鋸南町

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きょなんまち
鋸南町
The port of Kanaya.jpg
日本の旗 日本
地方 関東地方
都道府県 千葉県
安房郡
団体コード 12463-0
面積 45.19 km²
総人口 8,120
推計人口、2015年5月1日)
人口密度 180人/km²
隣接自治体 鴨川市富津市南房総市
町の木 ツバキ
町の花 ニホンスイセン
鋸南町役場
所在地 299-2115
千葉県安房郡鋸南町下佐久間3458
北緯35度6分40秒東経139度50分8.8秒
鋸南町役場
外部リンク 南房総『きょなん』

鋸南町位置図

― 政令指定都市 / ― 市 / ― 町 / ― 村

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鋸南町(きょなんまち)は、千葉県南部に位置する安房地方の西部に位置する。館山市への通勤率は10.4%(平成22年国勢調査)。

地理[編集]

北端の富津市との境に霊場で知られる鋸山がある。南端には浦賀水道に突き出た西ヶ崎がある。海岸線は起伏に富んでおり、保田、勝山などの漁港がある。また勝山沖には浮島などの岩礁も多い。内陸の山間部は房総丘陵の一部を形作っている。

隣接する自治体[編集]

歴史[編集]

源頼朝上陸地

治承4年(1180年)、石橋山の戦いに敗れた源頼朝は箱根別当にかくまわれた後、現在の神奈川県真鶴町から出航。安房国平北郡猟島(現在の竜島付近)に到着。ここから再起を図った。頼朝上陸の碑が現在竜島海岸に建立され、同地は千葉県の史跡に指定されている。最初に頼朝のもとに参じた安西景益は、安房国(安西であり安房西部)の住人で、幼少時の頼朝に仕えていた。

鋸南町の保田は浮世絵師菱川師宣の出身地としても知られる。菱川家は師宣の父吉左衛門の代から保田に移り住んだが、師宣はのちに江戸に移り浮世絵師として活躍した。師宣の死後、その子孫は保田に戻り紺屋となっている。

沿革[編集]

人口[編集]

Demography12463.svg
鋸南町と全国の年齢別人口分布(2005年) 鋸南町の年齢・男女別人口分布(2005年)
紫色 ― 鋸南町
緑色 ― 日本全国
青色 ― 男性
赤色 ― 女性
鋸南町(に相当する地域)の人口の推移
1970年 13,316人
1975年 13,067人
1980年 12,843人
1985年 12,442人
1990年 11,696人
1995年 11,071人
2000年 10,521人
2005年 9,778人
2010年 8,953人
総務省統計局 国勢調査より

行政[編集]

町長[編集]

白石 治和(しらいし はるかず)

産業[編集]

漁業[編集]

農業[編集]

工業[編集]

教育[編集]

小学校[編集]

  • 鋸南町立鋸南小学校

中学校[編集]

  • 鋸南町立鋸南中学校

その他[編集]

  • 葛飾区立養護学校 
  • 保田しおさい学校

交通[編集]

鉄道[編集]

路線バス[編集]

町営循環バス

道路[編集]

姉妹都市[編集]

主な出身者[編集]

名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事[編集]

をくづれ水仙郷
  • 昇竜寺 - 曹洞宗。菱川師宣の家の檀那寺(ただし師宣の代までのもの)。
  • 存林寺 - 曹洞宗。菱川家の檀那寺。師宣の孫に当たる重嘉が叔父佐次兵衛の家を継いだことにより、以後菱川家の檀那寺となった。
  • 別願院 - 浄土宗。菱川師宣の墓所。今ある師宣の墓は近代になってから再建されたもので、本来の墓は元禄16年(1703年)に起きた地震による大津波で失われたという。
  • 菱川師宣記念館
  • 鋸山
  • 明鐘岬
  • 日本寺 - 日本寺大仏
  • ダイビング
  • 釣り
  • 佐久間ダム - ソメイヨシノ、花見場所として賑わう。
  • 道の駅きょなんとその周辺
  • スイセン - 町内の各所で日本寒水仙が栽培されており、毎年12月から2月に「水仙まつり」が開催される。江月水仙ロード・をくづれ水仙郷・佐久間ダム親水公園などがスイセンの名所となっている。
  • 勝山の祭り
  • 保田海岸 - 日本海水浴発祥の地。明治22年(1889年)、夏目漱石海水浴を楽しむ。

外部リンク[編集]