コンテンツにスキップ

杉山誠

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
杉山 誠
名前
カタカナ スギヤマ マコト
ラテン文字 SUGIYAMA Makoto
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1960-05-17) 1960年5月17日(64歳)
出身地 静岡県藤枝市
身長 180cm
体重 72kg
選手情報
ポジション DFMF
ユース
1976-1978 日本の旗 静岡学園高校
1979-1982 日本の旗 東京農業大学
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1983-1991 日本の旗 日産自動車 130 (0)
1991-1993 日本の旗 住友金属/鹿島アントラーズ 55 (1)
1994-1996 日本の旗 京都パープルサンガ 41 (1)
通算 226 (2)
代表歴
1979  日本U-20 0 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

杉山 誠(すぎやま まこと、1960年5月17日 - )は、静岡県藤枝市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。 ポジションはDF。双子の弟の杉山実[1] も元サッカー選手である。

来歴

[編集]

藤枝市立藤枝中央小学校でサッカーを始める。藤枝市立藤枝中学校3年次には全国中学校サッカー大会に出場し準優勝に貢献した[2]。 高校は地元の藤枝を離れ、静岡学園高校に進学[3]井田勝通監督の下で1年次に高校サッカー選手権準優勝。2年次には静岡県国体選抜に選出され、国民体育大会サッカー競技で優勝。3年次には日本ユース代表に選出、松本育夫監督の厳しい指導を受けた結果、最終メンバーに残り、1979年FIFAワールドユース日本大会に出場した。

東京農業大学卒業後、1983年日本サッカーリーグ1部の日産自動車サッカー部に加入。1年目から出場機会を掴むと、1983年1985年天皇杯優勝や1988-89シーズンから1989-90シーズンの2季連続三冠獲得に貢献するなど同サッカー部の守備の要として活躍した。

1991年にプロリーグへの参加が内定していたJSL2部の住友金属工業蹴球団へ移籍、Jリーグ設立に伴い鹿島アントラーズと改称した後も同クラブでプレー。1993年のサントリーシリーズでは、故障で離脱していたセンターバック奥野僚右の代わりにレギュラーに定着すると、奥野の穴を埋める活躍で鹿島のステージ初優勝に貢献した。ベテランらしい読みと激しさを武器とするスイーパーだった。

1994年ジャパンフットボールリーグ京都パープルサンガへ移籍し、1996年に現役を引退した。

引退後は1年間高校生の指導を行った後、コミュニティサッカースクールの指導者へ進み、2000年には会社を立ち上げ独立。郷里の藤枝で弟の実と共にフットサル場の経営とサッカースクールを主催し、後進の指導に努めている。

2013年、サガン鳥栖U-15唐津の監督に就任した。

所属クラブ

[編集]

個人成績

[編集]
国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 JSL杯/ナビスコ杯 天皇杯 期間通算
1983 日産 28 JSL1部 15 0
1984 15 18 0
1985 19 0
1986-87 0
1987-88 0
1988-89 10 0
1989-90 20 0 4 0
1990-91 18 0 0 0
1991-92 住金 JSL2部 29 1 1 0 - 30 1
1992 鹿島 - J - 9 0 2 0 11 0
1993 26 0 6 0 0 0 32 0
1994 京都 4 旧JFL 26 1 - 3 0 29 1
1995 12 0 - 0 0 12 0
1996 - J 3 0 2 0 0 0 5 0
通算 日本 J 29 0
日本 JSL1部 130 0
日本 JSL2部 29 1 -
日本 旧JFL 38 1 -
総通算 226 2

参考文献

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ 静岡学園高校-東京農業大学-富士通(現・川崎フロンターレ)でプレー。
  2. ^ 決勝戦で水沼貴史を擁する浦和市立本太中学校に敗退。
  3. ^ 同期に宮原真司森下申一らがいる。

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]