和田昌裕
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名前 | ||||||
カタカナ | ワダ マサヒロ | |||||
ラテン文字 | WADA Masahiro | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1965年1月21日(59歳)[1] | |||||
出身地 | 兵庫県神戸市[1] | |||||
身長 | 178cm | |||||
体重 | 69kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | MF / DF | |||||
ユース | ||||||
1980-1982 | 御影高校 | |||||
1983-1986 | 順天堂大学 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1987-1995 | 松下電器/ガンバ大阪 | 152 | (15) | |||
1995-1998 | ヴィッセル神戸 | 46 | (2) | |||
通算 | 198 | (17) | ||||
代表歴 | ||||||
1982 | 日本ユース | |||||
1990 | 日本 | 0 | (0) | |||
監督歴 | ||||||
2009 | ヴィッセル神戸 | |||||
2010-2012 | ヴィッセル神戸 | |||||
2014 | チョンブリー | |||||
2015 | 京都サンガF.C. | |||||
2015-2016 | ポートFC | |||||
2016 | シーサケート | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
和田 昌裕(わだ まさひろ、1965年1月21日 - )は、兵庫県神戸市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはミッドフィールダー、ディフェンダー。次男の和田篤紀[2] および三男の和田倫季[3] もサッカー選手である。
来歴
[編集]選手時代
[編集]神戸FCでプレーしていた兄の影響で小学2年生のときにサッカーを始める[4]。1982年8月に開催されたAFCユース選手権1982 (予選)の日本代表に選出された[5]。1983年の兵庫県立御影高校3年次に同校にとって初の全国高校サッカー選手権大会出場(1回戦で準優勝した山梨県立韮崎高校に敗退)[4]。近くの御影工業高校には永島昭浩がおり、同学年の和田と永島はライバルと周りから目されていた[6]。順天堂大学蹴球部では1年次に総理大臣杯に優勝[7]。筑波大学との決勝戦では和田のゴールにより1-0で勝利した[7]。
1987年に日本サッカーリーグ2部の松下電器産業サッカー部(1992年からガンバ大阪)に入部。三菱重工からも誘われたが関西のチームであることと永島がいることから松下に決めたという[6]。JSL1部に復帰した1988-89シーズンにはアシスト王(9アシスト)にも輝いた[8]。1990年7月のダイナスティカップ1990の日本代表に選出された(出場は無し)[9]。
1993年5月16日のJリーグ開幕戦の浦和レッズ戦では前半29分にG大阪のリーグ戦チーム初得点を記録した[7]。
1995年7月[7][10]、G大阪から生まれ故郷であるヴィッセル神戸(当時ジャパンフットボールリーグ (JFL) 所属)に移籍した。1996年のJリーグ昇格に貢献し、1998年に現役を引退した。
現役時代は主に左サイドバックでプレー。
引退後
[編集]引退後は神戸のスタッフを歴任。2005年はヘッドコーチ、2006年からは強化部長、2007年からはチーム統括本部長を務め、2009年6月、カイオ・ジュニオールの辞任表明を受け、トップチームの監督に就任 [11]。わずか5試合を指揮したところで三浦俊也に交代したが、フロントには戻らず、ヘッドコーチとして引き続き現場での指導者職に就いた。
2010年9月12日に三浦の監督解任を受け、再び神戸の監督に就任。「用意周到」「一致団結」「プライド」「信頼」のキーワードで自らの考えを選手に示し、スタメンから遠ざかっていたMF吉田孝行、2種登録のFW小川慶治朗を抜擢するなど、前監督とは異なるスタイルでチームを指揮。シーズン終盤7試合では戦術が浸透し、上位チームにも屈さず見事大逆転でのJ1残留を成し遂げた。2011年も引き続き監督を続投。和田自身は初の1シーズン通しての監督業だったがクラブ史上最高順位となる9位でシーズンを終えた[12]。
翌2012年は目標を「AFCチャンピオンズリーグ出場権を獲得する4位以内」としたが[13][14]、リーグ戦・ナビスコ杯で通算6連敗するなどし、リーグ戦では第8節時点で3勝5敗の13位に低迷。成績不振を理由に同年4月30日付で監督を解任された。同年7月1日付で神戸のシニアディレクターに就任[15]。
2013年2月1日より神戸の運営会社のクリムゾンフットボールクラブの取締役副社長に就任したが[16]、松下電器~ガンバ大阪時代のコーチであったヴィタヤ・ラオハクルに誘われ、同年11月末でクリムゾンフットボールクラブ副社長を辞任し、ヴィッセル神戸の提携クラブでもあったタイ・プレミアリーグのチョンブリーFCの監督に就任[17][18]。タイ・リーグの日本人監督には滝雅美がいたが、1部で指揮する日本人監督は和田が初となった[19]。チョンブリーではリーグ戦でブリーラム・ユナイテッドと最後まで優勝争いを演じ[19]、2014年シーズンのタイ・プレミアリーグ年間最優秀監督賞を受賞した[19][20]。
2014年12月、J2・京都サンガF.C.から2015年シーズンの監督就任が発表された[1] が、2015年7月10日に成績不振により解任された。解任時点でチームは18位と低迷していた[21]。
2015年10月22日、タイ・プレミアリーグのポートFCの監督に就任したが[22]、ディビジョン1降格を回避することができず、翌2016年も続投したが、7月11日に成績不振により解任された。
2016年9月1日、タイ・プレミアリーグのシーサケートFCの監督に就任。1部残留を果たし、シーズン終了後に退任。
2016年12月、ツエーゲン金沢代表取締役ゼネラルマネージャーの西川圭史からオファーを受け、同クラブの強化・アカデミー本部長に就任。トップチームおよびアカデミーの現場とフロントを一つにまとめる役割を担った[23][24]。
2020年1月31日、家庭の事情により金沢の強化・アカデミー本部長を退任[25]。同年2月4日にG大阪の強化アカデミー担当参与に就任した[26]。同年4月14日にG大阪の取締役GMに就任[27]。2023年シーズンをもってG大阪のGMに退任した[28]。
2024年シーズン、ツエーゲン金沢のGMに就任した。
所属クラブ
[編集]- 神戸市立上野中学校[5]
- 1980年 - 1982年 兵庫県立御影高等学校[1]
- 1983年 - 1986年 順天堂大学[1]
- 1987年 - 1995年 松下電器/ガンバ大阪[1]
- 1995年 - 1998年 ヴィッセル神戸[1]
個人成績
[編集]国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | JSL杯/Jリーグカップ | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
1987 | 松下 | 25 | JSL2部 | 22 | 11 | 2 | 0 | ||||
1988-89 | 17 | JSL1部 | 20 | 1 | 0 | 0 | |||||
1989-90 | 21 | 1 | 1 | 0 | |||||||
1990-91 | 12 | 18 | 0 | 1 | 0 | ||||||
1991-92 | 9 | 22 | 0 | 3 | 0 | ||||||
1992 | G大阪 | - | J | - | 9 | 0 | 3 | 0 | 12 | 0 | |
1993 | 34 | 2 | 6 | 0 | 2 | 0 | 42 | 2 | |||
1994 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | |||
1995 | 12 | 0 | - | 0 | 0 | 12 | 0 | ||||
1995 | 神戸 | 4 | 旧JFL | 16 | 2 | - | 3 | 0 | 19 | 2 | |
1996 | 7 | 30 | 0 | - | 3 | 0 | 33 | 0 | |||
1997 | J | 0 | 0 | 2 | 0 | 2 | 0 | 4 | 0 | ||
1998 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | |||
通算 | 日本 | J | 49 | 2 | 17 | 0 | 7 | 0 | 73 | 2 | |
日本 | JSL1部 | 81 | 2 | 5 | 0 | ||||||
日本 | JSL2部 | 22 | 11 | 2 | 0 | ||||||
日本 | 旧JFL | 46 | 2 | - | 6 | 0 | 52 | 2 | |||
総通算 | 198 | 17 | 24 | 0 |
その他の公式戦
- 1990年
- コニカカップ 1試合0得点
- 1991年
- コニカカップ 5試合0得点
指導歴・職歴
[編集]- 1998年 - 2013年 ヴィッセル神戸
- 2014年 チョンブリーFC 監督 [1]
- 2015年1月 - 同年7月 京都サンガF.C. 監督 [23]
- 2015年10月 - 2016年7月 ポートFC 監督 [23]
- 2016年8月 - 10月 シーサケートFC 監督[23]
- 2017年 - 2020年1月 ツエーゲン金沢 強化・アカデミー本部長[23]
- 2020年2月 - 2020年4月 ガンバ大阪 強化アカデミー担当参与[23]
- 2020年4月 - 2023年 ガンバ大阪 取締役GM[30]
- 2024年 - ツエーゲン金沢 GM
監督成績
[編集]年度 | 所属 | クラブ | リーグ戦 | カップ戦 | 備考 | ||||||
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順位 | 勝点 | 試合 | 勝 | 分 | 敗 | ナビスコ杯 | 天皇杯 | ||||
2009 | J1 | 神戸 | - | 5 | 5 | 1 | 2 | 2 | - | - | 第16節から第20節まで指揮 |
2010 | - | 17 | 12 | 4 | 5 | 3 | - | 3回戦敗退 | 第23節から指揮 | ||
2011 | 9位 | 46 | 34 | 13 | 7 | 14 | 1回戦敗退 | 3回戦敗退 | |||
2012 | - | 9 | 8 | 3 | 0 | 5 | - | - | 第8節終了後に解任 | ||
2015 | J2 | 京都 | - | 22 | 22 | 6 | 4 | 12 | - | - | 第22節終了後に解任 |
J1通算 | - | 59 | 21 | 14 | 24 | ||||||
J2通算 | - | 22 | 6 | 4 | 12 |
タイトル
[編集]選手時代
[編集]- 順天堂大学
- 総理大臣杯全日本大学サッカートーナメント:1回(1983)[7]
- 松下電器産業サッカー部/ガンバ大阪
- 日本サッカーリーグ アシスト王:1回(1988-89)
- 天皇杯 JFA 全日本サッカー選手権大会:1回(1990)
個人
[編集]- タイ・プレミアリーグ 年間最優秀監督賞:1回(2014)[19]
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k l m 『和田 昌裕氏 トップチーム監督就任のお知らせ』(プレスリリース)京都サンガF.C.、2014年12月16日 。2014年12月16日閲覧。
- ^ “中盤の攻撃起点目指す MF(23)和田篤紀”. 京都サンガ応援特集. 京都新聞 (2015年2月6日). 2015年12月9日閲覧。
- ^ “チーム紹介|高円宮杯U-18サッカーリーグ2012 プレミアリーグ”. 日本サッカー協会. 2015年12月9日閲覧。
- ^ a b 堀健二 (2013年6月27日). “【新・関西笑談】Jリーグ開幕戦ゴールから20年(2)進学校ゆえ…先輩「全国大会なんて無理」”. 産経ニュース. 産経新聞社. 2015年12月9日閲覧。
- ^ a b “兵庫県立御影高等学校・同窓会「清明会」会報”. 兵庫県立御影高等学校・同窓会「清明会」 (2012年4月). 2020年2月4日閲覧。
- ^ a b 堀健二 (2013年6月28日). “【新・関西笑談】Jリーグ開幕戦ゴールから20年(3)永遠のライバル、あのイケメン永島…震災の日に同乗した友人”. 産経ニュース. 産経新聞社. 2015年12月9日閲覧。
- ^ a b c d e 堀健二 (2013年6月26日). “【新・関西笑談】Jリーグ開幕戦ゴールから20年(1)運だけで生きてる(笑)…「来てもうた」のでシュートしたら花道”. 産経ニュース. 産経新聞社. 2015年12月9日閲覧。
- ^ “ヒストリー”. ガンバ大阪. 2015年12月9日閲覧。
- ^ 『第1回ダイナスティカップ』(プレスリリース)日本サッカー協会 。2020年2月4日閲覧。
- ^ “「最後は神戸」震災後移籍 J1神戸監督・和田昌裕(上)”. 日本経済新聞 (2011年6月4日). 2015年12月9日閲覧。
- ^ “神戸カイオジュニオール監督が辞任”. nikkansports.com. 日刊スポーツ新聞社 (2009年6月30日). 2015年12月9日閲覧。
- ^ 堀健二 (2013年6月29日). “【新・関西笑談】Jリーグ開幕戦ゴールから20年(4)16位…苦境で監督に 負傷2選手…みな結束「奇跡の残留」”. 産経ニュース. 産経新聞社. 2015年12月9日閲覧。
- ^ ““和田神戸旋風”予告!4位以内を公約/サッカー/デイリースポーツonline”. 2012年3月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年12月9日閲覧。
- ^ “2012シーズンいよいよ開幕!クラブ、監督からのメッセージです。”. ヴィッセル神戸 (2012年3月9日). 2015年12月9日閲覧。
- ^ 和田昌裕氏 シニアディレクター就任のお知らせ - ヴィッセル神戸、2012年7月1日
- ^ 『(株)クリムゾンフットボールクラブ 和田昌裕氏 取締役副社長就任のお知らせ』(プレスリリース)ヴィッセル神戸、2013年1月7日 。2020年2月5日閲覧。
- ^ 『和田昌裕取締役副社長、タイ・プレミアリーグ チョンブリFC監督就任のお知らせ』(プレスリリース)ヴィッセル神戸、2013年11月29日 。2020年2月5日閲覧。
- ^ “タイ チョンブリーFC 和田昌裕監督インタビュー VOL.1”. ANNGLE (2014年4月27日). 2020年2月5日閲覧。
- ^ a b c d 本多辰成 (2014年12月6日). “和田 昌裕 / Chonburi F.C (タイプレミアリーグ)”. ASEAN FOOTBALL Link. 2015年12月9日閲覧。
- ^ 和田昌裕取締役副社長、タイ・プレミアリーグ チョンブリFC監督就任のお知らせ - ヴィッセル神戸、2013年11月29日
- ^ “成績不振の京都、和田監督の解任を発表…後任は石丸ヘッドコーチ”. サッカーキング (2015年7月10日). 2015年12月9日閲覧。
- ^ “前京都サンガFC監督の和田昌裕氏、ポートMTI FC (TPL)の監督に就任”. タイプレミアリーグに行こう! (2015年10月22日). 2015年12月9日閲覧。
- ^ a b c d e f 『和田 昌裕氏 強化・アカデミー本部長に就任決定のお知らせ』(プレスリリース)ツエーゲン金沢、2016年12月6日 。2017年12月28日閲覧。
- ^ “【レジェンドインタビュー】和田 昌裕 氏”. 関西レジェンドクラブ (2017年1月31日). 2020年2月5日閲覧。
- ^ 『和田昌裕 強化・アカデミー本部長退任のお知らせ』(プレスリリース)ツエーゲン金沢、2020年1月31日 。2020年1月31日閲覧。
- ^ 『和田 昌裕 強化アカデミー担当参与就任のお知らせ』(プレスリリース)ガンバ大阪、2020年2月4日 。2020年2月4日閲覧。
- ^ 株式会社ガンバ大阪 代表取締役社長 山内隆司の退任、 代表取締役社長に小野忠史就任、取締役に和田昌裕就任のお知らせ ガンバ大阪 2020.4.14
- ^ 横田和幸. “【G大阪】強化最高責任者の和田昌裕取締役が今季限りで退任、来季J3金沢のGM就任へ - J1 : 日刊スポーツ”. nikkansports.com. 2023年11月19日閲覧。
- ^ 「カイオ・ジュニオール監督辞任のお知らせ」『J's GOALアーカイブ』、ヴィッセル神戸、2009年6月30日 。2020年3月6日閲覧。
- ^ もう1度ガンバ黄金時代を 取締役GM和田氏が語る
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 和田昌裕 - Soccerway.com
- 和田昌裕 - FootballDatabase.eu
- 和田昌裕 - WorldFootball.net
- 和田昌裕 - Transfermarkt.comによる選手データ
- 和田昌裕 - Transfermarkt.comによる指導者データ
- 和田昌裕 - J.League Data Siteによる選手データ
- 和田昌裕 - J.League Data Siteによる監督データ
- 和田昌裕の監督成績 - thefinalball.com