鋸南町
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| きょなんまち 鋸南町 |
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|---|---|
| 国 | |
| 地方 | 関東地方 |
| 都道府県 | 千葉県 |
| 郡 | 安房郡 |
| 団体コード | 12463-0 |
| 法人番号 | 8000020124630 |
| 面積 | 45.19 km² |
| 総人口 | 7,800人 (推計人口、2017年5月1日) |
| 人口密度 | 173人/km² |
| 隣接自治体 | 鴨川市、富津市、南房総市 |
| 町の木 | ツバキ |
| 町の花 | ニホンスイセン |
| 鋸南町役場 | |
| 所在地 | 〒299-2115 千葉県安房郡鋸南町下佐久間3458 北緯35度6分40秒東経139度50分8.8秒 |
| 外部リンク | 南房総『きょなん』 |
| ウィキプロジェクト | |
鋸南町(きょなんまち)は、千葉県南部に位置する町。安房地方の西部に位置する。館山市への通勤率は10.4%(平成22年国勢調査)。
地理[編集]
北端の富津市との境に霊場で知られる鋸山がある。南端には浦賀水道に突き出た西ヶ崎がある。海岸線は起伏に富んでおり、保田、勝山などの漁港がある。また勝山沖には浮島などの島、岩礁も多い。内陸の山間部は房総丘陵の一部を形作っている。
隣接する自治体[編集]
歴史[編集]
治承4年(1180年)、石橋山の戦いに敗れた源頼朝は箱根別当にかくまわれた後、現在の神奈川県真鶴町から出航。安房国平北郡猟島(現在の竜島付近)に到着。ここから再起を図った。頼朝上陸の碑が現在竜島海岸に建立され、同地は千葉県の史跡に指定されている。最初に頼朝のもとに参じた安西景益は、安房国(安西であり安房西部)の住人で、幼少時の頼朝に仕えていた。
鋸南町の保田は浮世絵師菱川師宣の出身地としても知られる。菱川家は師宣の父吉左衛門の代から保田に移り住んだが、師宣はのちに江戸に移り浮世絵師として活躍した。師宣の死後、その子孫は保田に戻り紺屋となっている。
沿革[編集]
- 1959年(昭和34年)3月30日 - 勝山町と保田町が合併して新設。
- 町名の由来は【鋸】山の【南】部で「鋸南」
- 2006年(平成18年)3月20日 - 南房総市誕生により安房郡に属する唯一の自治体となる。合併の経緯は南房総市#合併の経緯を参照。
人口[編集]
| 鋸南町と全国の年齢別人口分布(2005年) | 鋸南町の年齢・男女別人口分布(2005年) | ||||||||||||||||||||||||||||||
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■紫色 ― 鋸南町
■緑色 ― 日本全国 |
■青色 ― 男性
■赤色 ― 女性 |
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鋸南町(に相当する地域)の人口の推移
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| 総務省統計局 国勢調査より | |||||||||||||||||||||||||||||||
行政[編集]
町長[編集]
白石 治和(しらいし はるかず)
産業[編集]
漁業[編集]
- 保田漁港
- 勝山漁港
- 岩井袋漁港
農業[編集]
工業[編集]
教育[編集]
小学校[編集]
- 鋸南町立鋸南小学校
中学校[編集]
- 鋸南町立鋸南中学校
その他[編集]
交通[編集]
鉄道[編集]
路線バス[編集]
道路[編集]
- 国道
- 有料道路
- 主要地方道
- 一般県道
- 道の駅
姉妹都市[編集]
主な出身者[編集]
観光[編集]
- 昇竜寺 - 曹洞宗。菱川師宣の家の檀那寺(ただし師宣の代までのもの)。
- 存林寺 - 曹洞宗。菱川家の檀那寺。師宣の孫に当たる重嘉が叔父佐次兵衛の家を継いだことにより、以後菱川家の檀那寺となった。
- 別願院 - 浄土宗。菱川師宣の墓所。今ある師宣の墓は近代になってから再建されたもので、本来の墓は元禄16年(1703年)に起きた地震による大津波で失われたという。
- 菱川師宣記念館
- 鋸山
- 明鐘岬
- 日本寺 - 日本寺大仏
- 佐久間ダム - ソメイヨシノ、花見場所として賑わう。
- 道の駅きょなんとその周辺
- スイセン - 町内の各所で日本寒水仙が栽培されており、毎年12月から2月に「水仙まつり」が開催される。江月水仙ロード・をくづれ水仙郷・佐久間ダム親水公園などがスイセンの名所となっている。
- 保田海岸 - 日本海水浴発祥の地。明治22年(1889年)、夏目漱石が海水浴を楽しむ。
- 勝山の祭り
外部リンク[編集]
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