ヴラディミル・ベアラ

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ヴラディミル・ベアラ Football pictogram.svg
Vladimir Beara 1953.jpg
名前
ラテン文字 Vladimir Beara
基本情報
国籍 クロアチアの旗 クロアチア
生年月日 1928年11月2日(85歳)
出身地 ユーゴスラビア王国の旗 シニ
選手情報
ポジション GK
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1947-1955
1955-1960
1960-1963
1963-1964
ハイデュク・スプリト
レッドスター
アーヘン
ヴィクトリア・ケルン
代表歴
1950-1959 ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の旗 ユーゴスラビア 59 (0)
監督歴
1964-1966
1973-1975
1979
1980-1981
フライブルガーFC
カメルーン代表
ファースト・ヴィエナ
RNKスプリト
1. 国内リーグ戦に限る。
テンプレート(ノート 解説)サッカー選手pj

ヴラディミル・ベアラクロアチア語: Vladimir Beara1928年11月2日 - )は、クロアチア人のサッカー選手、指導者。ユーゴスラビア王国(現在のクロアチア)・シニ近郊の村ゼロヴォの出身。ポジションはゴールキーパー

来歴[編集]

1946年に入団したハイデュク・スプリトにて308試合に出場し、3回のユーゴスラビアリーグ優勝(1950、1952、1954-55)に貢献。1955年にレッドスター・ベオグラードへ引き抜かれ、4回のユーゴスラビアリーグ優勝(1955-56、1956-57、1958-59、1959-60)と2回ののユーゴスラビアカップ優勝(1958、1959)を経験。レッドスター最後の試合はミュンヘンの悲劇直前のマンチェスター・ユナイテッド戦だった。

キャリア晩年は西ドイツアレマニア・アーヘンヴィクトリア・ケルンで過ごし、引退後はケルンでコーチライセンスを取得。オーストリアファースト・ヴィエナFCなどで監督を務めた。

ユーゴスラビア代表としては1950年から59試合に出場。1950年にハイバリーで行われたイングランド代表戦(2対2の引き分け)の素晴らしいプレーから、「ビッグ・ヴラッド」「鋼の手を持つ踊り子」などと呼ばれた。1952年のヘルシンキオリンピックでは銅メダルを獲得。FIFAワールドカップには3回(1950年、1954年、1958年)出場している。

参考文献[編集]