美濃部直彦

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美濃部 直彦
名前
カタカナ ミノベ ナオヒコ
ラテン文字 MINOBE Naohiko
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1965-07-12) 1965年7月12日(58歳)[1][2]
出身地 滋賀県守山市
身長 176cm
体重 66kg
選手情報
ポジション DF
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1984-1993 松下電器 / ガンバ大阪
1994-1995 京都パープルサンガ 42 (0)
監督歴
1998-2003 京都パープルサンガユース
2006-2007 京都パープルサンガ
2008-2011 徳島ヴォルティス
2013-2015 AC長野パルセイロ
2021- ポルベニル飛鳥/飛鳥FC
1. 国内リーグ戦に限る。2013年12月18日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj
美濃部直彦

美濃部 直彦(みのべ なおひこ、1965年7月12日 - )は、滋賀県守山市幸津川町出身の元サッカー選手、サッカー指導者。

来歴[編集]

選手時代[編集]

選手時代はDF(主に右サイドバック)としてプレー。

中洲小学校、守山北中学校を経て守山高校に進み、1982年度の第60回全国高等学校サッカー選手権大会では滋賀県勢として初となる準決勝進出に貢献した[3] 。高校では1学年上に望月聡、2学年下に井原正巳がいた[3]

高校を卒業した1984年より松下電器産業サッカー部(1992年からガンバ大阪)に加入[1]、1985年の日本サッカーリーグ1部昇格、1990年度天皇杯の優勝に貢献[3]。Jリーグ初年度となった1993年シーズン終了後、チームの大幅な中堅選手の多量解雇により退団[3]。美濃部のもとには名古屋グランパスエイトJFL(旧JFL)の京都パープルサンガ(現:京都サンガF.C.)からオファーが届いたが、引退後に育成スタッフ入りするという条件をのみ、京都への移籍を決めた[3]。京都では初代主将を務め[1][4]、1995年に現役を引退した[1]

指導者時代[編集]

引退後は京都のスタッフ入りし、1996年から1997年までJrユースコーチ[1]、1998年から2003年までユース監督[1]、2003年に普及育成副部長など、8年間にわたって育成部門に携わった[3]。ユース監督時代の2000年に日本クラブユース選手権に準優勝、2001年にJユースカップに優勝した[5]。また、2003年にJFA 公認S級コーチのライセンスを取得した[1]

2004年から2006年まで西村昭宏[5]柱谷幸一のもとでトップチームのヘッドコーチを務める[1]。2006年10月3日、成績不振による柱谷の監督解任および美濃部の監督昇格がクラブより発表された[6]。9試合で1勝もできずJ2降格が決まったが[3]、美濃部は翌2007年も引き続き指揮を執ることになった[7]。2007年のJ2リーグでは、7月以降、自動昇格圏内の2位を維持し続けていたが、暫定4位へと順位を下げると、第45節の試合前日である10月13日に美濃部の解任が発表された(後任は総監督であった加藤久[8][9]

2008年より徳島ヴォルティスの監督に就任[1]、同年はJ2最下位に終わる。2009年は18チーム中9位、2010年は19チーム中8位と2年連続で前年順位を上回る成績を収めた。2011年は最終節まで昇格の可能性を残したが、札幌に勝ち点3差で及ばず、4位の成績。シーズン終了後に監督を退任。

2012年は佐川印刷SCのテクニカルアドバイザー[1][2] および京都産業大学サッカー部のヘッドコーチを務めたほか[1][10]、サッカースクール「MINOBE FOOTBALL ACADEMY」を立ち上げた[3]

2013年よりAC長野パルセイロの監督に就任[1]JFL新記録となる24戦無敗を達成し、チームを初優勝に導いた[11]。なお、同年のJFL最優秀監督賞を受賞した[12]天皇杯ではJ1の名古屋などに勝利して4回戦(ベスト16)に進出した[3]J3リーグ発足1年目の2014年はリーグ2位となり、J2・J3入れ替え戦へと進出したが、カマタマーレ讃岐に敗れてJ2昇格は叶わなかった[11]。2015年8月、体調不良により長野の監督を辞任[11]。辞任時点での順位は入れ替え戦圏内まで勝点差3の3位だった[11]

同年12月24日にギラヴァンツ北九州のコーチに就任することが発表されたが[13]2016年シーズンに北九州のJ3への降格をうけて、2016年シーズンの契約をもって退団[14]

2017年より長野パのゼネラルマネージャーに就任[15]。2018年シーズン終了をもって退任した[16]

2021年1月12日、ポルベニル飛鳥の監督に就任することが発表された[17]

人物[編集]

鼻の下のヒゲがトレードマーク。1993年に怪我した際のリハビリ中から伸ばしはじめ、復帰した後に怪我をしなかったことから続けている[18]。また、京都時代には京都のスポンサーである任天堂のゲームキャラクターから『ルイージ』という愛称もあった[19]

所属クラブ[編集]

個人成績[編集]

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 JSL杯/ナビスコ杯 天皇杯 期間通算
1984 松下 JSL2部
1985
1986-87 5 JSL1部 18 0
1987 JSL2部
1988-89 JSL1部 3 0 1 0
1989-90 7 0 0 0
1990-91 21 1 0 0
1991-92 6 18 1 3 0
1992 G大阪 - J - 2 1 1 1 3 2
1993 13 2 4 0 0 0 17 2
1994 京都 2 旧JFL 29 0 - 3 0 32 0
1995 13 0 - 0 0 13 0
通算 日本 J 13 2 6 1 1 1 20 4
日本 JSL1部 67 2
日本 JSL2部
日本 旧JFL 42 0 -
総通算

その他の公式戦

指導歴[編集]

監督成績[編集]

年度 クラブ 所属 リーグ戦 カップ戦
順位 勝点 試合 ナビスコ杯 天皇杯
2006 京都 J1 18位 4 9 0 4 5 - 4回戦
2007 J2 3位 71 40 20 11 9 - -
2008 徳島 15位 29 42 7 8 27 - 3回戦
2009 9位 72 51 19 15 17 - 2回戦
2010 8位 51 36 15 6 15 - 3回戦
2011 4位 65 38 19 8 11 - 2回戦
2013 長野 JFL 優勝 72 34 21 9 4 - 4回戦
2014 J3 2位 69 33 20 9 4 - 2回戦
2015 3位 70 36 21 7 8 - 2回戦
2021 飛鳥 関西1部 3位 27 14 8 3 3 - 1回戦
通算 日本 J1 - - 9 0 4 5
日本 J2 - - 207 80 48 79
日本 J3 - - 69 41 16 12
日本 JFL - - 34 21 9 4
日本 関西1部 - - 14 8 3 3
  • 2006年は第26節より就任 (順位は最終順位)
  • 2007年は第44節で解任 (順位は解任時順位)
  • 2015年は第24節で辞任

タイトル[編集]

選手時代[編集]

クラブ[編集]

松下電器

監督時代[編集]

AC長野パルセイロ
ポルベニル飛鳥

表彰[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t 美濃部直彦氏 トップチーム監督就任のお知らせ』(プレスリリース)AC長野パルセイロ、2012年12月28日http://parceiro.co.jp/news/top/201212281230.html2013年12月19日閲覧 
  2. ^ a b c d e テクニカルアドバイザー就任のお知らせ』(プレスリリース)佐川印刷SC、2012年2月1日http://www.spcom.co.jp/sports/football/info/2012/index20120201.html2013年12月19日閲覧 
  3. ^ a b c d e f g h i 宇都宮徹壱 「美濃部直彦(AC長野パルセイロ監督) 育てながら勝つ指揮官の情熱と信念」 『フットボール批評』 Issue 03、カンゼン、66-70頁。
  4. ^ 京都サンガ応援特集 - レジェンド躍動 設立20周年記念試合”. 京都新聞. 京都新聞社 (2014年6月29日). 2017年2月14日閲覧。
  5. ^ a b トップチームのコーチングスタッフについて”. 京都パープルサンガ (2004年1月20日). 2004年12月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年2月14日閲覧。
  6. ^ 京都の柱谷監督が解任”. nikkansports.com. 日刊スポーツ新聞社 (2006年10月3日). 2006年11月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年2月14日閲覧。
  7. ^ 美濃部直彦 監督続投のお知らせ”. 京都パープルサンガ (2006年12月4日). 2007年1月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年2月14日閲覧。
  8. ^ 京都が美濃部監督解任、加藤総監督指揮へ”. nikkansports.com. 日刊スポーツ新聞社 (2007年10月14日). 2008年1月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年2月14日閲覧。
  9. ^ 監督交代のお知らせ”. 京都サンガF.C. (2007年10月13日). 2007年10月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年2月14日閲覧。
  10. ^ 京都産業大学と契約 Mino Blog 2012年2月2日掲載
  11. ^ a b c d 長野、美濃部監督が健康上の理由で辞任…後任は衛藤ヘッドコーチ”. サッカーキング. フロムワン (2015年8月6日). 2017年2月14日閲覧。
  12. ^ 第15回日本フットボールリーグ表彰式 受賞者決定!』(プレスリリース)AC長野パルセイロ、2013年12月4日http://parceiro.co.jp/news/topic/201312042026.html2013年12月19日閲覧 
  13. ^ 美濃部 直彦 氏 コーチ就任のお知らせ』(プレスリリース)ギラヴァンツ北九州、2015年12月24日。 オリジナルの2016年1月26日時点におけるアーカイブhttps://web.archive.org/web/20160126190851/http://www.giravanz.jp:80/news/2015/12/post-543.html2015年12月24日閲覧 
  14. ^ “北九州、J3降格を受け指導者一新 美濃部コーチらスタッフも総退陣”. スポニチアネックス. (2016年11月23日). https://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2016/11/23/kiji/K20161123013777870.html 2016年11月24日閲覧。 
  15. ^ “美濃部直彦氏ゼネラルマネージャー就任のお知らせ”. AC長野パルセイロ. (2016年12月9日). http://parceiro.co.jp/news/topic/201612095435.html 2016年12月9日閲覧。 
  16. ^ 長野、阪倉裕二監督が退任へ…美濃部直彦GM、小笠原唯志強化ダイレクターも”. サッカーキング (2018年11月20日). 2019年1月1日閲覧。
  17. ^ 【ポルベニル飛鳥】監督就任のお知らせ』(プレスリリース)ポルベニルカシハラ、2021年1月12日http://www.porvenir.jp/news/2021/01/post-121.html2021年1月12日閲覧 
  18. ^ 徳島ヴォルティスの来季監督に決まった美濃部直彦(みのべ・なおひこ)さん徳島新聞web 2007年12月17日掲載
  19. ^ 京都のマリオとルイージに別れ”. スポーツ報知記者ブログ (2007年10月20日). 2008年12月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年2月14日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]