ロビー・キーン

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ロビー・キーン Football pictogram.svg
Robbie Keane.jpg
ロサンゼルス・ギャラクシーでのキーン(2013年)
名前
本名 ロバート・デイヴィッド・キーン
Robert David Keane
愛称 アイルランドの羊飼い、キーノ
ラテン文字 Robert KEANE
基本情報
国籍 アイルランドの旗 アイルランド
生年月日 (1980-07-08) 1980年7月8日(36歳)
出身地 ダブリン州ダブリン
身長 176cm
体重 72kg
選手情報
在籍チーム 無所属
ポジション FW (CF)
利き足 右足
ユース
アイルランドの旗 クラムリン・ユナイテッド
1995-1997 イングランドの旗 ウルヴァーハンプトン・ワンダラーズ
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1997-1999 イングランドの旗 ウルヴァーハンプトン・ワンダラーズ 73 (24)
1999-2000 イングランドの旗 コヴェントリー・シティ 31 (12)
2000-2001 イタリアの旗 インテル・ミラノ 14 (3)
2001 イングランドの旗 リーズ・ユナイテッド (loan) 18 (9)
2001-2002 イングランドの旗 リーズ・ユナイテッド 46 (13)
2002-2008 イングランドの旗 トッテナム・ホットスパー 197 (82)
2008-2009 イングランドの旗 リヴァプール 19 (5)
2009-2011 イングランドの旗 トッテナム・ホットスパー 41 (11)
2010 スコットランドの旗 セルティック (loan) 16 (12)
2011 イングランドの旗 ウェストハム・ユナイテッド (loan) 9 (2)
2011-2016 アメリカ合衆国の旗 ロサンゼルス・ギャラクシー 125 (83)
2012 イングランドの旗 アストン・ヴィラ (loan) 6 (3)
代表歴
1998-2016 アイルランドの旗 アイルランド 146 (68)
1. 国内リーグ戦に限る。2016年11月18日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ロビー・キーンこと、ロバート・デイヴィッド・キーン(Robert David "Robbie" Keane, 1980年7月8日 - )はアイルランドダブリン出身のサッカー選手。ポジションはフォワード

アイルランド代表の最多出場記録、最多得点記録を持つ。ちなみに「キーノ」という愛称、姓ともにロイ・キーンと同じだが、血縁関係は全く無い。

クラブ[編集]

1997年ウルヴァーハンプトン・ワンダラーズFCの下部組織でキャリアをスタート。コヴェントリー・シティFCで頭角を現し、2000年8月1日インテル・ミラノに移籍。しかしイタリアのサッカーには馴染めず、(カップ戦で1ゴールを挙げたのみ)半年でイングランドに戻り、2000年12月31日リーズ・ユナイテッドAFCにレンタル移籍。当時全盛期にあったリーズの中では出場機会を掴むと復調を果たした。2001年8月1日に完全移籍。

2002年のワールドカップでの活躍後、8月31日トッテナム・ホットスパーFCに移籍。移籍当初は全く手が合わないフレデリック・カヌーテテディ・シェリンガムとのコンビネーションに苦しみ、放出は時間の問題かと思われたが、放出されたのはカヌーテやシェリンガムであった。その後もミドジャーメイン・デフォーなど決して相性が良いとは言えないストライカーたちと併用されつつも着実に結果を出し、2006-07シーズンからは副将として、キングが出ていない試合ではキャプテン・マークを巻いている。

トットナム移籍後は、ターンオーバー制による出場機会の限界に加えて好不調の波はありつつも、シーズン終了時にはリーグ戦とカップ戦合わせて10点台中盤から後半の得点を上げている。また2006-07シーズンは合計22得点と、デビュー以来最高の成績を残した。2007-08シーズンはディミタール・ベルバトフとともに先発の位置を完全に手中に収めたため、同じタイプのライバルであったデフォーは2008年1月31日ポーツマスFCへの移籍を余儀なくされた。

2007年12月26日フラムFC戦にてプレミアリーグ通算100ゴールを記録[1]

2008年7月28日、少年時代からの憧れであったリバプールFCに移籍金1900万ポンド前後で移籍。背番号は7[2]

しかしリバプール移籍後は目立った活躍ができず、2009年2月1日のにトッテナムへと復帰した。リバプール在籍はわずか半年あまりだった。移籍金は1500万ポンド前後と推測されている。スパーズ復帰直後にハリー・レドナップ監督から主将に指名される。2009-10シーズンは、シーズン序盤こそデフォーとの2トップでスタメン出場しバーンリー戦で4得点するなどしていたが、以後はパフォーマンスも上がらず、レドナップ監督のファーストチョイスが、デフォーとピーター・クラウチの2トップにシフトし、スタメンでの出場機会を失っていった。1月には、放出が予想されていたロマン・パヴリュチェンコとチームが再契約、更にはASモナコからエイドゥル・グジョンセンのレンタル移籍での加入も決まると、スタメン出場を保証することができなくなったレドナップ監督も容認しコンスタントな出場を求め2010年2月1日セルティックFCへのレンタル移籍が決まった。契約期間は半年間。

合流直後の2月2日キルマーノックFCとのアウェー戦でスタメンデビューを果たすと、続く7日のダンファームリン・アスレティックFCとのスコティッシュカップ5回戦でPKを決め、移籍後初得点をマークした。その後もコンスタントにゴールを重ね、リーグ戦で12得点(16試合)をマークしたが、シーズン終了後トッテナムへ復帰した。

しかし復帰後もなかなか出場機会を得られず2011年1月31日に当時最下位に低迷していたウェストハム・ユナイテッドFCにレンタルされる。デビュー戦のブラックプールFC戦で2点目となる得点をし、1-3でチームの勝利に貢献した。しかしチームの降格は食い止められず、自身も9試合の出場で2得点と不完全燃焼に終わった。

2011年8月16日、350万ポンドでロサンゼルス・ギャラクシーに移籍。

2012年1月11日アストン・ヴィラFCにレンタル移籍。

代表[編集]

アイルランド代表でのキーン(2013年)

1998年3月25日の対チェコ戦で、史上最年少記録の17歳でアイルランドA代表デビュー。1999年ワールドユース選手権に出場。2002年日韓W杯では3得点を挙げ、アイルランド代表のベスト16入りに貢献した。特にグループリーグでのドイツ戦ではロスタイムに同点弾を決め、強烈な印象を残した(この時のドイツゴールキーパーは、大会MVPに輝いたオリバー・カーン)。2006年には代表引退したケニー・カニンガムから、アイルランド代表の主将を引き継いだ。現在代表の最多得点記録保持者である。

エピソード[編集]

  • 日韓W杯で訪日した際、泊まったホテルのロビーでふざけてパスをしているうちに、誤ってシャンデリアを壊してしまったことがある。大きな破損ではなかったもののキーンは弁償すると謝ったが、支配人は「シャンデリアにサインをしてくだされば結構です」と許している。現在もキーンのサイン入りシャンデリアは島根県出雲市のそのホテルで見ることができる。
  • キーンは試合中よく一人言を言っている。1999年に当時マンチェスター・ユナイテッドFCに所属していたヤープ・スタムが「試合中あんなに喋る奴は見たことがない。しかも1人でだぜ。俺に対して怒っているわけじゃないって理解するまで30分はかかったよ」と語っている。
  • ただし、普段は物静かな青年として知られている。その理由についてキーンは「田舎で育ったからかもしれない」と話している。
  • いわゆる典型的な「アイルランド訛り」で話す。
  • 2008-09シーズンの最終節のリヴァプールとの古巣対決ではGKとの1対1を流し込んだがリバプールに対する敬意を示し、ゴール後も喜びの表情は一切なかった。この時リヴァプールのサポーターからも拍手が沸き起こった。2011-12シーズンにウルヴス戦でもアストン・ヴィラの選手としてプレーし2ゴールあげたが、キーンはゴールセレブレーションを披露しなかった。
  • トッテナム復帰直後、鉄道会社が「リヴァプールからロンドンまでロビー・キーンより早く帰れる」という広告を出した。
  • 2009年クリスマスのシーズンにレドナップ監督が禁止していたにも関わらず、チームメイト15人とともにとゴルフ旅行と偽ってダブリンでクリスマスパーティーを開催した。これが、レドナップの知るところとなり厳重注意を受けた。

タイトル[編集]

個人[編集]

アメリカ合衆国の旗 ロサンゼルス・ギャラクシー

脚注[編集]

  1. ^ プレミアリーグになってから100ゴール以上を記録しているのは10数名いるが、その顔ぶれはアラン・シアラーロビー・ファウラーアンディ・コールマイケル・オーウェンテディ・シェリンガムティエリ・アンリウェイン・ルーニーなど錚々たるものである。
  2. ^ Liverpool complete Keane transfer

関連項目[編集]

外部リンク[編集]