松井清隆
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名前 | ||||||
カタカナ | マツイ キヨタカ | |||||
ラテン文字 | MATSUI Kiyotaka | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1961年1月4日(63歳) | |||||
出身地 | 大阪府高槻市 | |||||
身長 | 180cm | |||||
体重 | 83kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | GK | |||||
ユース | ||||||
1976-1978 | 京都西高校 | |||||
1979-1982 | 大阪体育大学 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1983-1992 | 日本鋼管/NKK | 170 | (0) | |||
1992-1993 | 清水エスパルス | 0 | (0) | |||
通算 | 170 | (0) | ||||
代表歴 | ||||||
1984-1988 | 日本 | 15 | (0) | |||
監督歴 | ||||||
2011-2021 | 近畿大学 | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
松井 清隆(まつい きよたか、1961年1月4日 - )は大阪府高槻市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。
略歴
[編集]京都西高校・大阪体育大学を経て日本鋼管サッカー部、清水エスパルスでプレーしたGK。ポジショニングに優れた80年代の日本を代表するGKの一人で、日本代表として15試合に出場。特に1985年のワールドカップ・メキシコ大会アジア1次予選、敵地の北朝鮮戦における神がかり的なプレーは、諸般の事情によりTV中継がなかったにも関わらず、取材した数少ないメディア関係者を通じて語り草となっている[1]。同時期に代表でプレーした森下申一は学年が同じでGKとしての能力も同じように高く、良きライバルとして共に日本代表を支えていた。
引退後は指導者の道へ進み、2004年から2006年までは柳下正明監督の下でコンサドーレ札幌のGKコーチを務め、2007年に三浦俊也監督体制移行後はトップチームコーチを務めた。2011年より近畿大学サッカー部の監督に就任した。2020年10月に同大学サッカー部員による大麻使用が発覚して、サッカー部は無期限の活動停止処分となった。翌2021年2月2日付で近畿大学による監督退任勧告を受け入れて辞任した[2][3]。
2021年7月15日、FC大阪のテクニカルコーチに就任した[4]。
所属クラブ
[編集]個人成績
[編集]国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | JSL杯/ナビスコ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
1983 | 鋼管 | JSL2部 | 12 | 0 | |||||||
1984 | 21 | JSL1部 | 18 | 0 | |||||||
1985 | 20 | 0 | |||||||||
1986-87 | 22 | 0 | |||||||||
1987-88 | 1 | 22 | 0 | 5 | 0 | ||||||
1988-89 | NKK | 16 | 0 | 0 | 0 | ||||||
1989-90 | 22 | 0 | 2 | 0 | |||||||
1990-91 | 15 | 0 | 2 | 0 | |||||||
1991-92 | JSL2部 | 23 | 0 | 0 | 0 | - | 23 | 0 | |||
1992 | 清水 | - | J | - | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | |
1993 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | |||
通算 | 日本 | J | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | |
日本 | JSL1部 | 135 | 0 | ||||||||
日本 | JSL2部 | 0 | |||||||||
総通算 | 0 |
・JSL東西対抗戦(オールスターサッカー) 3回出場:1984年、1986年、1987年
その他の公式戦
- 1990年
- コニカカップ 3試合0得点
代表歴
[編集]出場大会など
[編集]試合数
[編集]- 国際Aマッチ 15試合 0得点(1984-1988)
日本代表 | 国際Aマッチ | その他 | 期間通算 | |||
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年 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 |
1983 | 0 | 0 | 2 | 0 | 2 | 0 |
1984 | 2 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 |
1985 | 8 | 0 | 5 | 0 | 13 | 0 |
1986 | 2 | 0 | 5 | 0 | 7 | 0 |
1987 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 |
1988 | 2 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 |
通算 | 15 | 0 | 12 | 0 | 27 | 0 |
出場
[編集]No. | 開催日 | 開催都市 | スタジアム | 対戦相手 | 結果 | 監督 | 大会 |
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1. | 1984年05月31日 | 埼玉県 | さいたま市大宮公園サッカー場 | 中華人民共和国 | ○1-0 | 森孝慈 | ジャパンカップ |
2. | 1984年09月30日 | ソウル | 韓国 | ○2-1 | 日韓定期戦 | ||
3. | 1985年02月23日 | シンガポール | シンガポール | ○3-1 | ワールドカップ予選 | ||
4. | 1985年03月21日 | 東京都 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | 北朝鮮 | ○1-0 | ワールドカップ予選 | |
5. | 1985年04月30日 | 平壌 | 北朝鮮 | △0-0 | ワールドカップ予選 | ||
6. | 1985年05月18日 | 東京都 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | シンガポール | ○5-0 | ワールドカップ予選 | |
7. | 1985年05月26日 | 東京都 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | ウルグアイ | ●1-4 | キリンカップ | |
8. | 1985年08月11日 | 愛知県 | 神戸総合運動公園ユニバー記念競技場 | 香港 | ○3-0 | ワールドカップ予選 | |
9. | 1985年10月26日 | 東京都 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | 韓国 | ●1-2 | ワールドカップ予選 | |
10. | 1985年11月03日 | ソウル | 韓国 | ●0-1 | ワールドカップ予選 | ||
11. | 1986年08月01日 | クアラルンプール | マレーシア | ●1-2(延長) | 石井義信 | ムルデカ大会 | |
12. | 1986年09月28日 | 大田 | バングラデシュ | ○4-0 | アジア大会 | ||
13. | 1987年09月18日 | 東京都 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | ネパール | ○9-0 | オリンピック予選 | |
14. | 1988年02月02日 | マスカット | オマーン | △1-1 | 横山謙三 | 国際親善試合 | |
15. | 1988年06月02日 | 愛知県 | 名古屋市瑞穂公園陸上競技場 | 中華人民共和国 | ●0-3 | キリンカップ |
指導歴
[編集]- 1993年 清水エスパルス:サテライト・育成GKコーチ
- 日本サッカー協会:ナショナルコーチングスタッフ
- 1996年-1997年 ガンバ大阪:ユースGKコーチ
- 1998年-1999年 ガンバ大阪:GKコーチ
- 2000年 近畿大学:コーチ
- 2001年-2003年 湘南ベルマーレ:GKコーチ
- 2004年-2006年 コンサドーレ札幌:GKコーチ
- 2007年-2008年 コンサドーレ札幌:コーチ
- 2009年-2010年 近畿大学:コーチ
- 2011年-2021年2月 近畿大学:監督
- 2021年7月- FC大阪:テクニカルコーチ
脚注
[編集]- ^ 「日本代表史上 最も偉大なイレブンは誰か」『週刊サッカーマガジン』ベースボールマガジン社、2006年10月10日号 No.1103。
- ^ “近畿大、サッカー部員ら9人処分 大麻問題で退学などに”. 朝日新聞. (2021年2月2日) 2021年7月15日閲覧。
- ^ “FC大阪テクニカルコーチに前近大監督・松井清隆氏就任 元日本代表GK”. デイリースポーツ. (2021年7月15日) 2021年7月15日閲覧。
- ^ 『松井 清隆氏 トップチーム テクニカルコーチ就任のお知らせ』(プレスリリース)F.C.大阪、2021年7月15日 。2021年7月15日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
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