安永聡太郎

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安永 聡太郎 Football pictogram.svg
名前
カタカナ ヤスナガ ソウタロウ
ラテン文字 YASUNAGA Sotaro
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1976-04-20) 1976年4月20日(42歳)
出身地 山口県宇部市[1]
身長 178cm[2]
体重 75kg[2]
選手情報
ポジション FW
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1995-1998 横浜マリノス 67 (9)
1997-1998 UEリェイダ (loan) 34 (4)
1999-2001 清水エスパルス 65 (10)
2001-2004 横浜F・マリノス 25 (1)
2002 ラシン・フェロル (loan) 12 (1)
2005 柏レイソル 8 (1)
監督歴
2016 脳性麻痺7人制サッカー(CPサッカー)
日本代表
2016-2017 SC相模原
1. 国内リーグ戦に限る。2006年1月1日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

安永 聡太郎(やすなが そうたろう、1976年4月20日 - )は、山口県宇部市出身の元サッカー選手、現在はサッカー指導者・解説者。現役時代のポジションはFW。元日本代表。

来歴[編集]

清水商業高校時代には佐藤由紀彦らと共に、2年次に高校選手権全日本ユースの二冠、3年次には高校総体、全日本ユースの二冠に貢献し、U-20日本代表に招集された。

卒業後の1995年にJリーグ横浜マリノスに入団。その年に28試合に出場し、Jリーグ制覇を経験した[1]。1997/98シーズンにはスペインセグンダ・ディビシオンUEリェイダ(ジェイダ、レリダ)にテスト入団を経て期限付き移籍[1]、34試合に出場し4得点を挙げた[1]。1998年6月、横浜Mに復帰[3]。同年9月末には日本代表候補に選ばれ、合宿に参加[3]

1999年には清水エスパルスに移籍金約9千万円で完全移籍。ゴール数は少なかったが、レギュラーとして活躍した。特に1999年Jリーグ2ndステージでは、2位の横浜FMとの直接対決になった第14節で決勝ゴールを決め、清水は初のステージ優勝を決めた。2001年9月、ゼムノビッチ・ストラヴゴ監督の練習方針をマスコミを通して批判し、約1ヶ月間の謹慎処分を受けた後[4]、残留争いに苦しんでいた古巣横浜F・マリノスに翌年1月末までの期限付き移籍の形式で復帰[4][5]。清水との契約が終了した翌年は横浜FMに移籍。2002年シーズン途中にラザロニ監督と衝突し、紅白戦に参加することも許されなくなり[6]、2002/03シーズンには再びスペイン・セグンダ・ディビシオンラシン・フェロルに期限付き移籍した。フェロルでは、12試合に出場して1得点を挙げ[1]、チームから高評価を得るが横浜FMのチーム復帰依頼により日本へ戻る。2004年の暮れにクラブから戦力外通告を受け柏レイソルへ移籍。

2005年にかつて横浜マリノスの監督だった早野宏史が率いる柏レイソルに移籍したが、満足な活躍が出来ず同年限りで現役を引退した。

2006年10月29日には横浜FMでのチームメートだった柳想鐵との合同引退試合として「横浜F・マリノスOBチーム対静岡県連合スターズ」が開催された [1]。これは「横浜F・マリノスみなとみらい21トレーニングセンター」(マリノスタウン)の開場記念試合ともなった。

引退後は、2007年から日本サッカー協会が進めているJFAこころのプロジェクト(ユメセン)の専属講師として、日本全国の小学校などでサッカー教室を開催しながら、衛星放送のWOWOWで放映されるリーガ・エスパニョーラ(スペイン1部リーグ)の試合中継やダイジェスト番組で解説者を務めている。

2016年4月、脳性麻痺7人制サッカー(CPサッカー)日本代表監督に就任。同年8月、SC相模原監督に就任[7]。監督としての初年度・2016シーズンは1勝2分7敗という成績だったが、クラブは監督として契約を更新した。

エピソード[編集]

  • 清水エスパルス在籍時代、同い年のFW久保山由清との絶妙なコンビーネーションは、漫才師のやすし・きよしになぞらえ「ヤスキヨコンビ」と呼ばれるほどであった。
  • リェイダでのテスト入団時に安永を評価して入団させたのは、後にセビージャFCを率いてUEFAカップコパ・デル・レイなどを制したファンデ・ラモス監督だった。
  • 2学年後輩で、F・マリノスでも一緒にプレーした岡山一成と顔が似ているとされる(岡山の項目参照)。
  • ボールに対して遠いゴールポスト側である「ファー(far)」を「フォア」と言う。
  • 横浜Fマリノス同期入団の松田直樹とは無二の親友。松田の突然の逝去の折、その告別式で弔辞を読んだ。火葬の際、松田が生前右ひざの手術で足に入れたボルトが出てきて、安永はそのボルトを遺族から形見として受け取った。安永は「このボルトは直樹を苦しめていた痛みを救ってくれたもので、直樹の熱い想いも支えてくれたもの。これにありがとうと言いたい」と、松田を偲んでいた。
  • 2011年10月3日、佐藤由紀彦とともに「一般財団法人松田直樹メモリアル」を設立。2012年1月22日に横浜国際総合競技場で行われた「松田直樹メモリアルゲーム」では得点を挙げている。

所属クラブ[編集]

個人成績[編集]

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
1995 横浜M - J 28 1 - 2 0 30 1
1996 11 1 6 0 1 0 18 1
1997 17 9 1 6 2 - 15 3
スペイン リーグ戦 国王杯オープン杯 期間通算
1997-98 リェイダ 23 セグンダ 34 4 -
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
1998 横浜M 29 J 19 6 3 0 1 0 23 6
1999 清水 21 J1 29 5 3 0 2 0 34 5
2000 9 24 3 4 2 3 1 31 6
2001 12 2 0 0 - 12 2
横浜FM 19 6 0 0 0 1 0 7 0
2002 4 0 1 0 - 5 0
スペイン リーグ戦 国王杯オープン杯 期間通算
2002-03 フェロル 16 セグンダ 12 1 1 1 - 13 2
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2003 横浜FM 19 J1 8 1 3 0 2 1 13 2
2004 7 0 4 0 2 0 13 0
2005 29 8 1 3 0 0 0 11 1
通算 日本 J1 165 23 33 4 14 2 212 29
スペイン セグンダ 46 5 1 1 - 47 6
総通算 211 28 14 2

その他の公式戦

その他の国際公式戦

代表歴[編集]

指導歴[編集]

監督成績[編集]

年度 クラブ 所属 リーグ戦 カップ戦
順位 勝点 試合 リーグ杯 天皇杯
2016 相模原 11位 - - -
  • 2016年はシーズン途中の成績。

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e 【今日の誕生日】4月20日/日本人のスペイン進出の先駆け――安永聡太郎”. サッカーダイジェストWeb編集部 (2016年4月20日). 2017年10月25日閲覧。
  2. ^ a b 登録選手一覧表 Jリーグ 2005.12.09
  3. ^ a b 田崎健太 (2017年7月14日). “第117回 水に合ったスペイン式サッカー指導 ~安永聡太郎Vol.8~”. SPORTS COMMUNICATIONS. 2017年10月25日閲覧。
  4. ^ a b 田崎健太 (2017年9月8日). “第189回 陥った負のスパイラル ~安永聡太郎Vol.10~”. SPORTS COMMUNICATIONS. 2017年10月25日閲覧。
  5. ^ “安永聡太郎選手 横浜F・マリノスへ期限付き移籍決定のお知らせ” (プレスリリース), 清水エスパルス, (2001年9月), オリジナル2001年12月30日時点によるアーカイブ。, http://web.archive.org/web/20011230111525fw_/http://www.s-pulse.co.jp:80/s-pulse/pre01_09.html#0929-1 2017年10月25日閲覧。 
  6. ^ 田崎健太 (2016年12月9日). “第110回 少年のようにサッカーを愛する男 ~安永聡太郎Vol.1~”. SPORTS COMMUNICATIONS. 2017年10月25日閲覧。
  7. ^ “安永聡太郎 監督就任のお知らせ” (プレスリリース), SC相模原, (2016年8月20日), http://www.scsagamihara.com/wp/archives/38875 2017年10月25日閲覧。 

外部リンク[編集]