニアーズ
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ギジェルモ・バロス・スケロット(Guillermo Barros Schelotto, 1973年5月4日 - )は、アルゼンチンブエノスアイレス州ラプラタ出身のサッカー選手、サッカー指導者。ポジションはフォワード。現ボカ・ジュニアーズ監督。双子グスタボ・バロスケロットもサッカー選手である。

経歴[編集]

地元のクラブ・デ・ヒムナシア・イ・エスグリマ・ラ・プラタでキャリアをスタートさせると、1997年にボカ・ジュニアーズへ移籍した。4度のリベルタドーレスカップ優勝、二度のトヨタカップ優勝など、2007年の在籍時までにボカの選手として最多の15タイトルを獲得、ボカでは通算302試合87ゴールを記録した。名実共にボカのシンボルとしてファンに愛された。さらに個人通算17タイトルはアルゼンチン人選手として最多記録であり、アルゼンチンサッカー史にもその名を刻む名選手である[要出典]

2007年4月19日、コロンバス・クルーへ二年契約で移籍した[1]。 2008年にはメジャーリーグベストイレブン、MLSカップMVP、またメジャーリーグのMVPに選出された[2]。2011年に自身のキャリアスタートクラブであるヒムナシア・イ・エスグリマ・ラ・プラタへ復帰。

38歳でありながら、クラウスーラ2011では19試合で1270分を超える試合出場という体力面での衰えを感じさせないプレーを見せた。

しかし、チームは下位に低迷し、過去3シーズンの獲得ポイントがウラカンと並んで同率17位となり、17位・18位決定戦を行う事となった。 ウラカンに勝利して自動降格は免れたが、ナショナルB 3位のサン・マルティンとの入替戦で2戦合計2-1で敗れ降格が決定した。 チームが降格することが決まったが、最後まで精力的に走り続けたギジェルモにファン・カルロス・セッリージョに駆けつけたファンは声援をおくり続けた[要出典]

2012年7月、CAラヌースの監督に就任した。

2016年3月1日、ボカ・ジュニアーズの監督に就任した。

逸話[編集]

  • 在籍時にの1994年、ヴェルディと国立競技場で試合をした際に三浦知良のプレーが印象に残り、「カズと言う選手はすごい、ボールの周りで足を手品のようにクルクルさせる」と語り、仲間にその話をしながらマネて見せていた。
  • トヨタカップに来日した際に、新宿のとあるシティホテルにてコーヒー1杯が2000円と言う値段に激怒し、ウェイターに食ってかかった。

上記の話はBOCA~アルゼンチンの情熱~(監修:亘崇詞・植田朝日)において語られたものである。

代表歴[編集]

タイトル[編集]

選手時代[編集]

クラブ[編集]

ヒムナシア・ラ・プラタ
ボカ・ジュニアーズ

代表[編集]

U-23アルゼンチン代表

監督時代[編集]

CAラヌース

脚注[編集]