静岡FC

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静岡FC
原語表記 静岡FC
クラブカラー      黒、    
創設年 2001年
解散年 2010年
ホームタウン 静岡県静岡市
ホームスタジアム 静岡県草薙総合運動場球技場
運営法人 株式会社静岡フットボールクラブ
ホームカラー
アウェイカラー
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ

静岡FC(しずおかエフシー)は、かつて存在したサッカークラブ。静岡県静岡市を本拠地として活動していた[1]。なお、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟する藤枝MYFCの母体となったクラブである。

概要[編集]

2000年8月、静岡市にJリーグチームを作ることを目的としてヴェルディ川崎元社長の森下源基が理事長となり、三浦知良の育ての親といわれる納谷義郎(叔父)、宣雄(実父)の兄弟らが中心となって「特定非営利活動法人静岡市にJリーグチームを作る会」が設立(11月に認証)[2][3]

2001年2月21日に運営法人として「株式会社静岡フットボールクラブ」が設立[1]。同年3月に静岡県社会人サッカーリーグ1部の「静岡やまき屋SC」を母体として静岡FCが創設された[4]。静岡県リーグ1部で優勝し、東海社会人サッカーリーグへ昇格した。

2002年は東海リーグで優勝。全国地域サッカーリーグ決勝大会は決勝リーグ戦で敗退。

2003年は東海リーグで2年連続2回目の優勝。地域決勝大会は決勝リーグで敗退。

2004年は東海リーグで3位。地域決勝大会はグループリーグで敗退。なお、天皇杯に初出場した。

2005年は東海リーグで2年ぶり3回目の優勝。地域決勝大会はグループリーグで敗退。

2006年は元横浜フリューゲルス高田昌明が選手兼任監督に、ヴィッセル神戸元チーム統括本部長の三浦泰年がテクニカルアドバイザー(総監督)に就任。東海リーグはFC岐阜に次ぐ2位。全国社会人サッカー選手権大会(全社大会)は準優勝の成績を収めたが、地域決勝大会はグループリーグで敗退した。なお、第86回天皇杯全日本サッカー選手権大会3回戦でJ2の水戸ホーリーホックに勝利した。

2007年は東海リーグで2年ぶり4回目の優勝。地域決勝大会はグループリーグで敗退。

2008年は東海リーグで5回目の優勝。地域決勝大会はグループリーグで敗退。

2009年は東海リーグで3位。全社は1回戦で敗退し、地域決勝大会は出場できなかった。

2010年1月、静岡県1部の藤枝MYFCに吸収合併された[5]。これにより静岡FCとしての歴史に幕を下ろした。なお、合併以降の藤枝MYFCの状況は当該項目を参照のこと。

成績・歴代監督[編集]

年度 所属 順位 勝点 試合 得点 失点 監督
2001 静岡県1部 優勝 33 12 11 0 1 55 10 +45 アンドレ
2002 東海1部 優勝 37 16 12 1 3 45 16 +29 アンドレ
→セザール
→菊池基
2003 優勝 39 14 13 0 1 39 10 +29 サルバドール
ピッコリ
2004 3位 22 14 7 1 6 39 26 +13 納谷宣雄
2005 優勝 34 14 10 4 0 46 11 +35 松原良香
2006 2位 35 14 11 2 1 55 16 +39 高田昌明
2007 優勝 39 14 13 0 1 46 7 +39 藤川孝幸
2008 優勝 34 14 10 4 0 45 12 +33 高田昌明
2009 3位 24 14 7 3 4 20 12 +8 高田昌明
北村邦夫

所属選手[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b 会社案内”. 静岡FC. 2009年12月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年2月27日閲覧。
  2. ^ 「静岡の「Jを作る会」にNPO認証 来年「静岡FC」誕生へ」読売新聞、2000年11月28日、2016年2月27日閲覧
  3. ^ 「静岡FC JFLの壁、今年こそ突破」読売新聞、2007年3月27日、2016年2月27日閲覧
  4. ^ 「「3年でJ2昇格」目指す サッカー「静岡FC」発進」朝日新聞、2001年3月6日、2016年2月27日閲覧
  5. ^ 藤枝MYFCが静岡FCと合併 東海リーグ1部参戦”. 静岡新聞 (2010年1月23日). 2010年1月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年12月26日閲覧。

外部リンク[編集]