国士舘中学校・高等学校

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国士舘中学校・高等学校
Kokushikan highschool.jpg
過去の名称 至徳中学校・高等学校
国公私立の別 私立学校
設置者 学校法人国士舘
設立年月日 1917年(大正6年)
創立者 柴田徳次郎
共学・別学 男女共学
中高一貫教育 併設型(外部混合有)
課程 全日制課程
定時制課程
通信制課程
単位制・学年制 学年制
設置学科 普通科
学期 2学期制
高校コード 13639F
所在地 154-8553
外部リンク 中学校公式サイト
高等学校(全日制)公式サイト
高等学校(定時制)公式サイト
高等学校(通信制)公式サイト
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国士舘中学校・高等学校(こくしかんちゅうがっこう・こうとうがっこう)は、東京都世田谷区に所在し、中高一貫教育を提供する男女共学私立中学校高等学校。高等学校において、中学校から入学した内部進学の生徒と高等学校から入学した外部進学の生徒との間では、第1学年から混合してクラスを編成する併設型中高一貫校[1]

概要[編集]

高校では普通科(全日制課程定時制課程通信制課程)を設置している。進学は、系列の国士舘大学だけでなく他大学への進学も各課程とも増加傾向である。

体育教育に長けている学校であり、区や都の大会でも優秀な成績を多く収めている。男子柔道部が獲得した全国タイトルは、全国高校最多の計31回(金鷲9回・インターハイ14回・選手8回)を誇る

略年表[編集]

国士舘の設立を協議する有志 前列左から頭山満野田卯太郎渋沢栄一徳富蘇峰、後列左から花田半助渡辺海旭柴田徳次郎[2]
  • 1913年(大正2年) - 創立者柴田徳次郎玄洋社の流れを汲む青年大民団を結成(顧問・頭山満三浦梧楼)
  • 1917年(大正6年) - 東京・麻布に私塾「國士館」(夜間)創立
  • 1919年(大正8年) - 松陰神社隣接地に移転、国士舘高等部を設置(校長・長瀬鳳輔)
  • 1921年(大正10年) - 財団法人国士舘維持委員会発足(会長・栗野慎一郎
  • 1921年(大正10年) - 淳宮(後の秩父宮)雍仁親王来学
  • 1922年(大正11年) - 国士神社建立(昭和3年松陰神社社殿を移築)
  • 1923年(大正12年) - 国士舘中等部設置、関東大震災に際し一般避難民救済のため学内を開放
  • 1925年(大正14年) - 国士舘中学校設置(校長・長瀬鳳輔)
  • 1926年(大正15年) - 荏原郡西部6か町村合同経営の国士舘商業学校設置(校長・大場信続
  • 1929年(昭和4年) - 国士舘専門学校設置
  • 1929年(昭和4年) - 国士舘実務学校設置(校長・水野錬太郎
  • 1929年(昭和4年) - 東久邇宮稔彦王来学
  • 1930年(昭和5年) - 国士舘高等拓殖学校設置(校長・上塚司
  • 1930年(昭和5年) - 李王垠来学、来校記念に松の木を植樹
  • 1931年(昭和6年) - 賀陽宮恒憲王来学
  • 1933年(昭和8年) - 国士舘関係者により満州国鏡泊学園設置(総長・渡辺海旭
  • 1937年(昭和12年) - 頭山満徳富蘇峰、国士舘憲則発表(金子堅太郎緒方竹虎松野鶴平小坂順造など29人が連署)
  • 1938年(昭和13年) - 国士神社境内に松下村塾を模した「景松塾」竣工(昭和16年松陰神社へ寄贈)
  • 1939年(昭和14年) - 国士舘専門学校/興亜科設置(発起人藤原繁)
  • 1940年(昭和15年) - 国士舘中学校、校歌の歌詞楽曲について文部省から許可をうける
  • 1941年(昭和16年) - 国士舘専門学校/興亜科増設興亜専門学校として分離独立(亜細亜大学の前身)
  • 1944年(昭和19年) - 戦時非常措置により、国士舘商業学校を国士館工業学校に転換設置
  • 1945年(昭和20年) - 東京大空襲により校舎全焼、焼け残ったのは大講堂と柔・剣道場と寮の一部のみ
  • 1946年(昭和21年) - 国士舘名使用禁止により至徳学園と改称 命名は徳富蘇峰
  • 1947年(昭和22年) - 至徳中学校設置
  • 1948年(昭和23年) - 至徳商業高等学校設置
  • 1948年(昭和23年) - 至徳高等学校設置
  • 1953年(昭和28年) - 至徳学園を国士舘の原称に復す、国士舘高等学校、国士舘中学校となる
  • 1953年(昭和28年) - 国士舘短期大学設置
  • 1957年(昭和32年) - 国士舘高等学校海洋少年団結成
  • 1958年(昭和33年) - 国士舘大学設置
  • 1960年(昭和35年) - 何応欽、中華民国元帥が来学
  • 1962年(昭和37年) - 国士舘高等学校同志会発足
  • 1963年(昭和38年) - 高等学校に工業に関する学科(機械科・電気科)設置
  • 1964年(昭和39年) - 校舎8号館が竣工、主に中学校・高等学校、大学工学部が使用
  • 1967年(昭和42年) - 草地貞吾校長就任、「国士の家」表彰制度発足
  • 1968年(昭和43年) - 寄宿舎「松陰寮」竣工
  • 1973年(昭和48年) - 1月26日、創立者柴田徳次郎死去(享年83)、3月に学園葬(葬儀委員長:石井光次郎
  • 1974年(昭和49年) - 「国士舘高校新聞」を創刊
  • 1977年(昭和49年) - 「柴田徳次郎銅像」除幕式
  • 1979年(昭和54年) - 高等学校交通遺児に対する授業料免除制度発足
  • 1981年(昭和56年) - 大学の多摩キャンパスに高校野球部グランドを開設
  • 1983年(昭和58年) - 柴田会館落成
  • 1986年(昭和61年) - 高等学校にコンピューター室開設
  • 1987年(昭和62年) - 国士舘中学校・高等学校に生徒会発足
  • 1989年(平成元) - 高等学校(定時制商業科)の修業年限を3年制に改編、国士舘資料室開設
  • 1992年(平成4年) - 国士舘高等学校同窓会発足(翌5年、国士舘中学校・高等学校同窓会に改組)
  • 1993年(平成5年) - 高等学校(定時制商業科)の募集停止(定時制普通科)を新設
  • 1994年(平成6年) - 中学校・高等学校男女共学制導入、新校舎竣工
  • 1998年(平成10年) - 体育・武道館竣工。中央図書館開館
  • 1999年(平成11年) - 松陰寮を24号館(高等学校東校舎)に改称
  • 2000年(平成12年) - 高等学校に(通信制課程普通科)設置
  • 2003年(平成15年) - 中学校・高等学校、半旭光図版の校旗から、八葉楓の校章に変更
  • 2005年(平成17年) - 多摩球心寮(高校野球部寮)竣工
  • 2005年(平成17年) - 高等学校(定時制普通科)の始業開始時間を14時に、週5日制・2学期制に変更
  • 2008年(平成20年) - 世田谷キャンパス梅ヶ丘校舎教育棟竣工
  • 2013年(平成25年) - 旧第二体育館跡地に複合施設・メイプルセンチュリーホール竣工
  • 2017年(平成29年) - 創立100周年を迎える

舘歌[編集]

校歌
  • 舘歌(作詞:柴田徳次郎、作曲:東儀鉄笛) - 学校法人国士舘(中・高・大)では校歌を「舘歌」と称している。
  • 国士舘中学校校歌(作曲:土井晩翠、作曲:山田耕筰) - 過去には著名な詩人によって作られた校歌があった。(昭和11年~15年)
応援歌
  • 第一応援歌 - 昭和世代のOB会などで歌われている。
  • 第二応援歌 - 高校野球の応援歌などで歌われている。
  • 国士のテーマ - 吹奏楽部の演奏で主に高校野球のチャンス場面で使われている。

交通[編集]

部活動[編集]

運動系クラブ活動
  • 柔道部
  • 剣道部
  • 硬式野球部
  • 軟式野球部
  • サッカー部
  • 陸上競技部(女子)
  • バスケットボール部(男子)
  • バスケットボール部(女子)
  • 硬式テニス部
  • パワーリフティング部
  • 日本拳法部
  • バレーボール部(女子)
  • 卓球部
  • アウトドア部
  • 新体操部
  • 水泳部
  • 空手道部
  • バトミントン部
  • チアリーディング部
文化系クラブ活動
  • 美術部
  • 吹奏楽部
  • 書道部
  • 茶道部
  • イラスト部
  • 科学研究会
  • 生活研究部
  • パソコン同好会
  • ISO14001研究会

創立者・柴田徳次郎[編集]

創立者:柴田徳次郎

1890年(明治23年)12月20日、福岡県に生まれる。14歳で上京し、牛乳配達など苦学の末に芝中学校早稲田大学専門部を卒業。在学時より同郷の頭山満野田卯太郎中野正剛らの知遇を得た。1917年(大正6年)11月、26歳で同志とともに国士舘を創立した。 その後、法人化して中学校・商業学校・専門学校を設立、多くの青少年に教育の門戸を開き、文武両道の精神を基本とする人材の育成に努める。戦災で校舎を失う苦難を乗り越え、国士舘の再建復興をはかり、中学・高校・大学・大学院を一貫する学校法人国士舘の基礎を築いた。

1973年(昭和48年)死去、享年83。正四位勲二等端宝章。経済学博士。

著名な関係者[編集]

会長・栗野慎一郎
国士舘維持委員会(大正10年7月発足)

国士舘中学校創設に向けて維持委員会は「中学校創設基本金募集覚書」をまとめ、これに基づく募金活動が全国で行われた。大正11年6月には三井家岩崎家(各6,000円)、日本銀行(2,000円)、松方幸次郎(3,000円)、渋沢栄一浅野総一郎(各2,000円)、服部金太郎麻生太吉(各1,000円)などから毎年の資金援助が約束されていた。維持委員会の会場は渋沢栄一邸・交詢社・丸の内銀行倶楽部などの社交場にて開催され、各界の名士によって国士舘の整備拡張と資金援助が構想された。

著名な教員・職員[編集]

主な出身者[編集]

07年全日本柔道選手権大会決勝(国士舘高OBによる対決)
石井慧(左)vs鈴木桂治(右)

研究者[編集]

政治[編集]

オリンピック出場選手[編集]

柔道[編集]

剣道[編集]

プロ野球[編集]

サッカー[編集]

格闘技[編集]

  • マサ斎藤 元プロレスラー、米国(ルー・テーズ)レスリング博物館殿堂入り

文化芸能[編集]

その他未分類[編集]

出典・脚注及び参照[編集]

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  1. ^ 国士舘高校の学校情報(高校受験パスナビ)(旺文社)の「ワンポイント情報」の冒頭に「●内部進学生とは1年次から混合クラス。」と掲載されている。
  2. ^ 田中健介 『柴田徳二郎伝』(PDF)、9頁。2011年6月5日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]