紫綬褒章

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紫綬褒章(しじゅほうしょう)は、日本の褒章の一つ。「日本国天皇」の名で授与される。

褒章条例(明治14年太政官布告第63号)の改正により、1955年(昭和30年)1月23日に制定された(昭和30年政令第7号)。同条例1条は、紫綬褒章を「学術芸術上ノ発明改良創作ニ関シ事績著明ナル者ニ賜フモノトス」と定めている。2002年(平成14年)の栄典改革により、「紫綬褒章については、年齢制限を撤廃し、科学技術分野における発明・発見や、学術及びスポーツ・芸術分野における優れた業績等に対して、速やかに表彰する。」とされ[1]、従来50歳以上とされていた年齢制限が撤廃されている。例年、(4月29日)と(11月3日)の2回発令され、学術芸術スポーツ分野の功労者に授与される。

「勲章、記章、褒章等の授与及び伝達式例」(昭和38年7月12日閣議決定)4条は、褒章について、「内閣総理大臣の命を受け、内閣府賞勲局長が所管大臣に伝達し、所管大臣が適宜受章者に伝達する。」と定める[2]。通例、紫綬褒章の伝達式は、東京都内のホテルなどで行なわれる。また受章者は、伝達式にあわせて、皇居で天皇に拝謁する。

紫綬褒章の受章者には、紫色の綬(リボン)が付されたメダルと、受章の理由・受章日などが書かれた天皇名の褒状[3]、略綬が授与される。褒章をもって表彰されるべき者が団体であるときは、褒状が授与される(褒章条例2条)[4]。団体に対して紫綬褒章と同様の理由で授与された例としては、2006年(平成18年)のワールド・ベースボール・クラシック第1回大会で優勝した日本代表チーム王貞治監督)が初めてである。

すでに褒章を授与された者が、2度以上、同様の理由で褒章を授与されるときは、その都度、飾版(しょくはん、金属の板)を授与し、その褒章の綬に付加して標識とする(褒章条例3条1項)。また、この飾版(銀色)が5個以上に達したときは、5個ごとに別種の飾版(金色)と引き替えて授与される(同条2項)。褒章の授与に回数の制限はない。

受章者[編集]

発明・改良(研究者・技術者)[編集]

スポーツ[編集]

2003年に褒章の年齢制限が撤廃されたことにより、オリンピックなどの国際大会で優勝するなど顕著な事績を挙げたスポーツ選手・チームにはその都度授与されている。2004年にはアテネ五輪で金メダルを獲得したすべての選手(20名)に授与された。

個人[編集]

団体[編集]

団体には褒状(紫綬)が授与される。

囲碁・将棋棋士[編集]

学者[編集]

文芸[編集]

俳優[編集]

歌舞伎・能楽・狂言[編集]

演劇・舞踊[編集]

映画監督[編集]

音楽家[編集]

画家・彫刻家・陶芸家[編集]

写真家[編集]

グラフィックデザイナー・イラストレーター[編集]

漫画家[編集]

落語家[編集]

演芸[編集]

実業家[編集]

建築家・設計家[編集]

  • 吉田種次郎:(1955年2月21日) 宮大工
  • 清家清:(1983年)建築家、勲二等瑞宝章(1989年)
  • 篠原一男:(1990年)建築家
    • 参考:菊竹清訓(旭日中綬章、1996年)
    • 参考:谷口吉生(旭日中綬章、2011年)

褫奪[編集]

勲章褫奪令に基づき紫綬褒章を褫奪(ちだつ、剥奪の意)された者。褫奪されると、官報に掲載され、紫綬褒章を返還しなければならず、紫綬褒章受章者であると名乗ることも認められなくなる。

脚注[編集]

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  1. ^ 栄典制度の改革について(平成14年8月7日閣議決定)、内閣府賞勲局、2012年。
  2. ^ 「勲章、記章、褒章等の授与及び伝達式例」(昭和38年7月12日閣議決定)、内閣府賞勲局、2012年。
  3. ^ 栄典改革以前には、内閣及び内閣総理大臣名の「褒章の記」が授与された。
  4. ^ なお、褒状の授与理由には、各褒章と同様の区別があるが名称には冠されず、単に「褒状」となる。そのため「紫綬褒状」とするのは誤りで、一般的には「褒状(紫綬)」「紫綬(褒状)」などと記載される。
  5. ^ 『官報』6342号9頁(2014年7月30日)
  6. ^ 2014年5月10日付で褫奪された[5]

外部リンク[編集]