ステファノ・タッコーニ
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名前 | ||||||
ラテン文字 | Stefano Tacconi | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | イタリア | |||||
生年月日 | 1957年5月13日(67歳) | |||||
出身地 | ペルージャ | |||||
身長 | 188cm | |||||
体重 | 86kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | GK | |||||
代表歴 | ||||||
1987-1991[1] | イタリア | 7 | (0) | |||
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
ステファノ・タッコーニ(Stefano Tacconi, 1957年5月13日 - )は、イタリア出身の元同国代表の元サッカー選手。現役時代のポジションはゴールキーパー。
クラブ経歴
[編集]16歳でサッカーを始めた[2]。その後、インテル・ミラノにスカウトされ、プリマベーラでプレーした[2]。1976-77シーズン、当時セリエDのASスポレートFCへと貸し出された[2]。1977-78シーズンは プロ・パトリア・カルチョ、1978-79シーズンはリヴォルノへと貸し出された[2]。リヴォルノで活躍を見せたが、インテルは、1979年にサンベネデッテーゼへ売却した[2]。
1980-81シーズン、アヴェッリーノでセリエAデビューを果たし、3シーズンレギュラーとしてプレーした[2]。
引退するディノ・ゾフに代わるGKを探していた、ユヴェントスFCの目に留まり、1983-84シーズン、ユヴェントスに加入した[2]。ミシェル・プラティニ、シレアらと共に黄金期を支えた。加入後すぐにレギュラーの座を獲得、1983-84シーズンのスクデットや、1983-84シーズンのカップウィナーズカップ、1984-85シーズンのUEFAチャンピオンズカップなどのタイトル獲得に貢献、特に1985年のトヨタカップ、アルヘンチノス・ジュニアーズ戦ではPK戦において相手選手の2本のシュートを止めて優勝に貢献[3]、後に、この試合がキャリアで最高の思い出だと語った[2]。1991-92シーズン、終盤まで正GKを務めたが、アンジェロ・ペルッツィが正GKとしてプレーするようになると、そのシーズンでチームを離れた[2]。ユヴェントスでは通算382試合に出場した[2]。長年チームのキャプテンを務めていた[2]。
1992シーズンからジェノアで年から2シーズン半プレー、ジェノア時代の1994-95シーズンには日本の三浦知良とチームメイトであったが、開幕から正GKを務めていたものの、シーズン途中に、マルキオーニが新監督に就任すると、正GKの座を明け渡すことになり、シーズン途中であったものの、37歳で現役を引退した[2]。12節のサンプドリアとのジェノヴァダービーに先発したのが現役最後の試合となった[4]。この頃、日本のチームからのオファーを受けたが、家庭の事情で移籍を断念した[5]。
ユベントスレジェンドの一員として2016年に来日した。
代表経歴
[編集]1987年から1991年までイタリア代表でプレーし、1988年のユーロ、1990年のイタリアワールドカップに参加したが、ガッリ、ゼンガらが同時期に居た為、控えに回ることが多く、出場7試合と少ない[6]。代表デビューは1987年6月10日のアルゼンチン戦[2]. 当時イタリアのメデイア、ファンの間で、代表の正GKはゼンガがいいか、タッコー二がいいかという大きな論争が続いたことがあった [7]。1990年のワールドカップ・イタリア大会の頃はゼンガよりも調子が良く、「もし自分が途中交代ででも、準決勝のアルゼンチン戦に出場していたら、PK戦を制したのではないか。」と話していた[2]。そのゼンガとは、ライバルであり、互いを尊敬し合う友人でもあった[2]。
1988年のソウル五輪では正GKを務めたが、3位」決定戦で西ドイツに敗れ、メダル獲得はならなかった[2]。
プレースタイルなど
[編集]ユベントスの黄金期には、世界でもトップクラスのGKと考えられた選手であった[8]。優れた運動能力とフィジカルを持ち、1対1にも強かった[2]。
所属クラブ
[編集]- 1974-1975 : ASスポレートFC
- 1975-1976 : インテル・ミラノ
- 1976-1977 : ASスポレートFC
- 1977-1978 : プロ・パトリア・カルチョ
- 1978-1979 : ASリヴォルノ・カルチョ
- 1979-1980 : USサンベネデッテーゼ
- 1980-1983 : USアヴェッリーノ
- 1983-1992 : ユヴェントスFC
- 1992-1994 : ジェノアCFC
脚注
[編集]- ^ “Nazionale in cifre - Stefano Tacconi”. Federazione Italiana Giuoco Calcio. 2014年6月15日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q “Stefano Tacconi 'L'angelo di Ponte Felcino': i successi con la Juventus e vice-Zenga in Nazionale”. GOAL (2023年5月13日). 2023年1月閲覧。
- ^ “1985 Argentinos vs Juventus”. Argentinosjuniors. 5 March 2021閲覧。
- ^ “Stefano Tacconi”. TM. 2024年9月10日閲覧。
- ^ “元イタリア代表GKが日本移籍断念を告白「後悔にさいなまれている」”. sanspo. 5 March 2021閲覧。
- ^ . (18 ottobre 2002). http://archiviostorico.gazzetta.it/2002/ottobre/18/Zenga_Tacconi_quando_rivalita_era_ga_0_0210182815.shtml
- ^ ワールドサッカーダイジェスト 1996年3月号 no.17 p.35 日本スポーツ企画出版社
- ^ “Where Are The Members of The Italia 90 Squad Today? Stefano Tacconi”. 23 December 2014閲覧。
外部リンク
[編集]- ステファノ・タッコーニ - Olympedia
- ステファノ・タッコーニ - Sports-Reference.com (Olympics) のアーカイブ
- ステファノ・タッコーニ - National-Football-Teams.com
- ステファノ・タッコーニ - FootballDatabase.eu
- ステファノ・タッコーニ - WorldFootball.net
- ステファノ・タッコーニ - Transfermarkt.comによる選手データ
- ステファノ・タッコーニ - FIFA主催大会成績
- ステファノ・タッコーニ - UEFA