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筑波大学蹴球部

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
筑波大学蹴球部
原語表記 筑波大学蹴球部
クラブカラー  [1] 
創設年 1896年
所属リーグ 関東大学サッカーリーグ戦
所属ディビジョン 1部
ホームタウン 茨城県つくば市
ホームスタジアム 筑波大学第1サッカー場
公式サイト 公式サイト
ホームカラー
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ
練習拠点の筑波大学第一サッカー場

筑波大学蹴球部(つくばだいがく しゅうきゅうぶ)は、茨城県つくば市にある筑波大学のサッカー部。日本で長い歴史を有するサッカーチームの一つである[2]

歴史

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体操伝習所における教材としてサッカーが取り入れられた1878年が現在の筑波大学とサッカーとの始まりとなる[2]。1886年に高等師範学校に体操伝習所が統合されて、高等師範学校の「体操専修科」となった[3]

1896年3月、高等師範学校の「フートボール部」として創設され、同校教授の坪井玄道が部長に就任した[2][4]。なお、当時はラグビーと未分化であったと伝えられている[5]。1902年に高等師範学校から「東京高等師範学校」(東京高師)に改名した。

1902年4月、フートボール部の理事であった中村覚之助らが日本で最初のサッカー指導書の「アッソシェーション・フットボール」を翻訳。また、同年中に中村によってア式蹴球部が創設された[5]。1903年秋に「東京高等師範学校蹴球部」の名前で日本で最初のフットボールの書物となる「アッソシェーション.フットボール」が出版された[5]

1904年にイングランド人ウォルター・オーガスタス・デ・ハヴィランドが東京高師に教員として赴任。この時にデ・ハヴィランドがアソシエーション・フットボール(ア式フットボール。現在のサッカー)を指導したことでサッカーが行われるようになったと伝わっている(なお、デ・ハヴィランドは1906年に東京高師の教員を退任)[3]

1904年2月、横浜カントリー・アンド・アスレティック・クラブ(YC&AC)と対戦して0-9で敗北。なお、この試合が日本で初めて開催された外国のチームとの対戦とされている[2]

1907年11月、日本のクラブ同士で行われた初めての対抗試合とされる東京府青山師範学校との試合が開催された[2]

1917年5月、東京高師が日本代表チームとして第3回極東選手権競技大会に出場[2]。5月9日に初めての日本代表としての国際試合で中華民国代表と対戦した(0-5で敗北)。また、5月10日には元FCバルセロナパウリノ・アルカンタラを擁するフィリピン代表と対戦し、2-15で敗れたが、この試合で東京高師在学中だった藤井春吉が日本代表初得点を記録した。なお、この試合は現在でも日本代表の最大差敗戦試合となっている[6]

1921年、東京高師の関係者が中心となり「大日本蹴球協会」(現在の日本サッカー協会)が創設された[5]

1922年、日本最初のリーグ戦である「専門学校蹴球リーグ戦」に東京帝国大学早稲田大学東京商科大学と共に参加。なお、同年で「専門学校蹴球リーグ戦」は休止されたが、1924年にア式蹴球東京コレッヂリーグ(現:関東大学サッカーリーグ戦)が創設され、「専門学校蹴球リーグ戦」に参加していた東京帝大、早稲田大に加えて、法政大慶應義塾大東京農大の5校と共に1部に入った(同年は4位の成績)。1925年、ア式蹴球東京コレッヂリーグで初優勝を果たした。

1929年、東京高等師範学校から東京文理科大学へ改組し、同大学の蹴球部となった。

1935年に開催された全日本蹴球選手権大會(第15回天皇杯全日本サッカー選手権大会)に初出場して関大クラブなどを破って決勝に進出。決勝は全京城蹴球団英語版に敗れたが、準優勝の成績を残した。

1936年ベルリンオリンピックのサッカー競技の日本代表に在学中の松永行が選出され、スウェーデン代表で決勝点となるゴールを決めた(ベルリンの奇跡も参照)。

1949年、東京文理科大学が東京教育大学へ改組し、同大学の蹴球部となった。

1954年、全日本大学サッカー選手権大会で初優勝を果たした。1959年、中央大学学友会サッカー部との中教サッカー定期戦(現在は「中筑サッカー定期戦」)が開始された[7]。また、1957年から1959年まで3年連続で現役・OBによる茗友クラブとして天皇杯に出場している。

1978年、東京教育大学が閉鎖され、筑波大学が発足すると共に同大学の蹴球部となった。

1981年、総理大臣杯全日本大学サッカートーナメントで初優勝した。また、同年の第61回天皇杯全日本サッカー選手権大会の2回戦で古河電工、準々決勝で日立製作所とJSL勢を連破してベスト4に入った。

2012年、26回目の出場となった第92回天皇杯全日本サッカー選手権大会の1回戦でJFL所属(当時)のFC琉球に勝利した。

2014年11月、創部以来初となる関東大学リーグ2部降格を喫した[8]。2015年11月、関東大学リーグ2部で2位に入り、1年で1部に復帰[9]

2016年12月に開催された第65回全日本大学サッカー選手権大会で優勝した(13年ぶり9回目)[10]

2017年、30回目の出場となった第97回天皇杯全日本サッカー選手権大会では、1回戦でJ3・Y.S.C.C.横浜に勝利、2回戦のベガルタ仙台戦で創部以来初となるJ1クラブから勝利を挙げた[11]。3回戦ではJ2・アビスパ福岡に勝利した。2017年11月、関東大学リーグ1部で13年ぶりに優勝した。勝利数(17)、勝点(54)は共に22試合制になった2005年以降で最多となる[12]

戦績

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年度所属順位勝点試合得点失点得失アミノ杯総理大臣杯大学選手権監督
2008関東1部3位3522112951456--準優勝風間八宏
20099位252273123039-9一回戦敗退
20102位43221345533320-ベスト4
20114位36221066392910-ベスト4
20126位34221111050428準優勝ベスト8-
20136位302286836306一回戦敗退-ベスト8中山雅雄
201411位182253142333-10一回戦敗退--
2015関東2部2位46221444492326準優勝ベスト4-小井土正亮
2016関東1部2位372210753421135位二回戦敗退優勝
2017優勝54221732551738準優勝ベスト4ベスト8
20182位38221156382513一回戦敗退-ベスト8
20196位3222958322664位二回戦敗退ベスト8
202010位242266102740-13二回戦敗退-[※ 1]
20216位2922921133303二回戦敗退ベスト4ベスト8
2022 3位 37 22 11 4 7 29 23 6 二回戦敗退 - 二回戦敗退
2023 優勝 52 22 16 4 2 52 20 32 7位 - ベスト4
2024 2位 49 22 15 4 3 46 18 28 5位 ベスト4 ベスト8
2025 優勝 52 22 16 4 2 42 19 23 8位 二回戦敗退 優勝
注釈
  1. 新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、開催中止となった。両大会の中止を受け、特例大会として#atarimaeni CUPが開催された。

主な成績

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主な出身選手

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東京教育大学時代およびそれ以前の所属選手については東京教育大学の人物一覧#サッカーを参照

脚注

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  1. シンボルマーク(校章・マーク)”. 筑波大学. 2014年6月22日閲覧。
  2. 1 2 3 4 5 6 沿革・歴史”. 日本サッカー協会. 2014年6月28日閲覧。
  3. 1 2 「北海道サッカー協会創立80周年記念誌(第1章 黎明期)(PDF資料) 」財団法人北海道サッカー協会、2015年11月20日閲覧
  4. 121年前、日本にサッカーを初めて紹介し東京高師-筑波大に根付かせた大功労者 坪井玄道”. 賀川サッカーライブラリー. 2014年9月23日閲覧。
  5. 1 2 3 4 八咫烏と日本サッカーの生みの親 中村覚之助について”. 那智勝浦町. 2015年11月20日閲覧。
  6. 1917(大正6年)”. 日本サッカーアーカイブ. 2014年6月28日閲覧。
  7. 年表”. 中央大学学友会サッカー部. 2014年5月31日閲覧。
  8. 名門の筑波大、初の2部降格 関東大学サッカーリーグ”. 朝日新聞 (2014年11月16日). 2014年12月14日閲覧。
  9. <首都スポ>大学サッカー 筑波大歓喜! 1年で1部返り咲き」『中日スポーツ』2015年11月15日。2015年11月15日閲覧。
  10. “筑波大が圧巻8発!日体大に記録的大勝で13年ぶり9度目V”. ゲキサカ. (2016年12月18日) 2016年12月18日閲覧。
  11. 蹴球部が天皇杯2回戦でJ1のベガルタ仙台に勝利!』(プレスリリース)筑波大学、2017年6月21日2017年7月13日閲覧
  12. “筑波大、歴代最多勝利・勝ち点で関東1部制覇…順天堂大撃破で有終の美”. サッカーキング. (2017年11月20日) 2018年4月21日閲覧。{{cite news}}: CS1メンテナンス: 先頭の0を省略したymd形式の日付 (カテゴリ)

外部リンク

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