ズデネク・ゼーマン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
ズデネク・ゼーマン Football pictogram.svg
Zdenek Zeman.JPG
名前
ラテン文字 Zdeněk Zeman
基本情報
国籍 チェコの旗 チェコ
イタリアの旗 イタリア
生年月日 (1947-05-12) 1947年5月12日(69歳)
出身地 チェコスロバキアの旗 チェコスロバキア プラハ
監督歴
チーム
1981–1983 イタリアの旗 パレルモユース
1983–1986 イタリアの旗 リカタ
1986–1987 イタリアの旗 フォッジャ
1987 イタリアの旗 パルマ
1988–1989 イタリアの旗 メッシーナ
1989–1994 イタリアの旗 フォッジャ
1994–1997 イタリアの旗 ラツィオ
1997–1999 イタリアの旗 ローマ
1999–2000 トルコの旗 フェネルバフチェ
2000 イタリアの旗 ナポリ
2001–2002 イタリアの旗 サレルニターナ
2003–2004 イタリアの旗 アヴェッリーノ
2004–2005 イタリアの旗 レッチェ
2006 イタリアの旗 ブレシア
2006 イタリアの旗 レッチェ
2008 セルビアの旗 レッドスター
2010–2011 イタリアの旗 フォッジャ
2011–2012 イタリアの旗 ペスカーラ
2012–2013 イタリアの旗 ローマ
2014 イタリアの旗 カリアリ・カルチョ
2015 イタリアの旗 カリアリ・カルチョ
2015-2016 スイスの旗 ACルガーノ
2017- イタリアの旗 ペスカーラ
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ズデネク・ゼーマンZdeněk Zeman, 1947年5月12日 - )は、チェコスロバキア(現チェコ)・プラハ出身のサッカー指導者。日本では「ズデネク・ゼーマン」の表記が一般的だが、原語での発音は「ズデニェク・ゼマン」に近い。現在はセリエAデルフィーノ・ペスカーラ1936の監督を務めている。

経歴[編集]

地元のプラハ大学フィジカルトレーニングを学び、1968年に起こった「プラハの春」を契機にイタリアへ渡り、ユヴェントスなどで活躍した叔父のチェストミール・ヴィツパーレクの元で過ごしたことで、彼のサッカー哲学に影響を与えたとされている。

選手としての特筆される経歴はなく、サッカー以外のバレーボール野球などアマチュアレベルの選手として活動していた。

主な監督経歴としてはパルマFCUSフォッジャFCメッシーナなどで監督としてキャリアを積み、1989年に再就任したフォッジャにおいて当時としては珍しいシステムの攻撃的な[1]サッカーを披露した。その成績が認められ1994年SSラツィオの監督に就任し、1997年には同じ町のASローマに移籍。その後はトルコフェネルバフチェSKSSCナポリサレルニターナ・カルチョ1919USアヴェッリーノUSレッチェブレシア・カルチョと渡り歩き、2006年から再びレッチェの監督に就任したが成績不振のため同年12月に解任[1]、前回就任時のようには行かなかった。2008年6月、ゼーマンはセルビアの名門レッドスター・ベオグラードの監督に就任したが、リーグ戦での低迷などを理由に同年9月解任。

2010年7月、15年ぶりに古巣USフォッジャレガ・プロ・プリマ・ディヴィジオーネ)の監督に就任した[1]が、セリエB昇格を果たせず2011年5月に辞任。

2011年6月、ペスカーラ・カルチョの監督に就任し、2011-12シーズンにセリエB優勝に導いた。2012年6月ルイス・エンリケの後釜として古巣ASローマの監督に就任。2013年2月に解任された。

戦術[編集]

4-3-3システム

彼のサッカーの特徴は一貫した4-3-3システムにある[1]。ゼーマン曰く4-3-3システムが一番バランスが取れたフォーメーションで、ピッチ全体をチームで動き、カバーする。前線からプレスをかけ、DFラインはセンターサークル付近まで上げてコンパクトにしオフサイドトラップを多用する。このような戦術には4-3-3が1番適しているという。スペクタクルなサッカー、見ていて楽しいサッカー、このように表現されることが多い。守りが主体のイタリアサッカー界の中で彼が標榜する攻撃的なサッカーはある意味革命とまで言われた[要出典]

しかしゼーマンのサッカー理論は難解といわれ、選手の理解度が重要となり、チームとして機能するのはかなり時間がかかる。その為安定した戦いをシーズンを通じて出来ない。また結果より内容を重視するためタイトルには縁の遠い監督とも言える[要出典]

人物[編集]

無名な選手の発掘を得意としており、予言者とも称される。彼が指導したジュゼッペ・シニョーリアレッサンドロ・ネスタEURO1996で活躍したものの世界的知名度はまだなかったパベル・ネドベドなどは好例で、ゼーマンは彼らは間違いなくワールドクラスの選手に化けると予言し的中させた。ASローマ時代に指導したフランチェスコ・トッティを世界レベルへ変貌させたのもゼーマンの手腕である[1]。それ以外にも無名選手を数多くイタリア代表クラスに成長させた。近年ではレッチェ時代に指導したヴァレリ・ボジノフミルコ・ヴチニッチを世界レベルへ成長させている。

ヴァンフォーレ甲府京都サンガで監督を務めた大木武は「自分のサッカーはゼーマンの影響を受けた」と公言している1人である。事実、4-3-3システムと攻撃サッカーの信奉者である。[要出典]セリエAでもゼーマンの門下生デリオ・ロッシパスクアーレ・マリーノら若手監督が攻撃サッカーを実践している。

タイトル[編集]

ASDリカタ1931
USフォッジャ
ペスカーラ・カルチョ

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e 豊福晋「アズーリ凋落で注目のカテナチオへの反逆者」『Sports Graphic Number』2010年9月16日号、文藝春秋、2010年、雑誌26853・9・16、115頁。

外部リンク[編集]