YOSHIKI

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YOSHIKI
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ニューヨーク・コミコン』で記者会見するYOSHIKI(2014年)。
基本情報
出生名 林 佳樹(はやし よしき)[1]
別名 五十嵐美由姫
立花香流
橘朋実
白鳥瞳
白鳥龍
白鳥麗
生誕 (1965-11-20) 1965年11月20日(51歳)
出身地 日本の旗 日本千葉県館山市
ジャンル ハードロック
ヘヴィメタル
ハードコア
トリップ・ホップ
ポップ
クラシック
職業 ソングライター
作詞家
作曲家
編曲家
音楽プロデューサー
実業家
起業家
ファッションデザイナー
ラジオパーソナリティ
担当楽器 ドラムス
ピアノ
キーボード
ギター
ベース
活動期間 1982年 - 現在
レーベル ソニー
イーストワールド
プラチナム
V Project
X Project
事務所 ジャパンミュージックエージェンシー
YSKエンタテイメント
ウィリアム・モリス・エンデヴァー
共同作業者 X JAPAN
Violet UK
L・O・X
V2
globe extreme
S.K.I.N.
公式サイト www.yoshiki.net
著名使用楽器
カワイ・CR-40A
TAMA・アートスターII(クリア・アクリル)

YOSHIKI(ヨシキ、本名:林 佳樹(はやし よしき)[1]1965年11月20日 - )は、日本音楽家ソングライター作詞家作曲家編曲家で、音楽プロデューサー。1989年にメジャー・デビューしたロックバンドX JAPANドラマー/ピアニストとして最もよく知られており、バンドのリーダーも務めている。X JAPANのほかにも、Violet UKL・O・XV2globe extremeS.K.I.N.として活動がある。ソロとしても3作のスタジオ・アルバム『Eternal Melody』(1993年)、『ETERNAL MELODY II』(2005年)、『YOSHIKI CLASSICAL』(2013年)を発表しており、これまでのソロとしての大きな仕事には『天皇陛下御即位十年をお祝いする国民祭典』のための奉祝曲(1999年)[2]、『日本国際博覧会(愛知万博)』の公式イメージ・ソング(2005年)[3]ゴールデングローブ賞の公式テーマ・ソング(2012年)[4]などがある。

1986年に設立したインディーズのレコード会社「エクスタシーレコード」は、LUNA SEAGLAYZI:KILLなどを輩出し、ヴィジュアル系ムーブメントのパイオニアの1つとなった[5]。1993年からは他のアーティストのプロデュースも始め、これまでにNOAGLAY西城秀樹北野井子DIR EN GREY工藤静香などの作品を手がけている。

2000年に「日本社会と文化に貢献した人物」として文部大臣表彰を受けた。

経歴[編集]

生い立ち[編集]

1965年11月20日に、千葉県館山市の老舗呉服店を営む家庭の2人兄弟の長男として生まれる[6]。父はジャズ・ピアノ、母は三味線、叔母はの演奏を嗜むなど音楽的な一面があった[7]。また、父は先代から家業を継ぐまでプロのタップ・ダンサーであった[7]。4つ歳の離れた弟・光樹は元俳優で[8]、現在はYOSHIKIのマネージメントを行っている[9]。幼少期は仕事で忙しい両親に代わり、主に家政婦が兄弟の面倒を見ていた[10]。4歳になると父からピアノを買い与えられ[11]、自宅そばのピアノ教室でクラシック・ピアノのレッスンを受け始める[12]。日頃から父が購入するクラシック音楽のレコードを好んで聴き[13]、8歳の時にシューベルト交響曲第8番ロ短調「未完成」ベートーヴェン交響曲第5番ハ短調「運命」が収録されたレコードを初めて自分の小遣いで購入した[12]。病弱で重い小児喘息を患っていたために、小学校中学年になるまで頻繁に入退院を繰り返す生活を余儀なくされた[14]。病室では父が見舞いに持参した子供向けの偉人伝を愛読し、とりわけ若くして難聴となりながらも数々の名曲を残したベートーヴェンの苦難の人生に対して強い興味を抱いた[15]

9歳頃からピアノで作曲をはじめ[12]、10歳から14歳まで学校のブラスバンド部でトランペットを担当した[12]。毎年、誕生日には楽器を買い与えられることが恒例で、トランペットを始めたのも10歳の誕生日に父から買ってもらったことがきっかけであったが、その翌年の8月に父を自殺により亡くした[16]。34歳の若さであった[16]。それまではクラシック音楽しか聴いていなかったが[17]、行きつけのレコード店で偶然目にしたジャケットに惹かれて購入したキッスのシングル「ラヴ・ガン」と[18][19]、母に頼み連れていってもらったキッスの『ロックンロール・オーバー・ツアー』の日本武道館公演をきっかけにロックに魅了され、11歳でドラムスを始めた[12]。12歳でギターも始めたが、細かい作業が性に合わず早々に手を引いた[20]

11歳で初めてのバンド「DYNAMITE」を小学校の同級生2人と幼馴染みでギターが弾けたToshlの4人で結成し、近所の貸しスタジオでキッスの楽曲を練習して腕を磨いた[21]。YOSHIKIはドラムスとボーカルを兼任していたが、声変わりが遅く高声しか出すことが出来なかった[21]。中学校に進学後、新たに同級生をボーカルに迎え、バンド名を「NOISE」に改称[22]。YOSHIKIはドラムス専任となり、レッド・ツェッペリンディープ・パープルなどの楽曲を演奏した[22]。より複雑なリズムを叩くため、14歳の誕生日に母に頼んでダブル・ベースのドラムセットを手に入れ[23]、同じくダブル・ベースを使うレインボーを手本に練習を積んだ[24]。中学校の体育館で開かれた予餞会で初めてのステージを踏み[25]、高校進学後もNOISEとしてレッド・ツェッペリンやUFO、レインボーなどの楽曲を学校の文化祭などで演奏した[26]

X JAPANの結成[編集]

1982年の夏、大学受験に専念するメンバーが離脱したNOISEを解散。当時アイアン・メイデンのアルバム『鋼鉄の処女』や『キラーズ』に感化されていたYOSHIKIは、ボーカルに転向したToshlと他校の生徒によるツインリードギター編成で、よりハードなロックを指向したバンド「X」(現在のX JAPAN)を新たに結成する[27]。Xでは既存の楽曲の演奏だけでなくオリジナル楽曲の作曲も始め、演奏のレパートリーを着実に増やしていった。YOSHIKIがXのために初めて作曲した楽曲「I'LL KILL YOU」は、1985年にXの1作目のシングルとしてリリースされている。高校3年から音楽大学を目指して本格的にピアノに打ち込み、受験用のプログラムを通して、ソルフェージュ和声楽典などの音楽理論を学んだ[12][28]。受験勉強の合間にはXとしていくつかのバンド・コンテストに出場。ヤマハ主催のアマチュアのバンド・コンテスト『EastWest』の千葉県大会ではバンドとしての受賞こそ逃したものの、個人でベスト・ドラマー賞を受賞した[29]。Toshlもまた、その後に参加したコンテストでベスト・ボーカル賞を受賞していた[30]。このことにバンドとしての可能性に自信を深めていたToshlは、大学に進学せず東京でバンドを続ける決意を固めたことをYOSHIKIに告げる[30]。YOSHIKIもこれに呼応して、推薦入学が決まっていた音楽大学への道を断つ決心をした[31]

高校を卒業するとバンド活動の本格化のためToshlと共に上京。ライブ・ハウス時代には、Xが出演していたライブ・ハウス「神楽坂EXPLOSION」の店員がDoomのメンバーであった繋がりから、Doomの初ライブでヘルパーとしてドラムを叩いている[27]。また、Xの活動と並行してLip CreamのNAOKI、ORANGEのACTとともにパンク・バンド「L・O・X」を結成して活動していた。

Xのレコードをリリースするため、1986年にインディーズのレコード会社「エクスタシーレコード」を設立[32]。1988年にエクスタシーレコードからリリースしたXの1作目のアルバム『Vanishing Vision』はオリコンの週間チャートで最高19位を記録し[33]、インディーズ・レーベルの作品として日本のメジャー・チャートにランクインした初めてのアルバムとなった。翌1989年にXの2作目のアルバム『BLUE BLOOD』でCBSソニーからメジャー・デビュー[34]。年末には日本有線大賞の最優秀新人賞[35]全日本有線放送大賞の最優秀新人賞[36]第4回日本ゴールドディスク大賞の最優秀新人賞などを受賞した[37]。X JAPANの1993年のアルバム『ART OF LIFE』からはバンドのプロデューサーも担っている[38]

ソロ活動(1991-99年)[編集]

1991年の10月31日にTMN小室哲哉とともに記者会見を開き、2人で新ユニット「V2」を結成することを発表[39]。12月5日に東京ベイNKホールでV2のコンサート『V2 SPECIAL LIVE VERGINITY』を開催した。同年、初のソロ名義作として、自身の選曲によるクラシック音楽のコンピレーション・アルバム『Yoshiki Selection』を12月12日に発表。このアルバムは第6回日本ゴールドディスク大賞で洋楽アルバム賞(クラシック部門)を受賞した[40]

1992年にV2としてシングル「背徳の瞳〜Eyes of Venus〜」をリリース[41]。また、ロサンゼルスに自身のレコーディング・スタジオと自宅を購入し、制作と生活の拠点をアメリカに移した。MIDIやシンクラヴィアなどコンピュータ・ベースの制作環境に関心を持ち、バンドの枠を超えたプロジェクト「Violet UK」を構想する[42]。1992年7月23日に東芝EMIと初めてとなるソロ契約の締結を発表[43]。7月30日に日本武道館で『YOSHIKI TALK LIVE at 武道館』を開催し、1993年にX JAPANの作品としてリリースされた自らの半生を描いた楽曲「ART OF LIFE」をピアノ協奏曲形式で初演した。また、年末にNHKホールで行われた『第43回NHK紅白歌合戦』の全出場歌手で歌う合唱曲「TEARS〜大地を濡らして〜」を作詞・作曲し、会場のパイプオルガンで伴奏した。「TEARS〜大地を濡らして〜」もまた、X JAPANのシングル「Tears」として1993年にリメイクされた。東芝EMIからは、ビートルズのプロデューサーとして知られるジョージ・マーティンとのジョイント・プロジェクトとして、アルバム『Eternal Melody』と、シングル「Amethyst」が1993年にリリースされた。ジョージ・マーティンは日本武道館での「ART OF LIFE」の演奏をビデオを観てプロデュースを快諾した[44]。1993年にはTBS系で10月から放送されたドラマ『徹底的に愛は…』の主題歌としてNOAのシングル「今を抱きしめて」をプロデュースし、第36回日本レコード大賞で優秀賞を受賞した[45]

1994年にはクイーンのドラマーであるロジャー・テイラーとのコラボレーション・シングル「Foreign Sand」をリリースし[46]、2人は国連UNESCOの呼びかけによりにより催された『GME '94 〜21世紀への音楽遺産をめざして〜 AONIYOSHI』で共演した。また、キッスのトリビュート・アルバム『トリビュート -KISS MY ASS-』に、ピアノ協奏曲にアレンジした「ブラック・ダイヤモンド」で参加した[47]。同年にメジャー・レーベル「プラチナム・レコード」を設立し、GLAYをメジャー・デビューさせた[48]。同レーベルからは、1996年に自身2作目となるクラシック音楽のコンピレーション・アルバム『Yoshiki Selection II』もリリースされた。

1994年3月10日の夜中午前1時過ぎ、YOSHIKIはロサンゼルスのサンセット大通りフェラーリを運転中、前を走行中の車に対してクラクションを鳴らし続けたため、州の交通違反としてパトカーに捕えられ、車から降りたところ、強いアルコール臭と千鳥足のために飲酒運転スピード違反で現行犯逮捕された[49]。この時に助手席には工藤静香が同乗していた[49]。工藤は長期オフを利用しYOSHIKIのハリウッドの豪邸に泊りに来ていた[49]。ウエスト・ハリウッド署に身柄を移されたYOSHIKIは、アルコール濃度の呼吸テストを受けた後、保釈金500ドルを払い釈放されたが、6か月の免停となり、1000ドルの罰金とトラフィック・スクールでの講習が義務づけられた[49]。この逮捕騒動と恋愛スキャンダルは日本で大きな話題となり、YOSHIKIは事務所を通じたFAXで「毎日のレコーディングに嫌気がさして、はめを外してしまいました」と素直に事実を認め、工藤静香との交際宣言もした[49]

1997年4月20日にボーカリストのToshlがX JAPANを脱退。同年9月22日に都ホテル東京で記者会見を開き、X JAPANの解散を発表した。2000年に新たなボーカリストを加えた形で再結成することや[50]、自身も日本やアメリカで音楽プロデューサーとして本格的に活動することを予定していたが[51]、1998年5月2日にギタリストのHIDEが急逝したたことで精神的に落ち込み、頓挫。北野井子Dir en greyのプロデュースを手がけるものの、表舞台には一切上がらずにいた。そんな中、『天皇陛下御即位十年をお祝いする国民祭典』の奉祝曲の制作依頼を受け、1999年11月12日に皇居前広場で行われた式典で作曲したピアノ協奏曲「Anniversary」を演奏[2]。この時に受けた歓声が再起の契機となった[52]

ソロ活動(2000-09年)[編集]

オタコン2006』でサインに応じるYOSHIKI。

2000年6月にメジャー・レーベル「エクスタシー・ジャパン」の設立を発表[53]Shiroや、BEAST、Revenusなど、レーベル所属のアーティストのデビューに携わった。また1998年2月にロサンゼルスに設立したレーベル「エクスタシー・レコード・インターナショナル」に所属する、アバンダンド・プールズローラ・ドーンキドニーシーヴスらのアルバムをプロデュースした[51]。Violet UKの制作も再開し、自ら出演し、演出も手がけたセブン-イレブン・ジャパンの企業イメージCFに「Confusion」「The Other Side」「Blind Dance」の3曲を使用した。Violet UKとしては1998年公開の映画『イン・ゴッズ・ハンズ』に楽曲「sane」を提供している。2000年11月1日には、東京国際フォーラムで開催された松任谷由実のコンサート『Brothers & Sisters』にゲスト出演し、「翳りゆく部屋」をピアノで伴奏した。

2002年9月1日、お台場で行なわれたライブ・イベント『a-nation avex SUMMER FESTA 2002』のステージでglobeに加入することを発表[54](2005年にYOSHIKIを加えての活動の際の名称がglobe extremeになることが発表された[55])。同年12月に東京国際フォーラムで『YOSHIKIシンフォニックコンサート2002 with 東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団 featuring VIOLET UK』を開催。弦楽器に比重が置かれた16型編成のオーケストラを藤原いくろうとコンスタンチン・D・クリメッツが指揮したこのコンサートには、Violet UKからドーターとニコール・シャージンガーも参加し、ニコールは「I'll Be Your Love」の英語バージョンを歌った。「I'll Be Your Love」は2005年日本国際博覧会「愛・地球博」の公式イメージ・ソングとして、YOSHIKIが抜擢したハワイ出身の歌手・DAHLIAが歌ったものがシングルとして2003年10月29日にリリースされた[56]。ニコールが歌う英語バージョンは、同年9月26日にリリースされた愛知万博の公式アルバム『「愛・地球博」presents GLOBAL HARMONY』に収録された[56]

2003年2月1日に放送された、NHKのテレビ放送50周年記念番組『あなたとともに50年 今日はテレビの誕生日』のエンディング・テーマとして、チョ・ソンモ島袋寛子が歌う「君だけだから」を作曲し、番組ではピアノで伴奏した[57]。2004年には宝塚歌劇花組公演『TAKARAZUKA舞夢!』で春野寿美礼が歌う「世界の終りの夜に」を作曲[58]。また、エイベックスを介して依頼を受けた韓国のロック・バンド「TRAX」の日本デビュー・シングル「Scorpio」をプロデュースした[59]

2005年には愛知万博の開会式EXPOスーパーワールドオーケストラが演奏する「I'll Be Your Love」のクラシック・アレンジバージョンを指揮した。事前にヘルベルト・フォン・カラヤンや、レナード・バーンスタイン小澤征爾らのビデオを観てトレーニングを積んだ[60]。また、シェリー・バーグ川本統脩から本格的な指導を受けたほか、佐渡裕からもアドバイスを受けて指揮に臨んだ[60]。同年、2作目となるクラシック・アルバム『ETERNAL MELODY II』と[61]、『YOSHIKIシンフォニックコンサート2002 with 東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団 featuring VIOLET UK』のライブDVDを[61]、2003年2月に専属契約を結んだコロムビアミュージックエンタテインメントからリリースした[62]

2006年には、劇場長編アニメーション映画『ベルサイユのばら』の音楽を担当すると発表[63]。同年8月5日にボルチモアで開催されたアニメ・コンベンション『オタコン2006』に特別ゲストとして招かれた[64]

2007年には、5月25日と26日にロサンゼルスのウィルターン・シアターで『J-Rock Revolution Festival』を主宰[65]。YOSHIKIはGACKTSUGIZO、雅-miyavi-とのロック・バンド「S.K.I.N.」の結成と、同年6月にロングビーチで開催される『Anime Expo 2007』において、S.K.I.N.としての初めてのライブを行うと発表した[66]。また、2007年公開のアメリカ映画『カタコンベ』や『ソウ4』の主題歌を制作したほか[67]、2008年公開のアメリカ映画『REPO! レポ』の音楽総監督や製作総指揮を務めた[68]。『ソウ4』の主題歌には、Toshlとの約8年ぶりの再会をきっかけに再結成に向けて動き出していたX JAPANの楽曲「I.V.」が使用され[69]、2007年10月18日にX JAPANは公式ウェブサイトで再結成を発表した。

2008年には、日本テレビ開局55年記念ドラマ『東京大空襲』の主題歌として、秋川雅史が歌う「愛する人よ」を制作したほか[70]黒澤明生誕100年祭『AK100 Project』の音楽プロデューサーを務めると発表した[71]。2009年には、日本テレビ系情報番組『ズームイン!!SUPER』の天気コーナーに「BLUE SKY HEAVEN」を提供した[72]

ソロ活動(2010年-現在)[編集]

グラミー・ミュージアムでピアノを演奏するYOSHIKI(2013年)。

2010年10月24日に、東京の赤坂BLITZでToshlのコンサート『Toshl LAST CONCERT"武士JAPAN"』をプロデュースし[73]、ゲスト・ミュージシャンとしてピアノで参加した[74]

2011年5月からアメリカの衛星ラジオ局「シリウスXM」のハード・ロック専門チャンネル「ザ・ボーンヤード」で『YOSHIKIラジオ』と題した音楽番組のホストを務め[75][76]、自身が影響受けた音楽やアニメなどの日本の大衆文化を紹介した[75]。月1回の1時間番組で、1回目の5月27日のみ東部時間20時からが放送され、2回目となる6月5日から7回目の11月6日までは毎月第1日曜日の東部時間21時から放送された[77]。2010年10月10日に行われたX JAPANのニューヨーク公演を見て関心を持ったラジオ局の関係者が、YOSHIKIに新番組の依頼をしたことがきっかけとなった[75]

2012年にはハリウッド外国人映画記者協会からゴールデングローブ賞の公式テーマ・ソングの制作依頼を受け、制作した楽曲「ゴールデングローブのテーマ」が第69回ゴールデングローブ賞の授賞式から使用されている[78]。同楽曲は2013年1月にiTunes Storeを通じて、ソロ名義では初めて全世界111ヶ国に配信された[79]。同年8月27日には『Eternal Melody』と『ETERNAL MELODY II』の収録曲に、「ゴールデングローブのテーマ」とX JAPANのワールド・ツアーのオープニングで使用された新曲「Miracle」を加えたベスト・アルバム『YOSHIKI CLASSICAL』をリリースした[80]。アルバムの発売を記念して、前日の26日にロサンゼルスのグラミー・ミュージアムで『An Evening with Yoshiki』と題されたショーケースを行い、その模様はニコニコ生放送Ustreamで生中継された[81]

2014年2月19日にグラミー・ミュージアムでソロ公演を兼ねた記者会見を開き、ソロとしては初めてとなるワールド・ツアー『YOSHIKI CLASSICAL WORLD TOUR』を開催すると発表[82]。ツアーでは4月25日のカリフォルニア州コスタメサを皮切りに、アメリカ、メキシコ、ロシア、ドイツ、フランス、イギリス、中国、タイ、台湾、日本を廻り[83]、同年公開のアニメーション映画『聖闘士星矢 Legend of Sanctuary』の主題歌として制作した楽曲「Hero (Yoshiki Classical Version)」も披露した[84]。グラミー・ミュージアムでは会見当日から、アジアのアーティストとしては初めて愛用のピアノやステージ衣装などが展示された[85]

2014年3月14日には、テキサス州オースティンで開催された音楽コンベンション『SXSW』に出演[86]。イベント終了後に行われたアフター・パーティでは会場にピアノを2台設置して、自身のホログラムとの連弾を披露した[87]。同年7月4日、毎年パリで開催されている日本の大衆文化を紹介するコンベンション『Japan Expo 2007』に参加し、ソロ・コンサートを開催[88]。途中、ゲストにイラストレーターの岩元辰郎を迎え入れ、ピアノ演奏と絵画の即興のコラボレーションを披露した[88]。同年10月29日にロサンゼルス現代美術館のザ・ゲフィン・コンテポラリーで行われた、サンリオのキャラクター「ハローキティ」のコンベンション『Hello Kitty Con 2014』に出演[89]。会場の特設ステージで、ハローキティのデザイナーである山口裕子から依頼を受けて制作したハローキティの公式テーマ・ソング「HELLO HELLO」(仮タイトル)を初披露した[89]

2015年3月11日に、バラエティ番組『中居正広のミになる図書館』でのX JAPANに関わる内容が放送された回について、「たまたま見てしまいました。真実と異なる事や、編集等、色々と思う事があり、少し傷つきました」と発言し、さらに「今ファンのみんなをがっかりさせないように世界に向かって命がけで頑張っています」との意思表明を示した。[90][91]

2015年5月30日、31日に開催されたGLAYの東京ドーム公演『20th Anniversary Final GLAY in TOKYO DOME 2015 Miracle Music Hunt Forever』の2日目にスペシャル・ゲストとして登場し[92]、YOSHIKIが1994年にプロデュースを手がけたGLAYのメジャー・デビュー曲「RAIN」で共演した[93]

音楽性[編集]

作詞と作曲[編集]

YOSHIKIは「作詞には作曲と同じ、もしくはそれ以上の時間を僕は割いている」とし[94]、自身の歌詞については「死について語っている詞が多いと思う」と語っている[95]。一方で歌詞の悲観性や自虐性については、「ポジティヴなエネルギーってネガテヴィティによって引き立つと思うんですよ」「悲しみなり毒をずっと表現したときにポッと美を出すと、それがすごいポジティヴに感じる」と、肯定的なエネルギーを引き立たせるための逆説的なアプローチであると説明している[96]。最初に作詞をしたのは高校時代で、Xの「I'LL KILL YOU」であった[97]。作風によって作詞のクレジットで「五十嵐美由姫」「橘朋実」「白鳥瞳」「白鳥龍」などのペンネームを使うこともある。フリーライターの久利生たか子は2002年の著書『X JAPANの詩─青い薔薇の涙─』の中で「妥協を許さない感情描写」をYOSHIKIの詞の特色としてを挙げ[98]、「無駄のないところに美しさが存在し、読み手の想像力が存在したところに、詞に対しての魅力を感じることができる」と評している[99]。評論家の町口哲生は「ドラマティックだが意外と語彙が少ない。その『少なさ』が逆にポリフォニック(多声的)な効果を発揮し、ミニマムな言葉遣いでマキシマムな感動を生み出す」と評している[100]

クラシック、ロック、ポップなどのジャンルに関わらず、作曲をするときは楽器を使わずにドラムを含めた全てのパートを直接譜面に書いてる[101][102]。その理由として「譜面だけで書くと制約がないんです。ピアノで作ると、指グセがあったりと制約ができてきちゃう。それはギターも一緒ですけど、譜面だとそれが無いんです。だから逆に譜面の方が自由にできる」と語っている[17]絶対音感を持っており[103]、ペンと譜面さえあれば作曲ができるため移動中に飛行機の機内で作曲することもある[104]。インディーズ時代にライブ・ハウスで曲と曲の合間に冗談のつもりでピアノでクラシックを弾いたところ、その意外性が思いのほか受け、それをきっかけにピアノとギターやドラムなどを絡めようと意図的に作曲するようになった[12]。X JAPANの楽曲にピアノを取り入れたのは1作目のアルバム『Vanishing Vision』の収録曲「ALIVE」が最初で、ベートーヴェンの「月光ソナタ」のフレーズが使われている[12]。ハードなサウンドの中にピアノを取り入れる手法はX JAPANの楽曲の特徴の1つになっている[12]。1991年に小室哲哉V2の制作活動をするまで、作曲の際に頭の中で鳴っていた楽器はドラム、ベース、ギター、ストリングスだけであったが、それ以降は「"電気の音"も鳴るようになった」と語っている[105]

1992年からジャズ・ピアノオーケストレーションを学びを始め[12]ディック・マークスシェリー・バーグに師事[103]。ストリングスへの理解を深めるためにヴァイオリンにも挑戦した[103]ジョージ・マーティンとのジョイント・プロジェクトとして1993年に発表したアルバム『Eternal Melody』の制作では、オーケストレーションについて詳密に理解していなかったために自分の意見が説明できず悔しい思いをしたが[103]、「真のレジェンドからオーケストレーションについて多くのことを学んだ」とし、ジョージ・マーティンとの仕事が大きな影響になったと語っている[101][103]キッスの1994年のトリビュート・アルバム『トリビュート -KISS MY ASS-』に収録された「ブラック・ダイヤモンド」のピアノ協奏曲アレンジでは、初めて1人でオーケストレーションを全て手がけた[106]。YOSHIKIは「オーケストラと仕事をするようになって以降は、X JAPANなどのロック・バンドにおいても「小規模なオーケストラ」という視点で作曲するようになった」と語っている[101]

影響[編集]

ドラマーを志すきっかけになったキッスのピーター・クリス。

最も影響を受けた3作のアルバムを挙げてもらう産経新聞のインタビューで、YOSHIKIはキッスの『地獄の狂獣 キッス・ライヴ』、レッド・ツェッペリンの『レッド・ツェッペリン IV』、アイアン・メイデンの『キラーズ』の3作を挙げた[107]。アイアン・メイデンに関しては初期の作品のパンク性に影響を受け[96]、その後パンク・ロックに「もともと聴いていた音楽に戻れないぐらい」のめり込んでいくきっかけになった[27][96]。1984年に上京してXのバンドのメンバーを探していた時期は、エクスプロイテッドカオスUKディスチャージG.I.S.M.GAUZEなどイギリスや日本のパンク・バンドに傾倒していた[27]。影響を受けたドラマーにはキッスのピーター・クリスを挙げ、11歳の時にキッスの日本武道館公演でクリスを見てドラマーを志したと語っている[108]。そのほか、好きなドラマーとして村上秀一青山純を挙げている[109]

初めて購入したレコードであるシューベルト交響曲第8番ロ短調「未完成」ベートーヴェン交響曲第5番ハ短調「運命」が収録されたアルバムには、ロック・グループと同じぐらいの影響を受けたという[101]。YOSHIKIが自身の半生を描いたという楽曲「ART OF LIFE」では、そのシューベルトの「未完成」のフレーズが使われている[103]。影響を受けた作曲家にはバッハを挙げ、あえて影響を匂わせた作品を入れたり対旋律などの手法を引用していると語っている[103]。X JAPANの1989年のアルバム『BLUE BLOOD』に収録されている「ROSE OF PAIN」では、バッハの「小フーガ」のフレーズが随所で使われている。1997年のインタビューではシェーンベルクなどの近現代の作曲家に最近は影響を受けていると語っており[103]、自身の人生に大きな影審を与えた曲を中心に選曲したクラシック音楽のコンピレーション・アルバム『Yoshiki Selection II』(1996年)には[103]、シェーンベルグの弟子にあたるベルクの『抒情組曲』も収録された。最も好きなクラシックの作曲家としては、チャイコフスキーモーツァルト、交響曲ではベートーヴェンとシューベルト、ピアノ協奏曲ではラフマニノフ、ピアノ独奏曲ではショパンを挙げている[101]。好きなピアニストとしてジョージ・ウィンストンキース・ジャレットホロヴィッツ三柴理を挙げている[12][110]。キース・ジャレットに関しては1975年のライブ・アルバム『ザ・ケルン・コンサート』に影響を受け、ジャズの理論やインプロビゼーションを学び始めるきっかけになった[12]

ダンス・ミュージックにおいて最も影響を受けたのはトリップ・ホップで、Violet UKにおいてダンス・ミュージックの要素が強まるきっかけとなったと語っている[111]。特に影響を受けたトリップ・ホップのアーティストにマッシヴ・アタックトリッキーポーティスヘッドを挙げている[111]

使用楽器[編集]

ピアノ[編集]

カワイ・CR-40A。
シグネチャー・モデルのピアノ。

1990年までのステージではスペースの都合でアコースティック・ピアノが使えなかったため、ローランドのエレクトリック・ピアノ「RD-1000」を使用していた[110]。ピアノ以外にもチェンバロなどに音色を変えて演奏する事も多かった。

1991年以降のステージでは、外装部分が透明アクリル樹脂で出来ているカワイクリスタル・ピアノ「CR-40A」を主に使用している。東京の自宅では特注したMIDI仕様のCR-40Aを置いている[12]。2011年のX JAPANのヨーロッパ・ツアーと中南米ツアーではCR-30を使用した。1993年にはカワイのフルコンサート・ピアノ「GS-100」をベースにたシグネーチャー・モデルが製作された。幼少から自宅のカワイのピアノで練習をしていたことからカワイのタッチに慣れており、レコード会社とエンシノの自宅にもそれぞれカワイのピアノを置いている[112][12]。1997年のテレビ出演時にはカワイのシンセサイザー「K5000W」を使用した。

レコーディング・スタジオには、カワイ・RX、ヤマハのフルコンサート・ピアノとMIDIピアノ、スタインウェイのフルコンサート・ピアノが置かれている[12]。スタインウェイのフルコンサート・ピアノはカーネギー・ホールで使われていたものを買い取ったもので、著名なアーティストのオートグラフが数多く入っている[113]。MIDIマスター・キーボードには、コルグ・T1ドイプファー・LMK4+などを使用している。長い時間手首に負担がかかる角度でスタジオのキーボードを弾いて以来、慢性的な腱鞘炎を患っており[12]、8時間を超えるピアノの練習にはドクターストップがかかる[11]

ドラムセット[編集]

TAMAの "クリスタル・ドラム" とYOSHIKI(2011年、サンパウロ)。

TAMA(星野楽器)の2バス (16"x24", 16"x24")、スネア (6.5"x14")、2フロア (16"x16", 16"x18")、4タムタム (10"x10", 12"x12", 13"x13", 14"x14") を基本構成に[114]、パワー感を重視するレコーディング用と、ビジュアル・インパクトを重視するステージ用とを使い分けている[115]。X JAPANの1991年のアルバム『Jealousy』のレコーディングからは、TAMAのチタンシェルのカスタム・セットをラック・システムで使用[115]。チタン特有のドライな音を補うため、比較的薄いドラムヘッドに付け替えている[115]。X JAPANの1996年のアルバム『DAHLIA』では、オン・マイクで拾ったスネア・ドラムとバス・ドラムの音をライブ・ルームにセットした大型のPAスピーカーからルーム全体に流し、部屋鳴りも同時にルーム・マイクで録るシステムを採用した[115]。この手法によって、オン・マイクのアタック感と、通常のドラム・レコーディングでは得られない奥行きのある部屋鳴りをミックスしている[115]

インディーズ時代のステージでは、パールのドラム・セットにロートタムをセットしていた。TAMAとの契約したメジャー・デビュー以降のステージでは、通称 "クリスタル・ドラム" と呼ばれているTAMA・アートスターII(クリア・アクリル)をメイン・キットとして使用している[116]。「照明によって何色にでも光る」という理由でTAMAに特注したもので、1990年(ロックスターと同様の仕様)と1996年(アートスターESシリーズ)に台数限定で市販もされた[102]。しかし、シェルがアクリル樹脂素材のため、「強く叩かないと鳴らない」[102]という弱点がある。ライブ序盤で使用され、ドラム破壊パフォーマンスにも使用されるサブ・キットには、バーチ・シェルのTAMA・グランスター・カスタムや[115]、メイプル・シェルのTAMA・アートスター・カスタムなどを使用[102]。初期はレッド、以降はロック・クロームのカラーリングが施されている。ドラムヘッドはエヴァンス。フット・ペダルにはヤマハのベルト・タイプ「FP-910」を使用[102]。シンバル系は初期はパールのWILDシリーズを使用していたが、後にジルジャンに統一された。ハイハット・スタンドはTAMAのIRON COBRA HH805[102]

シグネチャー・モデルのドラム・スティック「TAMA・H-YKB」。

ドラムスティックはTAMAから市販もされている自身のシグネチャー・モデル「H-YKB」を使用している[117]。ヒッコリー材でチップはボールタイプ。全長:398 mm、径:14.25 mm。ショルダー部分が比較的太く、先端にウエイトが置かれている。TAMAからは汗による滑りを防止する特殊塗装マティロを採用したドラム・スティック「H-YKM」と、シグネチャー・モデルのティック・ケース「TB-YK」も販売されている。X JAPANのシングル「JADE」のミュージック・ビデオでは、パールの110Hや、110HBを使用している。

デビュー当時の激しいヘッドバンギングなどをしながらドラムを叩く演奏スタイルで首や頚椎を痛め、頚椎椎間板ヘルニアや神経循環無力症(心臓神経症)などを発症している。こうした身体の故障でこれまでに何度もライブの中止や延期を引き起こしたが、X JAPANの全国ツアー『DAHLIA TOUR 1995-1996』で倒れた際には、「次に痛みが出たら車椅子生活になる」と医師から宣告された[118]。再発防止のために筋肉で骨を補強するようスポーツ専門家から勧められ自宅にジムを作って筋肉トレーニングに励むようになったが[118]、回復後に行われたライブ『DAHLIA TOUR FINAL 1996』以降は首に頚椎固定用のコルセットを着用してドラムを叩くようになった。X JAPANの2009年のワールド・ツアーでヘルニアを悪化させ椎間孔切除の手術を受けたが[119]、ほかの頚椎間や腰にも損傷が判明したため3年以内に再手術が必要であると医師から宣告された[120]

ギター[編集]

Violet UKではレコーディングのほか、ステージでもギターを弾くことがある。1992年10月にフェルナンデスによるシグネチャー・モデル「Burny BG-125X」が製作され、同年12月から市販もされた。ピックアップはフェルナンデスのTHD-1がフロントとリアに付けられている[121]ブリッジはオクターブ調整が可能なバダス・タイプ[121]B.C.リッチのBICHを基にしたマホガニーのボディーにはバラが描かれており、ネックの12フレットにはネーム入りのブロック・インレイが埋め込まれている[121]。2000年8月には、Violet UK用にフェルナンデスによる同じBG-タイプのオリジナル・モデルが製作された[122]。ピックアップにはフロントにサスティナー・ドライバー、リアにフェルナンデスのVH-401がマウントされた[122]。2002年のインタビューではレコーディングで使用しているアイバニーズ7弦ギターについて「それなしではViolet UKのレコーディングはできなかったというぐらい大活躍している」と語っている[111]

慈善活動[編集]

YOSHIKI(左端)とジョン・ルース(右から2人目)。2010年独立記念日パーティーにて。

幼くして父を亡くした経験から、とりわけ遺児救済に関わる活動に積極的である。2009年1月16日のX JAPANの香港公演『X JAPAN WORLD TOUR LIVE IN HONG KONG』では200人の孤児をコンサートに招待し、地元の非営利団体「仁愛堂」にコンサート収益の一部を寄付[123]。2009年3月29日から3日間、中国政府の要請により四川大地震の被災地と孤児院を慰問し、仮設校舎の敷地内に音楽室を建て、ピアノやオルガン、木琴などさまざまな楽器も寄贈した[124]。1995年には阪神・淡路大震災の被災地の小中学校にピアノを10台寄贈している[125]

その後、より継続的な支援を目標に、遺児の保護や難病を抱えた子供の救済などを目的とした基金「Yoshiki Foundation America」を2010年7月1日に設立。YOSHIKIは設立にあたり、グラミー・ファンデーション、聖ヴィンセント・ミールズ・オン・ホイールズ、メイク・ア・ウィッシュ・オブ・アメリカに、それぞれに寄付した[126]ナショナル・アカデミー・オブ・レコーディング・アーツ・アンド・サイエンスが運営するグラミー・ファンデーションとは共同で、楽器の購入支援、音楽レッスンの提供、音楽関連のイベントへの参加支援など、音楽を通じた支援活動を予定している。Yoshiki Foundation Americaはカリフォルニア州の非営利公益法人として、内国歳入法501条(c)3項の認可を受けている[127]

2011年3月11日に発生した東日本大震災の被災者のためにYahoo! JAPANのチャリティ・オークションにX JAPANのコンサートで使用したカワイクリスタル・ピアノ「CR-40A」や愛用品を出品し、落札金額を日本赤十字社に全額寄付した[128]。ピアノは同年4月28日に ¥11,001,000 で落札された[129]。また、交流のあるハリウッドの著名人にも被災地の義援金協力を呼びかけ[130]マリリン・マンソンアンソニー・キーディススタン・リーロバート・パティンソンジェームズ・フランコリース・ウィザースプーンなどが寄付を申し出た[131]

2012年9月7日にアメリカ最大のボランティア支援団体「ポインツ・オブ・ライト財団」が開催したイベントに、在アメリカ合衆国特命全権大使の藤崎一郎に招待され出席[132]。慈善団体への募金を目的に開催されたチャリティ・オークションにYOSHIKIとプライベートでディナーをともにする「プライベート・ディナー権」を出品し、その落札金を寄付すると発表した[133]。オークションは2週間後の9月21日に終了し、$37,100 (US) で落札された[134]。同年10月26日には、一般財団法人メイク・ア・ウィッシュ オブ ジャパンの20周年を記念したYahoo! JAPANのチャリティ・オークションに、Yoshiki Foundation Americaを通じて「YOSHIKIのピアノでX JAPANの曲を歌う権利」を出品し、その落札額を寄付すると発表した[135]。¥3,005,000 で落札され、2014年4月にロサンゼルスで実施された[136]

2013年1月にリリースしたゴールデングローブ賞の公式テーマ・ソング「ゴールデングローブのテーマ」の収益の全額を、同賞の主催者であるハリウッド外国人映画記者協会を通じて慈善団体などに寄付すると発表した[137][138]

2014年11月20日に、Yoshiki Foundation Americaとグラミー・ファンデーション・ミュージケアーズを通じて「プライベート・ディナー権」をオークション・サイト「Charitybuzz」に出品し[136]、その落札額をミュージケアーズに寄付すると発表した[136]。オークションは12月10日に終了し、上位2人が落札した[139]。合計落札額は $62,000 (US) であった[139]

事業活動[編集]

音楽レーベルと録音スタジオ[編集]

1986年、Xのレコードをリリースするためにインディーズのレコード会社「エクスタシーレコード」を20歳で設立した。エクスタシーレコードは後にLUNA SEAGLAYZI:KILLを輩出する一大インディーズ・レーベルとなる。また、知り合いのプロダクション代表が、エクスタシーレコードの音源の無断使用で莫大な利益を得ていた一件から、楽曲の権利を守るために1988年に音楽出版社「エクスタシー音楽出版」を設立し、日本音楽著作権協会 (JASRAC) に登録した[140]。1992年には、自身のマネージメントや楽曲の版権を管理する「ジャパンミュージックエージェンシー」を設立している[140]。1994年にポリグラム・グループとプロデューサー契約を結び、メジャー・レーベルの「プラチナム・レコード」を設立した。1998年2月にロサンゼルスを拠点とするレーベル「エクスタシー・レコード・インターナショナル」と[51]、1999年8月に日本を拠点とするレーベル「エクスタシー・ジャパン」を設立した[53]。エクスタシー・レコード・インターナショナルはワーナー・ブラザース・レコード、エクスタシー・ジャパンはイーストウエスト・ジャパン(いずれもワーナー・ミュージック・グループ)と流通契約を結び[51]、エクスタシー・ジャパンにはメディアファクトリーが資本参加した[53]。2008年にExtasy A Musicを、X JAPANのシングル「I.V.」の全世界同時発売時に設立した。

1993年に、ノース・ハリウッド・ランカーシム・ブールバードNoHoアート地区のコンプレックス型スタジオ「ワン・オン・ワン・レコーディング」を買い取り、スタジオAを外貸しとし、スタジオBを自身のプリプロ・ルームとして使用していた。2000年にエクスタシー・レコーディング・スタジオに改称[141]。2003年からはレンタルを一切やめ、完全なプライベート・スタジオとして使用していたが[142]、2012年に17ハーツLLC社に売却[143]。新たに同市カフエンガのカフエンガ・パス・スタジオを買い取り、2012年から自身のプライベート・スタジオとしてソロ・プロジェクトやX JAPAN、Violet UKなどのレコーディングに使用している。売却したノース・ハリウッドのスタジオは、現在17ハーツ・スタジオという名のレンタル・スタジオになっている。1998年には、ビバリー・ブールバードのブルックリン・レコーディング・スタジオを買い取り、エクスタシー・レコーディング・スタジオ・サウスに改称して使用していたが[144]、YOSHIKIがアメリカのバンドのプロデュース活動から手を引いた2003年に手放している[142]。2001年には、エクスタシー・ジャパンやエクスタシーレコードの原盤制作の拠点となるスタジオとしてエクスタシー・レコーディング・スタジオズ・ジャパンを渋谷区広尾の恵比寿プライムスクエアタワー11階に設立したが[145]、2003年のエクスタシー・ジャパンの活動終了に伴い閉鎖された。

コラボレーション商品[編集]

ラルム オードトワレ

1992年10月25日に、タカラからリカちゃんの憧れのロック・スターという設定の人形「STARLIGHT YOSHIKI」が限定1万体で発売された。ローズ、シルバー、パープルの3種類で、リカちゃんシリーズとしては初めて実在する人物がモデルとなった。1993年10月18日には、YOSHIKIのプライベート・ブランド・ライン「ラルム」を発表し、コーセーと開発した香水と、ワコールと開発した女性用ランジェリーを発売した。2002年7月31日に、各450部限定で「YOSHIKI ARTS-直筆サイン入りシルクスクリーン3作品」を発売[146]。作品は「Endless Rain」「Tears」「Forever Love」の3点[146]。2004年には「X JAPAN 15周年メモリアルプロジェクト」の1つとして、X JAPANの東京ドーム公演の前日に楽屋で食べたカレーが辛かったことに腹を立てたYOSHIKIが、リハーサルへの参加を拒否して帰宅したエピソードを元ネタにしたレトルト・カレー「『YOSHIKI伝説』YOSHIKIカレー<キレ辛>」と、シェード部分にYOSHIKIの写真がプリントされた室内用ランプを発売した。2008年10月1日から、ジュエリー・メーカー「桑山」とコラボレートしたジュエリー・ブランド「YOSHIKI Jewelry」を発表[147]。 2008年12月24日から、三井住友カードが会員限定の特典があるYOSHIKIの写真がデザインされたクレジット・カード「UNDERGROUND KINGDOM VISAカード」を発行している[148]。2009年5月にはハローキティとのコラボレーション・キャラクター「yoshikitty」を発表した。2009年10月26日には モンダヴィ・ファミリーとコラボレートしたカリフォルニア産ワイン「Y by Yoshiki」を発売[149]。赤ワインはカベルネ・ソーヴィニヨン。白ワインはシャルドネで、パーカー・ポイントで88点の評価であった[150]

2011年7月21日、サンディエゴで開催されたアニメ・コンベンション『コミコン・インターナショナル』で記者会見し、YOSHIKIをモデルにしたヒーローが主人公のアメリカン・コミック『ブラッド・レッド・ドラゴン』を発表[151]。会見には作品のクリエイターであるスタン・リートッド・マクファーレンが同席した[151]。作品は全4巻で、2011年10月5日に初巻が発売された。2012年1月20日にはコンラッド・リーチがYOSHIKIの「静」と「動」を表現したという2作のシルクスクリーン「YOSHIKI PORTRAIT」と「YOSHIKI DRUMS」が100枚限定で発売された[152]。2013年にはヘッドフォン・ブランド「SOUL」とのコラボレーション・モデル「SL150 YOSHIKI special edition」をプロデュース[153]。SOULの既存モデル「SL150」を元に、カラーやデザインなどを変更したもので、数量限定で発売された[154]

その他[編集]

圧縮音楽データの再生技術に関する特許を2001年に出願。[155]。2008年にエナジー・ドリンク「ロックスター」のエグゼクティブ・プロデューサー[156]、2009年にSUPER GTのレーシング・チーム「ROCK ST☆R童夢NSX」のチーム・プロデューサー[157]、アメリカの動画共有サービス「Ustream」のエグゼクティブ・アドバイザーを務めた[158]。また、2010年11月に設立された、辻野晃一郎が代表を務めるベンチャー企業「アレックス」の共同設立者に名を連ねている[159]。映画監督の紀里谷和明岩井俊二と共に、クリエイターのためのソーシャル・ネットワーキング・サービスFREEWORLD」を運営している。2011年の11月にβ版としてスタートし、2012年2月に正式版が公開された[160]。2012年9月には、スポーツカー「トミーカイラ・ZZ」の電気自動車化の開発を手がける京都大学発のベンチャー企業「グリーンロードモータース」に出資者として加わった[161]。ロサンゼルスで日本の広報拠点となる「ジャパン・ハウス」が外務省によって2017年夏にハリウッド&ハイランド内に開設されることが発表され、アドバイザーに就任した[162][163]

2011年3月6日に国立代々木競技場にて行われたファッション・ショー『ASIA GIRLS EXPLOSION』を、ファッション・プロデューサーのJay f.Rと共同で企画。着物ブランド「YOSHIKIMONO」を発表し、ファッションデザイナーとしてもデビューした[164]。10歳の頃から悩まされている不眠症の治療をきっかけに[9]、ライフワークとして医学博士の加藤友朗と共同で音楽療法の研究も進めている[165]。現在、グラミー賞の投票権を持つ「ボーティング・メンバー」の1人でもある[166]

ディスコグラフィ[編集]

主な出演[編集]

映画
タイトル 備考
1988年 TOKYO-POP 本人 X(現X JAPAN)のメンバーとしてカメオ出演
2007年 グローバル・メタル 本人 ドキュメンタリー映画/インタビューを収録
2015年 JUNK STORY 本人 ドキュメンタリー映画/インタビューを収録
テレビ
タイトル 備考
2000年 バスストップ 本人 第4話「哀しみと怒りの初デート…」にカメオ出演
ミュージック・ビデオ
タイトル アーティスト 備考
2002年 レメディー アバンダンド・プールズ
2012年 あの輝かしい日々をもう一度 テネイシャスD カメオ出演
コマーシャル
企業 プロモーション テーマ サウンドトラック
2000年 セブン-イレブン・ジャパン 企業イメージ New Revolution Starts 「Confusion」- Violet UK 日本
2000年 セブン-イレブン・ジャパン 企業イメージ Ready for the New Wave 「The Other Side」- Violet UK 日本
2001年 セブン-イレブン・ジャパン 企業イメージ Ahead of Its Time 「Blind Dance」- Violet UK 日本
2002年 パルコ バーゲン・セール Wonderful X'mas N/A 日本
2002年 パルコ バーゲン・セール Believe in Wonder N/A 日本
2016年 楽天 楽天モバイル Endless Challenge [167] N/A 日本

ツアーとコンサート[編集]

参照[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b 小松成美 『YOSHIKI/佳樹』 角川書店 2009年 58頁。
  2. ^ a b 天皇陛下御即位十年をお祝いする国民祭典”. 天皇陛下御即位二十年奉祝委員会 (2009年10月14日). 2014年10月30日閲覧。
  3. ^ 「愛・地球博」イメージソングを元X JAPANのYOSHIKI氏に依頼”. 愛・地球博公式ウェブサイト (2002年2月25日). 2014年10月30日閲覧。
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  8. ^ 小松成美 2009, p. 61
  9. ^ a b 『東京ジャーナル』(2013年秋号)
  10. ^ 小松成美 2009, p. 59
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  12. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 『キーボード・マガジン』(2003年1月号)リットーミュージック
  13. ^ 小松成美 2009, p. 66
  14. ^ 小松成美 2009, p. 64
  15. ^ 小松成美 2009, p. 65
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原典[編集]

外部リンク[編集]