ロドリゴ・パラシオ

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この名前は、スペイン語圏の人名慣習に従っています。第一姓(父方の)はパラシオ第二姓(母方の)はアルカルデです。
ロドリゴ・パラシオ Football pictogram.svg
Palacio in the final of the World Cup 2014 -2014-07-13 (40).jpg
アルゼンチン代表でのパラシオ (2014年)
名前
本名 ロドリゴ・セバスティアン・パラシオ・アルカルデ
Rodrigo Sebastián Palacio Alcalde
愛称 ラ・ホジャ (宝石)
エル・ラジョ (雷)
ラ・ペルラ (真珠)
ラテン文字 Rodrigo PALACIO
基本情報
国籍 アルゼンチンの旗 アルゼンチン
スペインの旗 スペイン
生年月日 (1982-02-05) 1982年2月5日(35歳)
出身地 バイアブランカ
身長 175cm
体重 70kg
選手情報
在籍チーム イタリアの旗 ボローニャFC
ポジション FW (CF)
背番号 24
利き足 右足
ユース
1990-2002 アルゼンチンの旗 ベジャ・ビスタ
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2002-2003 アルゼンチンの旗 ウラカン 53 (15)
2003-2004 アルゼンチンの旗 バンフィエルド 36 (9)
2005-2009 アルゼンチンの旗 ボカ・ジュニアーズ 131 (54)
2009-2012 イタリアの旗 ジェノア 90 (35)
2012-2017 イタリアの旗 インテル・ミラノ 140 (39)
2017- イタリアの旗 ボローニャ
代表歴
2005-2014 アルゼンチンの旗 アルゼンチン 27 (3)
1. 国内リーグ戦に限る。2017年5月28日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ロドリゴ・セバスティアン・パラシオ・アルカルデRodrigo Sebastián Palacio Alcalde, 1982年2月5日 - )は、アルゼンチンブエノスアイレス州バイアブランカ出身のサッカー選手。ポジションはフォワード

クラブ経歴[編集]

キャリア初期[編集]

地元のクラブでサッカーを始め、2002年に当時4部リーグに所属していた ウラカン・デ・トレス・アロヨススペイン語版でプロデビュー。翌2003年にCAバンフィエルドへと移籍し、プリメーラ・ディビシオン初出場。2004年初めにはスペインのレアル・ベティスの練習に参加し、移籍に近づいたが、残留を選択した。

ボカ・ジュニアーズ[編集]

2005年にボカ・ジュニアーズに移籍。以降はスタメンとして絶対的なポジションを築き、多くのタイトル獲得に貢献。2006年前期リーグでは得点王に輝く。2007年12月にはクラブワールドカップ出場のため来日[1]。決勝のACミラン戦では一時は同点となるゴールを決めたが、チームは2-4で敗れ準優勝に終わった。2008年後半は恥骨炎に苦しんだが、アルセナルとの対戦となったレコパ・スダメリカーナ決勝では両レグでゴールを挙げ、チームの優勝に貢献した。

ボカ在籍時はたびたびヨーロッパへの移籍が噂され、2006年と2008年にはFCバルセロナ[2][3]、2009年にはユヴェントスベンフィカが獲得に乗り出している[4]

ジェノア[編集]

2009年7月、イタリアジェノアへ移籍金700万ドルで移籍[5]。2009年11月5日のヨーロッパリーグリール戦で移籍後初ゴールを決める。移籍したディエゴ・ミリートの後継者として1年目から定位置を確保すると、在籍3シーズンでリーグ戦90試合に出場し、35ゴールを挙げた。特に3年目はチームが残留争いに巻き込まれる中で19ゴールを決めている。

インテル[編集]

2012年6月7日、インテル・ミラノへ3年契約で移籍[6]。移籍金は推定1100万ユーロ。2012-13シーズンには主砲ディエゴ・ミリートを負傷で欠き、低迷するチームの中で12得点を挙げ信頼を掴んだ。翌2013-14シーズンには開幕戦の古巣ジェノア戦を皮切りに得点を積み重ね、2013年12月22日に行われたACミランとのミラノダービーでは決勝点を記録。最終的に17得点を挙げ、得点ランキングで4位に入った。しかしロベルト・マンチーニ政権以降はベンチを暖める機会が多くなり、2016-17シーズンをもってインテルを退団した[7]

代表[編集]

アルゼンチン代表デビューは2005年3月9日のメキシコ代表戦。ホセ・ペケルマン監督により2006 FIFAワールドカップのメンバーに選ばれ、グループリーグの3試合に途中出場した。2008年6月15日の南米予選ベネズエラ戦ではホームでの敗戦が迫ったアディショナルタイムに同点ゴールを決め、代表初得点を記録した。

2014 FIFAワールドカップではスーパーサブとして起用され、決勝のドイツ戦でも途中出場を果たしたものの延長戦の末に敗れた。大会終了後に代表を引退した。

エピソード[編集]

  • トレードマークである右後頭部の三つ編みはウラカン・デ・トレス・アロヨス時代に長髪だった頃の名残。あるとき、一部分のみ残して試合に臨んだところゴールが決まるようになったためゲンを担いでそのまま伸ばして続けている。
  • ギジェルモ・バロスケロットを崇拝し、シュートセンスは彼から盗んだものだという。
  • 父親も元プロサッカー選手であり、ポジションはストライカーであった。
  • 2012年12月18日に行われたコッパ・イタリア5回戦のエラス・ヴェローナ戦で負傷したルカ・カステラッツィに代わり残り10分間ゴールキーパーを務め、枠内シュートを弾くなど活躍し、完封勝利に貢献した[8]

タイトル[編集]

クラブ[編集]

ボカ・ジュニアーズ

個人[編集]

脚注[編集]

外部リンク[編集]