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水鳥寿思

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
水鳥みずとり 寿思ひさし
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1980-07-22) 1980年7月22日(44歳)
生誕地 日本の旗 日本 静岡県静岡市
身長 172cm[1]
体重 64kg[1]
所属 徳洲会
学歴 関西高校日本体育大学
引退 2012年
獲得メダル
オリンピック
2004 団体総合
アジア競技大会
2006 ドーハ 鉄棒
世界体操競技選手権
2005 メルボルン 個人総合
2007 シュトゥットガルト 団体総合
2006 オーフス 団体総合
2007 シュトゥットガルト 個人総合
2007 シュトゥットガルト 鉄棒
2007 シュトゥットガルト ゆか
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水鳥 寿思(みずとり ひさし、1980年7月22日 - )は、日本の元体操競技選手。慶應義塾大学総合政策学部専任講師。血液型はA型マネジメント契約先はスポーツビズ

略歴

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静岡県静岡市出身。両親は元体操競技選手で体操クラブを経営し、実家の隣には父親が本業の大工職の傍らで建てた「水鳥体操館」がある。5男1女の6人兄弟の二男。6人のうち5人は体操選手で、あとの1人はオペラ歌手の水鳥繭見(三男)である。女子体操選手の水鳥舞夏日本体育大学)はいとこにあたる。

このような環境もあり、幼稚園のときから同体操館で体操を始め、6歳から選手コースで学ぶようになった。しかし中学時代、兄弟のうち寿思だけが全国10位以内に入れず、「家族を見返したい」という思いから親元を離れ岡山県関西高等学校へ入学。ここで実力を伸ばし、1998年(平成10年)、全国高校選抜の個人総合で冨田洋之に次ぐ2位となった。

日本体育大学へ入学後、1999年(平成11年)全日本選手権団体総合の跳馬で右大腿骨を骨折。2001年(平成13年)にはユニバーシアードの日本代表に選抜され、これを機により上位を目指すようになった。2002年(平成14年)の全日本選手権には水鳥家の三兄弟が出場したが、個人総合決勝のゆかで左ひざ前十字靭帯損傷の大怪我を負う。1年余りのリハビリの甲斐あって、アテネ五輪選考会(兼NHK杯)では3位となり五輪代表となった。2004年(平成16年)、アテネオリンピックでは、団体で金メダルを獲得。決勝でつり輪のトップバッターを務めた。彩の国功労賞を受賞。

2007年(平成19年)、鹿島丈博が世界選手権直前に負傷したため、補欠だった水鳥が出場。団体での銀メダル、種目別での3つの銅メダルを獲得する大活躍を見せた。この4つのメダルが日本チームが獲得した全てのメダルであり、代表選考のあり方について波紋を呼んだ[2]

2008年(平成20年)、左腕の負傷もあり北京オリンピック代表を逃したが、ロンドンオリンピック出場を目指していた[1]

2009年8月、3歳年上の女性と結婚。

2012年4月、大阪大谷大学人間社会学部スポーツ健康学科の専任講師に就任[3]

2012年5月、ロンドンオリンピック代表最終選考会で14位に終わり、引退を表明した[4]

2012年12月、リオデジャネイロオリンピック男子強化本部長に就任。

競技歴

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表彰

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逸話

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脚注

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  1. ^ a b c 公式サイト、プロフィール より
  2. ^ 2007年9月19日 読売新聞「世界選手権、補欠の水鳥がメダル 代表選考に課題」
  3. ^ “CampusLife_64”. 大阪大谷大学. https://www.osaka-ohtani.ac.jp/blog_campus/docs/CampusLife_64_01.pdf 2022年6月25日閲覧。 
  4. ^ “アテネ五輪団体金の水鳥が引退/体操”. 日刊スポーツ. https://www.nikkansports.com/sports/news/f-sp-tp0-20120505-945923.html 2022年6月25日閲覧。 
  5. ^ 世界記録・23段の成功者は5名いるが、両足での着地で成功したのは水鳥寿思のみ。

関連項目

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外部リンク

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