印旛郡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
千葉県印旛郡の位置(1.酒々井町 2.栄町。薄緑・水色:後に他郡から編入した区域 薄黄:後に他郡に編入された区域)

印旛郡(いんばぐん)は、千葉県下総国)の

人口41,919人、面積51.52km²、人口密度814人/km²。(2016年10月1日、推計人口

以下の2町を含む。

郡域[編集]

1878年明治11年)に行政区画として発足した当時の郡域は、概ね以下の区域にあたる。

歴史[編集]

当初は「いにわ」と読まれていたが、撥音便が起こり「いんば」に変化した。

近代以降の沿革[編集]

  • 慶応4年8月4日1868年9月19日) - 天領が下総知県事の管轄となる。
  • 明治初年(7町263村)
    • 松崎新田が松崎村に、西小林新田が小林村に、関山新田が大関新田にそれぞれ合併。
    • 柏中新田が東葛飾郡柏中新田を合併して印旛郡柏中村下となる。
    • 橋本村が改称して白井橋本村となる。
    • 公津・塩子の冠称を廃止。
  • 明治元年9月23日(1868年11月7日) - 遠江浜松藩が転封して上総鶴舞藩となり、郡内の領地が下総知県事の管轄となる。
  • 明治2年1月13日1869年2月23日) - 下総知県事の管轄地域が葛飾県の管轄となる。
  • 明治4年(7町264村)
  • 明治5年(1872年)(9町268村)
    • 飯野村・下根村のうち屋敷地が分立してそれぞれ飯野町・下根町となる。
    • 開墾地より八街村・七栄村・十倉村・十余一村が起立。
  • 明治6年(1873年
    • 6月15日 - 千葉県の管轄となる。
    • 古沢村が墨村に合併。(9町267村)
  • 明治7年(9町255村)
    • 中村新田の一部(手賀村・片山村)が分立して中村となる。
    • 所沢村・野口村が合併して木村となる。
    • 富ヶ沢村・法目村・長殿村・富ヶ谷村が合併して復村となる。
    • 飯郷村・野田村が合併して吉見村となる。
    • 安養寺村が武西村に合併。
    • このころ八幡新田・発作新田・白幡新田が合併して発作村となる。
    • このころ宝田新田・亀成新田が合併して亀成村となる。
    • このころ平塚村新田が平塚村に、鹿黒新田が鹿黒村に、大森新田が大森村に、稲葉村が小谷流村にそれぞれ合併。
  • 明治8年(9町250村)
    • 軽井沢新田・中木戸新田・白井木戸新田が合併して根村となる。
    • 布鎌北新田・布鎌北四ヶ村新田・布鎌横須賀新田・布鎌押砂新田が合併して北布鎌村となる。
  • 明治9年 - 角来村のうち屋敷地の城外江原が分立して江原町となる。(10町250村)
  • 明治11年(1878年
    • 11月2日 - 郡区町村編制法の千葉県での施行により、行政区画としての印旛郡が発足。「印旛下埴生南相馬郡役所」が佐倉新町[10]に設置され、下埴生郡南相馬郡とともに管轄。
    • 鍋山村が改称して鍋山新田となる。
    • 染井入新田の所属郡が南相馬郡に変更。(10町249村)
  • 明治13年(1880年) - 布鎌利右衛門新田・布鎌源五左衛門新田・布鎌七右衛門新田が合併して布鎌三和村となる。(10町247村)
  • 明治19年(1886年) - 布鎌三和村が改称して三和村となる。
  • 明治20年(1887年)(10町241村)
    • 柏堀之内新田が東葛飾郡柏堀之内新田に合併。
    • 柏中村下・戸張村新田の所属郡が東葛飾郡に変更。
    • 根戸村新田・松ヶ崎村新田・呼塚新田の所属郡が南相馬郡に変更。

町村制以降の沿革[編集]

1.川上村 2.弥富村 3.旭村 4.千代田村 5.志津村 6.阿蘇村 7.臼井町 8.内郷村 9.佐倉町 10.根郷村 11.和田村 12.酒々井町 13.八街村 14.公津村 15.六合村 16.宗像村 17.船穂村 18.白井村 19.大杜村 20.永治村 21.谷清村 22.木下町 23.本郷村 24.埜原村 25.布鎌村 26.富里村 31.安食町 32.豊住村 33.八生村 34.中郷村 35.久住村 36.成田町 37.遠山村(紫:佐倉市 赤:成田市 桃:印西市 下橙:八千代市 黄:白井市 緑:八街市 水色:四街道市 上橙:栄町 青:合併なし)
  • 明治22年(1889年4月1日 - 町村制施行により以下の町村が発足。▲は飛地を除く。△は飛地のみ。(4町22村)[11]
    • 川上村 ← 大谷流村、吉倉村、東吉田村、上砂村、砂村、勢田村、用草村、根古谷村、小谷流村、岡田村、△八街村(現・八街市)
    • 弥富村 ← 岩富町、岩富村、七曲村、西御門村、宮内村、飯塚村、内田村、坂戸村(現・佐倉市)
    • 旭村 ← 成山村、中台村、中野村、山梨村、和田村、上野村、南波左間村、和良比村、小名木村、鹿渡村、吉岡村(現・四街道市)、馬渡村(現・佐倉市)
    • 千代田村 ← ▲内黒田村、物井村、亀崎村、長岡村、栗山村、△下志津村[下志津新田](現・四街道市)、羽鳥村、飯重村、吉見村、生ヶ谷村、畔田村(現・佐倉市)
    • 志津村 ← ▲下志津村、上志津村、井野町、青菅村、小竹村、上座村、先崎村、井野村、△内黒田村[字今宿](現・佐倉市)
    • 阿蘇村 ← 米本村、下市場村、村上村、神野村、保品村、下高野村、上高野村(現・八千代市)
    • 臼井町 ← 臼井村、臼井田町、臼井台町、江原町、江原新田、角来村、△佐倉町[佐倉弥勒町の一部](現・佐倉市)
    • 内郷村 ← 岩名村、飯野村、土浮村、飯野町、山崎村、下根村、萩山新田、下根町、飯田村、大佐倉村、△佐倉町[佐倉弥勒町の一部](現・佐倉市)
    • 佐倉町 ← 佐倉町[12]、鏑木村、鍋山新田、▲大蛇村、将門町(現・佐倉市)
    • 根郷村 ← 六崎村、寺崎村、太田村、城村、石川村、木野子村、大篠塚村、小篠塚村、神門村、△佐倉町[佐倉弥勒町の一部](現・佐倉市)
    • 和田村 ← 直弥村、八木村、高崎村、宮本村、米戸村、寒風村、上別所村、天辺村、▲上勝田村、下勝田村、瓜坪新田、坪山新田、長熊村、上代村、高岡村、△佐倉町[佐倉野狐台町の一部]、△大蛇村(現・佐倉市)
    • 酒々井町 ← 酒々井村、本佐倉村、本佐倉町、下台村、馬橋村、墨村、飯積村、尾上村、中川村、上岩橋村、伊篠村、伊篠新田、今倉新田、下岩橋村、柏木村、篠山新田(現存
    • 八街村 ← 榎戸新田、▲八街村、大関新田、文違村、雁丸新田、△上勝田村[戸山新田](現・八街市)
    • 公津村 ← 下方村、台方村、▲江弁須村、大袋村、飯田新田、北須賀村、船形村、八代村、飯仲村、下埴生郡成木新田(現・成田市)
    • 六合村 ← 瀬戸村、平賀村、山田村、吉高村、松虫村、萩原村(現・印西市)
    • 宗像村 ← 岩戸村、鎌刈村、師戸村、大廻村、造谷村、吉田村、△惣深新田[字関ノ台](現・印西市)
    • 船穂村 ← 船尾村、▲惣深新田、結縁寺村、多々羅田村、戸神村、武西村、松崎村、和泉新田(現・印西市)
    • 白井村 ← 白井橋本村、神々廻村、復村、根村[字軽井沢新田を除く]、木村、名内村、富塚村、中村、折立村、今井新田、中村新田、△白幡村[字弁天前]、△平塚村[字鍵作](現・白井市)
    • 大杜村 ← 大森村、鹿黒村、発作村、亀成村、南相馬郡△浅間前新田[字流木留]、△相島新田[字六軒堤根北・六軒堤根南](現・印西市)
    • 永治村 ← 浦辺村、小倉村、和泉村、▲白幡村、浦幡新田、浦辺村新田、高西新田(現・印西市)、▲平塚村(現・白井市)
    • 谷清村 ← 谷田村、清戸村、十余一村(現・白井市)
    • 木下町 ← 竹袋村、別所村、宗甫新田、平岡村、小林村(現・印西市)
    • 本郷村 ← 竜腹寺村、笠神村、中根村、滝村、物木村、荒野村、角田村、△惣深新田[字池ノ台](現・印西市)
    • 埜原村 ← 下曽根新田、下井新田、▲安食卜杭新田、行徳新田、中根新田、萩原新田、押付新田、小林新田、佐野屋新田、和泉屋新田、長門屋新田、中田切新田、松木新田、酒直卜杭新田、甚兵衛新田、将監新田、松虫新田(現・印西市)
    • 布鎌村 ← 布鎌請方新田、布鎌四ツ谷新田、北布鎌村、布鎌酒直新田、布鎌下和田新田、布鎌脇川新田、布鎌大森新田、布鎌押付新田、布鎌中谷新田、三和村、布鎌太郎右衛門新田、布鎌上曽根新田、布鎌南新田、布鎌西新田、布鎌長門屋新田、布鎌南四ヶ村新田(現・栄町)
    • 富里村 ← 根木名村、大和村、久能村、日吉倉村、七栄村、中沢村、新中沢村、新橋村、十倉村、高松村、立沢村、立沢新田、高野村(現・富里市)
    • 宇那谷村が千葉郡犢橋村、根村の一部(字軽井沢新田)が東葛飾郡鎌ケ谷村、安食卜杭新田の一部(飛地)が下埴生郡境村、公津新田が同郡八生村、江弁須村の一部(飛地)が同郡成田町、新木村下・日秀村新田・中里村新田が同郡湖北村、我孫子村新田・高野山村新田・岡発戸村新田・都部村新田が同郡我孫子町、箕輪村新田・大井村新田が同郡風早村、鷲野谷村新田・岩井村新田・泉村新田・布瀬村新田・手賀村新田・片山村新田が同郡手賀村のそれぞれ一部となる。
  • 明治30年(1897年)4月1日 - 郡制の施行のため、印旛郡・下埴生郡の区域をもって、改めて印旛郡が発足。安食町豊住村八生村中郷村久住村成田町遠山村が本郡の所属となる。(6町27村)
  • 明治32年(1899年)4月1日 - 豊住村の一部(田川)が茨城県稲敷郡金江津村に編入。
  • 大正2年(1913年
    • 3月1日 - 大杜村が町制施行・改称して大森町となる。(7町26村)
    • 4月1日(7町24村)
      • 本郷村・埜原村が合併して本埜村が発足。
      • 谷清村が永治村に編入。
  • 大正8年(1919年1月1日 - 八街村が町制施行して八街町となる。(8町23村)
  • 大正12年(1923年)4月1日 - 郡会が廃止。郡役所は存続。
  • 大正15年(1926年7月1日 - 郡役所が廃止。以降は地域区分名称となる。
  • 昭和12年(1937年2月11日 - 佐倉町・内郷村が合併し、改めて佐倉町が発足。(8町22村)
  • 昭和15年(1940年12月23日 - 千代田村が町制施行して千代田町となる。(9町21村)
  • 昭和29年(1954年
    • 3月30日 - 豊住村の一部(興津)が安食町に編入。
    • 3月31日(6町11村)
      • 成田町・公津村・八生村・中郷村・久住村・遠山村・豊住村が合併して成田市が発足し、郡より離脱。
      • 佐倉町・臼井町・志津村・根郷村・和田村・弥富村が合併して佐倉市が発足し、郡より離脱。
    • 9月1日 - 阿蘇村が千葉郡八千代町に編入。(6町10村)
    • 11月1日 - 八街町・川上村が合併し、改めて八街町が発足。(6町9村)
    • 12月1日 - 木下町・大森町・船穂村および永治村の一部(平塚・谷田・清戸・十余一)が合併して印西町が発足。永治村の残部(浦辺・小倉・和泉・白幡・浦幡新田・浦部村新田・高西新田)が白井村に編入。(5町7村)
  • 昭和30年(1955年
    • 3月10日(5町5村)
      • 六合村・宗像村が合併して印旛村が発足。
      • 旭村の一部(馬渡)が佐倉市に編入。千代田町が旭村の残部と合併して四街道町が発足。
    • 12月1日 - 安食町・布鎌村が合併して栄町が発足。(5町4村)
  • 昭和31年(1956年)1月1日 - 栄町が茨城県稲敷郡河内村の一部(生板鍋子新田・龍ケ崎町歩の各一部)を編入。
  • 昭和32年(1957年)1月1日 - 四街道町の一部(羽鳥・飯重・吉見・生谷および畔田の一部[13])が佐倉市に編入。
  • 昭和34年(1959年2月1日 - 四街道町の一部(大日の一部)が千葉市に編入。
  • 昭和39年(1964年)9月1日 - 白井村が町制施行して白井町となる。(6町3村)
  • 昭和56年(1981年)4月1日 - 四街道町が市制施行して四街道市となり、郡より離脱。(5町3村)
  • 昭和60年(1985年)4月1日 - 富里村が町制施行して富里町となる。(6町2村)
  • 平成4年(1992年)4月1日 - 八街町が市制施行して八街市となり、郡より離脱。(5町2村)
  • 平成8年(1996年)4月1日 - 印西町が市制施行して印西市となり、郡より離脱。(4町2村)
  • 平成13年(2001年)4月1日 - 白井町が市制施行して白井市となり、郡より離脱。(3町2村)
  • 平成14年(2002年)4月1日 - 富里町が市制施行して富里市となり、郡より離脱。(2町2村)
  • 平成22年(2010年3月23日 - 印旛村・本埜村が印西市に編入。(2町)

変遷表[編集]

参考文献[編集]

脚注[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ 記載は新木村新田。
  2. ^ 記載は柏中村新田。
  3. ^ 記載は鷲ヶ谷村新田。
  4. ^ 右記のほか七沢村が記載されているが詳細不明。
  5. ^ 臼井村のうちとして記載。
  6. ^ 本佐倉村のうちとして記載。
  7. ^ a b 無高のため記載なし。
  8. ^ a b 布鎌四ヶ村新田1村として記載。
  9. ^ 新町(幕府領)・田町・本町・弥勒町(佐倉藩領)が記載。
  10. ^ 現在の佐倉市立美術館の駐車場の位置。『佐倉市の文化財』(佐倉市教育委員会公式サイト、2011年1月9日閲覧)。
  11. ^ 町村の統合は3月31日に行われている。
  12. ^ この時点では佐倉新町、佐倉宮小路町、佐倉並木町、佐倉裏新町、佐倉中尾余町、佐倉最上町、佐倉海隣寺町、佐倉田町、佐倉弥勒町、佐倉野狐台町、佐倉藤沢町、佐倉樹木町、佐倉本町が存在。
  13. ^ 字外野、萱橋、古屋敷、庚申台。

関連項目[編集]