大野敏隆

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Jump to navigation Jump to search
大野 敏隆 Football pictogram.svg
名前
愛称 ハル
カタカナ オオノ ハルタカ
ラテン文字 ONO Harutaka
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1978-05-12) 1978年5月12日(40歳)
出身地 埼玉県
身長 173cm[1]
体重 72kg[1]
選手情報
ポジション MF[1]
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1997-2005 柏レイソル 155 (19)
2003 京都パープルサンガ (loan) 12 (0)
2004 名古屋グランパス (loan) 12 (0)
2006-2008 東京ヴェルディ 70 (6)
1. 国内リーグ戦に限る。2008年12月8日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

大野 敏隆(おおの はるたか、1978年5月12日 - )は、埼玉県生まれ[1][2]群馬県育ち[2]の元プロサッカー選手。ポジションはMF

来歴[編集]

1997年前橋商業高校から柏レイソルに入団。ユース代表では中村俊輔とともに"W司令塔"とよばれチームの中心であった。柏では3年目から背番号10を与えられ、卓越したテクニックとパスワークで、長くチームの主力選手として活躍した。柏が初タイトルを獲得した1999年のヤマザキナビスコカップ決勝の鹿島アントラーズ戦では先制ゴールをあげた[3]

2003年6月より京都パープルサンガ期限付き移籍[4]2004年には名古屋グランパスエイトに期限付き移籍。契約期間は2004年2月から翌年1月までだったが[5]、2004年9月1日付で柏に復帰[6]。降格危機の柏に呼び戻され、J1・J2入れ替え戦でもゴールを決めJ1残留に貢献した。

だが2005年は入れ替え戦に敗れ柏はJ2降格。大野は、柏でコーチを務めたラモス瑠偉が新監督に就任した東京ヴェルディ1969へ完全移籍。2006年は新入団選手としては異例の主将に指名された[7]。だが、6月21日の第23節ヴィッセル神戸戦で腰部に痛みを訴え途中交代。外傷性腰部椎間板ヘルニアと診断され同月30日に手術を受けた。第44節古巣の柏戦で復帰するがベストコンディションにはほど遠く、結局その後試合に出場することなくシーズンを終えた。

2007年は前年の怪我の影響があり、途中交代や欠場する試合が多かったものの、主将としてチームを引っ張り、J1復帰に貢献した。

2008年、東京VのJ1昇格に伴い、柱谷哲二が監督に昇格。前年自身が欠場している際にほとんどの試合でキャプテンマークを巻いていた服部年宏が主将を継ぎ、開幕当初はベンチを温める日々が続いていた。しかし、チームのシステム変更に伴い出場機会を得てからは、スタメンで試合に出場していた。8月18日に都内の病院にて腰部椎間板ヘルニアの手術を行い、全治3ヶ月であることが発表された。シーズン終盤に復帰したもののチームはJ2に降格、大野も2008年限りでの退団が発表された。

元所属クラブなどから公式発表はなかったが、2010年3月15日付の『桐生タイムス』に大野がサッカースクールを開設するという記事が掲載され、引退した事が判明している[8]

2017年現在は、自身のサッカークラブチームにて、ジュニア、ジュニアユースの指導者として活動している。

所属クラブ[編集]

ユース経歴
プロ経歴

個人成績[編集]

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
1997 24 J 7 0 0 0 0 0 7 0
1998 13 28 2 2 0 0 0 30 2
1999 10 J1 12 1 8 1 3 1 23 3
2000 27 4 2 1 2 0 31 5
2001 26 9 3 0 1 1 30 10
2002 22 2 6 2 0 0 28 4
2003 3 0 1 0 - 4 0
京都 31 12 0 1 0 1 0 14 0
2004 名古屋 11 10 0 4 0 - 14 0
14 12 0 0 0 0 0 12 0
2005 18 1 5 1 2 0 25 2
2006 東京V 11 J2 21 3 - 0 0 21 3
2007 34 3 - 0 0 34 3
2008 J1 15 0 4 0 0 0 19 0
通算 日本 J1 192 19 41 6 11 2 244 27
日本 J2 55 6 - 0 0 55 6
総通算 247 25 41 6 11 2 299 33

その他の公式戦

国際大会個人成績
年度 クラブ 背番号 出場 得点
AFCACL
2006 東京V 11 2 0
通算 AFC 2 0
  • Jリーグ初出場 - 1997年7月9日 J 1stステージ 第14節 対京都パープルサンガ戦[1]
  • Jリーグ初得点 - 1998年4月4日 J 1stステージ 第4節 対清水エスパルス戦[1]

代表歴[編集]

タイトル[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g h 登録選手一覧表 Jリーグ 2008.12.12.
  2. ^ a b いしかわごう (2007年12月13日). “大野敏隆選手インタビュー 後編”. 空間都市『八王子』. 2018年8月18日閲覧。
  3. ^ “Jリーグ・ナビスコ杯決勝”. 朝日新聞. http://www.asahi.com/paper/sports/j-league/nabiscoindex.html 2018年8月18日閲覧。 
  4. ^ “柏レイソル・大野敏隆選手の期限付き移籍決定(03.06.12)” (プレスリリース), 京都パープルサンガ, (2003年6月12日), https://www.jleague.jp/jsgoal_archive/official/detail.php?press_code=00000575 2018年8月18日閲覧。 
  5. ^ “「大野 敏隆(おおの はるたか)」選手、新加入(期限付移籍)のお知らせ(04.01.16)” (プレスリリース), 名古屋グランパスエイト, (2004年1月16日), https://www.jleague.jp/jsgoal_archive/official/detail.php?press_code=00004740 2018年8月18日閲覧。 
  6. ^ “大野敏隆選手が名古屋グランパスエイトから復帰(04.09.02)” (プレスリリース), 柏レイソル, (2004年9月2日), https://www.jleague.jp/jsgoal_archive/official/detail.php?press_code=00011218 2018年8月18日閲覧。 
  7. ^ “ラモス、サプライズ人事!主将に新加入・大野を抜擢”. SANSPO.COM. (2006年1月21日). オリジナル2006年3月18日時点によるアーカイブ。. http://web.archive.org/web/20060318113047/http://www.sanspo.com/soccer/top/st200601/st2006012106.html 2018年8月18日閲覧。 
  8. ^ 元Jリーガーの大野敏隆さんが小学生向けにスクール開始
  9. ^ U-23日本代表候補 トレーニングキャンプ メンバー(8/22~8/26)(00.08.17)
  10. ^ “日本代表候補トレーニングキャンプ(キリンビバレッジサッカー2000)12月12日・13日(00.12.01)” (プレスリリース), 日本サッカー協会, (2000年12月1日), http://www.jfa.or.jp/archive/daihyo/daihyo/news/001201_01.html 2018年8月18日閲覧。 
  11. ^ “日本代表候補トレーニングキャンプ(2/18~23 Jヴィレッジ)(01.01.25)” (プレスリリース), 日本サッカー協会, (2001年1月25日), http://www.jfa.or.jp/archive/daihyo/daihyo/news/010125_01.html 2018年8月18日閲覧。 
  12. ^ “日本代表候補トレーニングキャンプ(3/12・13)について01.03.06)” (プレスリリース), 日本サッカー協会, (2001年3月6日), http://www.jfa.or.jp/archive/daihyo/daihyo/news/010306_01.html 2018年8月18日閲覧。 
  13. ^ “日本代表候補 トレーニングキャンプ(9/24・25)について(01.09.19)” (プレスリリース), 日本サッカー協会, (2001年9月19日), http://www.jfa.or.jp/archive/daihyo/daihyo/news/010919_01.html 2018年8月18日閲覧。 

外部リンク[編集]