セルヒオ・バティスタ

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セルヒオ・バティスタ Football pictogram.svg
Argentine - Portugal - Sergio Batista.jpg
名前
本名 セルヒオ・ダニエル・バティスタ
Sergio Daniel Batista
愛称 El Checho
ラテン文字 Sergio BATISTA
基本情報
国籍 アルゼンチンの旗 アルゼンチン
生年月日 (1962-11-09) 1962年11月9日(54歳)
出身地 ブエノスアイレス
選手情報
ポジション MF (DH)
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1981-1988 アルゼンチンの旗 アルヘンティノス 253 (25)
1988-1990 アルゼンチンの旗 リーベル・プレート 52 (2)
1991 アルゼンチンの旗 アルヘンティノス 19 (0)
1992-1993 アルゼンチンの旗 ヌエバ・チカゴ 5 (0)
1993-1994 日本の旗 PJMフューチャーズ 95 (5)
1996-1999 アルゼンチンの旗 オール・ボーイズ 60 (1)
通算 484 (33)
代表歴
1985-1990 アルゼンチンの旗 アルゼンチン 39 (0)
監督歴
2000 アルゼンチンの旗 ベジャ・ビスタ
2001-2003 アルゼンチンの旗 アルヘンティノス
2003 アルゼンチンの旗 タジェレス
2004 アルゼンチンの旗 アルヘンティノス
2004-2005 アルゼンチンの旗 ヌエバ・チカゴ
2007 アルゼンチンの旗 ゴドイ・クルス
2007-2010 アルゼンチンの旗 アルゼンチン U-20 / 五輪
2010-2011 アルゼンチンの旗 アルゼンチン
2012-2013 中華人民共和国の旗 上海申花
2014 中華人民共和国の旗 上海申花
2015-2016 バーレーンの旗 バーレーン
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

セルヒオ・バティスタ(Sergio Daniel Batista, 1962年11月9日 - )は、アルゼンチンブエノスアイレス出身の元同国代表サッカー選手サッカー指導者。ポジションは守備的ミッドフィールダー

経歴[編集]

アルヘンチノス・ジュニアーズの一員として1985年に国内リーグとコパ・リベルタドーレスを制覇すると、僚友のクラウディオ・ボルギと共にアルゼンチン代表に抜擢され、翌年のワールドカップ・メキシコ大会制覇に貢献した。

1993年から日本JFL所属のPJMフューチャーズでプレー。1994年シーズン途中から監督兼任となり、同年限りで一旦引退。1995年にJFL所属の福岡ブルックスヘッドコーチ、1996年鳥栖フューチャーズヘッドコーチ(シーズン途中から監督代行)を務めた。

2000年以降は指導者に専念し主にアルゼンチン国内のクラブを指揮した後、2007年からアルゼンチンU-20代表監督、またU-23代表監督を兼任[1]2008年8月北京オリンピックでは同国を大会連覇に導いた。

2008年10月ディエゴ・マラドーナ監督率いるアルゼンチン代表のコーチに就任。

2010年ワールドカップ・南アフリカ大会にて、アルゼンチンが準々決勝で敗退した後に、同年8月、マラドーナ監督の後任として、アルゼンチン代表暫定監督に就任し、11月1日に代表監督に就任した[2]

しかし、地元アルゼンチン開催のコパ・アメリカ2011に於いて、準々決勝の対ウルグアイ戦に敗れた責任を取り、大会終了後の2011年7月25日に監督辞任を表明した[3]

2012年5月、上海申花の監督に就任。

2015年5月7日、バーレーン代表の監督に就任した[4]

エピソード[編集]

現役時代は髭と長髪がトレードマークであった。

獲得タイトル[編集]

選手時代[編集]

クラブ[編集]

アルヘンティノス・ジュニアーズ
リーベル・プレート
  • プリメーラ・ディビシオン : 1989-90

代表[編集]

アルゼンチン代表

監督時代[編集]

代表[編集]

アルゼンチン代表

脚注[編集]

  1. ^ アルゼンチン監督にW杯Vのバティスタ氏 日刊スポーツ 2008年1月16日付
  2. ^ アルゼンチン代表、バティスタ氏が監督に 産経新聞 2010年11月2日閲覧
  3. ^ アルゼンチン代表バティスタ監督が辞任 日刊スポーツ 2011年7月26日閲覧
  4. ^ 元アルゼンチン代表監督がバーレーンと契約 Qoly 2015年5月8日閲覧

外部リンク[編集]