西澤明訓

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西澤 明訓 Football pictogram.svg
名前
愛称 アキ、ニッコ
カタカナ ニシザワ アキノリ
ラテン文字 NISHIZAWA Akinori
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1976-06-18) 1976年6月18日(41歳)
出身地 静岡県清水市
身長 180cm
体重 76kg (現役時代)
選手情報
ポジション FW
利き足 右足
ユース
198?-1988 日本の旗 清水FC
1989-1991 日本の旗 清水第八中学校
1992-1994 日本の旗 清水東高等学校
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1995-2000 日本の旗 セレッソ大阪 124 (43)
1995-1996 オランダの旗 FCフォレンダム(loan) 0 (0)
2000-2001 スペインの旗 RCDエスパニョール 6 (0)
2001-2002 イングランドの旗 ボルトン 0 (0)
2002-2006 日本の旗 セレッソ大阪 148 (41)
2007-2008 日本の旗 清水エスパルス 43 (5)
2009 日本の旗 セレッソ大阪 18 (1)
代表歴2
1997-2002[1] 日本の旗 日本 29 (10)
1. 国内リーグ戦に限る。2009年12月1日現在。
2. 2002年6月18日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

西澤 明訓(にしざわ あきのり、1976年6月18日 - )は、静岡県清水市(現:静岡市清水区)出身の元サッカー選手。現役時代のポジションフォワード

日本代表として2000年6月にモロッコ国内にて開催されたハッサン2世国王杯でのフランス戦にて挙げたボレーシュート[2] による同点ゴールをはじめとする多くのゴールや、セレッソ大阪における森島寛晃との名コンビ[2][3][4] で著名な、日本サッカーを代表するフォワードのひとりであった。現在セレッソ大阪でアンバサダーを務める[5]

経歴[編集]

静岡県清水市 (現静岡市清水区) に生まれ育ち、清水市立入江小学校在学中に清水フットボールクラブに入団し、センターフォワードとしてプレーした[6]。この時のチームメートのひとりに山西尊裕がいた。この頃「ニッコ」という愛称を「ニコニコしているから」という理由で山西に付けられた。

清水市立第八中学校を経て1992年に静岡県立清水東高等学校に入学してサッカー部に入部した。1年時には全国高等学校総合体育大会ベスト4を経験した他、2年時・3年時の2度国民体育大会少年男子静岡県選抜に選出され、大会2連覇を経験。

1995年にJリーグ1部 (J1)所属のセレッソ大阪へ加入。同年オランダエールステ・ディヴィジ所属のFCフォレンダムレンタル移籍し、1シーズン在籍した。1996年にセレッソ大阪へ復帰。

フランスW杯アジア1次予選のオマーンラウンドを終え、日本ラウンドを控えた加茂周監督率いる日本代表に、中田英寿と共に初召集され、1997年5月21日、国立競技場にて開催された韓国との国際親善試合で日本代表デビューすると、控えFWながら1次予選では代表初ゴールを含む2ゴールを決める。最終予選にも控えながら選出され2試合に途中出場するが、加茂周が更迭され監督が岡田武史に変わると構想外となり、ウズベキスタンからの遠征から帰国後すぐに代表からの離脱を命じられた。その後、岡田政権下で召集されることはなかった。

2000年には、1stステージで優勝争いを演じたセレッソでの活躍が認められ、同じくその原動力となっていたセレッソの同僚森島と共に揃ってトルシエ監督政権になってからは初の代表召集を受ける。2人にとって代表復帰戦となったフランス戦において森島とアベックゴールを決めるなど大活躍すると、その後代表の主力として定着。同年のJリーグで年間15得点という成績を修め、森島と共にJリーグベストイレブンに選出された[7]のを置き土産に、同年12月、スペインリーガ・エスパニョーラ1部所属のRCDエスパニョールにレンタル移籍[8]。6試合に出場し、シーズン終了後退団した。同年7月にはイングランドプレミアリーグ1部所属のボルトン・ワンダラーズFCに加入したが、カップ戦に数試合出場したものの、リーグ戦での出場はなかった。在籍中に古巣であるセレッソ大阪のJ2への降格を知り、契約を途中で解除して帰国、セレッソ大阪に復帰した[9]

2002年6月に2002 FIFAワールドカップのメンバーに選出され本大会に出場。背番号9番を与えられ期待されたが、しかし大会直前に虫垂炎になり手術、その影響で出遅れグループリーグでの出場はなく、決勝トーナメント1回戦のトルコ戦にスタメンフル出場を果たすが得点は出来ずチームも敗退した。クラブでは同年度のリーグ戦において8得点を挙げ、クラブのJ1復帰に貢献した。

2005年、セレッソ大阪はJ1で優勝争いに加わる。最終節前、西澤は「ここで優勝を逃したらモリシもオレも負け犬になってしまう」との発言を残している[10]。しかし最終節のFC東京との試合で引き分けたことでセレッソ大阪は優勝を逃した。なおこの年はリーグ戦で10得点の成績を修めている。

翌2006年、セレッソ大阪が2度目のJ2降格をしたことに伴い、出身地清水のクラブである清水エスパルスに移籍した[11]。移籍初年度にナビスコカップの決勝に進むがここでも敗退し、西澤はタイトルを獲得することなくキャリアを終えることとなる。清水には2008年度までの2シーズン在籍し、通算43試合に出場して5得点を挙げた。2008年シーズン終了後、セレッソ大阪への復帰が発表された[12][13]

2009年11月13日、同年度限りでの現役引退が発表され[14]、同年11月28日に長居スタジアムで行われたJ2第50節の試合後に引退セレモニーが開催された[15]。2010年2月、セレッソ大阪アンバサダーへの就任が発表された[5]

エピソード[編集]

  • ユニフォームに襟があると、必ず立ててプレイする。エスパニョール移籍の際自身のwebサイトで「エスパニョールのユニフォームには襟がありません。残念!」と掲載されていた。西澤の現役最後のホームゲームとなった2009年11月28日開催のFC岐阜戦の試合前には、背番号20と、そして襟のついたプラクティスシャツが限定発売され、西澤ほかベンチ入り全選手はそれをウォーミングアップの際に着用した[4][16]
  • ボールコントロールに優れ、アクロバティックなゴールを決めた[4] 事が多い。
  • 自身のニックネームの1つであるニッコは小学生の頃、山西尊裕に名付けられた。その由来はニコニコしているからだという。引退をサポーターに告げたときも笑顔だった。
  • 引退の理由は、体力の限界であり、西澤が何度か手術した右足首は「50~60代の足で、オペしても治らない」と専門医に宣告されたほどであった。また、サッカーマガジンの引退後のインタビューで清水エスパルス移籍時に、脾臓摘出手術を受け、医師からは「プレーできる可能性は五分五分」とも宣告されたという。

所属クラブ[編集]

指導者経歴[編集]

個人成績[編集]

国内大会個人成績
年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
日本 リーグ戦 リーグ杯 天皇杯 期間通算
1995 C大阪 - J 0 0 - 0 0 0 0
オランダ リーグ戦 リーグ杯 KNVBカップ 期間通算
1995-96 フォレンダム 2部 0 0 0 0 0 0 0 0
日本 リーグ戦 リーグ杯 天皇杯 期間通算
1996 C大阪 - J 14 3 11 5 2 0 17 8
1997 9 19 7 2 2 2 1 23 10
1998 10 32 7 4 1 1 0 37 8
1999 9 J1 30 11 3 2 2 4 35 17
2000 29 15 3 2 - 32 17
スペイン リーグ戦 国王杯 オープン杯 期間通算
2000-01 エスパニョール 25 プリメーラ 6 0 2 0 - 8 0
イングランド リーグ戦 FLカップ FAカップ 期間通算
2001-02 ボルトン 27 プレミア 0 0 3 1 0 0 3 1
日本 リーグ戦 リーグ杯 天皇杯 期間通算
2002 C大阪 20 J2 34 8 - 1 0 35 8
2003 J1 24 7 4 1 5 1 33 9
2004 29 8 5 1 1 0 35 9
2005 28 10 8 4 2 0 38 14
2006 33 8 6 4 1 0 40 12
2007 清水 22 0 6 1 3 2 31 3
2008 21 5 8 2 0 0 29 7
2009 C大阪 J2 18 1 - 0 0 18 1
通算 日本 J1 281 81 60 25 19 8 360 114
日本 J2 52 9 - 1 0 53 9
オランダ 2部
スペイン プリメーラ 6 0 2 0 - 8 0
イングランド プレミア 0 0 3 1 3 1
総通算

タイトル・受賞歴[編集]

代表歴等[編集]

出場大会など[編集]

静岡県選抜

試合数[編集]

  • 国際Aマッチ 29試合 10得点(1997-2002)[1]


日本代表 国際Aマッチ
出場 得点
1997 5 2
1998 0 0
1999 0 0
2000 11 6
2001 8 1
2002 5 1
通算 29 10

ゴール[編集]

# 開催年月日 開催地 対戦国 勝敗 試合概要
1. 1997年6月22日 日本東京 ポルトガルの旗 マカオ ○10-0 1998 FIFAワールドカップ 1次予選
2. 1997年6月25日 日本、東京 ネパールの旗 ネパール ○3-0 1998 FIFAワールドカップ 1次予選
3. 2000年6月5日 モロッコカサブランカ フランスの旗 フランス △2-2 ハッサン2世国王杯
4. 2000年10月17日 レバノンサイダ ウズベキスタンの旗 ウズベキスタン ○8-1 AFCアジアカップ2000グループリーグ
5. 2000年10月17日 レバノン、サイダ ウズベキスタンの旗 ウズベキスタン ○8-1 AFCアジアカップ2000グループリーグ
6. 2000年10月17日 レバノン、サイダ ウズベキスタンの旗 ウズベキスタン ○8-1 AFCアジアカップ2000グループリーグ
7. 2000年10月20日 レバノン、ベイルート カタールの旗 カタール △1-1 AFCアジアカップ2000グループリーグ
8. 2000年10月26日 レバノン、ベイルート 中華人民共和国の旗 中国 ○3-2 AFCアジアカップ2000準決勝
9. 2001年5月31日 日本、新潟 カナダの旗 カナダ ○3-0 FIFAコンフェデレーションズカップ2001グループリーグ
10. 2002年4月29日 日本、東京 スロバキアの旗 スロバキア ○1-0 キリンカップサッカー2002

脚注[編集]

  1. ^ a b “西澤 明訓”. サッカー日本代表データベース. http://www.japannationalfootballteam.com/players_na/akinori_nishizawa.html 
  2. ^ a b 戸塚啓. “西澤明訓/C大阪(2/2)”. OCNスポーツ. 2010年8月30日閲覧。
  3. ^ モリシの引退に思う 賀川浩の片言隻句 2008.11.4付
  4. ^ a b c 小田尚史「それぞれの、ホーム最終戦。セレッソ大阪」、『エル・ゴラッソ関西版』第792号、スクワッド、2009年12月、 p. 2。
  5. ^ a b 西澤 明訓氏「セレッソ大阪アンバサダー」に就任”. セレッソ大阪公式サイト (2010.2.5付ニュースリリース). 2010年8月30日閲覧。
  6. ^ 西澤の知人である藤枝MYFC代表の小山淳の証言による。西澤明訓 藤枝MYFC&Jプレイヤーズ社長 小山淳のブログ 2008.11.6
  7. ^ 森島・西澤両選手がベストイレブンに セレッソ大阪公式サイト 2000.12.11付ニュースリリース
  8. ^ 西澤選手のエスパニョール(スペイン)移籍について セレッソ大阪公式サイト 2000.11.15付ニュースリリース参照。
  9. ^ 西澤選手セレッソ大阪復帰のお知らせ セレッソ大阪公式サイト 2001.1.17付ニュースリリース
  10. ^ (サッカーマガジン・ガンバ大阪初優勝記念号のC大阪対FC東京の試合紹介ページより)
  11. ^ 西澤明訓選手 清水エスパルスへ完全移籍のお知らせ セレッソ大阪公式サイト 2007.1.18付ニュースリリース
  12. ^ 西澤明訓選手 セレッソ大阪へ完全移籍決定のお知らせ 清水エスパルス公式サイト 2009.1.7付ニュースリリース
  13. ^ 西澤 明訓選手 完全移籍のお知らせ セレッソ大阪公式サイト 2009.1.7付ニュースリリース
  14. ^ 西澤明訓選手の現役引退ついて セレッソ大阪公式サイト 2009.11.13付ニュースリリース
  15. ^ J2:第50節 C大阪 vs 岐阜 J's GOALフォトニュース 2009.11.28付記事
  16. ^ 2009年11月 イベントレポート 11/28  vsFC岐阜ホームゲーム・イベント セレッソ大阪公式サイト 2009.11.28付リリース

関連項目[編集]

外部リンク[編集]