平壌

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座標: 北緯39度01分55秒 東経125度45分14秒 / 北緯39.031859度 東経125.753765度 / 39.031859; 125.753765

平壌直轄市
略称: 평양,平壤
平壌市、主体思想塔、錦繍山太陽宮殿、平壌凱旋門、祖国統一三大憲章記念塔、東明王陵、地下鉄復興駅
位置
Pyongyang North Korea.png
各種表記
チョソングル: 평양직할시
漢字: 平壤直轄市
日本語読み仮名: へいじょうちょっかつし
片仮名転写: ピョンヤンジカルシ
ローマ字転写 (RR): Pyeongyang Jikhalsi
ローマ字転写 (MR): P'yŏngyang Chikhalsi
統計(2015年
面積: 2629.4 km²
総人口: 2,514,692 人
人口密度: 956 人/km²
行政
国: 朝鮮民主主義人民共和国の旗 朝鮮民主主義人民共和国
下位行政区画: 18区域2郡
ISO 3166-2: KP-01

平壌(ピョンヤン)は、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の首都直轄市であり、最大の都市

朝鮮八道では平安道十三道制では平安南道に属するが、同国の行政区画においては、道に属さず平壌直轄市として道級の直轄市となっている。

日本語読みでは「へいじょう」(歴史的仮名遣で「ヘイぜう[要出典]、へいじやう」)と呼ぶ。日本統治時代の行政区分は平壌府(へいじょうふ)。

概要[編集]

平壌市(衛星画像)

平壌準平原に位置し、北と東と西は平安南道、南は黄海北道に接する。北朝鮮の政治経済の中心地であり、軽工業、重工業など工業が盛んである。

427年以降高句麗の首都となった。市の中心には大同江が流れている。中心部に金日成広場があり、その付近に主体思想塔がそびえており、平壌のシンボルまたはランドマークとなっている。

平壌は北朝鮮の建国時から事実上の首都としての役割を持っていたが、憲法で正式に平壌が首都となったのは1972年からで、それ以前の平壌は「祖国統一を成し遂げるまでの暫定首都(臨時首都)」という位置づけで、ソウルを正式な首都と定めていた。これは、建国以来現在に至るまで憲法上は朝鮮半島全域を領土としているためである(なお、韓国も憲法上は朝鮮半島〔韓国名:韓半島〕全域を領土としている)。

平壌の市街地 
名物の平壌冷麺 
牡丹峰より望む凱旋門(左)と柳京ホテル(右) 

「公民登録法」の規定で、17歳以上の北朝鮮国民は「公民証」が政府から発給されているが、1997年以後、平壌市民については公民証が「平壌市民証」に切り替えられ、他地域住民と明確に区別されるようになった。この区別による特に大きな影響として、旅行に対する待遇が挙げられる。

北朝鮮国民は、国内(北朝鮮各地)の旅行でも、逐一政府に旅行証明書を申請し旅行許可を得る必要があるが、この「平壌市民証」を所有していると、旅行証明書なしで北朝鮮各地を自由に行き来できると言われている。

市内のインフラは老朽化が進んでおり、2002年頃から街路樹の植樹、歩道のタイルの張替え、ビルの改装など市内中心部の再開発が始まった。2010年代初頭には、故金日成生誕100年に当たる2012年を目前に控え、軍人や学徒も動員しての高層住宅を中心とした建設ラッシュの様相を呈している一方、突貫工事による被害も報じられている。2014年5月13日には、入居が始まっていた23階建ての高層マンションが倒壊し、崔富日人民保安部部長やチャ・ヒリム平壌市人民委員会委員長など政府高官が現地で謝罪するという異例の事態になっている[1]

平壌市内のパノラマ写真

気候[編集]

気候亜寒帯冬季少雨気候で寒暖が激しく冬は雨が少ない。冬から春には三寒四温の気候である。

平壌(1981〜2010)の気候
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
日平均気温 °C (°F) −5.9
(21.4)
−2.7
(27.1)
3.3
(37.9)
10.9
(51.6)
16.7
(62.1)
21.3
(70.3)
24.0
(75.2)
24.5
(76.1)
19.3
(66.7)
12.4
(54.3)
4.5
(40.1)
−2.9
(26.8)
10.45
(50.8)
降水量 mm (inch) 11.7
(0.461)
14.7
(0.579)
25.9
(1.02)
58.3
(2.295)
83.6
(3.291)
95.4
(3.756)
310.4
(12.22)
226.5
(8.917)
122.4
(4.819)
46.8
(1.843)
39.2
(1.543)
14.4
(0.567)
1,049.3
(41.311)
出典: 気象庁[2]

歴史[編集]

牡丹台と永明寺(1945年以前)
平壌中心部(1945年以前)
東明王陵にある定陵寺1
東明王陵にある定陵寺2

古くは衛氏朝鮮の王険城で、紀元前108年にこれを征服した武帝楽浪郡治を置いた。これ以後4世紀後半に百済が領有するまで中国人による現地支配の拠点となる。

高句麗長寿王427年鴨緑江流域の集安から平壌に遷都し、高句麗王国の都となった。当初は現在の平壌市街から北東へ8kmほど離れたところにある大城山に都があり、現在も山をとりまく城壁や、王宮であった安鶴宮の跡などが残る。552年から586年にかけて、現在の平壌市街の場所に都城が築かれ大都市となったが、668年に滅ぼされた。唐は平壌を含む南満州から半島北部を管轄する安東都護府を設置して当該地方の直接支配を図るが、新羅の反乱によって遼東より南を失った。

10世紀高麗が起こると平壌を副都・西京とした。12世紀には妙清という仏教僧が西京への遷都を主張し、西京遷都運動という仏教儒教の争いが起きた。妙清は、風水説の混合した高麗仏教に基づき、高句麗の首都であり風水も良い西京に首都を遷し、高句麗の旧領土(満州)の回復の拠点とすることを掲げたが、儒家の反発で葬られ王の支持が得られなかった。1135年、妙清はついに反乱(妙清の乱)を起こしたが、金富軾ら儒家の文官らの率いる軍により翌年鎮圧された。

1269年には西京を治めていた崔坦らが反乱を起こし、西京を含めた北界54城と西海道の慈悲嶺以北の6城を率いてに帰依する事件が起きた。元は西京を遼陽行省に属する「東寧府」と改名して領土に編入した。東寧府は同じく元領となった双城総管府とともに高麗と分立したが、元の直接支配強化により1290年(至元27年)に東寧府は高麗行省(征東行省)と統合され共に元の直接支配地域となった。東寧府は元末期に再び設置されたという記録もある。

李氏朝鮮時代には平壌は平安道の首邑となった。文禄の役では日本軍が平壌にまで達している。18世紀には、冊封体制下のとの往来の中で、北京にいたキリスト教宣教師からキリスト教が朝鮮の官僚に伝わり、平安道はキリスト教徒が増加した。しかし、18世紀末には大規模なキリスト教徒弾圧が起こった。また外国勢力が朝鮮周囲に現れ、平壌では大同江を遡ってきた米国船を官民が焼き討ちするジェネラル・シャーマン号事件が起こっている。

日清戦争では平壌城は平壌の戦いの舞台となった。李朝末期の1896年に平安道が分割されて、平安南道の首邑となっている。日本統治時代には、1910年に平壌郡は平壌府となり[4]平安南道の道庁所在地となった。この頃路面電車の軌道などが整備された。また平壌神学校などキリスト教の神学校教会が設立され、キリスト教徒の人口に対する割合も増加した平壌は、宣教師ら[誰?]から「東洋エルサレム」と呼ばれる朝鮮のキリスト教布教の中心地となった[要出典]。現在の韓国のキリスト教徒には、朝鮮戦争の前後に韓国側へ移住した平壌出身者もいる。1931年には朝鮮排華事件が起き平壌で最も多くの中国人犠牲者がでた。

主体思想塔から見た金日成広場と平壌中心部

1945年ソビエト連邦軍赤軍)が北緯38度線以北を占領するとソ連軍政の中心地となり、1948年の朝鮮民主主義人民共和国成立により北朝鮮の事実上の首都となった。しかし1950年に勃発した朝鮮戦争で街は破壊され、アメリカ軍を中心とする国連軍に占領されたこともあった他、国連軍の激しい空爆を受けた。

停戦実現後、ソ連の援助で街は急速に復興を始める。朝鮮建築家同盟創設メンバーのひとりで、戦前の日本にて建築学を学んだ経験を持つ金正煕(キム・ジョンヒ)が金日成に登用され、モスクワ建築アカデミー留学後、1951年に「平壌市復旧建設総合計画」をデザインし、1953年に正式採用とされ、巨大なパレードを行える「社会主義国」特有の広場整備や、北朝鮮風のアレンジが加えられたスターリン様式建築(その他、ブラジル人建築家オスカー・ニーマイヤーの影響を大きく受けたとされるモダン建築)と言った近代的でプロパガンダ色の濃い計画都市への変貌が始まる。[5]

1968年には平安南道の道庁機能を平城市に移して直轄市となり、1972年に正式に首都となった。1980年代以降、金日成主体思想を称える記念碑や建築物、競技場ホテルが多数建設された。

行政区域[編集]

主体思想塔から見た大同江東岸の市街地
万景台区域の夜景
大同江西岸沿いの風景

19「区域」と4郡に分けられる。ただし、2011年2月には食糧難により、勝湖区域江南郡祥原郡中和郡の4つの郡・区域を黄海北道に編入し、約2630平方キロメートルの市域面積を約半分にして市域人口も50万人ほど減らしたとされる[6]。平壌市民にはこれまで配給制度が保障されていたが、深刻化する食糧難のため市の規模を縮小せざるを得なかったとみられる[7]。しかし、江南郡は2011年に黄海北道から平壌直轄市に再び編入された。

区域部[編集]

  • 中区域 - 중구역【中區域】Jung-kuyŏk (チュン=グヨク)
  • 平川区域 - 평천구역【平川區域】Phyŏngchŏn-kuyŏk (ピョンチョン=グヨク)
  • 普通江区域 - 보통강구역【普通江區域】Pothongkang-kuyŏk (ポトンガン=グヨク)
  • 牡丹峰区域 - 모란봉구역【牡丹峰區域】Moranpong-kuyŏk (モランボン=グヨク)
  • 西城区域 - 서성구역【西城區域】Sŏsŏng-kuyŏk (ソソン=グヨク)
  • 船橋区域 - 선교구역【船橋區域】Sŏnkyo-kuyŏk (ソンギョ=グヨク)
  • 東大院区域 - 동대원구역【東大院區域】Tongdaewŏn-kuyŏk (トンデウォン=グヨク)
  • 大同江区域 - 대동강구역【大同江區域】Taetongkang-kuyŏk (テドンガン=グヨク)
  • 寺洞区域 - 사동구역【寺洞區域】Satong-kuyŏk (サドン=グヨク)
  • 大城区域 - 대성구역【大城區域】Taesŏng-kuyŏk (テソン=グヨク)
  • 万景台区域 - 만경대구역【萬景臺區域】Mankyŏngtae-kuyŏk (マンギョンデ=グヨク)
  • 兄弟山区域 - 형제산구역【兄弟山區域】Hyŏngjesan-kuyŏk (ヒョンジェサン=グヨク)
  • 龍城区域 - 룡성구역【龍城區域】Ryongsŏng-kuyŏk (リョンソン=グヨク)
  • 三石区域 - 삼석구역【三石區域】Samsŏk-kuyŏk (サムソク=クヨク)
  • 力浦区域 - 력포구역【力浦區域】Ryŏkpho-kuyŏk (リョクポ=グヨク)
  • 楽浪区域 - 락랑구역【樂浪區域】Rangrang-kuyŏk (ランラン=グヨク)
  • 順安区域 - 순안구역【順安區域】Sunan-kuyŏk (スナン=グヨク)
  • 恩情区域 - 은정구역【恩情區域】Ŭnjŏng-kuyŏk (ウンジョン=グヨク)

郡部[編集]

  • 江東郡 - 강동군【江東郡】Kangtong-kun (カンドン=グン)
  • 江南郡 - 강남군【江南郡】Kangnam-kun (カンナム=グン)

年表[編集]

この節の出典[8]

  • 1912年 - 平安南道所属の平壌府が発足。
  • 1914年4月1日 - 郡面併合により、平安南道平壌府を分割し、中心区域(隆興面・隆徳面および内川面・外川面・大興面・林原面の各一部)を新たな平壌府として指定する。周辺地域の大部分が大同郡となり、一部(徳山面)が平原郡に、一部(金呂垈面の一部)が江西郡に、一部(南祭山面・乭串面の各一部)が中和郡に編入した。
  • 1928年3月 - 大同郡龍山面・西川面・大同江面の各一部を編入。
  • 1939年 - 大同郡西川面・大同江面・古平面の各一部を編入。
  • 1940年代初頭 - 大同郡秋乙美面・栗里面の各一部を編入。
  • 1945年8月15日 - 光復
  • 1946年9月 - 北朝鮮臨時人民委員会により、平安南道から分離され、平壌直轄市に昇格。日本式のに改編。(4区)
  • 1947年 - 東区の一部が平安南道中和郡南串面に編入。(5区)
  • 1948年7月 (5区)
    • 中区・西区の各一部区域を分離し、南区を設置。
    • 平安南道大同郡古平面の一部が南区に編入。
  • 1952年12月 - 郡面里統廃合により、区域に改称。(5区域)
    • 平安南道大同郡林原面の一部が西区域に編入。
    • 平安南道中和郡南串面の一部が東区域に編入。
  • 1955年2月 - 都市部のに改編。(5区域)
  • 1957年4月 - 平安南道大同郡の一部(清渓里・西浦里の各一部)が西区域に編入。(5区域)
  • 1958年6月 - 西区域・北区域の各一部を分離し、大城区域を設置。(6区域)
  • 1959年2月 (6区域)
    • 平安南道大同郡の一部(西浦里・下堂里)が西区域に編入。
    • 平安南道大同郡の一部(和盛里・清渓里)が大城区域に編入。
  • 1959年9月 (11区域)
    • 中区域・南区域の各一部が平安南道大同郡の一部(大同邑・万景台里・龍峯里・龍山里・棠村里・古泉里)と合併し、万景台区域が発足。
    • 大城区域の一部が平安南道順安郡の一部(新美里・中二里・龍城労働者区・馬山里・西里・下次里・下里)と合併し、龍城区域が発足。
    • 平安南道勝湖郡の一部(湖南里・円興里・元新里・大泉里・聖文里・魯山里・三石里)、江東郡の一部(広徳里・三成里・道徳里)が合併し、三石区域が発足。
    • 平安南道勝湖郡の一部(勝湖邑・梨川里・槐陰里・立石里・梨峴里・五柳里・大園里・鳳島里・金灘里)、中和郡の一部(楸塘里・堂井里・大峴里・石井里)が合併し、勝湖区域が発足。
    • 東区域の一部が平安南道江南郡の一部(猿岩労働者区・松南里・甫城里・南寺里)、中和郡の一部(柳巣里・柳絃里・力浦里・陽陰里)と合併し、楽浪区域が発足。
    • 東区域が船橋区域に改称。
    • 西区域が西城区域に改称。
    • 南区域が外城区域に改称。
    • 北区域が寺洞区域に改称。
    • 平安南道大同郡の一部(川南里)、平安南道順安郡の一部(鶴山里・新間里)が西城区域に編入。
  • 1960年10月 (18区域)
    • 外城区域の一部を分離し、平川区域を設置。
    • 中区域・外城区域の各一部を分離し、普通江区域を設置。
    • 西城区域・大城区域の各一部を分離し、牡丹峰区域を設置。
    • 船橋区域・寺洞区域の各一部を分離し、東大院区域を設置。
    • 寺洞区域・船橋区域の各一部を分離し、大同江区域を設置。
    • 楽浪区域・勝湖区域の各一部を分離し、力浦区域を設置。
    • 西城区域・万景台区域・龍城区域の各一部が平安南道順安郡の一部(大陽里の一部)と合併し、兄弟山区域が発足。
    • 平安南道江東郡の一部(金玉里・貨泉里・三青里)が勝湖区域に編入。
    • 平安南道大同郡の一部(金泉里の一部)が万景台区域に編入。
  • 1963年5月 - 平安南道中和郡・江南郡・祥原郡が平壌直轄市に移管。(18区域3郡)
  • 1965年1月 - 江南郡の一部(金垈里・碧只島里)が楽浪区域に編入。(18区域3郡)
  • 1965年 (18区域3郡)
    • 中和郡の一部(戊辰里)が力浦区域に編入。
    • 祥原郡の一部(徳洞里)が寺洞区域に編入。
    • 龍城区域の一部が平安南道順川郡の一部(鳳鶴里・舎人里・㯖山里)、順安郡の一部(上次里)と合併し、平安南道平城区となる。
  • 1966年3月 - 平安南道大同郡の一部(大平里・金泉里・望日里・元魯里)が万景台区域に編入。(18区域3郡)
  • 1967年 - 万景台区域の一部(元魯里の一部)が平安南道大同郡元川里に編入。(18区域3郡)
  • 1967年10月 - 江南郡の一部(白雲里・真広里・東山里・乾山里および唐谷里の一部)が中和郡に編入。(18区域3郡)
  • 1972年4月 - 平安南道順安郡の一部(順安邑・宅庵里・九瑞里・星州里・梧山里・安興里・龍伏里・山陽里・在京里・川東里・大陽里)を編入し、順安区域を設置。(19区域3郡)
  • 1979年12月 - 中区域・外城区域が合併し、中区域が発足。(18区域3郡)
  • 1981年10月 - 大同江区域の一部を分離し、紋繍区域を設置。(19区域3郡)
  • 1983年3月 (18区域4郡)
    • 紋繍区域が大同江区域に編入。
    • 平安南道江東郡が平壌直轄市に移管。
  • 1995年5月 - 平安南道平城市の一部(㯖山洞・裴山洞および地境洞・松嶺洞の各一部)が分離し、恩情区域が発足。(19区域4郡)
  • 1995年11月 (19区域4郡)
    • 平安南道成川郡の一部(百源労働者区の一部)が江東郡に編入。
    • 黄海北道延山郡の一部(松山里の一部)が祥原郡に編入。
  • 1996年6月 - 平安南道平原郡の一部(石岩里の一部)が順安区域に編入。(19区域4郡)
  • 1999年12月 - 平安南道平城市の一部(敬信里の一部)が江東郡に編入。(19区域4郡)
  • 2000年11月 - 平安南道平城市の一部(松嶺洞の一部)が恩情区域に編入。(19区域4郡)
  • 2010年末 - 勝湖区域・祥原郡・中和郡・江南郡が黄海北道に編入。(18区域1郡)
  • 2011年 - 江南郡が再び平壌直轄市に編入。(18区域2郡)

世界遺産[編集]

観光名所[編集]

凱旋門]
人民大学習堂

政治機関等[編集]

教育機関[編集]

施設[編集]

錦繍山太陽宮殿
祖国統一三大憲章記念塔

博物館[編集]

記念施設等[編集]

文化施設[編集]

スポーツ施設[編集]

羊角島の競技場と平壌国際映画会館
  • 金日成競技場 - 10万人収容、凱旋門付近
  • メーデースタジアム - アリラン祭典が開かれる世界ランク第2位の15万人の収容能力を誇る巨大競技場、綾羅(ルンラ)島
  • 羊角島(ヤンガクド)競技場 - 羊角島[9]
  • 平壌ボウリング館
  • 平壌ゴルフ練習場
  • 氷上館(アイススケートセンター)
  • 蒼光院(ヘルスセンター)
  • 柳京鄭周永体育館
  • 平壌体育館
他、市街地の西郊にあるニュータウン、青春通りにはソウルオリンピックと同時期に体操競技場やバスケットボール場などさまざまな体育施設が建設されたなど、市周辺には施設が多い。

娯楽施設[編集]

凱旋遊園地
  • 万景台遊園地
  • 大城山遊園地
  • 普通江遊園地
  • 凱旋青年公園
  • 中央動物園
  • 中央植物園

主なホテル[編集]

平壌高麗ホテル

級は朝鮮民主主義人民共和国における格付け

  • 特級」のホテル
    • 平壌高麗ホテル - 中区域東興洞(蒼光通り)。45階建てのツインタワー。最上部は両タワーとも回転レストランになっている。500客室。
    • 羊角島国際ホテル - 中区域柳城洞(羊角島)。高さ178mの48階建てホテル。最上部は回転レストランになっている。1001客室。
  • 1級」のホテル
  • 2級」のホテル
  • 3級」のホテル
    • 解放山ホテル - 中区域解放山洞。83客室。
  • 柳京ホテル(リュギョンホテル)
105階建て330mの超高層豪華ホテルとして計画されたが予算不足のため建設途中で頓挫。設計ミスとの指摘もある。しばらく雨ざらし状態だったが、2008年4月に工事を再開し、2013年、部分開業を目指している。

商業施設[編集]

ヘダンファ館

宗教施設[編集]

本社を置く主な企業[編集]

交通[編集]

順安国際空港
ライトアップされた平壌駅舎
ライトアップされた平壌駅
平壌地下鉄
平壌市内を走るタクシー
平壌市内を走るタクシー

空港[編集]

鉄道[編集]

路線(朝鮮民主主義人民共和国の鉄道

バス[編集]

高速道路[編集]

姉妹都市[編集]

出身著名人[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 北朝鮮が「マンション崩壊」を報じた裏事情”. 東洋経済オンライン (2014年5月18日). 2014年12月23日閲覧。
  2. ^ 平年値データ ピョンヤン(平壌)”. 気象庁 (2013年4月). 2013年4月2日閲覧。
  3. ^ Pyongyang, North Korea Climate Normals 1961-1990”. World Climate Home. 2013年4月1日閲覧。
  4. ^ 明治43年10月1日朝鮮総督府令第7号による。『朝鮮総督府官報』第29号p. 14(明治43年10月1日)を参照。
  5. ^ 「写真と絵で見る 北朝鮮現代史」(著:金聖甫〈キム・ソンボ〉、キ・グァンソ、イ・シンチョル 監修:李泳采(イ・ヨンチェ) 出版:コモンズ
  6. ^ 北朝鮮、平壌市の規模を半分に縮小 食糧事情悪化で「革命の心臓部」の規模を縮小か 2011/02/15 09:19:28 朝鮮日報
  7. ^ 北朝鮮が平壌市の規模を半分にしたワケ 特別待遇を続けるのが困難に 2011/02/15 09:22:24 朝鮮日報
  8. ^ 평양시 역사
  9. ^ スタジアム世界ランキング

関連項目[編集]

外部リンク[編集]