賀川浩

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
賀川 浩 Football pictogram.svg
名前
カタカナ カガワ ヒロシ
ラテン文字 KAGAWA Hiroshi
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1924-12-29) 1924年12月29日(92歳)
出身地 兵庫県
選手情報
ポジション FW
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

賀川浩(かがわ ひろし、1924年12月29日 - )は兵庫県出身の元サッカー選手スポーツライター。元サッカー日本代表選手の賀川太郎は実兄。

来歴[編集]

神戸一中2年にサッカー部にマネージャーとして入部、5年時にはFW選手として 全国大会を制覇。その1ヶ月後に第二次世界大戦が始まった。戦争末期には特別攻撃隊に志願し、出撃数日前に終戦を迎えた[1]

復員後神戸商大、大阪サッカークラブなどの黄金時代に選手として活躍し、優勝、東西対抗出場、天皇杯準優勝などを経験した。

スウェーデンヘルシンボリのクラブチーム来日時に依頼され京都新聞に記事を書いたことがきっかけで1952年から産経新聞のスポーツ記者になる[1]。産経在籍時「中学生の息子(岡田武史)が”ドイツへ渡りプロサッカー選手を目指す”と頑を張り困っている」という親からの相談を持ちかけられ、賀川が岡田少年を窘めて収まった。 1975年から10年間のサンケイスポーツ編集局長(大阪)などを経て1990年からフリーランスとなる[1]。2007年より日本サッカーミュージアムの協力のもと、「日本サッカーアーカイブ」をプロデュースしている。2010年8月17日、日本サッカー協会より第7回の日本サッカー殿堂に特別表彰として選ばれた[2]

2014年4月に自身のサッカー関連蔵書が神戸市立中央図書館に寄託され、「神戸賀川サッカー文庫」として公開される[3]

2015年(平成27年)1月12日FIFA会長賞受賞[4]

人物[編集]

取材歴はワールドカップ10回、ヨーロッパ選手権5回、南米選手権1回。サッカーライターとしては現役最年長。ワールドカップの認知度が非常に低い頃から「サッカーは世界で一番愛されているスポーツ」と語っていた。今や日本サッカー史を語らせれば右に出る者のない生き字引・ご意見番ともいえる存在であり、武智幸徳は「人間国宝」と評した[1]

岡田武史は中学3年生の時に賀川と会っている。当時ドイツにサッカー留学したいとダダをこねる岡田を説得させようと訪ねさせ、「全然ダメだからせめて高校を出ろ」と一喝した。また、セルジオ越後が少年サッカーのコーチに就く際に資格未取得が問題となったが、当時協会の技術委員だった平木隆三を「ルールなんか自分らに合わせたらええ」と説得し、特別認定コーチという資格を与えさせた。殿堂入りパーティーには彼らをはじめ多くの著名人が集まった[1]

主な著書[編集]

  • 「このくにのサッカー」―日本サッカーの「これまで」と「これから」(苦楽堂)
  • 「90歳の昔話ではない。古今東西サッカークロニクル」(東邦出版)
  • 「ストライカーの技術講座」(サッカーマガジン)
  • 「ワールドクラスの技術」(ベースボールマガジン社)
  • 「釜本邦茂・ストライカーの技術と戦術」(講談社)
  • 「釜本邦茂・ストライカーの美学」(東方出版)
  • 「ワールドカップ全史」(ブライアン・グランヴィル著:日本語版監修 新紀元社)
  • 「ボールを蹴って50年」(神戸一中・神戸高校サッカー部史)
  • 「サッカー日本代表 世界への挑戦」(新紀元社)

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e 86歳のサッカー少年 最高齢記者・賀川浩の半生『Sports Graphic Number』2011年3月24日号、文藝春秋、2011年、雑誌26854・3・24、82-87頁。
  2. ^ 第7回「日本サッカー殿堂」に賀川浩氏ら6人読売新聞2010年8月17日
  3. ^ 「神戸賀川サッカー文庫」の開設と記念講演会の開催 - 神戸市ホームページ、2014年4月7日配信
  4. ^ 読売新聞 1月13日(火)6時10分配信

外部リンク[編集]