望月重良
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名前 | ||||||
愛称 | シゲ、王様 | |||||
カタカナ | モチヅキ シゲヨシ | |||||
ラテン文字 | MOCHIZUKI Shigeyoshi | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 |
![]() | |||||
生年月日 | 1973年7月9日(47歳) | |||||
出身地 |
静岡県清水市 (現・静岡市清水区) | |||||
身長 | 176cm | |||||
体重 | 73kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | MF | |||||
利き足 | 右足 | |||||
ユース | ||||||
1992-1995 | 筑波大学 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1996-2000 | 名古屋グランパスエイト | 54 | (2) | |||
2000 | 京都パープルサンガ | 9 | (0) | |||
2001-2002 | ヴィッセル神戸 | 49 | (1) | |||
2003 | ジェフユナイテッド市原 | 7 | (0) | |||
2003 | ベガルタ仙台 | 14 | (1) | |||
2004 | ジェフユナイテッド市原 | 0 | (0) | |||
2005-2006 | 横浜FC | 2 | (0) | |||
代表歴2 | ||||||
1997-2001[1] |
![]() | 14 | (1) | |||
監督歴 | ||||||
2011 | SC相模原 | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。2006年12月31日現在。 2. 2001年3月24日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
望月 重良(もちづき しげよし、1973年7月9日 - )は、静岡県出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者、実業家。現役時代のポジションはミッドフィールダー。元日本代表。現在は、JリーグのSC相模原の代表を務めている。
人物[編集]
筑波大学在学中に1995年夏季ユニバーシアード・サッカー競技の日本代表に選出され、優勝に貢献。大学卒業後の1996年より名古屋グランパスエイトに入団。1997年に日本代表に初めて選出され、特にトルシエ体制では人材不足だった右サイドの候補として多く起用され、AFCアジアカップ2000の決勝戦ではゴールを決め優勝に貢献した(このゴールは代表唯一のゴール)[2]。しかしポジションを争う明神智和や波戸康広に押され出番が減り、さらに市川大祐の台頭もありW杯本大会メンバーからは落選した。
2000年7月、大岩剛、平野孝とともに「チームの秩序を乱した」という理由で名古屋を解雇される。その後は5つのクラブを渡り歩き、2007年1月末に現役引退を発表した[3]。なお、2004年に国の特定疾患(難病)に指定されている特発性大腿骨頭壊死症と医師に診断され、引退するまで3年間リハビリを続けながらプレーしていたことを後に告白している[2][4]。
2008年2月に自ら全額を出資して創設したSC相模原の代表に就任[5]。2011年には相模原の監督も務めた。また、並行してサッカー解説者、スポーツ紙のコメンテーター[6]、サッカー指導者としての活動も行っている[7]。
所属クラブ[編集]
- 庵原小学校サッカースポーツ少年団
清水FC - 庵原中学校
- 清水商業高校
- 筑波大学
- 1996年 - 2000年7月 名古屋グランパスエイト
- 2000年8月 - 2001年 京都パープルサンガ
- 2002年 ヴィッセル神戸
- 2003年 - 2004年 ジェフユナイテッド市原
- 2005年9月 - 2006年8月 横浜FC
個人成績[編集]
国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
1995 | 筑波大 | - | 他 | - | - | 2 | 0 | 2 | 0 | ||
1996 | 名古屋 | - | J | 26 | 5 | 11 | 0 | 1 | 0 | 38 | 5 |
1997 | 9 | 17 | 3 | 10 | 3 | 1 | 1 | 28 | 7 | ||
1998 | 34 | 2 | 4 | 2 | 4 | 0 | 42 | 4 | |||
1999 | J1 | 29 | 6 | 6 | 1 | 5 | 1 | 40 | 8 | ||
2000 | 13 | 0 | 0 | 0 | - | 13 | 0 | ||||
京都 | 8 | 9 | 0 | 2 | 0 | 1 | 0 | 12 | 0 | ||
2001 | 神戸 | 10 | 24 | 0 | 4 | 0 | 2 | 1 | 30 | 1 | |
2002 | 25 | 1 | 6 | 0 | 1 | 0 | 32 | 1 | |||
2003 | 市原 | 11 | 7 | 0 | 3 | 0 | - | 10 | 0 | ||
仙台 | 33 | 14 | 1 | - | 0 | 0 | 14 | 1 | |||
2004 | 市原 | 10 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | |
2005 | 横浜FC | 33 | J2 | 2 | 0 | - | 0 | 0 | 2 | 0 | |
2006 | 22 | 0 | 0 | - | - | 0 | 0 | ||||
通算 | 日本 | J1 | 198 | 18 | 46 | 6 | 15 | 3 | 259 | 27 | |
日本 | J2 | 2 | 0 | - | 0 | 0 | 2 | 0 | |||
日本 | 他 | - | - | 2 | 0 | 2 | 0 | ||||
総通算 | 200 | 18 | 46 | 6 | 17 | 3 | 263 | 27 |
その他の公式戦
国際試合
- 1996 アジアカップウィナーズカップ 3試合2得点
代表歴[編集]
出場大会など[編集]
- 1995年夏季ユニバーシアード
- 1998 FIFAワールドカップ・アジア予選のネパール代表戦(1997年6月25日、国立競技場)でフル代表デビュー
- コパ・アメリカ1999 (2試合)
- AFCアジアカップ2000 (4試合1得点)
試合数[編集]
- 国際Aマッチ 14試合 1得点(1997-2001)[1]
日本代表 | 国際Aマッチ | |
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年 | 出場 | 得点 |
1997 | 2 | 0 |
1998 | 1 | 0 |
1999 | 2 | 0 |
2000 | 9 | 1 |
2001 | 1 | 0 |
通算 | 14 | 1 |
指導歴[編集]
- 2011年6月 - 同年12月 SC相模原:監督
著書[編集]
- 『もう一回蹴りたかった』ぴあ、2008年3月31日。ISBN 4835616901。
脚注[編集]
- ^ a b “望月 重良”. サッカー日本代表データベース
- ^ a b “難病と闘う元Jリーガー・望月さん、体験を一冊に”. 朝日新聞 (2008年5月13日). 2013年9月21日閲覧。
- ^ 引退発表直後のインタビュー記事 The Stadium (ザ・スタジアム)
- ^ “プロスポーツ選手たちの「苦悩の日々」” (プレスリリース), 週刊現代, (2012年2月13日) 2014年12月6日閲覧。
- ^ S.C.相模原(オフィシャルサイト)
- ^ 【望月重良のコラム「Jファイル」】 中日スポーツ
- ^ 親子で学ぼう!サッカーアカデミー BS日テレ Archived 2008年12月22日, at the Wayback Machine.
- ^ “来季の新加入選手および退団選手など(の移籍先)について(2月17日現在)” (プレスリリース), 京都パープルサンガ, (2002年2月17日), オリジナルの2002年12月20日時点におけるアーカイブ。 2017年10月19日閲覧。
- ^ “望月 重良選手 ベガルタ仙台へ期限付き移籍決定のお知らせ” (プレスリリース), Jリーグ, (2003年8月12日) 2017年10月26日閲覧。
関連項目[編集]
- 静岡県出身の人物一覧
- 筑波大学の人物一覧
- サッカー日本代表出場選手
- 名古屋グランパスエイトの選手一覧
- 京都サンガF.C.の選手一覧
- ヴィッセル神戸の選手一覧
- ジェフユナイテッド市原・千葉の選手一覧
- ベガルタ仙台の選手一覧
- 横浜FCの選手一覧
外部リンク[編集]
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