礒貝洋光
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|---|---|---|---|---|---|---|
| 名前 | ||||||
| カタカナ | イソガイ ヒロミツ | |||||
| ラテン文字 | ISOGAI Hiromitsu | |||||
| 基本情報 | ||||||
| 国籍 |
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| 生年月日 | 1969年4月19日(49歳) | |||||
| 出身地 | 熊本県 | |||||
| 身長 | 176cm | |||||
| 体重 | 74kg(現在は101kg) | |||||
| 選手情報 | ||||||
| ポジション | MF | |||||
| 利き足 | 右足 | |||||
| クラブ1 | ||||||
| 年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
| 1992-1996 | ガンバ大阪 | 125 | (26) | |||
| 1997-1998 | 浦和レッドダイヤモンズ | 10 | (3) | |||
| 代表歴2 | ||||||
| 1995[1] |
| 2 | (0) | |||
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1. 国内リーグ戦に限る。1998年12月31日現在。 2. 1995年1月8日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj | ||||||
礒貝 洋光(いそがい ひろみつ、1969年4月19日 - )は、熊本県下益城郡小川町(現宇城市)出身の日本の元サッカー選手。姓は磯貝と表記される場合もある。
目次
来歴[編集]
小学校時代に全日本少年サッカー大会に出場すると天才サッカー少年として脚光を浴びた。中学時代はU-17日本代表のエースストライカー。 1985年に帝京高校に入学すると1年生から10番を背負った。1986年にはU-20日本代表としてFIFAワールドユースアジア予選に出場した。
1988年に東海大学に入学すると澤登正朗と共に1年時からレギュラーとして全日本大学サッカー選手権大会を始め多くのタイトルを獲得した。また1991年に日本代表に選出され、4月のスパルタク・モスクワ戦と5月のバスコ・ダ・ガマ戦でプレーしている(在学中はAマッチ出場は無し)。Jリーグ開幕前年の1992年に東海大学を中退して、ガンバ大阪に入団。自身への挑戦のため、あえて馴染みのない関西のクラブに入団したとの事である。
本人は、週刊現代の総力取材・天才スポーツ選手が語る「栄光と挫折」でのインタビューで、「京都の舞妓さんと遊びたかった。まあ、釜本(邦茂)さん(当時監督)に美味しいステーキをごちそうになって、断れなかったのかな」と語る[2]。
その後は永島昭浩や本並健治らと共に、Jリーグ初期のガンバ大阪を盛り上げた。常に主力として活躍し、キャプテンを担った事もあった。1995年の日本代表としてインターコンチネンタル選手権で念願のAマッチデビューを果たすがこれが最後の代表出場となった[1]。1997年に浦和レッドダイヤモンズに移籍したが翌1998年に29歳で現役を引退した。Jリーグ通算成績は135試合出場29得点。
サッカー選手を引退後は、1999年の「スーパーマリオよみうりオープン」に主催者推薦でアマチュアとしてゴルフツアーに初出場し[3]、ゴルファーとしての活動を開始した。その後プロ宣言し[注 1]、2002年には主催者推薦でダイヤモンドカップゴルフトーナメントにてプロ宣言後初のツアー参戦を果たした。それ以降はQT受験からのツアー参加を目指したが突破は果たせず、ツアー外競技中心の活動となった。 2006年にはPGAプロテストに挑み、一次テストを突破するも合格はならなかった[4][5]。その後もトレーニングを続け、チャレンジへの出場やQT受験、キャディとしてプロに帯同するなどゴルフに関わってはいたが目立った結果は残せず、本人によると獲得賞金についても「ほとんどない、記憶に無い」という[6]。
2017年7月現在は独身で、友人の一軒家を間借りして生活。仕事は高校時代の同級生が棟梁を務める現場で大工の見習いをしている[7]。
サッカー選手として[編集]
典型的な天才肌タイプの選手であり、クラシックなゲームメーカー。運動量が少なくプレーのムラも多かったが、非凡なるパスセンスを持ち、両足共に高い精度を誇っていた。しかしプロ入り後天皇杯で大怪我をし、93年の開幕に間に合わなかった。
ガンバ大阪時代には攻撃的MFとしてプレーしていたが、高校や大学時代にはFWとして、また浦和レッドダイヤモンズ時代には展開力を買われてボランチやリベロでプレーした経験も持つ。フリーキックは精度が高く、1試合に右足・左足で1点ずつ決めた事があるという話がファンの間でよくされているが、少なくても公式記録上では確認できない。
人物・エピソード[編集]
- 日本サッカー界における「未完の大器」や「早熟の天才」として名を挙げる者が多い。「生まれるのが10年早ければ木村和司とワールドカップメキシコ大会を狙えた」、「10年遅ければゴールデンエイジとして海外で活躍していた」などと仮定で語られることの多い選手でもある。それだけの期待を抱かせる選手であった[要出典]。
- Jリーグ開幕の1993年シーズンに、シジマールの持っていた731分連続無失点記録を予告ゴールで破った。
- 帝京の後輩である松波正信は先輩の礒貝に憧れ、「パスを受けたい」との理由で数ある入団先からガンバ大阪を選んだ。また帝京の同期である森山泰行は礒貝と「もう一度コンビを組みたい」との理由で当時在籍していた名古屋グランパスから移籍志願した[要出典]。
- 東海大の同期でもありライバルでもある澤登正朗は礒貝について、「一言で言うと天才。冗談抜きで中田英寿とか小野伸二以上のモノを持っていた」と評している[要出典]。
- 同じ九州出身で学生時代に対戦経験のある永井秀樹は、「マラドーナがどんなに天才だったと言っても、少年時代の礒貝さんにはかなわない」と語っている[要出典]。
- 日本代表時代のラモス瑠偉は「オレの後、日の丸の背番号10を背負うのは彼(礒貝)だと思う」と語っていた。だが1995年以降、礒貝は代表に呼ばれることはなく、ラモスも前言を撤回し「ノボリ(澤登)が10番に相応しい」と、自身の後継者に礒貝の親友である澤登を指名した。
- 1987年度の全国高校サッカー選手権準々決勝で澤登正朗率いる東海大一高と対戦。PK戦にもつれた試合の最後のキッカーとなりこれを外している。
- 東海大在籍時の1991年に休学し、スペインへ半年間留学をしている。本人は「契約の問題で試合出場はできなかったが、チームの中で俺よりうまいヤツはいなかった」と後に語っている[要出典]。
- 2009年8月、TV番組(朝日放送「探偵!ナイトスクープ」)内において、再びサッカーボールを蹴る姿が放映された。きっかけは、熊本に住む磯貝の親戚から送られた、「彼がかつてスタープレイヤーであったことを全く信じてくれず『ただの冴えないおじさん』としか思っていない小学生の息子2人に、磯貝が凄い選手だったことを教えたい」という依頼だった。ミニゲームを行うにあたっては、関西大学サッカー部が協力した[8]。
- トヨタカップで来日したACミランが日本代表と練習試合をした際、若ければ連れて帰りたいと思い、フランコ・バレージが礒貝の年齢を尋ねた[要出典]。
- 埼玉県ふじみ野市を拠点とするジュニアユースクラブ、CLUB GORICA(クラブゴリツァ)のコーチを務めている。
所属クラブ[編集]
ユース経歴
プロ経歴
- 1992年 - 1996年 ガンバ大阪
- 1997年 - 1998年7月 浦和レッドダイヤモンズ
個人成績[編集]
| 国内大会個人成績 | |||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
| 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
| 日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
| 1992 | G大阪 | - | J | - | 8 | 0 | 3 | 0 | 11 | 0 | |
| 1993 | 28 | 6 | 4 | 0 | 2 | 0 | 34 | 6 | |||
| 1994 | 40 | 6 | 3 | 0 | 4 | 0 | 47 | 6 | |||
| 1995 | 37 | 13 | - | 4 | 4 | 41 | 17 | ||||
| 1996 | 20 | 1 | 9 | 2 | 4 | 2 | 33 | 5 | |||
| 1997 | 浦和 | 14 | 10 | 3 | 0 | 0 | 1 | 0 | 11 | 3 | |
| 1998 | 0 | 0 | 0 | 0 | - | 0 | 0 | ||||
| 通算 | 日本 | J1 | 135 | 29 | 24 | 2 | 18 | 6 | 177 | 37 | |
| 総通算 | 135 | 29 | 24 | 2 | 18 | 6 | 177 | 37 | |||
代表歴[編集]
試合数[編集]
- 国際Aマッチ 2試合 0得点(1995年)[1]
| 日本代表 | 国際Aマッチ | |
|---|---|---|
| 年 | 出場 | 得点 |
| 1995 | 2 | 0 |
| 通算 | 2 | 0 |
音楽作品[編集]
- 「ビバ!ガンビーノ」(マーキー&ガンビーノ with 礒貝洋光)
- 1994年発売。ガンバ大阪オフィシャルサポーターズソング。公称3万枚を売り上げた[9]。
- FM802のOSAKAN HOT 100では最高位23位[10]。
ゴルファーとしての成績[編集]
ツアー[編集]
1999
06/17-06/20 国内男子 スーパーマリオよみうりオープン[11] 予落 +16 160
2002
05/30-06/02 国内男子 ダイヤモンドカップトーナメント[12] 予落 +21 165
チャレンジ[編集]
2006
09/07-09/08 国内男子 PGMシリーズ第5戦かさぎチャレンジ[13] 予落 +3 75
関連項目[編集]
脚注[編集]
- ^ a b c “礒貝 洋光”. サッカー日本代表データベース
- ^ 総力取材・天才スポーツ選手が語る「栄光と挫折」
- ^ 元ガンバ大阪(Jリーグ)の磯貝洋光さんが登場! 一般社団法人日本ゴルフツアー機構
- ^ 2006年資格認定プロテスト情報
- ^ HIROMITSU ISOGAI OFFICIAL WEBSITE 2006年8月11日
- ^ 天才Jリーガー・磯貝洋光氏の現在、日給6000円も「俺は変わってない」 ライブドアニュースSports Watch 2016年11月29日
- ^ 年俸8000万Jリーグの「天才」元日本代表 現在は日給6000円で暮らす日々 スポニチアネックス 2017年7月18日
- ^ “探偵ナイトスクープ!”. ガンバボーイ公式ブログ (2009年8月8日). 2017年10月15日閲覧。
- ^ 森綾『読むFM802』(ISBN 4822740137)、日経BP出版センター、1994年、240頁。
- ^ 森綾、前掲書239-240頁。
- ^ スーパーマリオよみうりオープン フルリーダーボード 一般社団法人日本ゴルフツアー機構
- ^ ダイヤモンドカップトーナメント フルリーダーボード 一般社団法人日本ゴルフツアー機構
- ^ PGMシリーズ第5戦かさぎチャレンジ フルリーダーボード 一般社団法人日本ゴルフツアー機構
注釈[編集]
関連サイト[編集]
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