多古町
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| たこまち 多古町 | |
|---|---|
|
祇園祭でのしいかご舞の披露 | |
| 国 |
|
| 地方 | 関東地方 |
| 都道府県 | 千葉県 |
| 郡 | 香取郡 |
| 団体コード | 12347-1 |
| 法人番号 | 3000020123471 |
| 面積 |
72.80km2 |
| 総人口 |
14,219人 (推計人口、2018年10月1日) |
| 人口密度 | 195人/km2 |
| 隣接自治体 |
匝瑳市、香取市、成田市、 山武郡芝山町、横芝光町 |
| 町の木 | サザンカ |
| 町の花 | アジサイ |
| 多古町役場 | |
| 町長 | 所一重 |
| 所在地 |
〒289-2292 |
| 外部リンク | 多古町 |
| ウィキプロジェクト | |
多古町(たこまち)は、千葉県香取郡にある町。成田市への通勤率は19.6%(平成22年国勢調査)。
目次
地理[編集]
下総台地と九十九里平野に挟まれ、町の中央部を九十九里平野最大の河川である栗山川が流れている。西は成田空港に接している。
隣接する自治体[編集]
歴史[編集]
- 縄文時代:丸木舟など、縄文時代の遺跡が多数発見されている。
- 弥生時代:稲作が盛んになり、現在でも「多古米」はブランド米として知られる。
- 古墳時代:房総最古の埴輪が発見された墳丘全長82メートルのしゃくし塚古墳に代表される柏熊古墳群や、73メートルの北条塚古墳を有する北条塚古墳群、そして小川土仏古墳群、内野古墳群、坂並白貝古墳群、淀台古墳群、飯土井台古墳群などの群集墳が数多くあり、九十九里浜から香取海へ通じる要衝であった。
- 平安前期:九十九里浜から香取海、さらに陸奥国への交通の要衝であり、延暦16年(797年)に征夷大将軍に任じられた坂上田村麻呂が蝦夷征討の途中松崎神社に参拝したと伝えられている。
- 平安後期:房総藤原氏の領した千田荘(現在の多古町)は上総下総両国の中心であったが、治承4年(1180年)に皇嘉門院判官代藤原親政(千田親政)が源頼朝に敗れ[1]、以後千葉氏の所領となった。
- 南北朝時代:文永の役の負傷がもとで肥前国小城郡で没した千葉頼胤に代わって 嫡男の宗胤が九州に赴いた間に千葉氏の家督を弟の胤宗に横領されてしまった。千田荘を本拠とした宗胤の嫡男胤貞は、折りしも勃発した南北朝の戦いに際して北朝方について、南朝方についた胤宗の子貞胤と千葉氏の家督を賭けて争うが、貞胤が降伏した直後に自身が病没し宗家の地位を失った千田氏はその後衰退した。
- 室町時代:馬加康胤の裏切りに遭い、千田荘に逃れて再起を図った千葉氏18代当主・千葉胤宣が康正元年8月12日(1455年9月23日)に多古城の近くの阿弥陀堂で、胤宣の父・胤直は8月15日(9月26日)に東禅寺で、胤直の弟・胤賢も9月7日(10月17日)に小堤城(現在の横芝光町小堤)で自刃、千葉氏宗家の嫡流が滅亡した。千葉氏宗家に仕えていた飯篠家直は、この様を目の当たりにし武芸をもって武士として生きることに虚しさを覚えた。そして厳しい修行の末「兵法とは平和の法なり」との悟りを得、天真正伝香取神道流を創始したと言われる。
- 江戸時代:徳川家康の江戸入府に伴い、保科正光が多古に入部した(その後、松平(保科)家は高遠藩を経て子の正之は会津藩主)。天領時代を経て、松平(久松)家嫡流の勝義が多古を領し、廃藩置県まで松平(久松)家の領地であった。
沿革[編集]
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い、多古村、東条村、久賀村、中村、常磐村が発足。
- 1891年(明治24年)6月29日 - 多古村が町制施行し多古町(初代)となる。
- 1946年(昭和21年)10月9日 - 成田鉄道多古線が廃止。
- 1951年(昭和26年)4月1日 - 多古町、東条村が合併し多古町(2代目)を新設。
- 1954年(昭和29年)3月31日 - 多古町、久賀村、中村、常磐村が合併し多古町(3代目)を新設。
- 1970年(昭和45年)4月1日 - 国道296号が制定。
- 2001年(平成13年) - 道の駅多古が開業。
- 2015年(平成27年)6月20日 - 多古台バスターミナルが開業。
行政区域変遷[編集]
- 変遷の年表
| 多古町域の変遷(年表) | ||
|---|---|---|
| 年 | 月日 | 現多古町町域に関連する行政区域変遷 |
| 1889年(明治22年) | 4月1日 | 町村制施行に伴い、以下の村がそれぞれ発足。[2] |
| 1891年(明治24年) | 6月29日 | 多古村は町制施行し多古町となる。 |
| 1951年(昭和26年) | 4月1日 | 多古町・東条村が合併し多古町が発足。 |
| 1954年(昭和29年) | 3月31日 | 多古町・久賀村・中村・常磐村が合併し多古町が発足。 |
- 変遷表
| 多古町町域の変遷表 | |||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1868年 以前 |
明治元年 - 明治22年 | 明治22年 4月1日 |
明治22年 - 昭和19年 | 昭和20年 - 昭和64年 | 平成元年 - 現在 | 現在 | |||
| 香取郡 | 多古村 | 多古村 | 明治24年6月29日 町制 |
昭和26年4月1日 多古町 |
昭和29年3月31日 多古町 |
多古町 | 多古町 | ||
| 島村 | |||||||||
| 水戸村 | |||||||||
| 千田村 | |||||||||
| 林村 | |||||||||
| 五反田村 | |||||||||
| 染谷村 | |||||||||
| 東佐野村 | 明治10年 喜多村 | ||||||||
| 中佐野村 | |||||||||
| 東台村 | |||||||||
| 井野村 | |||||||||
| 大原村 | |||||||||
| 飯笹村 | |||||||||
| 間倉村 | |||||||||
| 一鍬田村 | |||||||||
| 牛尾村 | 東条村 | 東条村 | |||||||
| 船越村 | |||||||||
| 井戸山村 | 明治10年 久賀村 |
久賀村 | 久賀村 | 久賀村 | |||||
| 寺作村 | |||||||||
| 御所台村 | |||||||||
| 高津原村 | |||||||||
| 大門村 | |||||||||
| 檜木村 | |||||||||
| 出沼村 | |||||||||
| 本三倉村 | |||||||||
| 次浦村 | |||||||||
| 西古内村 | |||||||||
| 谷三倉村 | |||||||||
| 下埴生郡 | 明治5年 十余三村の一部 | ||||||||
| 香取郡 | 川島村 | 常磐村 | 常磐村 | 常磐村 | |||||
| 方田村 | |||||||||
| 坂村 | |||||||||
| 松崎村 | |||||||||
| 南玉造村 | |||||||||
| 南中村 | 中村 | 中村 | 中村 | ||||||
| 北中村 | |||||||||
| 南並木村 | |||||||||
| 南借当村 | |||||||||
| 南和田村 | |||||||||
| 中村新田 | |||||||||
教育[編集]
高等学校[編集]
中学校[編集]
小学校[編集]
廃校[編集]
- 多古町立十余三小学校(1993年久賀小学校へ統合)
- 多古町立興新小学校(1993年久賀小学校へ統合)
- 多古町立多古第三小学校(2006年多古第一小学校へ統合)
- 多古町立多古第二小学校(2016年多古第一小学校へ統合)
人口[編集]
平成27年国勢調査より前回調査からの人口増減をみると、7.99%減の14,724人であり、増減率は県下54市町村中48位、60行政区域中54位。
| 多古町と全国の年齢別人口分布(2005年) | 多古町の年齢・男女別人口分布(2005年) |
■紫色 ― 多古町
■緑色 ― 日本全国 |
■青色 ― 男性
■赤色 ― 女性 |
多古町(に相当する地域)の人口の推移![]() ► | |
| 総務省統計局 国勢調査より | |
交通[編集]
町内に鉄道路線は通っていない。1911年から1946年までは成田鉄道多古線が通っており、五辻駅・飯笹駅・染井駅・多古駅の各駅が存在した。
道路[編集]
路線バス[編集]
- JRバス関東
- 千葉交通
- 多古町循環バス
- 多古-成田空港間シャトルバス (多古 - 成田空港第2ターミナル)
高速バス[編集]
名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事[編集]
- 多古祇園祭
出身人物[編集]
- 飯篠家直(剣客)
- 荘司きく子(教育者)
- 小川豊明(政治家)
- 木川統一郎(弁護士)
- 鵜澤静(日清紡ホールディングス社長)
- マギー隆司(奇術師)
- 国安修二(歌手)
- 宇井陽一(ロードレーサー)
- 金杉陽子(アナウンサー)
- 宇井愛美(ファッションモデル)
特産品[編集]
- 多古米
- やまといも(生産量全国2位、生産額全国1位)
脚注[編集]
外部リンク[編集]
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