佐々木則夫 (サッカー指導者)

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佐々木 則夫 Football pictogram.svg
Norio Sasaki 2015.jpg
名前
カタカナ ササキ ノリオ
ラテン文字 SASAKI Norio
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1958-05-24) 1958年5月24日(58歳)
出身地 山形県尾花沢市
身長 175cm[1]
体重 70kg[1]
選手情報
ポジション MFDF
ユース
1974-1976 帝京高校
1977-1981 明治大学
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1981-1999 電電関東/NTT関東
監督歴
当項目を参照
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

佐々木 則夫ささき のりお1958年5月24日 - )は、山形県尾花沢市出身[2] のサッカー指導者、元サッカー選手。現役時代のポジションはMFDF十文字学園女子大学副学長[3]。元サッカー日本女子代表監督。2011年FIFA女子W杯ドイツ大会優勝監督。2011年度FIFA女子年間最優秀監督賞受賞。

経歴[編集]

選手[編集]

山形県尾花沢市出身。農家の生まれで、小学校2年の時に父の仕事の関係で埼玉県[2]川口市に転居、山形訛りを嘲笑され、学内での地位を上げるべく持ち前の俊足をアピールし短距離走で級友らを抑え、やがてサッカーへ傾倒。中学生の頃は、当時埼玉県立浦和西高等学校に在学し県内高校サッカーのスターであった西野朗に憧れていた[4]帝京高校3年次には主将としてインターハイ優勝[5]高校選手権ベスト4進出に貢献。大会優秀選手で構成される日本高校選抜の海外遠征に参加し主将も務めた。

明治大学文学部文学科英米文学専攻に進学してサッカー部に入部。木村和司が同期であった[6]。大卒後は日本電信電話公社に入社し、電電関東/NTT関東大宮アルディージャの前身)でプレー。1981年(昭和56年)には全国社会人大会で優勝を経験。1986年(昭和61年)には全国地域リーグ決勝大会での優勝に貢献し、同サッカー部を日本サッカーリーグ2部に昇格させた。

指導者[編集]

33歳で現役引退後は指導者の道を歩み、1998年(平成10年)に大宮の監督を務め、1999年以降は大宮の強化普及部長及びユース監督を歴任した[7]

2006年(平成18年)1月1日から、サッカー日本女子代表コーチ及びU-17日本女子代表監督に就任。2007年からはU-20日本女子代表監督を務めた。2007年12月7日に前監督である大橋浩司の契約任期満了による退任を受け、日本女子代表監督に就任した[8]

監督としての初戦となった東アジアサッカー選手権2008中国重慶)では、3戦全勝で日本女子代表に初タイトルをもたらした。北京オリンピックでは準決勝でアメリカに敗れたものの、日本女子サッカー史上初の世界大会4位という結果を残し、国際サッカー連盟関係者が「世界を驚かせたのは日本女子チームだった」と評した。

2011年(平成23年)、ドイツで行われたFIFA女子ワールドカップでは、チームを男女を通じて日本初の優勝に導いた。同大会におけるなでしこジャパンの選手たちの活躍に関して、「選手たちは粘り強くやってくれた。世界一は本当にビックリです。ちっちゃな娘たちがよくやってくれた」[9] と感想を述べた。

7月20日、29人目となる明治大学特別功労賞を受賞[10]。11月、アジアサッカー連盟(AFC)より、日本女子代表監督としては初となるAFC最優秀監督賞、さらに財界賞特別賞を受賞、12月、ゆうもあ大賞及び“GQ Men of the Year 2011”を受賞した。11月15日に如水会館で開かれた紫綬褒章の伝達式にもサッカー日本女子代表を代表して出席し、森裕子文部科学副大臣から褒章の伝達を受けた。埼玉県からは彩の国功労賞を受賞。

2012年1月9日、2011年度のFIFA年間表彰式においてアジア人として初となるFIFA女子世界年間最優秀監督賞を受賞し[11]、「この賞は、我々のチームなでしこジャパンの総合力、チーム一丸となったことへの評価だと強く思っております」と述べ、あわせて昨年の東日本大震災で、各国から受けた支援に対する感謝などを語った[12]

女子年間最優秀監督賞の受賞に際し、FIFA加盟協会の代表チームの監督や主将、選ばれたサッカー専門記者の45.57%の支持を獲得した佐々木は、FIFAランキング世界第3位となった全日本女子チームに関して、「僕が率いたなでしこジャパンの完成形をロンドンで見せ、日本の皆さんに元気を与えたい」と断言した[13]

8月9日、ロンドン五輪では、アメリカ合衆国との決勝戦まで女子代表を率い、女子サッカー初のオリンピックでの銀メダルを日本にもたらした。試合後、佐々木は、「素晴らしい試合だった。結果は出なかったが、この4年間は素晴らしい戦いだった」[14] と、なでしこジャパンの選手たちを称えた。

日本女子代表監督の任期は2012年9月までであったが、それまでの指導能力と実績が高く評価され日本サッカー協会から続投要請を受ける。古巣の大宮からもフロント就任を要請されるも、日本女子代表監督の続投を受け入れた。[15][16][17]

2014年5月、ベトナムで開催された2014 AFC女子アジアカップでは海外組の主力選手を欠く中で日本代表を初優勝に導き、自身にとっても3度目の挑戦でアジア初制覇を達成した[18]

2015年、カナダで開催された2015 FIFA女子ワールドカップでは7月5日の決勝戦では前大会同様にアメリカ合衆国との一戦となるも、前半で4失点を喫し、2-5で敗れて女子ワールドカップ連覇を果たすことは出来なかった[19]

2016年、リオデジャネイロオリンピックアジア最終予選で3位に終わり、出場権獲得を逃したため、代表監督を退任[20]

2016年4月、十文字学園女子大学副学長に就任。

所属クラブ[編集]

個人成績[編集]

国内大会個人成績
年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
日本 リーグ戦 JSL杯 天皇杯 期間通算
1989-90 NTT関東 JSL2部 18 0 1 0
1990-91 30 7 2 0 0
通算 日本 JSL2部
総通算

指導歴[編集]

タイトル[編集]

監督成績[編集]

年度 所属 クラブ リーグ戦 カップ戦
順位 試合 勝点 勝利 引分 敗戦 リーグ杯 天皇杯
1997 JFL NTT関東 12位 30 31 11 - 19 - 3回戦
1998 大宮 - - -
  • 1998年は7月まで。

著作[編集]

参考文献[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b 『1990-1991JSLイヤーブック』p78
  2. ^ a b 同級生が偉業に歓喜 佐々木監督の出身地尾花沢”. 河北新報 (2011年7月19日). 2011年7月19日閲覧。
  3. ^ 佐々木則夫氏、なでしこ新監督にエール「ぜひ高倉監督にと思っていた」
  4. ^ なでしこ監督、女心つかみチームはノリノリ!10日準々決勝 - 夕刊フジ、2011年7月9日付
  5. ^ ひと:佐々木則夫さん サッカー女子日本代表監督”. 毎日新聞 (2011年7月19日). 2011年7月19日閲覧。
  6. ^ 横浜M和司監督「たいしたもんよ」同期の佐々木監督を祝福”. スポーツ報知 (2011年7月19日). 2011年7月21日閲覧。
  7. ^ http://www.ardija.co.jp/player/top/2004/post-387.html
  8. ^ なでしこジャパン(日本女子代表チーム)新監督に佐々木 則夫氏が就任! JFA公式サイト 2007.12.7付ニュースリリース
  9. ^ 『報知新聞』2011年7月18日付
  10. ^ 明治大学|本学校友の「なでしこジャパン」佐々木則夫監督に明治大学特別功労賞贈呈を決定 明治大学公式サイト 2011.7.20付ニュースリリース
  11. ^ Triomphe pour Messi, Sawa, Guardiola et Sasaki
  12. ^ なでしこ沢がFIFA最優秀選手!佐々木監督は最優秀監督に」『スポニチ』2012年1月10日付
  13. ^ 共同通信、2012年1月11日付
  14. ^ 『スポニチ』2012年8月10日付
  15. ^ 目標は男子A代表…佐々木監督、大宮入り有力 スポニチ・アネックス、2016年3月19日閲覧。
  16. ^ なでしこ佐々木監督続投 長期政権に ニッカンスポーツ、2016年3月19日閲覧。
  17. ^ なでしこ佐々木監督続投!W杯連覇だ ニッカンスポーツ、2016年3月19日閲覧。
  18. ^ なでしこジャパン AFC女子アジアカップ初優勝、大会MVPは宮間あや選手 JFA公式、2016年3月19日閲覧。
  19. ^ なでしこジャパン、アメリカに敗れ準優勝。5失点も最後まで勝負は捨てず フットボールチャンネル 2015年7月6日閲覧
  20. ^ なでしこジャパン 佐々木則夫監督退任会見 - 時事通信

外部リンク[編集]