阿部慎之助

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阿部 慎之助
読売ジャイアンツ #10
Giants abeabe10.JPG
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 千葉県東葛飾郡浦安町(現在の浦安市
生年月日 (1979-03-20) 1979年3月20日(40歳)
身長
体重
180 cm
97 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 捕手一塁手
プロ入り 2000年 ドラフト1位(逆指名)
初出場 2001年3月30日
年俸 1億6,000万円(2019年)[1]
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
国際大会
代表チーム 日本の旗 日本
五輪 2000年2008年
WBC 2009年2013年
獲得メダル
日本の旗 日本
ワールド・ベースボール・クラシック
2009 野球

阿部 慎之助(あべ しんのすけ、1979年3月20日 - )は、千葉県東葛飾郡浦安町(現在の浦安市)出身のプロ野球選手捕手内野手)。右投左打。読売ジャイアンツ所属。

巨人軍第18代主将(2007年から2014年まで[2])。

愛称は「慎之助」、「阿部ちゃん」、「慎ちゃん」。

2000年代から2010年代前半まで巨人の不動の正捕手を務め、2度のリーグ3連覇(2007〜2009)(2012〜2014)を含む8度のリーグ優勝、3度の日本一に大きく貢献した。 強打の捕手として知られ、2012年に首位打者打点王の2冠とMVPを獲得・受賞し、2017年には通算2000安打、2019年には通算400本塁打を達成した。

経歴[編集]

プロ入り前[編集]

元実業団野球チーム・電電東京に所属した阿部東司の第2子(1歳上の姉と3歳下の妹がいる[3])として誕生。慎之助の名は母親が池畑慎之介(ピーター)の大ファンだったことから名付けられた。父は掛布雅之習志野市立習志野高等学校で同期であり、掛布とクリーンナップを組み[4]、掛布が3番・父が4番を打ち、全国高等学校野球選手権大会に出場経験がある。その影響もあり、幼い頃から阪神タイガースファンで掛布に憧れ左打ちになった。また父もポジションは捕手、中央大学と共通している[4]。父の勧めもあり、浦安市野球協会学童部所属・軟式少年野球チーム・浦小クラブに所属。その縁で浦安市野球協会で阿部慎之助杯争奪少年野球大会を協賛している。

浦安市立浦安中学校[5] から安田学園高等学校[注 1]へ進学。高校では通算38本塁打を放つ。中央大学商学部[8] に進学し3年生春まで東都大学野球連盟2部リーグでプレーする。2部リーグ通算51試合出場、186打数58安打、打率.312、12本塁打、41打点。3年生秋にチームは1部昇格。1部リーグ通算28試合出場、92打数27安打、打率.293、5本塁打、19打点。ベストナイン1回。2000年9月にはシドニーオリンピック代表に選ばれた。

中大時代は打撃には定評があり、(捕手以外の)野手への転向を勧められることもあったが固辞した[9]2000年11月のドラフト会議において、ドラフト1位(逆指名)で読売ジャイアンツに入団。契約金の最高標準額(1億円プラス出来高払い5千万円)を超える10億円契約を結んでいたことが、複数の関係者証言で明らかになった。

プロ入り後[編集]

入団から中軸へ[編集]

2001年、ヘッドコーチの原辰徳の推薦を受け[10]、3月30日の阪神タイガースとの開幕戦で、球団では山倉和博以来23年ぶりとなる新人捕手開幕スタメンとして先発出場(8番・捕手)。その試合で星野伸之からプロ入り初打席初安打初打点を含む4打点を挙げる活躍を見せた。当時の巨人は村田真一に代わる正捕手の育成が急務だったこともあり、監督の長嶋茂雄は村田を阿部の「教育係」にするとともに、127試合に起用して経験を積み重ねさせた[11]。最終的には13本塁打を記録したが、規定打席には6打席不足した。新人捕手の2桁本塁打は田淵幸一以来2人目だった。

2002年、127試合に出場し、巨人軍としては1987年の山倉和博以来の捕手による規定打席に到達し、ベストナインゴールデングラブ賞を受賞した。後半から高橋由伸の離脱により3番に起用され、8月の3度を含む4度のサヨナラ打を記録した。このことから『サヨナラ慎ちゃん』と呼ばれるようになった[12]。8月11日の広島東洋カープ戦でのサヨナラ本塁打は自身初のサヨナラ本塁打であるとともに、巨人軍の東京ドーム通算1000号本塁打となるメモリアルアーチであった[13]。打率も.298を記録し、好調だった。

2003年、シーズン途中の右肩の故障もあり、94試合の出場に終わる。規定打席不足であるものの、打率.303を記録した。初めてオールスターゲームに出場した。

2004年、4月9日から4月16日にかけて6試合連続本塁打、4月28日には一試合3本塁打を放った。4月に放った月間16本塁打は王貞治の球団記録を更新し、1981年門田博光南海ホークス)、1994年江藤智(広島)と並ぶ日本タイ記録だった。5月12日には1998年にマーク・マグワイアが記録した従来の世界記録である「開幕35試合目での20本塁打」を2試合更新した「開幕33試合目での20本塁打」を記録した。その後ペースは失速し、5月後半~7月はそれぞれ2本ずつに留まり、8月には故障もあって、最終的には33本塁打だった。しかし、巨人の捕手として球団史上初の30本塁打を記録し、規定打席に到達し、自身初の打率3割も記録した。11月には日米野球に捕手・代打で8試合中6試合に出場したが、13打席11打数0安打2四球だった。

2005年、一年を通じて5番に定着し、最終的には打率3割を越え、出塁率と得点圏打率はチームトップの成績だった。8月23日の横浜ベイスターズ戦では、右肩痛のためプロ入り後初めて一塁手として出場した。また、オフに守備の負担を減らせば4番打者を務めることができると考えた原辰徳監督に一塁手への配置転換を提案されたが、「捕手として勝負したい」と辞退した[14]

2006年ワールド・ベースボール・クラシックの日本代表に選出されたが、前年の故障の影響で辞退した。打率は4年ぶりに3割を割り、自己ワーストの10本塁打に終わったが、キャリアハイの盗塁阻止率.443を記録した。10月18日に、元・日産ミスフェアレディの一般女性との結婚を発表した。

主将、4番[編集]

2007年、主将に任命された。6月9日の東北楽天ゴールデンイーグルス戦で巨人軍第72代4番となり、2本塁打5打点と活躍した[15]。また、6月14日のオリックス・バファローズ戦で、平野佳寿から満塁本塁打を放ったが、これはプロ野球史上初の球団通算200満塁本塁打となった。オールスター第2戦ではMVPを獲得した。9月25日には33本塁打を放ち、自身初の100打点を達成した。これは2003年の城島健司(当時福岡ダイエーホークス)以来、史上4人目の捕手登録選手のシーズン100打点達成となった(セ・リーグでは門前真佐人以来2人目で、57年ぶりの記録)。2008年北京オリンピック野球日本代表予選3試合に出場し、打率.769(13打数10安打)4打点を記録し、最優秀打者賞・MVPを獲得した。

2009年日本シリーズ優勝パレードでの阿部慎之助(2009年11月22日撮影)

2008年、本塁打1本に付き1万円を慈善団体に寄付するようになった。北京オリンピック代表に選出され、8試合に出場した[16]。優勝が決定した10月10日の試合では2打点を挙げるが、牽制球で2塁へ帰塁した際に右肩を負傷した[17]。その結果、クライマックスシリーズは欠場し、日本シリーズは代打・指名打者として出場し、1本塁打含む打率.400を記録するも、捕手の守備につく事はできなかった。

2009年第2回WBCの日本代表に選出された。出場機会には恵まれなかったが、第2ラウンド1組1位決定戦では捕手として先発出場した。スタメンを外れたり、セス・グライシンガーの先発時は鶴岡一成がマスクを被った一方で、4年ぶりに一塁手で出場する事もあった。9月には5試合で7本塁打を放つ活躍で月間MVPを受賞した。チームトップ、リーグ2位の32本塁打、リーグ1位の本塁打率、リーグ1位の長打率を記録し、連覇に貢献した。9月18日の東京ヤクルトスワローズ戦では、巨人の捕手で史上初となる通算200本塁打を達成した。日本シリーズでは北海道日本ハムファイターズと対戦し、第5戦で武田久からサヨナラ本塁打、第6戦では武田勝から決勝打を記録し、ピンチの場面で3番・稲葉篤紀、4番・高橋信二を三振に仕留める好リードで、日本一を達成し、シリーズMVPを受賞した。

2010年、5月21日の東北楽天ゴールデンイーグルス戦で永井怜から本塁打を放ち、10年連続2桁本塁打を達成した。巨人では長嶋茂雄・王貞治・原辰徳・松井秀喜高橋由伸に次ぐ6人目だった。6月19日の中日ドラゴンズ戦では浅尾拓也からこの試合2本目の本塁打を打ち、6度目の20本塁打を記録した。そして、2004年以来となる両リーグ最速の20本塁打を記録(同日、クレイグ・ブラゼルも記録)した。このペースは2004年に次ぐものであった[18]。さらに、6月は打率.375、14本塁打、21打点の成績で月間MVPに選出された。9月11日の広島戦で、捕手としては野村克也田淵幸一に次ぐ史上3人目のシーズン40本塁打を達成した。捕手としては球団初、左打者の捕手としても史上初の記録であった。本塁打率は2年連続でセ・リーグ1位だった。契約更改では、4億円を提示された。

2011年東日本大震災の影響で日程が遅れたことに加え、4月5日の阪神との練習試合で右ふくらはぎを負傷し、開幕に出遅れた[19]。その後は二軍での調整を経て、交流戦初戦の東北楽天ゴールデンイーグルス戦で5番・捕手で一軍復帰すると、初安打を放った[20]。その後も正捕手としてだけではなく、終盤はラミレスに代わって4番に定着するなど、攻守にわたってチームを牽引した。9月29日の横浜ベイスターズ戦では谷繁元信が打ち立てた、セ・リーグ記録の連続守備機会無失策1708を抜く、新記録の1709を達成した[21]。最終的には114試合に出場して、打率.292、114安打、61打点を記録したが、開幕から1ヶ月欠場した影響で8年ぶりに規定打席には到達できなかった。チーム2位の20本塁打と5年連続の20本塁打を達成した。シーズン中には、第7回「ジョージア魂賞」を受賞し、JA全農Go・Go賞は、8月の「最多盗塁阻止賞」部門、9月の「最多二塁打、三塁打賞」部門、10月の「最優秀賞」と3か月連続で受賞した。また、5年連続となるベストナインにも選出された。契約更改では、怪我で出遅れながらもナインを牽引したことが評価され、現状維持の4億円(推定)で更改した。

2012年、1月に第3子が誕生した。主に4番で起用され[注 2]、史上最多タイとなる年間3度の月間MVPを受賞するなどチームを牽引し、自身初の打撃タイトルとなる首位打者、打点王、最高出塁率を獲得した。本塁打もバレンティンに4本差の2位であり、一時は三冠王も視界に入れた。打率.3404は1991年に古田敦也が記録した.3398を上回る捕手の最高記録であり[23]、打点は両リーグで唯一100を超える104を記録した。また、三振数も規定打席到達者の中でセ・リーグ最少で、出塁率・長打率も12球団トップだった。リード面でもチーム防御率2.16は、1966年の西鉄ライオンズ(2.13)以来の好成績となった。日本シリーズでは、3戦目に右膝裏を痛めて途中交代し、4戦目と5戦目に出番はなかったが、6戦目は4番・捕手で出場し、7回裏に決勝適時打を打ってチームを日本一に導いた。また、原監督と共に正力松太郎賞を受賞し、さらにセ・リーグMVPにも選出された。11月6日に、「侍ジャパンマッチ2012「日本代表 VS キューバ代表」」の日本代表が発表され[24]、 代表入りした[25]。契約更改では5億7000万円(推定)の1年契約で更改。佐々木主浩松井秀喜に次ぐNPBで日本人史上3位の超高額年俸となった。12月4日に、第3回WBC日本代表候補選手34人が発表され[26]、候補入りした[27]

2013年、2月20日に第3回WBC日本代表選手28人が発表され[28]、代表入りし[29][30][31]、2大会連続2度目の選出となった。この大会では、主将、4番、正捕手の三役を兼任した。1次ラウンドでは無安打も[32]、3月12日のオランダ戦では自身初かつWBC史上初の1イニング2本塁打を記録した[33]。しかし、準決勝のプエルトリコ戦では好機に3度凡退し[34]、チームは敗戦を喫した。阿部は全7試合に出場し、チーム最多タイの7打点を記録した。シーズンでは昨年に続き安定した活躍を続け、攻守に渡ってチームを牽引した。優勝マジックを1として迎えた9月21日の広島戦で、試合開始10分前に肩に強い違和感を持ち欠場した。代役で井野卓が急遽起用された。診断の結果、帯状疱疹に感染していることが明らかとなった[35]。それでも翌日の9月22日の広島戦、1点リードの9回にマスクを被り出場した。チームの顔として優勝の瞬間にグラウンドに立ち、ビールかけにも参加した。昨年ほどの傑出した成績ではなかったものの、3年ぶりに30本塁打を記録するなど、この年も各部門で高い数字を記録した。また、年俸が6億円(推定)に上がり、松井秀喜と並ぶ球団最高年俸タイ記録、NPBでは史上2位タイ記録となった。

2014年、5月1日のヤクルト戦で西村健太朗の逆玉を捕った際に首を痛め、途中交代した。6月7日の西武戦で岸孝之から本塁打を放ち、球団歴代本塁打数332本で並んでいた松井秀喜を抜いて球団歴代単独4位に浮上した。なお、この本塁打で捕手では史上5人目となる通算1000打点も達成した[36]。7月25日の中日ドラゴンズ戦では、球団史上6人目となる通算3000塁打を達成した[37]。しかし、怪我や不振に泣かされ、一塁手として出場することもあった。本塁打数も19本に終わり、2006年の10本以来、8年ぶりに20本を下回った。打率.248は規定打席到達者の中で最下位だった。クライマックスシリーズでは全試合4番に座り、第1戦に藤浪晋太郎から本塁打、第3戦ではランディ・メッセンジャーから先制適時打を放ったが、この2安打のみと不振だった。なお、第3戦の適時打はCS4試合の中でチーム唯一の適時打だった(それ以外の得点は本塁打と犠飛)。オフの10月22日、「日本プロ野球80周年記念試合」の阪神・巨人連合チームに選出された[38][39]。11月6日、捕手部門で2年連続となるゴールデングラブ賞を受賞した[40]。不振により年俸は5億1000万円(推定)へとダウンしたが、球界最高年俸は変わらなかった。

一塁へコンバート[編集]

2015年、昨オフに捕手から一塁手に配置転換され、開幕から一塁手として出場したが、相川亮二が離脱したこともあり、急遽4月3日の阪神戦で捕手に復帰した[41]。これを記念し4月15日に、「I'm back! Tシャツ」が発売された[42]。4月18日、右太腿裏の肉離れで登録抹消された[43]。7月1日の広島戦で通算350本塁打を達成した[44]。自主トレからハイペースで猛練習した影響で、開幕前に疲労が蓄積した。幾度も離脱し、111試合の出場で打率.242、15本塁打、47打点の成績に終わった[45]。CSのファイナルシリーズでは打率.688を記録[45]。年俸は選手の減額制限である40%近くの36%(1億8400万円)ダウンを受け入れ、3億2600万円(推定)でサインした。巨人としては球団史上では金額面で過去2番目、12球団でも4番目となる下げ幅だった。

2016年、高橋由伸監督の方針で再び捕手登録に戻ったが、オープン戦で肩に違和感を覚えて登録抹消され、開幕二軍で迎えた。5月31日のオリックス戦で一軍復帰し、本塁打を放った。さらに、7月8日のDeNA戦から8月10日のDeNA戦まで23試合連続安打を記録し、自己最長連続安打となった。最終的に91試合の出場で規定打席には到達できなかったが、打率.310、12本塁打、52打点を記録し、4番として随所で活躍を見せた。一塁手または指名打者としての出場となり、プロ入り後、初めて捕手での出場が0のシーズンとなった。年俸は6600万円ダウンの2億6000万円(推定)となった[46]

2017年、再び内野手登録となった。3月31日の中日との開幕戦で大野雄大から本塁打を放ち、自身初のシーズン初打席での本塁打を記録し、4月1日の中日戦でも田島慎二から逆転サヨナラ3ランを放った。6月18日のロッテ戦で佐々木千隼から本塁打を放ち、通算382本塁打として元監督の原辰徳に並んだ。さらに第2打席で2打席連続本塁打を記録して通算383本塁打となり、原を抜いて球団歴代単独3位となった。8月13日の広島戦で今村猛から安打を放ち、NPB史上49人目の通算2000安打を達成した。巨人の生え抜きでは1980年の柴田勲以来37年ぶり5人目、また21世紀以降のドラフト指名選手では初の快挙であった[47]。巨人の背番号10を付けた選手では、2000安打達成者が3人(阿部の前の達成者は、張本勲駒田徳広)も輩出されることとなった。3年ぶり、内野手登録となってからは初めて規定打席に到達し、打率は.262と振るわなかったものの、17年連続2桁本塁打となる15本塁打・76打点を記録した。

2018年岡本和真の飛躍によりレギュラーを奪われ、怪我以外の理由では初めて開幕スタメンを外れた[48]。その後は主に代打での出場が続いたが出場機会に恵まれず、初安打は4月29日と遅れた[49]。それでも随所での活躍が光り、10月1日のヤクルト戦では10本塁打を放った[50]。これで入団1年目から18年連続での2桁本塁打となり、清原和博張本勲に次ぎ歴代3位となった[51]。岡本の台頭でスタメン出場は少なかったものの、一年通して大きな怪我もなく、一度も登録抹消されずに終えた。

捕手に復帰、そして現役引退へ[編集]

2019年、復帰した原辰徳監督と協議し、再び捕手に復帰することを決意した[52]小林誠司宇佐見真吾(現 北海道日本ハムファイターズ)、大城卓三、そして埼玉西武ライオンズからFAで新加入した炭谷銀仁朗との正捕手争いとなった。しかし、キャンプ中に度重なる怪我に悩まされて、捕手は宇佐見を除いて3人体制となり、阿部は代打の切り札として開幕一軍入りした。 6月1日の中日戦で田島慎二から本塁打を放ち、史上19人目となる通算400本塁打を達成した[53]。 巨人での通算400本塁打達成は王貞治長嶋茂雄に次ぐ3人目であり、巨人の捕手では史上初の達成となった[54]。また、捕手の通算400本塁打達成は野村克也田淵幸一以来、史上3人目だった。捕手で1666試合出場しており、捕手で通算1000試合出場、あるいは通算2000本安打を達成しての通算400本塁打は野村に次いで2人目だった。本塁打王なしでの通算400本塁打は5人目であった[55]。6月9日の千葉ロッテマリーンズ戦で田中靖洋から本塁打を放ち、通算229人の投手から本塁打を記録というNPB新記録を樹立した。6月13日の西武戦で本塁打を放ち、通算230人の投手から本塁打を記録し、記録を更新。交流戦での通算本塁打数をセ・リーグ初となる60本塁打とした[56]。7回には粟津凱士から二塁打を打ち、史上42人目(球団の生え抜き選手では川上哲治長嶋茂雄王貞治に次ぎ4人目)の通算350二塁打を達成した。捕手として400本塁打・350二塁打を達成した選手は野村克也以来、史上2人目だった。セ・リーグでは史上初の快挙だった[57]。 上原浩治の引退により、長嶋監督時代に巨人に在籍していた最後の現役選手となった。 原監督とも協議した結果、2019年限りで現役引退することを決断し、9月23日の東京ヤクルトスワローズ戦終了後のミーティングでチームメートに涙ながらに伝達した。巨人軍公式のTwitterとYoutubeチャンネルで公開された[58][59]。9月25日には引退会見が行われた[60]。 9月27日のDeNAとの本拠地最終戦で、「ありがとう慎之助」と銘された記念試合が行われ、4番・捕手(2015年5月31日以来1580日ぶり)として出場した(捕手での出場は2015年6月6日以来)。初回は引退会見で自らもう一度球を受けたいと名前を挙げ、来日初先発となったスコット・マシソンを好リードし、2回は救援登板した中央大学の後輩でもある澤村拓一とマウンドで握手を交わしてから一塁手の守備に就き、4回裏に中川虎大から通算406本塁打を放ち、8回まで出場を続けた。9月28日のヤクルト戦がシーズン最終戦及び公式戦最後の試合となり、代打で出場も申告敬遠され、中央大学の後輩でもある鍬原拓也を代走に送られた。これについては「俺らしい。史上初じゃない? 球史に残る偉大な記録じゃないかな」とコメントした[61]

選手としての特徴[編集]

捕手の守備に就く阿部

打撃[編集]

強打の捕手として知られ[62]基準違反統一球が導入されていた2011年から2012年において両リーグ最高打率となる.318、同OPS.935を誇った。スイングを始めてから腰を捕手方向に捻るツイスト打法により緩急に対応し[63][64]、内角の球も切れずにスタンドに運ぶ技術を持つ[65]。左打者ながら左投手も苦にせず、2006年から2010年まで左投手に対して打率.283を記録し、統一球導入後の通算でも打率.327を記録している。ツイスト打法は内田順三に勧められて2004年から取り入れ[62]、普段の練習やティーバッティングなどで腰の開きを我慢しながら反復して練習しているという[62]。また、父からの「力に頼ることなく基礎の技術を大事に素直に打ちなさい」という教えを忠実に守っており、練習でのフリーバッティングにおいても強引に引っ張るのではなく、逆方向へ打ち返す練習を現在も行なっている。下半身の強靭さが必要なツイスト打法[66] を使いこなす一方で、左打者で一塁到達4秒台後半の鈍足である[67]。 2019年6月1日現在、通算400本塁打を放っており[68]、捕手経験者としては史上3番目[69]の記録である。

守備[編集]

スローイング面では2010年には両リーグトップの進塁阻止率を記録[70]。アマチュア時代から強肩に定評があり、スローイングの制球も安定している[67]。試合後のアイシングやオフの鍼治療などで肩のケアには気を配っているが、肩の消耗のため「大学時代が一番スローイングは良かったかな?」と思うこともあるという[62]

リード面では「直感型とデータ型に分類するのではなく、両方が必要だと思っている。リードに関しては正解がないから、臨機応変に対応できることが一番」と話している[62]。キャプテンシーが高く評価されており、チームメイトからは「ミットを構えた時の安心感があるし、声をかけてくれるタイミングも抜群」との信頼を得ている[62]。2015年以降は故障の影響から負担の少ない一塁手としての出場が多くなっている。

主将として[編集]

2007年から2014年まで8年間にわたってチームの主将を務めたことで、緊張感のないプレーや不甲斐ない姿を晒す選手に対しては厳しい言葉を発することがあった。また、毎年1月に行われる自主トレには、坂本勇人や小林誠司を始め多くの若手選手を自費で帯同させていた。

2011年、シーズン終盤の10月6日の横浜ベイスターズ戦に先発した東野峻が7回2安打2失点の投球を見せたが、5四球出したことで「この成績で満足するなら野球やめたほうがいいんじゃないか」と苦言を呈した[71]

2012年の日本シリーズ(対日本ハム)第2戦では先発の澤村拓一が初回にピンチを招いたが、この際牽制球のサインを見逃したことで一度タイムを取ってマウンドに行って澤村の頭を叩いた。これで澤村は奮起し、8回無失点の好投で日本シリーズ初登板初先発初勝利を飾った[72](詳細は2012年の日本シリーズ)。7年後の阿部の引退試合においては、2回に登板した澤村に対しサインが合わずマウンドへ駆け寄る阿部が澤村を叩こうとしたところで握手、というこのシーンを再現した一幕が見られた。

その他[編集]

総合評価指標WARにおいて、2012年、2013年にはそれぞれ9.7、8.4といずれも両リーグNo.1の数値を記録[73][74] する。

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
2001 巨人 127 428 386 40 87 18 0 13 144 44 3 0 2 2 31 7 7 79 9 .225 .293 .373 .666
2002 127 511 446 62 133 26 0 18 213 73 4 1 4 3 46 12 12 81 10 .298 .377 .478 .854
2003 94 371 314 46 95 15 1 15 157 51 1 1 3 4 40 6 9 52 7 .303 .392 .500 .892
2004 108 436 379 61 114 22 1 33 237 78 0 0 1 0 43 1 13 87 6 .301 .391 .625 1.016
2005 130 534 476 56 143 16 0 26 237 86 0 2 0 6 51 4 1 78 15 .300 .365 .498 .863
2006 129 497 452 39 133 26 2 10 193 56 0 2 4 2 35 4 4 76 8 .294 .349 .427 .776
2007 140 580 499 72 137 20 0 33 256 101 1 2 3 10 57 7 11 76 17 .275 .355 .513 .868
2008 125 484 428 60 116 27 0 24 215 67 1 1 4 0 44 5 8 66 17 .271 .350 .502 .852
2009 123 462 409 63 120 20 2 32 240 76 1 1 2 7 34 0 10 87 9 .293 .357 .587 .943
2010 140 569 498 85 140 27 2 44 303 92 0 0 1 1 58 3 11 91 8 .281 .368 .608 .976
2011 114 437 390 45 114 21 0 20 195 61 1 1 2 1 35 2 9 66 12 .292 .363 .500 .863
2012 138 556 467 72 159 22 1 27 264 104 0 0 2 8 69 6 9 47 11 .340 .429 .565 .994
2013 135 529 422 81 125 17 0 32 238 91 0 0 0 6 86 9 15 59 8 .296 .427 .564 .991
2014 131 526 459 49 114 24 0 19 195 57 1 3 0 2 58 5 7 77 16 .248 .340 .425 .765
2015 111 419 343 44 83 14 0 15 142 47 0 0 0 4 64 1 8 84 9 .242 .370 .414 .784
2016 91 387 335 43 104 13 0 12 153 52 0 1 1 3 44 1 4 55 8 .310 .394 .457 .850
2017 129 512 455 41 119 13 0 15 177 76 0 1 1 7 41 1 8 67 13 .262 .329 .389 .718
2018 95 223 198 22 49 6 0 11 88 46 0 0 1 1 21 2 2 55 6 .247 .324 .444 .769
2019 95 192 158 15 47 8 0 7 76 27 0 0 0 2 28 2 4 23 1 .297 .411 .481 .892
通算:19年 2282 8653 7514 996 2132 355 9 406 3723 1285 13 16 31 69 885 78 152 1306 190 .284 .368 .495 .863
  • 2019年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高
  • 2011年は規定打席に9打席不足しているが、規則により最高長打率打者となった[75]

年度別打撃成績所属リーグ内順位[編集]



















2001 23 セ・リーグ - - - - - - -
2002 24 - - 10位 - - 9位 -
2003 25 - - - - - - -
2004 26 - - - - 8位 - -
2005 27 - - - - - - -
2006 28 - - - - - - -
2007 29 - - - - 5位 4位 -
2008 30 - - 9位 - 7位 - -
2009 31 10位 - - - 2位 - -
2010 32 - - - 3位 6位 -
2011 33 - - - - 4位 9位 -
2012 34 1位 4位 - - 2位 1位 -
2013 35 6位 - - - 3位 3位 -
2014 36 - - - - - - -
2015 37 - - - - - - -
2016 38 - - - - - - -
2017 39 - - - - - - -
2018 40 - - - - - - -
  • -は10位未満(打率は規定打席未到達の場合も-と表記)

年度別守備成績[編集]



捕手 一塁


































2001 巨人 125 846 63 4 8 6 .996 68 44 24 .353 -
2002 126 1013 65 6 15 9 .994 50 30 20 .400 -
2003 93 772 51 7 4 4 .992 61 39 22 .361 -
2004 108 894 56 2 10 4 .998 56 38 18 .321 -
2005 98 793 55 8 10 1 .991 72 53 19 .264 32 263 14 3 14 .989
2006 128 916 83 3 7 7 .997 88 49 39 .443 -
2007 139 1001 74 8 9 8 .993 70 50 20 .286 -
2008 122 914 82 4 15 4 .996 79 50 29 .367 -
2009 107 715 67 4 7 5 .995 80 54 26 .325 10 71 5 0 6 1.000
2010 137 958 94 1 10 7 .999 97 61 36 .371 5 41 1 2 5 .955
2011 112 758 75 2 12 3 .998 61 41 20 .328 1 4 0 0 0 1.000
2012 116 788 70 7 8 1 .992 57 37 20 .351 21 175 7 3 17 .984
2013 119 858 71 1 5 5 .999 76 48 28 .368 5 39 4 0 3 1.000
2014 111 699 69 1 12 3 .999 66 48 18 .273 24 175 8 1 15 .995
2015 25 167 16 0 0 0 1.000 18 9 9 .500 78 652 35 2 44 .997
2016 - 84 705 37 10 68 .987
2017 - 115 962 45 5 76 .995
2018 - 41 272 9 1 13 .996
通算 1666 12092 991 58 132 73 .996 999 651 348 .348 416 3359 165 27 261 .996

タイトル[編集]

表彰[編集]

記録[編集]

初記録
節目の記録
  • 100本塁打:2005年8月10日、対横浜ベイスターズ14回戦(東京ドーム)、4回裏に三浦大輔から右越ソロ ※史上241人目
  • 150本塁打:2008年5月3日、対東京ヤクルトスワローズ7回戦(明治神宮野球場)、9回表に五十嵐亮太から右越3ラン ※史上146人目
  • 1000試合出場:2009年5月4日、対阪神タイガース6回戦(阪神甲子園球場)、8番・捕手で先発出場 ※史上430人目
  • 1000本安打:2009年6月8日、対東北楽天ゴールデンイーグルス4回戦(東京ドーム)、6回裏に井坂亮平から左前安打 ※史上253人目
  • 200本塁打:2009年9月18日、対東京ヤクルトスワローズ20回戦(明治神宮野球場)、7回表に加藤幹典から中越3ラン ※史上95人目
  • 250本塁打:2011年5月18日、対東北楽天ゴールデンイーグルス2回戦(日本製紙クリネックススタジアム宮城)、7回表に永井怜から右越ソロ ※史上55人目
  • 100死球:2012年6月30日、対中日ドラゴンズ8回戦(東京ドーム)、3回裏に小笠原孝から ※史上18人目
  • 1500試合出場:2013年4月4日、対横浜DeNAベイスターズ2回戦(横浜スタジアム)、4番・捕手で先発出場 ※史上177人目
  • 1500本安打:2013年4月7日、対中日ドラゴンズ3回戦(東京ドーム)、7回裏に小林正人から右前安打 ※史上113人目
  • 300本塁打:2013年4月21日、対広島東洋カープ6回戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)、7回表に中村恭平から右越2ラン ※史上38人目(捕手では野村克也田淵幸一に次いで3人目)
  • 1000打点:2014年6月7日、対埼玉西武ライオンズ4回戦(東京ドーム)、5回裏に岸孝之から右越ソロ ※史上42人目(捕手では野村克也・田淵幸一・古田敦也谷繁元信に次いで5人目)
  • 3000塁打:2014年7月25日、対中日ドラゴンズ13回戦(ナゴヤドーム)、2回表に大野雄大から遊撃内野安打 ※史上53人目
  • 300二塁打:2014年9月21日、対東京ヤクルトスワローズ22回戦(東京ドーム)、1回裏に小川泰弘から左中間へ適時二塁打 ※史上62人目
  • 350本塁打:2015年7月1日、対広島東洋カープ13回戦(東京ドーム)、8回裏に戸田隆矢から中越ソロ ※史上28人目
  • 2000試合出場:2017年5月20日、対横浜DeNAベイスターズ8回戦(横浜スタジアム)、4番・一塁手で先発出場 ※史上50人目
  • 3500塁打:2017年8月3日、対東京ヤクルトスワローズ16回戦(明治神宮野球場)、1回表に星知弥から中前安打 ※史上29人目
  • 2000本安打:2017年8月13日、対広島東洋カープ20回戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)、9回表に今村猛から右前安打 ※史上49人目
  • 400本塁打:2019年6月1日、対中日ドラゴンズ10回戦(東京ドーム)、6回裏に田島慎二から右越ソロ ※史上19人目[80][81]
  • 350二塁打:2019年6月13日、対埼玉西武ライオンズ3回戦(メットライフドーム)、7回表に粟津凱士から中越二塁打 ※史上42人目[82]
  • 150死球:2019年8月9日、対東京ヤクルトスワローズ18回戦(東京ドーム)、5回裏に小川泰弘から ※史上5人目
その他の記録
  • 月間本塁打:16本(2004年4月) ※プロ野球2位タイ
  • 捕手としての年間最高打率記録:.3404(2012年)
  • 捕手として通算400本塁打・350二塁打 ※セ・リーグ初、史上2人目
  • 通算死球:152(左打者最多記録)[83]
  • 奪本塁打投手人数:233 ※歴代2位、セ・リーグ記録[84]
  • 交流戦通算本塁打:60 ※セ・リーグ記録[85][注 3]
WBCでの記録

背番号[編集]

  • 10 (2001年 - )

登場曲[編集]

  • We Will Rock YouFive feat. Queen(2001年)
  • 「Shining Star」Backstreet Boys(2001年)
  • 「Punk」Gorillaz(2001年)
  • SeptemberEarth, Wind & Fire(2002年~2003年、2007年~2019年)
    ファンや応援団が歌詞に合わせて「ホームラン、阿部 慎之助」とコールすることがある。
    ビジター戦での打席入場の際にも、応援団がトランペットで演奏するケースがある。この場合でも、上記のコールが起きる場合もある。
  • 「Minority」Green Day(2002年)※ランナーなし
  • 「Touch the sky」Zeebra(2004年)
  • 「Shake Ya Tailfeather」Nelly, P. Diddy & Murphy Lee(2004年)
  • 「Lose My Breath」Destiny's Child(2005年)
  • 「We Will Rock You(グアムDJ MIX)」Queen(2006年)
  • 「FRIENDS」MINMI(2006年)
  • 「サマータイム!!」MINMI(2010年)※ランダム使用
  • ライバル湘南乃風(2016年)※1打席目
  • 「前向き」lecca(2017年)※1打席目
  • 「ど真ん中」lecca(2017年)※2打席目
  • 「TODAY」lecca(2017年 - 2019年)
  • 「Higher」lecca(2018年)※1打席目
  • みんながみんな英雄AI(2018年)※2打席目
  • 「Turn Around (5,4,3,2,1)」Flo Rida(2018年9月28日のみ)※村田修一引退セレモニーに合わせて1打席目のみ使用
  • 「Azukita」Steve Aoki(2019年開幕~8月16日まで)※1打席目
  • 「Boom Boom」RedOne(2019年開幕~8月16日まで)※2打席目
  • 「First Sight feat. 三浦大知」lecca(2019年8月17日~)※1打席目
  • 「忍」lecca(2019年8月17日~)※2打席目
  • 「熱ク」lecca(2019年8月17日~)※4打席目

代表歴[編集]

関連情報[編集]

出演番組[編集]

2013年1月1日、- 坂本勇人内海哲也澤村拓一山口鉄也長野久義と共に出演し、ストラックアウトに挑戦した。

関係文献[編集]

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ 野球部かつ3年間同じクラスだった岩舘善広は、2005年1月から阿部の個人マネジャー・専属ドライバーを務めている[6][7]
  2. ^ 2012年シーズン開幕に際して、当時の巨人監督原辰徳は「ある種、慎之助のチームだから」と言っている[22]
  3. ^ プロ野球記録は中村剛也の72本

出典[編集]

  1. ^ 巨人 - 契約更改 - プロ野球.日刊スポーツ.2018年11月21日閲覧。
  2. ^ ポジション変更がもたらす化学変化 週刊ベースボールONLINE 2015年3月25日閲覧。
  3. ^ 日刊スポーツ』2017年8月14日付4面「阿部姉妹だョ全員集合」
  4. ^ a b “巨人・阿部 父からの手紙】東司さん「すごいことをやってのけたな」”. ニッカンスポーツ・コム. 日刊スポーツ新聞社. (2017年8月14日). http://www.sanspo.com/baseball/news/20170814/gia17081402560003-n1.html 2017年8月16日閲覧。 
  5. ^ “【巨人】慎之助、母校・浦安中学へ帰る”. ニッカンスポーツ・コム. 日刊スポーツ新聞社. (2012年12月6日). http://www.nikkansports.com/baseball/news/f-bb-tp0-20121206-1056369.html 2017年8月15日閲覧。 
  6. ^ “巨人・阿部と二人三脚12年 個人マネジャー「痛いところだらけで…本当に凄い」”. スポーツニッポン. (2017年8月14日). http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2017/08/14/kiji/20170813s00001173523000c.html 2018年1月7日閲覧。 
  7. ^ “【巨人】阿部の高校時代同級生で個人マネ・岩舘善広氏が明かす素顔”. スポーツ報知. (2017年8月14日). http://www.hochi.co.jp/giants/20170814-OHT1T50065.html 2018年1月7日閲覧。 
  8. ^ 記念式典 式辞・来賓祝辞 中央大学創立125周年記念式典に寄せて”. 中央大学. 2012年10月28日閲覧。[リンク切れ]
  9. ^ 捕手・阿部慎之助に見るリードとバッティング。 Number 2004年5月6日
  10. ^ http://www.sankei.com/premium/news/170823/prm1708230006-n1.html
  11. ^ 赤坂英一 (2009). キャッチャーという人生. 講談社. ISBN 9784062157353. p.204
  12. ^ 阿部慎之助 “無”への一歩は胴上げから。P1 Number 2007年8月23日
  13. ^ “【巨人】阿部、“サヨナラ慎ちゃん”復活目指す!そのルーツは…”. スポーツ報知 (報知新聞社). (2016年12月13日). http://www.hochi.co.jp/giants/20161213-OHT1T50031.html 2017年8月16日閲覧。 
  14. ^ 「捕手なのに打てる!」のではない。“バットマン”阿部慎之助を巡る物語。 Number 2009年11月18日
  15. ^ 阿部慎之助 “無”への一歩は胴上げから。P4 Number 2007年8月23日
  16. ^ 日本代表選手成績 全日本野球会議
  17. ^ 阿部優勝打も右肩負傷退場でCS絶望 日刊スポーツ 2008年10月11日
  18. ^ 2010年6月20日付日刊スポーツ データセンター
  19. ^ 【巨人軍】阿部、右ふくらはぎ負傷で病院へ 日刊スポーツ 2011年4月5日
  20. ^ 【巨人軍】今季初出場の阿部が土壇場初安打 日刊スポーツ 2011年5月17日
  21. ^ 【巨人軍】阿部が連続無失策セ新→直後終了 日刊スポーツ 2011年9月29日
  22. ^ 原監督 阿部の開幕4番明言「慎之助のチームだから」”. スポーツニッポン新聞社 (2012年3月29日). 2018年1月6日閲覧。
  23. ^ 自身初タイトルの阿部 すべての部門で堂々の数字も「実感ない」 スポーツニッポン 2012年10月9日
  24. ^ 侍ジャパンマッチ2012 日本代表メンバー NPB公式サイト (2012年11月6日) 2015年4月14日閲覧
  25. ^ 日本代表メンバー NPB公式サイト (2012年11月6日) 2015年4月14日閲覧
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  30. ^ 2013 WORLD BASEBALL CLASSIC 日本代表メンバー 日本野球機構オフィシャルサイト (2013年2月20日) 2015年4月2日閲覧
  31. ^ WBC日本代表 最終メンバーにG戦士7選手 読売巨人軍公式サイト
  32. ^ “【WBC】“台湾キラー”阿部!「相性いいでしょ 仕切り直しだね」:巨人”. スポーツ報知 (報知新聞社). (2013年3月8日). http://hochi.yomiuri.co.jp/giants/news/20130307-OHT1T00270.htm 2013年4月3日閲覧。 
  33. ^ 阿部、同点弾&3ラン!1イニング2発だ!!
  34. ^ “阿部、好機に凡退…「代表引退」宣言も(2)/WBC”. デイリースポーツ online (デイリースポーツ). (2013年3月19日). http://www.daily.co.jp/baseball/wbc/2013/03/19/1p_0005825220.shtml 2013年4月3日閲覧。 
  35. ^ 阿部が試合直前に緊急交代でV持ち越し 帯状疱疹で22日微妙:巨人:スポーツ報知[リンク切れ]
  36. ^ “巨人 阿部 松井超え333号&1000打点達成”. spnannex (spnannex). (2014年6月7日). http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2014/06/07/kiji/K20140607008320070.html 2014年6月7日閲覧。 
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  38. ^ 2014 SUZUKI 日米野球シリーズ 阪神・巨人連合チーム出場選手発表 阪神タイガース公式サイト (2014年10月21日) 2015年5月26日閲覧
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  40. ^ 阿部、村田両選手がゴールデングラブ賞を受賞
  41. ^ 阿部が捕手復帰、打線にあと一本が出ず4連敗 読売巨人公式サイト (2015年4月3日) 2015年4月24日閲覧
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  43. ^ 一軍登録情報 読売巨人軍公式サイト
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  50. ^ 株式会社スポーツニッポン新聞社マルチメディア事業本部「“ミスター超え”金字塔!巨人・阿部が18年連続2桁本塁打 - スポニチ Sponichi Annex 野球」『スポニチ Sponichi Annex』。2018年10月10日閲覧。
  51. ^ “巨人阿部隠れた大記録…新人年から2桁本塁打継続中 - 野球 : 日刊スポーツ” (日本語). nikkansports.com. https://www.nikkansports.com/baseball/news/1868683.html 2018年10月10日閲覧。 
  52. ^ 40歳で捕手復帰の巨人・阿部、勇気と覚悟の決断に原監督も期待 2018年11月22日
  53. ^ 【巨人】阿部、今季1号勝ち越しソロでプロ通算400号達成 2019年6月1日 スポーツ報知
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関連項目[編集]

外部リンク[編集]