森下申一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
森下 申一 Football pictogram.svg
名前
愛称 申さん
カタカナ モリシタ シンイチ
ラテン文字 MORISHITA Shinichi
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1960-12-28) 1960年12月28日(56歳)
出身地 静岡県静岡市
身長 180cm
体重 80kg
選手情報
ポジション GK
代表歴
1985-1991 日本の旗 日本 28 (0)
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

森下 申一(もりした しんいち、1960年12月28日 - )は、静岡県静岡市出身の元サッカー選手。サッカー指導者。

来歴[編集]

静岡学園高等学校1年生の時に高校サッカー選手権準優勝。東京農業大学卒業後の1983年にヤマハ発動機サッカー部(現・ジュビロ磐田)に入部後、直ちに正GKの座を獲得した。

1985年にサッカー日本代表に選出され、その年のワールドカップ・メキシコ大会予選に参加。正GKに松井清隆の存在があった為に控えに甘んじたが、同年9月のアウェー香港戦に出場。松井に劣らないスーパーセーブを連発。相手のラフプレーにも動じない冷静な守備で、1点は失うものの、2-1の勝利に貢献した。

その後は代表の正GKの座を掴み、1987年のソウルオリンピック最終予選進出に貢献。しかし1988年以降は若手の松永成立が重用され、ワールドカップ・イタリア大会予選では再び控えに甘んじる事になった(平壌でのアウェー戦で負傷した松永に変わり交代出場)。 1993年のアメリカワールドカップアジア地区最終予選前には、怪我により直前まで戦線離脱していた当時の代表第2GK前川和也に代わり「森下では?」とテレビ東京などで報道されたが選出されなかった。

その後もヤマハでは依然として不動の守護神またキャプテンとして活躍し、プロ化しジュビロ磐田となった1993年のジャパンフットボールリーグではJリーグ昇格に貢献。1994年にはJリーグの桧舞台でのプレーも叶ったが、同年オフに磐田から戦力外通告を受け退団。当時ジャパンフットボールリーグ所属でJリーグ昇格を狙っていた京都パープルサンガへ移籍する。磐田時代に続いて京都でもJ昇格に貢献し、1997年シーズンで現役を引退した。

引退後はGKコーチとして後進の指導を行っている。

所属クラブ[編集]

個人タイトル[編集]

個人成績[編集]

国内大会個人成績
年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
日本 リーグ戦 JSL杯/ナビスコ杯 天皇杯 期間通算
1983 ヤマハ JSL1部 14 0
1984 16 0
1985 1 21 0
1986-87 22 0
1987-88 22 0
1988-89 19 0
1989-90 21 0 5 0
1990-91 20 0 2 0
1991-92 21 0 1 0
1992 旧JFL1部 18 0 -
1993 17 0 5 0 1 0 23 0
1994 磐田 - J 32 0 4 0 1 0 37 0
1995 京都 1 旧JFL 28 0 - 1 0 29 0
1996 - J 29 0 14 0 3 0 46 0
1997 1 13 0 6 0 2 0 21 0
通算 日本 J 74 0 24 0 6 0 104 0
日本 JSL1部 176 0
日本 旧JFL 63 0 5 0 2 0 70 0
総通算 313 0

その他の公式戦

代表歴[編集]

試合数[編集]

  • 国際Aマッチ 28試合 0得点(1985-1991)


日本代表 国際Aマッチ その他 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点
1985 2 0 4 0 6 0
1986 4 0 1 0 5 0
1987 10 0 12 0 22 0
1988 2 0 3 0 5 0
1989 3 0 9 0 12 0
1990 6 0 0 0 6 0
1991 1 0 2 0 3 0
通算 28 0 31 0 59 0

指導歴[編集]

外部リンク[編集]