永井良和
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名前 | ||||||
カタカナ | ナガイ ヨシカズ | |||||
ラテン文字 | NAGAI Yoshikazu | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 |
![]() | |||||
生年月日 | 1952年4月16日(71歳) | |||||
出身地 |
埼玉県浦和市 (現:さいたま市浦和区) | |||||
身長 | 169cm | |||||
体重 | 60kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | FW | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1971-1988 | 古河電工 | 272 | (63) | |||
代表歴 | ||||||
1971-1980 |
![]() | 69 | (9) | |||
監督歴 | ||||||
1989-1991 1992-1993 1996 1998-2000 2001 2006-2007 |
日本ユース代表 ジェフユナイテッド市原 福島FC アルビレックス新潟 横浜FC 浦和レッドダイヤモンズ・レディース | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
永井 良和(ながい よしかず、1952年4月16日 - )は、日本の元サッカー選手、サッカー指導者。埼玉県浦和市(現・さいたま市浦和区)出身。息子の永井俊太も元サッカー選手。
来歴[編集]
浦和南高校時代から快速フォワードとしてその名を知られ、当時の漫画・アニメーション『赤き血のイレブン』の主人公・玉井真吾のモデルとなった。
卒業後に日本サッカーリーグの古河電気工業サッカー部へ入部。選手として1977年度のJSL、天皇杯の二冠や、1985-86年度JSL優勝などに貢献した。また1976年に日本年間最優秀選手賞を受賞した。
1987-88シーズンを最後に現役を退いてから、古河サッカー部コーチと日本ユース(U-18)のコーチ、監督を併任。1992年プロ化されてから最初のジェフ市原監督として活動した後、1996年には福島FC、1998-2000年にはアルビレックス新潟、2001年にはJ2昇格初年度を迎える横浜FCの監督に就任するが、同年9月に退任した[1]。2006年からはなでしこリーグの浦和レッドダイヤモンズ・レディースの監督に就任した。彼にとって浦和は地元であり、Jリーグ始まって以来初めて地元での指導ということで、彼に期待する声は大きかった。成績も上位を維持しフロントからの続投要請もあったが、2007年のシーズンをもって監督を退任。
2008年4月1日よりフクダ電子スクエア内のサッカースクール《永井良和サッカースクール》のスクールマスターに就任(クラブ代表は木之本興三)。自身も指導に日々携っている。2009年4月より、アブレイズ千葉SC ジュニアユースチームのクラブチーム登録に伴い、一期生となるU-13チームの監督も兼任し指揮を執る。2010年4月よりU-12,U-13,U-14のカテゴリーとなり、2010年度指導のU-14は一年目にして千葉県で強豪チームとなっている。2009年度千葉海浜リーグでは11勝2敗2分となっており5月に行われる千葉県U-13チャンピオンズリーグに出場も決め育成というところにおいても評価が高くなっている。なおチームスタイルは堅実ながら得点52点とリーグでもトップクラスの得点力をもつチームに仕上げていると共に、個人成績部門では得点王も出している。 2010年4月に行われた千葉県クラブユース選手権では、一学年上のU-15のチームを相手にブロック予選を勝ち抜き、決勝トーナメント進出するも敗北。選手全員が中学2年生というなか、予選より年上の中学3年生を相手に善戦した。 その後の千葉県ユース、高円宮杯ブロック予選でも中学3年生を相手に代表決定戦に進出するなど確実に力を付けつつある。 また、千葉海浜リーグでも上位を維持しておりチャンピオンズリーグ3大会連続出場をしている。また、個人成績部門で3年連続の得点王と2011年度はアシスト王も出している。2012年8月現在U-15は県リーグ2部1位を決め、県リーグ参入2年での1部昇格を決めた。
奥寺康彦(横浜FCゼネラルマネジャー)とは選手、指導者として相性も良い。2008年に行われた 赤き血のイレブンカップ(フクダ電子スクエア開催)では旧日本代表チームの一員として永井、奥寺のツートップが観られた。
所属クラブ[編集]
個人成績[編集]
国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | JSL杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
1971 | 古河 | 12 | JSL | 10 | 2 | - | |||||
1972 | JSL1部 | 10 | 0 | - | |||||||
1973 | 11 | 18 | 2 | 1 | |||||||
1974 | 18 | 5 | - | ||||||||
1975 | 18 | 7 | - | ||||||||
1976 | 18 | 5 | 1 | 3 | 9 | ||||||
1977 | 18 | 14 | 5 | ||||||||
1978 | 18 | 1 | |||||||||
1979 | 18 | 6 | 3 | 1 | 2 | 0 | 23 | 7 | |||
1980 | 17 | 3 | 2 | 1 | |||||||
1981 | 15 | 6 | 3 | 1 | 2 | 1 | 20 | 8 | |||
1982 | 10 | 1 | 0 | 0 | 3 | 1 | 13 | 2 | |||
1983 | 12 | 1 | 1 | 0 | 1 | 0 | 14 | 1 | |||
1984 | 14 | 5 | 0 | 0 | 4 | 1 | 18 | 6 | |||
1985 | 22 | 3 | 4 | 1 | 0 | 0 | 26 | 4 | |||
1986-87 | 14 | 0 | 0 | 0 | ※ | 14 | 0 | ||||
1987-88 | 22 | 2 | 2 | 1 | 3 | 0 | 27 | 3 | |||
通算 | 日本 | JSL1部 | 272 | 63 | |||||||
総通算 | 272 | 63 |
※1986年度の天皇杯は、古河電工がアジアクラブ選手権1986-87出場のため辞退
その他[編集]
- JSL選抜チーム(1974年、1984年、1986年)3試合0得点
代表歴[編集]
出場大会など[編集]
- ミュンヘンオリンピック予選
- ワールドカップ西ドイツ大会予選
- アジア競技大会(1974、1978)
- アジアカップ(1976)予選
- モントリオールオリンピック予選
- ワールドカップアルゼンチン大会予選
- モスクワオリンピック予選
試合数[編集]
- 国際Aマッチ 69試合 9得点(1971年 - 1980年)
日本代表 | 国際Aマッチ | その他 | 期間通算 | |||
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年 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 |
1971 | 4 | 1 | 7 | 0 | 11 | 1 |
1972 | 0 | 0 | 2 | 0 | 2 | 0 |
1973 | 5 | 0 | 8 | 0 | 13 | 0 |
1974 | 4 | 1 | 19 | 0 | 23 | 1 |
1975 | 11 | 1 | 7 | 0 | 18 | 1 |
1976 | 17 | 2 | 7 | 1 | 24 | 3 |
1977 | 5 | 0 | 22 | 4 | 27 | 4 |
1978 | 12 | 1 | 12 | 3 | 24 | 4 |
1979 | 9 | 3 | 10 | 2 | 19 | 5 |
1980 | 2 | 0 | 2 | 0 | 4 | 0 |
通算 | 69 | 9 | 96 | 10 | 165 | 19 |
得点数[編集]
# | 年月日 | 開催地 | 対戦国 | スコア | 結果 | 試合概要 |
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1 | 1971年10月2日 | 大韓民国、ソウル | ![]() |
1-2 | 敗戦 | ミュンヘン五輪予選 |
2 | 1974年7月23日 | ルーマニア、コンスタンツァ | ![]() |
1-4 | 敗戦 | 親善試合 |
3 | 1975年6月21日 | 香港 | ![]() |
2-1 | 勝利 | アジアカップ予選 |
4 | 1976年8月8日 | マレーシア、クアラルンプール | ![]() |
5-1 | 勝利 | ムルデカ大会 |
5 | 1976年12月4日 | 日本、東京 | ![]() |
1-2 | 敗戦 | 日韓定期戦 |
6 | 1978年5月23日 | 日本、名古屋市 | ![]() |
3-0 | 勝利 | ジャパンカップ |
7 | 1979年5月31日 | 日本、東京 | ![]() |
4-0 | 勝利 | ジャパンカップ |
8 | 1979年6月16日 | 大韓民国、ソウル | ![]() |
1-4 | 敗戦 | 日韓定期戦 |
9 | 1979年7月13日 | マレーシア、クアラルンプール | ![]() |
3-1 | 勝利 | ムルデカ大会 |
指導歴[編集]
- 1988年-1991年 古河電工:コーチ
- 1988年-1989年 日本ユース代表:コーチ
- 1989年-1991年 日本ユース代表:監督
- 1992年-1993年 ジェフユナイテッド市原:監督
- 1996年 福島FC:監督
- 1998年-2000年 アルビレックス新潟:監督
- 2001年1月-9月 横浜FC:監督
- 2005年6月-12月 浦和レッドダイヤモンズ:ハートフルクラブコーチ
- 2006年-2007年 浦和レッドダイヤモンズ・レディース:監督
- 2008年- 永井良和サッカースクール:スクールマスター
- 2009年- アブレイズ千葉SC:総監督
監督成績[編集]
年度 | カテゴリー | クラブ | リーグ戦 | カップ戦 | ||||||
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順位 | 試合 | 勝点 | 勝 | 分 | 敗 | ナビスコ杯/なでしこ杯 | 天皇杯/皇后杯 | |||
1992 | J | 市原 | - | 6位 | 準々決勝 | |||||
1993 | 8位 | 36 | - | 14 | - | 22 | 予選リーグ | 準々決勝 | ||
1996 | 旧JFL | 福島FC | 14位 | 30 | 22 | 7 | - | 23 | - | 2回戦 |
1998 | 新潟 | 11位 | 30 | 34 | 12 | - | 18 | - | 3回戦 | |
1999 | J2 | 4位 | 36 | 58 | 20 | 2 | 14 | 1回戦 | 3回戦 | |
2000 | 7位 | 40 | 46 | 15 | 5 | 20 | 1回戦 | 3回戦 | ||
2001 | 横浜FC | - | 31 | 11 | 1 | 19 | 2回戦 | - | ||
2006 | なでしこ1部・上位 | 浦和レッズレディース | 準優勝 | 17 | 38 | 12 | 2 | 3 | - | 準決勝 |
2007 | なでしこ1部 | 3位 | 21 | 48 | 15 | 3 | 3 | 準優勝 | 準決勝 |
- 2001年は途中退任。
脚注[編集]
- ^ ヒストリー2001 Yokohama FC
- ^ 奥寺康彦氏、永井良和氏ら4氏が殿堂入り nikkansports.com 2012年8月21日
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
- 永井良和 - National-Football-Teams.com (英語)
- 永井良和 - WorldFootball.net (英語)
- 永井良和 - Transfermarkt.comによる選手データ (英語)
- 永井良和 - Transfermarkt.comによる指導者データ (英語)
- 永井良和 - J.League Data Siteによる監督データ
- 浦和南高校サッカー部OB会オフィシャルサイト
- 日本代表選手出場試合記録
- アブレイズ千葉SCオフィシャルサイト
- 永井良和サッカースクールオフィシャルサイト
- 第9回日本サッカー殿堂掲額者 (PDF) - 日本サッカー協会 2012.08.21
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