マリアーノ・アンドゥハル
| ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
![]() ナポリ時代のアンドゥハル (2015年) | ||||||
名前 | ||||||
本名 |
マリアーノ・ゴンサロ・アンドゥハル Mariano Gonzalo Andújar | |||||
ラテン文字 | Mariano ANDÚJAR | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 |
![]() ![]() | |||||
生年月日 | 1983年7月30日(39歳) | |||||
出身地 |
![]() | |||||
身長 | 194cm | |||||
体重 | 87kg | |||||
選手情報 | ||||||
在籍チーム |
![]() | |||||
ポジション | GK | |||||
背番号 | 21 | |||||
利き足 | 右足 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2001-2006 |
![]() | 60 | (0) | |||
2005-2006 |
→![]() | 11 | (0) | |||
2006-2009 |
![]() | 105 | (0) | |||
2009-2014 |
![]() | 135 | (0) | |||
2012 |
→![]() | 18 | (0) | |||
2014-2016 |
![]() | 12 | (0) | |||
2014 |
→![]() | 11 | (0) | |||
2015 |
→![]() | 12 | (0) | |||
2016- |
![]() | 153 | (0) | |||
代表歴 | ||||||
2009-2014 |
![]() | 11 | (0) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。2022年3月21日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
マリアーノ・アンドゥハル(Mariano Gonzalo Andújar, 1983年7月30日 - )は、アルゼンチン・ブエノスアイレス出身のサッカー選手。エストゥディアンテス・デ・ラ・プラタ所属。ポジションはゴールキーパー。元アルゼンチン代表。
クラブ経歴[編集]
アルゼンチン時代[編集]
CAウラカンからデビューした。その2年後にクラブはプリメーラB・ナシオナル(2部)に降格してしまったが、アンドゥハルはクラブに残った。2005年、イタリアのUSチッタ・ディ・パレルモにレンタル移籍し、主にマッテオ・グアルダルベンやニコラ・サントーニの控えとして、リーグ戦11試合、UEFAカップ7試合、コッパ・イタリア3試合に出場したが、結局レギュラー獲得には至らなかった。
2006年、ディエゴ・シメオネ監督が率いるエストゥディアンテス・デ・ラ・プラタに移籍した。アペルトゥーラ2006では16試合で9失点に抑え、リーグ優勝を果たした。エストゥディアンテスでは3シーズンの間レギュラーとして108試合に出場した。2009年のコパ・リベルタドーレスでは優勝の立役者となった。同大会ではグループリーグ第4節から準決勝のナシオナル・モンテビデオ戦ファーストレグまで8試合連続で無失点に抑え、1977年にボカ・ジュニアーズのウーゴ・ガッティが樹立した767分連続無失点の記録を破る800分連続無失点の記録を達成した[1]。
イタリア時代[編集]
2009年6月24日、アルバノ・ビサーリの後釜としてかつて所属したパレルモのライバルカルチョ・カターニアへ4年契約で移籍。4年ぶりにシチリアに復帰することとなった[2]。カターニアでは2009-10シーズンから2011-12シーズン前半まで正守護神として90試合以上出場したが、クラブ最高経営責任者であるピエトロ・ロ・モナコとの衝突により、2012年1月19日に古巣エストゥディアンテスにレンタルで復帰していた。
ロ・モナコ氏がジェノアCFCへ転出したことを機に2012-13シーズンよりカターニアに復帰。再び正GKの座を取り戻し、クラブ史上最高勝点56を獲得して最高順位タイとなる8位でシーズンを終えた。ただ、2013年4月21日に行われた古巣パレルモとのシチリア・ダービーでは後半ロスタイムにヨシップ・イリチッチに同点ゴールを決められた際に、相手選手に暴力行為を行い、後に3試合の出場停止処分を受けるなど、メンタル面の弱さが目立った。
2014年1月28日、SSCナポリへ移籍[3]。なお2013-14シーズン終了まではレンタル移籍という形でカターニアに残留することとなった。2014-15シーズンにはチームの目論見どおりラファエウとポジションを争ったが、11試合の出場に留まった。シーズン終了後にはクラブがペペ・レイナやガブリエウを獲得したため、移籍先を探すこととなり、2015年9月8日に2度目となるエストゥディアンテス復帰が決定した[4]。
代表歴[編集]
アルゼンチン代表では2009年3月13日に初招集を受けたものの、しばらく出場機会を得られないでいた。
6月6日の2010 FIFAワールドカップ南米予選コロンビア戦で代表デビューを果たす。しかし、9月5日のブラジル戦で3失点を喫し、さらにはセルヒオ・ロメロの台頭も重なって再び控えに降格した。2010年5月19日、本大会に出場するメンバー23人に選ばれた[5]。
タイトル[編集]
- エストゥディアンテス・デ・ラ・プラタ
- プリメーラ・ディビシオン : 2006-07A
- コパ・リベルタドーレス : 2009
- SSCナポリ
- スーペルコッパ・イタリアーナ : 2014
脚注[編集]
- ^ 「リベルタドーレス2009に輝いた4つの新星」 footballista、ソルメディア、2009年7月29日・8月5日合併号、8頁
- ^ カターニア、アルゼンチン代表GKアンドゥーハルを獲得 - msnスポーツ 2009年6月25日
- ^ ナポリ、アンドゥハル獲得を正式発表 - Goal.com 2014年1月29日
- ^ ナポリ、アンドゥハルが退団 エストゥディアンテス移籍が決定 - Goal.com 2015年9月9日
- ^ アルゼンチン代表、W杯に臨む23人を発表 - Goal.com 2010年5月20日
外部リンク[編集]
- マリアーノ・アンドゥハル – FIFA主催大会成績