錦織圭

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基本情報
ラテン文字名 Kei Nishikori
国籍 日本の旗 日本
出身地 島根県松江市
居住地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 フロリダ州タンパ
生年月日 1989年12月29日(26歳)
身長 179cm[1]
体重 75kg
利き手
バックハンド 両手打ち
ツアー経歴
デビュー年 2007
ツアー通算 11勝
シングルス 11勝
ダブルス 0勝
4大大会最高成績・シングルス
全豪 ベスト8(2012・15・16)
全仏 ベスト8(2015)
全英 4回戦(2014・16)
全米 準優勝(2014)
4大大会最高成績・ダブルス
全仏 2回戦(2011)
全英 2回戦(2011)
国別対抗戦最高成績
デビス杯 ベスト8(2014)
キャリア自己最高ランキング
シングルス 4位(2015年3月2日)
ダブルス 160位(2012年4月9日)
獲得メダル
テニス
オリンピック
2016 リオデジャネイロ 男子シングルス
2016年8月15日現在

錦織 圭(にしこり けい、1989年12月29日 - )は、島根県松江市出身の男子プロテニス選手。日清食品所属。松江市立乃木小学校開星中学校青森山田高等学校卒業。身長178cm、体重75kg。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。

ATP世界ランキング自己最高位はシングルス4位(アジア人男子歴代最高位)。アジア人男子初、日本人初のシングルス世界ランキングトップ10入り。これまでにATPツアーシングルスで日本人最多の11度の優勝を挙げている。ダブルスでは準優勝を1度記録している。

男女通じて日本人初、アジア人男子初のグランドスラム4大大会シングルスファイナリスト。また、日本人初、アジア人男子初のATPワールドツアー・ファイナル出場者。ATPワールドツアー・マスターズ1000では、2014年マドリード・マスターズ男子シングルス2016年マイアミ・マスターズ男子シングルス2016年ロジャーズ・カップ男子シングルス準優勝。日本人男子史上2人目のATPツアー優勝者。日本人男子史上唯一のATPツアーシングルス複数優勝者。オリンピックテニス競技にて96年ぶりの、日本人男子史上2人目のオリンピックメダリスト(2016 リオデジャネイロ 男子シングルス 銅メダル)。

選手経歴[ソースを編集]

ジュニア時代[ソースを編集]

1989年12月29日島根県松江市に生まれる。初めてラケットを手にしたのは5歳の時。父と9歳になる姉と一緒に雲南市の公園でボールを打っていた。2ヶ月後に同じく雲南市になる加茂町中央公園のテニスコートに通いだす。テニスを始めてから約1年後、松江市内の「グリーンテニススクール」に入会する。小学4年生の時、中国地方代表として全国小学生テニス選手権大会に出場する。翌年も出場し2回戦で第8シードの選手を破る番狂わせを起こしベスト8の成績を残す。

2001年小学6年生の5月、千葉県柏市の吉田記念テニス研修センターで行われた全国24名のトップ選手が揃う全国選抜ジュニアテニス選手権大会(選抜ジュニア)12歳以下の部で優勝を果たす。この大会の準決勝では松岡修造が錦織の試合を観戦していた。松岡はリターンゲームでの圧倒的な才能に目を奪われると同時にサービスに悪い癖が付いてることも懸念していた。選抜ジュニアから1週間後、河口湖湖畔で開催される「修造チャレンジトップジュニアキャンプ」への招待状が届く。6月のこの日は修学旅行と被っていたが錦織は喜々として参加した。修造は錦織の苦手とする"表現力のメンタルトレーニング"を敢えて強いた。またコーチとして竹内映二小浦猛志が技術指導を行った。[2]

7月末、全国小学生テニス選手権大会で5試合すべてストレート勝ちの優勝を果たす。その約10日後全日本ジュニアテニス選手権大会(12歳以下の部)でも全試合ストレートの完全優勝を成し遂げ、全国大会三冠を達成する。2001年11月、錦織にとって二度目の修造チャレンジに参加する。この時なキャンプには松岡の恩師である名コーチのボブ・ブレッドが参加し、練習コートにはテレビ局の取材カメラも密着していた。この衆人環境のプレッシャーの中で錦織は身長差約30cmもある高校1年生に勝利する。年上で大柄な選手に勝ったことは錦織の大きな自信になった。[2]

2002年10月スカウティングスタッフの推薦を得て盛田正明が運営する「盛田正明テニス・ファンド(MMTF)」の選考会に参加する。この時参加していたIMGアカデミーヘッドコーチのゲイブ・ハラミロの推薦により、翌年1月MMTFの候補生のひとりとしてIMGアカデミーに二週間の短期留学をする。ここでの適応力・集中力・練習や試合に取り組む姿勢をコーチ陣に高く評価され、最終選考会を経て盛田正明テニス・ファンドの第4期特待生に選抜される。2003年8月末に同じ選抜生2人とともに渡米。[3]

渡米した翌月にはテキサス州のジュニア大会ベスト8、ダブルスは準優勝する。12月のオレンジボウル選手権14歳以下の部で準優勝。2004年6月にモロッコのG3ジュニア大会決勝でアレクサンドル・ドルゴポロフに勝利し優勝。14歳での優勝は快挙と言ってよかった。9月にはIMGの日本人メンバーとともに男子ジュニア国別対抗戦のジュニア・デビス・カップ三橋淳喜多文明らと共に日本代表として出場。スペイン戦でペレ・リバに勝利し前年大会では11位だった日本を過去最高の5位入賞に押し上げた。2005年にはジュニアG2の大会で立て続けにベスト4入り。そしてこの頃IMGアカデミーのトップグループに昇格。専任コーチを雇用する[4]。9月、全米オープンジュニアで3回戦進出。 10月、大阪市開催の世界スーパージュニアテニス選手権大会ジェレミー・シャルディーに敗れるものの準決勝まで進出。この大会では三橋淳と組んで出場したダブルスでも準決勝まで進出し単複ベスト4の成績を収めた。

2006年1月の全豪オープン男子ジュニアではベスト8入り。ダブルスではピーター・ポランスキー(カナダ)と組んで出場しベスト4進出の好成績を収める。3月、京都市で開催されるATPチャレンジャーツアー大会・島津全日本室内テニス選手権にワイルドカードで出場。錦織にとって初のツアー大会であった。初戦でロバート・スミーツに敗れるものの初のATPポイントを獲得する。翌週メキシコカンクンフューチャーズ大会には予選から出場しベスト4入り。

6月にはエミリアノ・マサアルゼンチン)と組んで出場した全仏オープン男子ジュニアダブルス部門で、日本男子史上初の4大大会ジュニアダブルス優勝の快挙を果たした。なおこの大会では男子ジュニアシングルスでも8強に入っている。また、前年この大会で優勝しこの年も男子シングルス決勝に進んだ世界ランキング2位のラファエル・ナダルスペイン)が、決勝前日の練習相手に仮想ロジャー・フェデラースイス)として錦織を指名し話題を呼んだ[5]。その翌日の決勝戦当日の朝にもヒッティングパートナーの依頼を受け再び練習相手を務める。[2]

フューチャーズ大会で着実に実績を積んでいき9月にはカリフォルニアの大会でベスト4、10月にはメキシコの大会で予選から出場し決勝で世界ランキング300位の選手を破りいきなり初優勝した。この優勝によりATPランキングポイント12を獲得した錦織はATPチャレンジャーツアーの予選に出場できるまでにランキングを上げる。シーズン終盤ではチャレンジャーの2大会で本戦に出場し、本戦初勝利も手に入れた。[2]2006年シーズン終了時点で世界ランキング603位につけておりこの時点で日本人選手10位につけており、既に日本トップ選手の一人となっていた。

2007年 プロ転向[ソースを編集]

3月のマイアミ・マスターズのダブルスに、主催者推薦で元シングルス世界ランク1位のグスタボ・クエルテンブラジル)と組んでツアー初出場。また、同大会のジュニア部門として開催されているルキシロンカップに第4シードで出場し、決勝でマイケル・マクルーンを 6-7(2), 6-4, 6-1 で破り優勝、またこのマイアミの直前と期間中の約1週間、ロジャー・フェデラーの練習相手を務めた。4月にはヒューストンで行われた全米男子クレーコート選手権シングルス予選でツアーシングルス予選初出場。ここでは予選1回戦でトラビス・パロットに 3-6, 5-7 のストレートで敗れた。5月にはノーシードで出場したLAテニス・オープン・USTA男子チャレンジャーシングルスで自身初のチャレンジャー大会決勝進出を果たし準優勝。予選から出場した7月第2週のLAテニス・オープンシングルスでは見事予選を勝ち上がり自身初のツアーシングルス本選出場。ここでは1回戦でウェスリー・ムーディ(南アフリカ)と対戦し、3-6, 2-6 のストレートで敗れた。

更に翌週インディアナポリスで行われたRCA選手権シングルスでも予選勝ち上がりで本戦出場を果たし、1回戦でアレハンドロ・ファジャコロンビア)を 6-4, 6-3 で、2回戦でミヒャエル・ベラーを 6-3, 3-6, 6-1 のフルセットで下し、日本人男子史上最年少のATPツアーシングルスベスト8を決める。続く準々決勝では当時世界ランキング27位、大会第3シードのドミトリー・トゥルスノフロシア)と対戦し、1-6, 4-6のストレートで敗れた。この活躍により翌7月第4週のレッグ・メーソン・テニス・クラシックではシングルス本戦SEを与えられ本戦出場。2回戦のジュリアン・ベネトー戦まで進出した。8月には全米オープンでグランドスラム予選に初挑戦。ここでは予選2回戦でビョルン・ハウに 2-6, 4-6 のストレートで敗退。9月のチャイナ・オープンシングルスでも予選を勝ち上がり本戦出場。1回戦で当時世界ランク12位、大会第4シードのイワン・リュビチッチクロアチア)に 3-6, 4-6 のストレートで敗れた。同月29日に日本に帰国し記者会見を行い、翌10月1日付でのプロ転向を発表し、17歳9ヶ月でプロ転向[6]。翌10月のジャパン・オープンでプロデビューを果たすが、この大会はシングルス、添田豪と組んだダブルス共に1回戦で敗退した。

2008年 初ATPタイトル[ソースを編集]

2008年全米オープンにて

2月17日、錦織はアメリカ・フロリダ州デルレイビーチでのデルレイビーチ国際テニス選手権で予選から勝ち上がると、初進出の決勝で当時世界ランキング12位、第1シードのジェームズ・ブレークアメリカ)を 3-6, 6-1, 6-4 で破り、ツアー初優勝を達成した。日本人男子選手のATPツアー制覇は、1992年4月に韓国オープンを制覇した松岡修造以来16年ぶり2人目の快挙となった。

4月に男子国別対抗戦デビスカップ「アジア・オセアニアゾーン」の「グループ1」2回戦で、日本はインドと対戦し、日本男子のトップに立った錦織が初めて日本代表に選出された。4月28日、錦織は世界ランキングで99位に浮上し、日本男子としては1996年8月まで2けた順位だった松岡以来の世界ランキング100位以内に入った。

全仏オープンでは予選2回戦で敗退するが、ウィンブルドン前哨戦のアルトワ選手権では3回戦まで進出し、当時世界ランク2位のラファエル・ナダルスペイン)と対戦、4-6, 6-3, 3-6 と負けはしたものの、ナダル相手に1セットを奪う健闘を見せる(試合後、ナダルは「彼は数年後には世界ランク10位、いや5位に食い込んでくるだろう。100%間違いない」とコメントしている[7])。ウィンブルドンで初のグランドスラム本戦ストレートイン(予選免除)を果たす。マルク・ジケルフランス)との1回戦では、1セット・オールから腹筋の痛みを訴え、途中棄権による敗退となった[8]

6月末には日本テニス協会が申請していた北京オリンピック推薦枠での出場が認められ、オリンピック初出場を決めた。男子シングルスの日本人出場は、アトランタオリンピックの松岡以来12年ぶりとなる[9]。オリンピックでは、1回戦でライナー・シュットラードイツ)に、4-6, 7-6, 3-6 で敗退した。しかしこのとき、第2セットを一時0-5とされながらもセットを取る、という驚異の粘りを見せた。

全米オープンでは世界ランク32位、第29シードのフアン・モナコアルゼンチン)を途中インジャリータイムをとりながらも 6-2, 6-2, 5-7, 6-2 で破り、2005年鈴木貴男以来の日本人4大大会1回戦突破となった。続く2回戦はロコ・カラヌシッチクロアチア)を相手に2セット先取の後に相手選手棄権で突破、日本人では神和住純以来の男子シングルスでの3回戦進出となった。3回戦では当時世界ランク4位のダビド・フェレールスペイン)を相手に 6-4, 6-4 で2セット先取、その後 4-6, 2-6 と2セットを挽回されるが、第5セットを 7-5 で奪い、勝利を挙げた(錦織は、試合後に「自分の体力を考慮し第4セットは捨てた」と語っている)。日本人では1937年山岸二郎中野文照以来(当時は全米プロとアマチュア用の全米オープンで分かれていたので完全にオープン化してからは日本人初)の男子シングルスでの4回戦進出となった[10]。しかしベスト8をかけて戦った4回戦では、アルゼンチンの新鋭、19歳のフアン・マルティン・デル・ポトロに 3-6, 4-6, 3-6 とストレートで敗北し、95年の松岡以来となるグランドスラムベスト8入りを逃した。

その後、日本に凱旋した錦織は、AIGオープンに出場、1回戦でランキング102位のロバート・ケンドリックアメリカ)を 7-6(3), 6(5)-7, 6-2 のフルセットで、2回戦でランキング60位のギリェルモ・ガルシア=ロペススペイン)を 6-4, 6-4 のストレートで破り、今大会2回目の出場にして初めて3回戦に進出。3回戦ではフランスの世界ランク13位リシャール・ガスケと対戦。試合後のインタビューで「(相手を)尊敬し過ぎていた」と語るほど[11] 終始相手に圧倒される展開となり、1-6, 2-6 と大敗を喫した。翌週に出場したストックホルム・オープンでは棄権を考えたほどの連戦の疲労から1〜2回戦共に不安定な試合運びを余儀なくされたものの、3回戦では対戦相手のマリオ・アンチッチクロアチア)が試合前に棄権する幸運にも助けられベスト4に進出。

2009年 怪我[ソースを編集]

全豪オープンは1回戦で第31シードユルゲン・メルツァーに 5-7, 2-6, 1-6 で敗退したが、大会後に発表された2月2日付のランキングでは自己最高となる56位を記録した。 2008年度のATPワールドツアー最優秀新人賞(Newcomer of the Year)を受賞。 5月、右ひじの疲労骨折が判明し、6月開幕のウィンブルドン選手権、8月開幕の全米オープンと連続して欠場した。また同8月には右肘の内視鏡手術を受け、残りのツアーを欠場。リハビリパートナーを杉山芙沙子(杉山愛の母)が務めた。[2]

2010年 復帰[ソースを編集]

前年の怪我が長引き年初を棒に振り一時はランキングを失ったが、復帰後は下部大会で好成績を収め順調にランキングを回復。 4大大会では、プロテクトランキングを使用して全仏オープンに繰り上げでストレートインを果たし初出場。初戦でサンティアゴ・ヒラルドを2セットダウンからの逆転で下したあと、2回戦でノバク・ジョコビッチにストレートで敗れた。 全仏後はクイーンズの大会に出場したが、初戦でリシャール・ガスケに敗れた。 ウィンブルドンには主催者推薦で出場。優勝したラファエル・ナダルに初戦でストレート負けした。 その後全米オープンに予選から出場、見事に突破し2年ぶりの出場を果たし、2回戦で第11シードのマリン・チリッチを 5-7, 7-6, 3-6, 7-6, 6-1 で4時間59分の激闘の末破った。 東京で行われた楽天オープンでは初戦でビクトル・トロイツキに敗北した。この年チャレンジャー大会で4回優勝。

2011年 日本人男子歴代最高ランクに[ソースを編集]

2011年全豪オープンにて

ブラッド・ギルバートをトラベリング・コーチに迎え、15トーナメントに帯同する。1月3日にユニクロと契約。エアセル・チェンナイ・オープンから使用。1月17日から全豪オープンに出場。初戦で世界ランク58位のファビオ・フォニーニ(イタリア)を 6-1, 6-4, 6-7(4), 6-4 で下し、同大会初勝利をあげた。続く2回戦で世界ランク36位フロリアン・マイヤー(ドイツ)を 6-4, 6-3, 0-6, 6-3 で破り、日本男子では46年ぶりの3回戦進出を果たしたが、3回戦で第9シードのフェルナンド・ベルダスコ(スペイン)に 2-6, 4-6, 3-6 のストレートで破れた。2月に行われたSAPオープンでは第8シードで出場し、1回戦でヤン・ハジェク(チェコ)をストレートで下した。2月14日付の世界ランキングが発表され68位に浮上。デルレイビーチ国際テニス選手権にも出場し、2回戦で2008年決勝の相手であるジェームズ・ブレークと対戦し 6-3, 6-4 のストレートで下した。準々決勝でライアン・スウィーティング(米国)に 6-7, 6-2, 6-4で勝ち、2008年以来の準決勝進出をしたがヤンコ・ティプサレビッチ(セルビア)に 4-6, 4-6 で敗れ、決勝進出は逃した。

3月のソニー・エリクソン・オープンでは1回戦でジェレミー・シャルディー(フランス)に 7-6(5), 6-2 で勝利し、ATPワールドツアー・マスターズ1000大会の初勝利を挙げた。2回戦では3度目の対戦となったラファエル・ナダルに 4-6, 4-6 で敗れた。4月の全米男子クレーコート選手権では世界ランク11位のマーディ・フィッシュ(米国)を 6-3, 6-2 のストレートで、準決勝では第7シードのパブロ・クエバス(ウルグアイ)を 6-3, 7-5 のストレートで下し決勝進出したが、ライアン・スウィーティング(米国)に 4-6, 6-7(3) で惜敗し、準優勝。ATPツアー2勝目は逃したが、自己最高ランクの48位に浮上した。バルセロナオープンでは3回戦でフェリシアノ・ロペスに敗れたが世界ランキングを自己最高の47位に浮上し、松岡修造が持つ日本人最高ランクの更新まで2と迫った。

全仏オープンでは1回戦で世界ランク56位の盧彦勲を6-1, 6-3, 6-4のストレートで勝利し、2年連続で2回戦へ駒を進めた。2回戦で第31シードのセルジー・スタホフスキー(ウクライナ)に 1-6, 6-3, 3-6, 6-7(3) で敗れた。グランドスラムでは初出場のダブルスではマクシモ・ゴンサレスと組んだ1回戦は勝利したが、二回戦で第3シードのロハン・ボパンナ(インド)、アイサム・クレシ(パキスタン)組に7-6, 3-6, 4-6で敗れた。

デビス杯のウズベキスタン戦に2年ぶり出場。初日のシングルスは格下相手に1セットを落とすが勝利。2日目のダブルスは添田豪と組み、イストミン、イノヤトフ組を7-5, 7-6, 7-5で勝利。そして3日目のシングルスもエースのイノヤトフに 6-7, 7-5, 6-4, 6-3 で勝利し、入れ替え戦進出に大きく貢献した。入れ替え戦のインド戦でも招集され、シングルスの2試合に出場してともに勝ち日本のワールドグループ昇格に大きく貢献した。

10月に行われた上海マスターズでは2回戦で世界ランク8位のジョー=ウィルフリード・ツォンガと対戦し6-7,6-4,6-4で勝利。3回戦では同48位サンティアゴ・ヒラルドと対戦。6-4, 6-3で勝利し、マスターズ1000初のベスト4に進出。松岡修造の持つ日本人最高ランクである46位を超えることが確実となると、10月17日に発表された世界ランキングでは30位にランクアップ、日本人男子選手最高を更新した[12]

11月にスイス・バーゼルで行われたスイス・インドアでは、1回戦で世界ランク7位のトマーシュ・ベルディハを、 3-6, 6-3, 6-2 の逆転で下し、先の上海マスターズに続き世界トップ10選手に再び勝利。さらに準決勝では同1位のノバク・ジョコビッチを 2-6, 7-6(4), 6-0 で破る大金星を挙げ、ATPツアー3度目となる決勝進出。日本の男子選手がシングルスで世界ランキング1位の選手に勝利したのは史上初である[13]。決勝では地元スイスの英雄にして、兼ねてより熱望していたロジャー・フェデラーとの対戦が実現するも、 1-6, 3-6 で敗れ、準優勝となる。11月に2008年4月から所属契約を結んでいたソニーとの契約が終了した。

2012年 4大大会ベスト8 2つ目のタイトル[ソースを編集]

ソニー・エリクソン・オープンにて

年度最初のブリスベン国際では2回戦で敗れたが、全豪オープンでは現行ランキング制度導入の1973年以降の4大大会で、日本人男子シングルス選手として初めて上位32名に与えられるシード権を得て、第24シードとして大会に挑むこととなった[14]。前哨戦では世界ランク6位のジョー=ウィルフリード・ツォンガと同16位のアンディ・ロディックといった強豪相手に勝利。本大会では2回戦で地元オーストラリアの同94位のマシュー・エブデンを 3-6, 1-6, 6-4, 6-1, 6-1 のフルセットで破った。2セットダウンからの大逆転であった。3回戦では同39位のジュリアン・ベネトーに 4-6, 7-6, 7-6, 6-3 で勝利、続く4回戦でツォンガを 2-6, 6-2, 6-1, 3-6, 6-3 のフルセットで破り、ベスト8に進出した。全豪で日本男子がベスト8入りしたのは、佐藤次郎布井良助以来80年ぶり、4大大会での日本男子のベスト8入りは、1995年のウィンブルドン選手権の松岡修造のベスト8以来17年ぶりである[15]。このベスト8入りはオーストラリアの地元紙のトップで報じられた[16]。準々決勝では世界ランク4位のアンディ・マリーに、3-6, 3-6, 1-6 のストレートで敗れ、ベスト4入りは逃した。混合ダブルスではクルム伊達公子とペアを組み、1回戦で昨年の全米オープンで準優勝したエドゥアルド・シュワンクヒセラ・ドゥルコ組を破ったが[17]、2回戦で敗退。

デビスカップ・ワールドグループ1回戦(日本対クロアチア)では世界ランク43位のイボ・カロビッチや同55位のイワン・ドディグと対戦。ドディグには7-5, 7-6, 6-3のストレートで勝利をしたが、カロビッチには身長208cmから繰り出されるサーブに苦しみ、4-6, 4-6, 3-6のストレートで敗れた。なお、日本はクロアチアに2-3で敗戦。

インディアンウェルズ・マスターズでは一回戦負けだったが、ソニー・エリクソン・オープンでは日本男子初のベスト16入りを果たした。しかし、4回戦で世界ランク2位のラファエル・ナダルに 4-6, 4-6 で敗れた。 バルセロナ・オープン・バンコ・サバデルでは準々決勝まで進出。世界ランク20位のフェルナンド・ベルダスコとの対戦中、腹筋を痛め途中棄権。回復に1ヶ月ほどかかると診断され、その後の全仏オープンの欠場を余儀なくされた。

その後エキシビションマッチで復帰。レイトン・ヒューイットマーディ・フィッシュとの対戦で手応えを掴んだ後、ウィンブルドン選手権に第19シードとして出場。 1、2回戦ともにストレートで勝利し、松岡修造以来17年ぶりに日本人として3回戦に進出するも、世界ランク9位のフアン・マルティン・デル・ポトロに 3-6, 6-7, 1-6 のストレートで敗れた。

アトランタ選手権では3回戦で添田豪との日本人対決が実現し、 2-6, 1-6 で敗れた。

ロンドン五輪にて

第15シードとして挑んだロンドンオリンピック男子シングルス1回戦でバーナード・トミックを7-6, 7-6で下して、日本の男子シングルス選手としては1924年パリオリンピックベスト8の原田武一以来88年ぶりとなるオリンピックでの勝利をあげた[18]。2回戦ではニコライ・ダビデンコに 4-6, 6-4, 6-1 で勝利し、3回戦では世界ランク5位のダビド・フェレールに対し 6-0, 3-6, 6-4 で勝利しベスト8に進出。準々決勝では先月のウィンブルドン選手権の3回戦で対戦した同9位のフアン・マルティン・デル・ポトロに 4-6, 6-7 のストレートでまたしても敗退した。

全米オープンでは第17シードとして出場。1, 2回戦ともにストレートで快勝したが、3回戦で世界ランク13位のマリン・チリッチに 3-6, 4-6, 7-6, 3-6 で敗れた。

デビスカップ・ワールドグループ・プレーオフ(日本対イスラエル)ではシングルス2試合に出場予定だったが、初日は肩の痛みを訴え欠場。最終日には復活し、世界ランク98位のドゥディ・セラと対戦。途中左脹脛が痙攣しつつも、6-3, 3-6, 4-6, 6-4, 7-5のフルセットで勝利した。この錦織の勝利で両チーム2勝2敗となったが、最後に添田豪が敗れ、日本はイスラエルに2-3で敗戦。日本はワールドグループからアジア・オセアニアゾーン1部に降格した。

楽天ジャパン・オープンでは、1回戦では添田豪を4-6, 6-2, 6-3 で、準々決勝で世界ランク6位のトマーシュ・ベルディハをストレートで下し、決勝で同15位のミロシュ・ラオニッチを 7-6, 3-6, 6-0 で破り、ツアー2勝目を飾った。ツアー優勝は2008年デルレイビーチ国際テニス選手権以来4年ぶりで、錦織は日本人男子として初めてツアー2勝を挙げた選手となった。また、この優勝により大会後のランキングで自己最高の15位を記録した。2012年最後の出場大会となったパリ・マスターズではジル・シモンとの3回戦を右足首痛のため棄権した。

2013年 3つ目のタイトル[ソースを編集]

2013年のウィンブルドン選手権、1回戦(マシュー・エブデンとの対戦)

ブリスベン国際を第5シードで出場し単複ベスト4初進出。日本男子で同時に単複ベスト4に進んだのは、1974年フィリピン選手権の九鬼潤以来。シングルス準決勝のアンディ・マリー戦で左膝を悪化、4-6, 0-2時点で途中棄権。同じくグリゴール・ディミトロフと組んでいたダブルス準決勝も棄権。

全豪オープンでは日本人初の2年連続ベスト16に進出。しかし、4回戦で世界ランキング5位のダビド・フェレールに2-6, 1-6, 4-6で完敗。

2月に開催された全米国際インドアテニス選手権では、準々決勝で昨年の全米オープンで敗れた第1シードのマリン・チリッチに勝利し、決勝でフェリシアーノ・ロペスを6-2, 6-3で下し全試合ストレート勝ちでツアー3勝目を挙げた。その後のデルレイビーチ国際テニス選手権では1回戦で棄権。インディアンウェルズ・マスターズソニー・エリクソン・オープンはそれぞれ3回戦と4回戦で敗退した。

欧州クレーコートシーズンでは、5月初旬に開催されたマドリード・マスターズ3回戦で、第2シードで前年度チャンピオンのロジャー・フェデラーを6-4, 1-6, 6-2で破る大金星を挙げ、マスターズ1000では2011年上海マスターズ以来2年ぶりのベスト8進出を果たす。全仏オープンでは日本人選手として75年ぶりにベスト16に進出するも、4回戦で第3シードのラファエル・ナダルに4-6, 1-6, 3-6のストレートで敗退。前年欠場していた全仏オープンで4回戦進出しポイントを獲得したため、大会後のランキングでは8ヶ月ぶりに自己最高ランクを更新し13位に上昇。

翌週開催のゲリー・ウェバー・オープンに第4シードで出場するも、初戦で準優勝者ミハイル・ユージニーに惜敗。しかし、昨年度の優勝者トミー・ハースが準決勝で敗退するなどして、シングルス自己最高ランキングを2週連続で更新し11位に浮上した。

12月、コーチ陣にマイケル・チャンを迎えると発表[19]

2014年 グランドスラム準優勝 マスターズ1000準優勝 世界ランキング5位 ATPファイナルベスト4[ソースを編集]

全豪オープンではマリンコ・マトセビッチドゥサン・ラヨビッチドナルド・ヤングを破り3年連続の16強入り。4回戦では第1シードのラファエル・ナダルと対戦してストレート負けだったが、スコアは6-7, 5-7, 6-7と3セットとも接戦を演じた[20]

2月、カナダと対戦したデビスカップ2014の1回戦ではシングルスで2勝、ダブルス(内山靖崇とペア)で1勝して、日本初の準々決勝進出に貢献した[21]全米国際インドアテニス選手権では、イボ・カロビッチを破って優勝し、前年からの2連覇を達成し、ツアー通算4勝目。

3月、マイアミ・マスターズに出場。3回戦でグリゴール・ディミトロフ、4回戦でダビド・フェレールといった世界ランキング上位者に勝利。準々決勝ではロジャー・フェデラーと対戦し、3-6, 7-5, 6-4で2度目の勝利を挙げ、マイアミ初・マスターズ1000では2011年上海マスターズ以来3年ぶりのベスト4進出。準決勝ではノバク・ジョコビッチと対戦する予定だったが、左股関節の痛みにより棄権している。

4月、バルセロナ・オープン・バンコ・サバデルに出場。決勝でサンティアゴ・ヒラルドと対戦し、6-2, 6-2で今大会初、ツアー通算5勝目、今季2度目の優勝を果たした[22]。同大会のシングルスは、2003年から2013年まで、開催国のスペインの選手が優勝し続けていた。

5月、マドリード・マスターズに出場。準々決勝でフェリシアーノ・ロペスに6-4, 6-4で勝利し、念願の世界ランキングトップ10入りを果たした。準決勝ではダビド・フェレールに7-6, 5-7, 6-3で勝利し、日本人初のマスターズ決勝に進出。決勝では第1シードのラファエル・ナダルと対戦し健闘するも、6-2, 4-6, 0-3(途中棄権)で惜しくも敗れる。ナダル戦初勝利、マスターズ初優勝、初の2大会連続優勝の3つを同時に達成するという快挙はならなかった[23]。大会後のランキングで自己最高位を更新し、アジア出身男子最高位に並ぶ9位となった。

ランキングを10位に落とし第9シードとして出場した全仏オープンでは、マドリード・マスターズで負った怪我の影響もあり、1回戦でマルティン・クリザンに6-7(4-7), 1-6, 2-6で敗退した。

6月、ゲリー・ウェバー・オープンに出場。今大会初の準決勝に進出し、ロジャー・フェデラーと対決する。錦織はフェデラーに2度のブレークを許し、3-6, 6-7 (4-7)のストレートで破れ、フェデラーとの対戦結果を2勝2敗とした。

2014年ウィンブルドン選手にて

第10シードとして出場したウィンブルドンでは、3回戦でシモーネ・ボレリと対戦。第5セットを3-3にしたところで日没順延となり、翌週の月曜日に再開された試合で第10ゲームをブレークして自身初となるウィンブルドンでの3回戦突破を決めた。しかし続く4回戦で第8シードのミロシュ・ラオニッチに6-4, 1-6, 6-7, 3-6で破れ、松岡修造以来19年ぶりのベスト8とはならなかった。

7月29日より全米オープンの前哨戦であるシティ・オープンに第4シードで出場。初戦の2回戦で世界ランク63位のサム・クエリーと対戦し6-4, 5-7, 6-4で勝利をおさめた。3回戦のルカシュ・ラツコ戦も6-2, 2-6, 6-3で勝利してベスト8に進出したが、大会初のベスト4をかけた準々決勝では第6シードで世界ランク14位のリシャール・ガスケに1-6, 4-6で敗れ、またもガスケに対し初勝利とならなかった。

シティ・オープン終了後、右足親指の故障のため、同じく全米前哨戦のロジャーズ・カップとウエスタン・アンド・サザン・オープンを欠場して親指の嚢胞手術をし治療に専念した[24]

治療明けで出場した全米オープンでは、1回戦でウェイン・オデスニクに6-2, 6-4, 6-2で勝利、2回戦でパブロ・アンドゥハールに6-4, 6-1(第3セットは相手が棄権)で勝利した時点で4大大会通算33勝となり、佐藤次郎が持っていた日本人男子記録を更新した[25]。3回戦は第23シードのレオナルド・マイエルに6-4, 6-2, 6-3でストレート勝ちし、初出場だった2008年大会以来6年ぶり2度目のベスト16進出が決定[26]。4回戦では第5シードのミロシュ・ラオニッチを4-6, 7-6(7-4), 6-7(6-8), 7-5, 6-4のフルセットの末に下し、全米オープンでは自身初、日本人男子選手では1922年大会清水善造以来92年ぶりのベスト8進出を決めた[27]。ナイトセッションで行われたこの試合の試合時間は4時間19分に渡り、終了時刻は全米オープン史上最も遅い午前2時26分だった[28]。準々決勝も試合時間4時間15分の2試合連続フルセットの末に第3シードのスタニスラス・ワウリンカを3-6, 7-5, 7-6(9-7), 6-7(5-7), 6-4で下し、4大大会では自身初、日本人男子選手としては1918年大会熊谷一弥以来96年ぶり、4大大会でも1933年ウィンブルドン佐藤次郎以来81年ぶりとなるベスト4進出を決めた[29][30]。準決勝では世界ランク1位で第1シードのノバク・ジョコビッチを相手に、6-4, 1-6, 7-6(7-4), 6-3で勝利し、シングルスでは男女通じて日本人初、男子に限ればアジア出身選手初のグランドスラム決勝進出を果たす。その決勝は第14シードのマリン・チリッチと対戦したが3-6, 3-6, 3-6のストレートで敗退。優勝は逃したものの、自身が同年5月に記録したアジア出身選手の世界ランク最高位記録9位を超え8位以上となることが確定した[31][32]

全米オープン後、初のツアー大会となったマレーシア・オープン・クアラルンプールでは第1シードで出場。順当に決勝まで勝ち進み、決勝では第4シードのジュリアン・ベネトー相手に7-6(7-4), 6-4で勝利、大会初優勝またシーズン3勝目、ツアー通算6勝目を達成し、翌週に発表されたランキングでは自己最高位を更新する7位に浮上した。

そして、初の2週連続優勝がかかった母国開催の楽天ジャパン・オープンでは初戦からシード勢が次々と敗退していくなか、第4シードの錦織は1セットも落とさず準決勝に進出。その準決勝ではベンジャミン・ベッカーに4-6, 6-0, 7-6(7-2)で勝利し決勝に進出。決勝では第3シードのミロシュ・ラオニッチと今季4度目の対戦。7-6(7-5), 4-6, 6-4で勝って2年ぶり2度目の優勝を果たした。これによりマレーシア・オープン・クアラルンプールから2週連続の大会制覇となり日本男女を含めても初の快挙となり10月6日発表の自己の世界ランキングを再び更新する6位となった。

10月、上海マスターズの怪我と連日の疲れからバレンシア・オープンも欠場し、迎えたBNPパリバ・マスターズ準々決勝では第4シードのダビド・フェレールと対戦し、3-6, 7-6(7-5), 6-4で勝利して大会初のベスト4進出。そして、2014年ATPレース・ランキングにおいて、グランドスラム準優勝、マスターズ1000準優勝とベスト4が2回、500シリーズ優勝2回に250シリーズ優勝2回など合計4625ポイント獲得し、世界第5位の成績でアジア出身男子初ATPワールドツアー・ファイナル出場が決まった。

11月のワールドツアー・ファイナルラファエル・ナダルが欠場したため第4シードで出場。ラウンドロビンB組第1戦では、過去の対戦で1度も勝利がなかったアンディ・マリーに6-4, 6-4で初勝利。第2戦ではロジャー・フェデラーに3-6,2-6で敗れたものの、ダビド・フェレール(第8シードのミロシュ・ラオニッチの棄権による代替出場)に4-6, 6-4, 6-1で勝利し、B組2位で準決勝に進出。準決勝ではA組を3戦全勝で1位通過した世界ランキング1位ノバク・ジョコビッチと対戦。この大会全試合ストレート勝ちしていたジョコビッチから1セットをとり健闘したが、1-6, 6-3, 0-6で敗れファイナル初出場での決勝進出とはならなかった。しかしながら、翌週発表のATPランキングではノバク・ジョコビッチロジャー・フェデラーラファエル・ナダルスタニスラス・ワウリンカに次ぐ自己最高位更新の5位に位置付けた。

この結果、シーズン通算54勝14敗(勝率.794)で年内の世界ランキング5位が確定。2014年の獲得賞金額は443万9218ドルで世界6位となる[33]。また、2014年シーズンのセカンドサーブリターンポイント獲得率53%、リターンゲーム勝率28%がツアー6位にランクインされた。[34]

2015年 世界ランキング4位 アジア人初の生涯獲得賞金1,000万ドル突破[ソースを編集]

2015年全豪オープンにて

1月、ブリスベン国際ではアレクサンドル・ドルゴポロフとダブルスに出場し、ダブルスでは初のATPツアー決勝進出を果たした。第2シードで出場したシングルスではベスト4に進出。全豪オープンは第5シードで臨み、ニコラス・アルマグロイワン・ドディグスティーブ・ジョンソンダビド・フェレールを倒し全豪では3年ぶり2度目、4大大会では3度目のベスト8に進出。落としたセットを2つに抑えた好調な試合を続けていたが、昨年全豪覇者のスタン・ワウリンカに3-6, 4-6, 6-7(6-8)でストレート負けを喫し、自身初の全豪オープンベスト4入りはならなかった。

2月、メンフィス・オープンでは決勝までの全ての試合を逆転勝ちしたが、決勝ではケビン・アンダーソンを6-4, 6-4のストレートで下して自身初(大会としても初めて)の3連覇を果たした。アビエルト・メキシコ・テルセルでは1回戦でアレハンドロ・ゴンサレスに勝利し、ATPツアー通算200勝を挙げた。準決勝では世界ランク15位で第4シードのケビン・アンダーソンに勝利し決勝進出。この時点で3月2日発表の世界ランキングで自己最高の4位になることが確定した。決勝戦では大会前から発症していたインフルエンザの影響もあり第2シードのダビド・フェレールに3-6, 5-7のストレートで負け、フェレールへの連勝記録も5で止まる形になってしまった。

3月、デビスカップワールドグループ1回戦カナダ戦はシングルス2試合に出場しバセク・ポシュピシルミロシュ・ラオニッチに勝利するも、日本チームは2勝3敗で敗退した。3月18日、BNPパリバ・オープンでは自己大会記録の4回戦に進出するもフェリシアーノ・ロペスに敗れた。3月24日から始まるマイアミ・マスターズではロジャー・フェデラーが欠場のためマスターズ1000では自身初となる第4シードでの出場となった。準々決勝まで進出するもジョン・イスナーに敗れた。

4月、前回優勝したバルセロナ・オープンでは第1シードで出場。決勝でパブロ・アンドゥハルに勝利し2連覇。また、ATPツアー優勝9回はクルム伊達公子を抜き日本人最多記録。5月、前回準優勝のマドリード・オープンではダビド・フェレールらを破りベスト4に進出するもアンディ・マリーに敗れた。BNLイタリア国際では初の準々決勝に進出するが第1シードノバク・ジョコビッチに3-6, 6-3, 1-6で敗れた。

2015年全仏オープンにて

全仏オープンは第5シードで出場。4回戦でティムラズ・ガバシュビリに勝利し、全仏男子シングルスで日本人としては1933年佐藤次郎以来82年ぶりの準々決勝進出を果たした。準々決勝では第4シードのトマーシュ・ベルディハを倒して勝ち上がってきた第14シードのジョー=ウィルフリード・ツォンガに1-6, 4-6, 6-4, 6-3, 3-6の4時間に及ぶフルセットで破れ、自身初の全仏ベスト4とはならなかった。6月10日、フォーブスが発表する「世界で最も稼ぐスポーツ選手」2015年版ランキングで92位にランクインした(1950万ドル, 約23億円)。日本人では田中将大(58位)に次ぐ2位[35]。6月22日、獲得賞金ランキングが発表され1,914,692ドル(約2億3千万円)で前回と同じく7位となった。 全仏オープン後の初戦となったゲリー・ウェバー・オープンではロジャー・フェデラーに次ぐ第2シードとして出場。準々決勝でのイェジ・ヤノヴィッツ戦でフルセットの末勝ち上がりはしたものの、左ふくらはぎの筋膜炎を試合後に発症させ、準決勝でのアンドレアス・セッピ戦で第1セット4-1となったところで棄権を申し入れた。そして、体調を不安視されて迎えたウィンブルドン選手権では日本男子、そして自身最高位の第5シードで出場し、初戦のシモーネ・ボレッリを3時間超のフルセットで下した。この勝利により、松岡修造の持つウィンブルドン選手権での通算7勝を更新して日本人歴代最多記録とし、同時に生涯獲得賞金としてもアジア選手初の1,000万ドル(約12億円)突破を果たした。同大会2回戦はサンティアゴ・ヒラルドとの対戦であったが、負傷箇所が悪化して棄権を申し入れた。

怪我明けのシティ・オープンでは第2シードとして出場、準決勝で前年の全米オープンの決勝で敗れたマリン・チリッチに3-6, 6–1, 6-4で勝利し、雪辱を果たした。また決勝では、同年のマイアミ・オープン準々決勝で敗れたジョン・イスナーに4-6, 6-4, 6-4で勝利し、雪辱を果たし、シティ・オープン初優勝を飾った。この勝利により8月10日発表の世界ランキングで自己最高タイの4位に復帰した。ロジャーズ・カップでは第4シードで出場し、準々決勝で過去0勝7敗のラファエル・ナダルに6-2, 6-4のストレートで初勝利を飾る。しかし準決勝でアンディ・マリーには連戦の疲労蓄積で左臀部を痛めた影響もあり3-6, 0-6で敗れ、そのため翌週のシンシナティ・マスターズ全米オープンを見越し体力回復を努めるため欠場した。そのシンシナティ・マスターズでスタン・ワウリンカノバク・ジョコビッチに敗れたため、全米オープンでグランドスラムでは日本人初となる第4シードが確定した[36]。しかしながら自身も好調と語り臨んだ全米オープンでは、初戦でブノワ・ペールに対して、4-6, 6-3, 6-4, 6-7(6), 4-6とまさかの敗戦。前年度に準優勝した大会で、初日に初戦敗退という結果となってしまった[37]

9月、デビスカップ・ワールドグループ・プレーオフコロンビア戦に自身初の最年長として選出された。18日のシングルス第2戦ではアレハンドロ・ファジャに7-6, 7-6, 7-5で勝利。19日に行われたダブルスを落として後がなくなった日本だったが、20日のシングルスで錦織とダニエル太郎が勝利してワールドグループ残留を果たした。

連覇を目指した楽天ジャパン・オープンでは準決勝に進出するも、再びブノワ・ペールに敗れた。上海マスターズでは3回戦でケビン・アンダーソンに敗れた。スイス・インドアは肩の怪我のため欠場したが、同大会でレースランキング9位のリシャール・ガスケラファエル・ナダルに敗れ、ポイントで錦織を上回れなくなったため、2年連続のATPワールドツアー・ファイナル出場が決まった。翌週のBNPパリバ・マスターズでは3回戦で過去5戦全敗のリシャール・ガスケと対戦。6-7(3), 1-4の第2セット第6ゲーム途中で棄権。対ガスケ初勝利はまたしてもならなかった。 2年連続出場のATPワールドツアー・ファイナルでは、初戦でノバク・ジョコビッチに1-6, 1-6で完敗した。第2戦ではトマーシュ・ベルディハに7-5, 3-6, 6-3で2時間23分の激戦を制した。最終戦ではロジャー・フェデラーから第2セットで1-4から5ゲーム連取して第2セットを取るなど、2時間10分の大接戦を繰り広げるも5-7, 6-4, 4-6で惜しくも敗れ、準決勝進出はならず今シーズンが終了した。年間最終ランキングは8位。

シーズン終了後にATPの公式サイトで行われた投票によって、8月のロジャース・カップ3回戦のダビド・ゴファン戦でのゴファンの頭上を抜いた股抜きロブが2015年のベストプレーに選出された[38]

2016年 リオデジャネイロ五輪銅メダル獲得[ソースを編集]

年初のブリスベン国際では単複両方に出場。シングルスでは第2シードで出場し、準々決勝でバーナード・トミックに3-6, 6-1, 3-6で敗れた。タブルスでは同大会で3年ぶりにグリゴール・ディミトロフと組んで参戦。準々決勝に進出し、2015年全米オープン優勝ペアのエルベール/マユ組に4-6, 6-1, [10-7]で勝利し2年連続で準決勝に進出したが、準決勝は棄権した。

全豪オープンには第7シードで出場。4回戦でジョー=ウィルフリード・ツォンガに6-4, 6-2, 6-4で初めてのストレート勝ちで快勝し2年連続の準々決勝進出。この試合で全豪通算20勝目をあげ、日本人男女通じて最多となった[39]。準々決勝ではノバク・ジョコビッチに3-6, 2-6, 4-6で敗れた。

2月のメンフィス・オープンでは決勝で18歳の若手のテイラー・フリッツを6-4, 6-4で破り大会初の4連覇を達成。2週間後のメキシコ・オープンでは2回戦でサム・クエリーに4-6, 3-6で敗れた。デビスカップでは1回戦で前年優勝国のイギリス代表と対戦。第2戦でダニエル・エバンスに6-3, 7-5, 7-6(3)で勝利。第4戦ではアンディ・マリーと対戦し、第1,2セットを連取されるも、第3,4セットを取り返しフルセットへ持ち込んだ。しかし、第5セットを取られ、5-7, 6-7(6), 6-3, 6-4, 3-6の4時間54分で敗れた。

3月のBNPパリバ・オープンでは4回戦で地元のジョン・イズナーを1-6, 7-6(2), 7-6(5)で破り、初の準々決勝進出。準々決勝でラファエル・ナダルと対戦し、4-6, 3-6で敗れた。続くマイアミ・オープンでは準々決勝でガエル・モンフィスに5度のマッチポイントを握られながら、4-6, 6-3, 7-6(3)の接戦を制し、2年ぶりのベスト4進出。準決勝でニック・キリオスに6-3, 7-5で勝利し、自身2度目のマスターズ決勝に進出。決勝でノバク・ジョコビッチと対戦し3-6, 3-6で敗れ、マスターズ初優勝はならなかった。

4月のバルセロナ・オープンでは準決勝で2015年全米オープンジャパン・オープンで連敗していたブノワ・ペールに6-3, 6-2で勝利し、3年連続の決勝進出を果たす。決勝ではラファエル・ナダルに4-6, 5-7で敗れ、3連覇はならなかった。

5月のマドリード・オープンでは過去6戦全敗のリシャール・ガスケに苦戦しながらも6-4, 7-5で初勝利を挙げ、同大会4年連続のベスト8入りを果たす。準々決勝ではニック・キリオスとの6-7(6), 7-6(1), 6-3の2時間38分の激戦に勝利し、3年連続のベスト4進出を果たす。準決勝でノバク・ジョコビッチに3-6, 6-7(4)で敗れた。翌週のBNLイタリア国際では3回戦で再びリシャール・ガスケに6-1, 6-4で連勝すると、準々決勝でドミニク・ティエムに6-3, 7-5で勝利し、イタリア国際では初めてベスト4進出を果たす。準決勝でノバク・ジョコビッチから1年ぶりにセットを取るも、6-2, 4-6, 6-7(5)で惜敗した。全仏オープンでは3回戦でフェルナンド・ベルダスコに6-3, 6-4, 3-6, 2-6, 6-4のフルセットで勝利したが、4回戦でリシャール・ガスケに4-6, 2-6, 6-4, 4-6で敗れ、ベスト8を逃した。

2016年ウィンブルドン選手権にて

6月、芝シーズンに入ってのゲリー・ウェバー・オープンでは初戦リュカ・プイユに勝利するも2回戦は脇腹の痛みのため試合前に棄権した。翌週エキジビジョンでリシャール・ガスケに6-2, 6-1で勝利[40]ウィンブルドン選手権では1回戦で脇腹についてメディカル・タイムアウトを取るも、その後は順調に勝ち上がり、2年ぶりに4回戦進出。4回戦ではマリン・チリッチと対戦したが、脇腹の痛みが悪化し、途中棄権した。

7月、怪我明けのロジャーズ・カップでは、準決勝でスタン・ワウリンカを7-6(6), 6-1で破り、当シーズン2度目のマスターズの決勝進出を果たした。決勝でノバク・ジョコビッチに3-6, 5-7で敗れた。

8月、リオデジャネイロ五輪ではシングルスでロンドン五輪に続きベスト8入りすると、準々決勝でガエル・モンフィスとの2時間53分の死闘を7-6(4), 4-6, 7-6(6)で制しベスト4に進出。続く準決勝ではアンディ・マリーに1-6, 4-6で敗れたものの、3位決定戦でラファエル・ナダルと対戦し、フルセットの末6-2, 6-7(1), 6-3で制して銅メダルを獲得した。五輪テニス競技での日本人によるメダルは、1920年アントワープ五輪熊谷一弥銀メダルを2つ(単・複各1)獲得して以来、実に96年ぶりの快挙となる。翌週のシンシナティ・マスターズでは3回戦でバーナード・トミックに6-7(1), 6-7(5)で敗れた。

プレースタイル[ソースを編集]

世界屈指と言われるリターン、足の速さ、スイングスピードを持つオフェンシブ・ベースライナー。最終セットの勝率に関しては、2014年は87.5%(21勝3敗、うち5セットでは4勝0敗)、キャリアを通しても79.8%で、歴代選手トップの記録を誇る[41][42]

バリエーション豊かなショットと相手との間合いを詰めた速い返球で、相手の考える時間、予備動作の時間、スイングの準備時間をどんどん奪っていく。ストロークを重ねるごとに有利な形を作り出し、後手に回った相手を精神的に追い詰めていく[43]

ライジングなどの早いタイミングのショットを多用する速攻、様子の探り合いを省略したスピート決戦で浅いボールを見逃さず前に出て打ち込んでいく。また、ほとんどベースラインから下がらず、多くのボールを早いタイミングで処理することで、自分の守備エリアを狭めると同時に相手の時間を奪い、攻撃的にプレーしている[4]。 

フットワークと予測力を活かしたコートカバーリングにも優れており、遠くのボールに追いつき、カウンターショットを決めることができる[44]。正確で多彩なバックハンドショットも大きな武器となっている。2014年『ニューヨークタイムズ』誌に掲載された「識者たちが選ぶショット別ベストプレイヤー」では、「ベスト・ダブルバックハンド」部門で4位に食い込んだ[45]。新たなウイニングショットとも言える、バックスピンをかけたドロップショットも武器。サービスリターンではベースライン上から鋭く一歩前に踏み出し、強烈なダウンザラインでリターンエースやウィナーを奪う[46]

2014年の全米では4時間以上のフルセットマッチを2度続けて戦うなど体力面も進化している[4]。長年サービスの迫力不足を指摘されてきたが、2015年に入ってスピードが出やすいラケットを採用、フォームもマイケル・チャン指導のもと改良した[47][48]

受賞歴[ソースを編集]

成績[ソースを編集]

略語の説明
W  F  SF QF #R RR Q# LQ A WG Z# PO SF-B S G NMS NH

W=優勝, F=準優勝, SF=ベスト4, QF=ベスト8, #R=#回戦敗退, RR=ラウンドロビン敗退, Q#=予選#回戦敗退, LQ=予選敗退, A=大会不参加
WG=デビスカップワールドグループ, Z#=デビスカップ地域ゾーン, PO=デビスカッププレーオフ, SF-B=オリンピック銅メダル, S=オリンピック銀メダル, G=オリンピック金メダル, NMS=マスターズシリーズから降格, NH=開催なし.

4大大会[ソースを編集]

大会 2007 2008 2009 2010 2011 2012 2013 2014 2015 2016 通算成績
全豪オープン A A 1R A 3R QF 4R 4R QF QF 20–7
全仏オープン A LQ A 2R 2R A 4R 1R QF 4R 11–6
ウィンブルドン A 1R A 1R 1R 3R 3R 4R 2R 4R 11–7
全米オープン LQ 4R A 3R 1R 3R 1R F 1R 13–7
勝–負 0–0 3–2 0–1 3–3 3–4 8–3 8–4 12–4 8–3 10-3 55–27

※不戦勝・不戦敗は通算成績に含まない。[49]

コーチ[ソースを編集]

ラケット[ソースを編集]

10歳の時からウィルソンのラケットを使い始め、11歳の時にこの年齢では異例の用具提供契約を交わす。以降もウィルソンを使い続けている。[50][51]

  • HYPER HAMMER 5.3
  • HYPER HAMMER 6.3
  • HYPER HAMMER 5.2
  • H TOUR
  • n TOUR
プロ転向後
  • n TOUR II
  • [K] TOUR
  • TOUR BLX ORANGE×BLUE
  • TOUR BLX ORANGE×WHITE
  • STeam PRO
  • STeam 95
  • BURN 95

スポンサー[ソースを編集]

その他・エピソード[ソースを編集]

2014年11月20日、錦織選手をイメージした『Fタイプ KEI NISHIKORI EDITION』を発表。発売記念イベントに於いて、上記『テニスの王子様』の作者・許斐剛が描きおろしたイラスト『ジャガーの王子様』(KEI NISHIKORI EDITIONをバックに錦織選手がショットを決めているイラスト)を贈呈された。また許斐自身もサプライズ登場し錦織を喜ばせた[56]

著書[ソースを編集]

出演[ソースを編集]

バラエティ番組[ソースを編集]

スポーツ番組[ソースを編集]

CM・広告[ソースを編集]

脚注[ソースを編集]

  1. ^ ATPツアーのプロフィール
  2. ^ a b c d e f 『錦織圭 リターンゲーム』 内田暁 2015年 学研プラス
  3. ^ a b ひとり息子は13歳で海を渡った 世界の錦織圭から島根の両親(父は土木技術者、母は主婦)へ
  4. ^ a b c 『Number』869号(2015年1月22日号)
  5. ^ テニスジャパン (2006年6月11日). “五輪=ナダル、決勝前の練習相手に錦織圭を!!錦織圭フレンチ・オプーンJR優勝。”. 2010年5月11日閲覧。
  6. ^ 日本テニス協会 (2007年9月29日). “錦織圭、プロ転向を宣言!”. 2010年5月11日閲覧。
  7. ^ Reuters (2008年6月12日). “Nadal tips Nishikori for world's top 10”. 2009年8月4日閲覧。
  8. ^ AFPBB News (2008年6月24日). “錦織 四大大会デビューは途中棄権”. 2008年10月4日閲覧。
  9. ^ ロイター (2008年6月29日). “五輪=男子テニスの錦織が北京切符を獲得、国際テニス連盟推薦枠で”. 2008年10月4日閲覧。
  10. ^ 日経ネット (2008年8月30日). “錦織、71年ぶり4回戦進出 全米テニス”. 2008年10月4日閲覧。
  11. ^ AIGオープンニュース (2008年10月2日). “男子シングルス3回戦 リシャール・ガスケ(フランス) vs 錦織 圭(ソニー)”. 2008年12月11日閲覧。
  12. ^ 錦織、日本男子史上最高30位「大きな一歩踏み出せた」 スポーツニッポン 2011年10月18日閲覧
  13. ^ 日本男子史上初!錦織、世界1位破り決勝へ…スイス室内 スポーツ報知 2011年11月7日閲覧
  14. ^ 錦織、全豪テニス第24シード/73年以降、日本男子初
  15. ^ 錦織が全豪テニス8強…四大大会で松岡修造以来 読売新聞 2012年1月23日閲覧
  16. ^ 「旭日の勢い」錦織をトップ報道/全豪テニスで地元紙
  17. ^ 錦織・クルム伊達組2回戦へ/全豪テニス第7日
  18. ^ 日本男子88年ぶり!錦織 歴史的白星にびっくり「今知った」スポーツニッポン2012年7月30日
  19. ^ 2013年12月11日マネジメント会社発表。錦織のコーチにマイケル・チャン氏 精神面を指導
  20. ^ 錦織、ナダル戦で見せた確かな成長 全豪オープンテニススポーツナビ2014年1月21日
  21. ^ 日本初8強、エース錦織「信じられない気持ち」<デビスカップ>tennis365.net 2014年2月2日
  22. ^ 【速報】錦織圭、大会初優勝、今季2勝目<バルセロナ・オープン・サバデル>tennis365.net 2014年4月28日
  23. ^ 【速報】錦織、無念の途中棄権で準優勝<ムチュア・マドリッド・オープン男子>tennis365.net 2014年5月12日
  24. ^ テニス錦織、足指痛で2大会欠場 「治療に専念」日本経済新聞2014年8月4日
  25. ^ 錦織 日本人最多4大大会33勝 相手棄権で3回戦進出スポーツニッポン2014年8月29日
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外部リンク[ソースを編集]

受賞
先代:
フランスの旗 ジョー=ウィルフリード・ツォンガ
ATP年間最優秀新人賞
2008
次代:
アルゼンチンの旗 オラシオ・セバジョス
先代:
田中将大
日本プロスポーツ大賞
2014
次代:
ラグビー日本代表