山田大記

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山田 大記
カールスルーエSC時代(2016年)
名前
愛称 ヒロキ[1]
カタカナ ヤマダ ヒロキ
ラテン文字 YAMADA Hiroki
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1988-12-27) 1988年12月27日(35歳)
出身地 静岡県浜松市
身長 174cm[1]
体重 72kg[1]
選手情報
在籍チーム 日本の旗 ジュビロ磐田
ポジション MF
背番号 10
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2011-2014 日本の旗 ジュビロ磐田 107 (25)
2014-2017 ドイツの旗 カールスルーエSC 89 (10)
2017- 日本の旗 ジュビロ磐田 172 (23)
代表歴2
2013 日本の旗 日本 2 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。2023年11月12日現在。
2. 2013年7月28日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

山田 大記(やまだ ひろき、1988年12月27日 - )は、静岡県浜松市出身のプロサッカー選手Jリーグジュビロ磐田所属。ポジションはミッドフィールダー。元日本代表

経歴[編集]

プロ入り前[編集]

静岡県生まれであるが、4歳まで愛知県で過ごす。サッカーの道に進んだのも4歳の時に、ずっと外で遊んでいたのを見た親が幼稚園にあったサッカークラブに入るのを進めたのが、サッカーを始めた切っ掛けであると語っている[2]。5歳のときに静岡に戻り、幼稚園でやっていたヤマ・スポーツクラブのサッカー教室に入る。その後ジュビロ磐田と出会い、ジュビロの下部組織であるジュビロSS浜松に所属、ジュニアユースまで所属し、高校は静岡の名門藤枝東高に進学。その後明治大学へ進学。大学では1年時からリーグ戦に出場していた。大学3年時にはユニバーシアード代表にも選ばれ、銅メダル獲得に貢献した。関東大学リーグ通算は、66試合21得点を記録。

ジュビロ磐田[編集]

大学卒業後、ジュビロ磐田と鹿島アントラーズからオファーが有ったが[3]、ジュニアユースまで所属していたジュビロに入団。同期入団は、小林裕紀金園英学

2011年、1年目にして背番号10を任されるなどシーズン前から期待をされていた。開幕戦は途中出場だったが、期待通りの活躍を見せ、第2節以降スタメンに定着する。キレのあるドリブルやパスで勝利に貢献し、第10節のモンテディオ山形戦ではプロ初得点を決めるなどした。中心選手として活躍していたが、シーズン終盤に左下腿の肉離れを起こし、続けて今度は右第5中足骨を疲労骨折し、手術のため離脱し、終盤は試合に出られなかった。それでもシーズンを通して5得点を記録し、FWの選手を除けばチーム最多得点者となった。

2012年柏レイソルに完全移籍した那須大亮の後を継いでクラブ史上最年少ゲームキャプテンに就いた。また、日本代表候補トレーニングキャンプメンバーに初招集される[4]

2013年7月25日、東アジアカップ2013オーストラリア戦で日本代表初出場を果たした。

2013年シーズン終了後、スコットランドセルティックFCに練習参加[5]

カールスルーエSC[編集]

2014年7月5日西京極スタジアムで行われた京都サンガF.C.戦で途中出場したのを最後にドイツへ出発し、ブンデスリーガ2部カールスルーエSCの練習に参加[6]。磐田側は残留を希望したが、山田の強い海外移籍の意志を容認し、同年7月24日に公式に完全移籍が発表された[7]。また、同日に柿谷曜一朗などが所属している株式会社バランスマネジメントとマネジメント契約した[8]

8月3日に行われたブンデスリーガ2部 開幕節のウニオン・ベルリン戦にスタメン出場し、公式戦初出場を果たした[9]。9月21日に行われた1.FCニュルンベルク戦でリーグ初ゴール、初アシストを記録した[10]

磐田で退団セレモニーなどは行われなかったため、磐田サポーターにちゃんとした挨拶が出来ないままになっていたが、12月22日に静岡の可美公園総合センター 体育館で「山田大記選手 激励会」が行われた[11]

その後、チームの中心選手として活躍し、山田の市場価値は半年で数倍に上がった[12][13]。2014-15シーズンでは、33試合で6得点を挙げたが、チームは昇格プレーオフで敗れ、1部昇格は叶わなかった。

2015-16シーズンは、磐田時代と同じ背番号10に変更し、32試合に出場した。

2016-17シーズンでは、チームの調子が上がらず監督が4回も変わり、山田もレギュラーを外れる試合が多かった[14]。チームはそのまま順位を上げる事が出来ずに3部へ降格し、シーズン終了後の2017年5月22日にチームを退団する事を自身のFacebookで発表した[15]

ジュビロ磐田[編集]

カールスルーエ退団後は、海外挑戦を続けるため欧州で移籍先を探し[16]、ドイツとスペインの2部クラブと交渉、クロアチア1部クラブからオファー、Jリーグの複数クラブからも打診を受けていた[17]が、2017年8月30日に古巣のジュビロ磐田への復帰が発表された[18]

2018年シーズンは、4月1日に行われたJ1第5節・浦和レッズ戦でJ1通算100試合出場を達成[19]。5月5日に行われたJ1第13節・柏レイソル戦でシーズン初得点を挙げ、勝利に貢献した[20]

2019年シーズンは、J1第1節・松本山雅FC戦で1点ビハインドで迎えた後半、途中出場の川又のゴールをアシストし、勝ち点1獲得に貢献した。

2020年シーズンは、海外移籍前と同じ背番号「10」に変更。レギュラーとして40試合に出場するもチームは1年でのJ1昇格を逃した。

2021年シーズンはレギュラーとして活躍し、自身初のリーグ戦2桁得点を記録。チームのJ2優勝とJ1昇格に貢献した。

2023年シーズンからキャプテンに就任した。

エピソード[編集]

  • 好きな選手、尊敬する人に高校の先輩でジュビロやコンサドーレ札幌でプレーしていた元日本代表の中山雅史を挙げている[21]
  • 試合中に両手首に巻いているテープはゲン担ぎ[22]
  • 好きなアーティストにシクラメンMr.Childrenを挙げている。シクラメンとは2012年にジュビロのシーズンソングを担当したのをきっかけにプライベートでも親交がある。また、2014年3月に発売されたシクラメンのシングル「どんなに どんなに」のミュージックビデオに出演している。同シングルのカップリング曲でジュビロ磐田2014年シーズンソングである「ウィーアーワン」では作詞にも参加している。
  • 磐田復帰後の背番号19は、尊敬する岡田隆成岡翔伊野波雅彦高原直泰が磐田時代に着用していたこと、10番に見た目が近く、遠くから見たら10のように見えるという点を選んだ理由に挙げている[23]
  • 2018年12月5日、日本プロサッカー選手会の臨時大会にて、同会理事・副会長に選任された[24][25]

所属クラブ[編集]

個人成績[編集]

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2009 明治大 10 - - - 4 1 4 1
2011 磐田 J1 29 5 5 0 2 0 36 5
2012 31 9 6 3 2 0 39 12
2013 30 8 7 0 1 2 38 10
2014 J2 17 3 - 0 0 17 3
ドイツ リーグ戦 リーグ杯DFBポカール 期間通算
2014-15 カールスルーエ 9 2. ブンデス 33 6 - 2 0 35 6
2015-16 10 32 3 - 1 0 33 3
2016-17 24 1 - 0 0 24 1
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2017 磐田 19 J1 5 1 - 1 0 6 1
2018 32 2 3 0 2 1 37 3
2019 23 1 0 0 0 0 23 1
2020 10 J2 40 3 - - 40 3
2021 38 11 - 0 0 38 11
2022 J1 7 0 0 0 0 0 7 0
2023 J2 27 5 1 0 1 0 29 5
2024 J1
通算 日本 J1 157 26 21 3 8 3 186 32
日本 J2 122 22 1 0 1 0 124 22
日本 - - 4 1 4 1
ドイツ 2. ブンデス 89 10 - 3 0 92 10
総通算 368 58 22 3 16 4 406 65
  • 特別指定選手としての試合出場は無し

その他の公式戦

その他の国際公式戦

タイトル[編集]

クラブ[編集]

ジュビロ磐田

代表[編集]

個人[編集]

アマチュア時代

代表歴[編集]

出場大会[編集]

試合数[編集]

  • 国際Aマッチ 2試合 0得点(2013年)


日本代表国際Aマッチ
出場得点
2013 2 0
通算 2 0

出場[編集]

No. 開催日 開催都市 スタジアム 対戦国 結果 監督 大会
1. 2013年7月25日 大韓民国の旗華城 華城競技場 オーストラリアの旗 オーストラリア ○3-2 ザッケローニ EAFF東アジアカップ2013
2. 2013年7月28日 大韓民国の旗ソウル 蚕室総合運動場 大韓民国の旗 韓国 ○2-1 ザッケローニ EAFF東アジアカップ2013

出演[編集]

CM[編集]

ミュージック・ビデオ[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c 山田大記|ジュビロ磐田 Jubilo IWATA”. ジュビロ磐田. 2018年11月4日閲覧。
  2. ^ 河上清、澤田優子『サッカースターの少年時代 プロになった16人の成長物語』株式会社学研マーケティング、2013年、33ページ、ISBN 978-4-05-800104-2
  3. ^ 大学NO・1山田「鹿島と磐田で迷う」 2010年2月19日付 日刊スポーツ
  4. ^ 駒野選手、山田選手、前田選手が日本代表候補トレーニングキャンプメンバーに選出 ジュビロ磐田公式サイト 2012.4.22付ニュースリリース
  5. ^ 磐田の山田がスコットランドで武者修行 2013年12月6日付 デイリースポーツ
  6. ^ ジュビロMF山田、カールスルーエに合流 2014年7月11日付 GOAL.com
  7. ^ 山田大記選手 カールスルーエSCへ完全移籍 ジュビロ磐田公式サイト 2014.7.24付ニュースリリース
  8. ^ 山田 大記選手とのマネジメント契約に関しまして
  9. ^ ブンデスリーガ公式HP 山田大記「勝ちたかった」
  10. ^ 山田大記がドイツ移籍後初ゴール、初アシストも記録し勝利に貢献 2014年9月22日付 サッカーキング
  11. ^ サッカー独2部L移籍・山田選手 浜松で激励会 2014年12月22日付 中日新聞
  12. ^ カールスルーエ山田、わずか半年で市場価値が数倍に 300万ユーロのオファー 2015年2月2日付 GOAL.com
  13. ^ ブンデス2部で活躍中の山田大記、「カールスルーエとともに昇格したい」 2015年3月12日付 GOAL.com
  14. ^ 感じていること 2017年4月17日付 山田大記オフィシャルブログ
  15. ^ 山田大記、独2部カールスルーエ退団「ただただ悔しかったシーズン」 2017年5月22日付 フットボールチャンネル
  16. ^ 山田大記  欧州でのプレー視野「決まり次第、渡欧」明立定期戦OB戦出場2017年7月25日、スポニチ
  17. ^ ジュビロ復帰の山田大記。ドイツ2部を生き抜いた経験で代表を目指す”. Sportiva (2017年9月21日). 2018年11月5日閲覧。
  18. ^ 山田 大記選手が完全移籍加入で合意2017年8月30日、ジュビロ磐田公式サイト
  19. ^ 磐田山田大記、J1通算100試合星より川又弾喜ぶ”. 日刊スポーツ (2018年4月1日). 2018年11月4日閲覧。
  20. ^ 2018年 試合速報 明治安田J1 第13節 vs.柏レイソル”. ジュビロ磐田. 2018年11月4日閲覧。
  21. ^ http://www.jubilo-iwata.co.jp/tas/player/2011/10.php
  22. ^ http://www.jubilo-iwata.co.jp/tas/player/2013/10.php
  23. ^ 山田大記選手 加入会見全文”. ジュビロ磐田 (2017年8月31日). 2018年11月4日閲覧。
  24. ^ 労働組合 日本プロサッカー選手会 役員選任の件』(プレスリリース)一般社団法人 日本プロサッカー選手会、2018年12月6日http://www.j-pfa.or.jp/news/n-00000419/2018年12月8日閲覧 
  25. ^ https://twitter.com/JPFA_NEWS/status/1070623410542137344 日本プロサッカー選手会 (@JPFA_NEWS) - X(旧Twitter)

関連項目[編集]

外部リンク[編集]